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Yの遺伝子  作者: 阿彦
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10話 復権


 社内の忘年会は、盛りに盛り上がった。


 やはり、本場の蟹を食べながらの地酒は最高だ。冬場の厳しい気候に耐えなければならないことと、美味いものを喰う特権とはバランスがとれているものだ。


 苦しみを乗り越えると人は仲良くなる。ここの社員達とも、鬼のような残業の日々を、助け合いながら乗り切ったお陰で、仲良くなった。


 本社にいた時には、なかなか一体感を感じることができなかった。この会社のみんなと信頼関係を築き、仲間になれたのが、なによりも嬉しかった。


自然体でいられるこの居場所もそう悪くはないなと、心の底からそう思えた。


 もう、背伸びをしたり、人と競い合う人生にはウンザリだ。


 どうして、そんな風に考えるようになったのだろう?


 守るものがなくなり、すべてを失ったからだろうか?


 自分の中で、根本的な何かが変わろうとしているのかもしれない。



年始の出荷もようやく目処がたった昼ごろ、一本の電話が鳴った。


「花ちゃん部長、本社からお電話です!!」


 娘くらいに歳が離れている女性社員が、茶化して電話を繋いでくれた。


「こら、日中は真面目にやれ!!」


 冗談交じりで笑いながら叱った。


「花ちゃんに怒られたーー」


 女性社員が、ケタケタと笑いながら、逃げていった。その様子を微笑ましくみながら、外線にでた。


「花城。急で悪いんだけど、明日、本社に来てくれないか? 緊急の用件だ!!」


電話の相手は、指定の時間を一方的に言った。私の返答も待たずに電話を切った。


 本社の人事担当役員だった。私の責任をしつこく追求し、直接出向を命じたあの男だ。あの嫌味のある言い方と私が受けた屈辱感は、今でも忘れることもできない。


 昨日の酒が残っていたのか、せっかく気分上々であったにもかかわらず、一瞬にして最悪な気分になる。


いきなり、東京へ明日に来いなどと人事という人種は、なぜあそこまで傲慢なんだろうか。


 関連会社にも仕事と予定があるということをわかっていないのか。


 それとも、他人の生殺を握っているという優越感にでも浸っているだろうか。


 そう思うと、さらにイライラしてきた。私の機嫌が、こっちの冬場の天候のように急激に悪くなったので、周りの社員達が心配してくれた。ほんとうに、有り難い。




 私は、給料を頂いて生計を立てているサラリーマンです。故に、命令には絶対に従わなければならないのです。



 夕方の新幹線で向かおうかとも思ったが、東京の自宅に戻るのが嫌だった。早起きをして、翌日の新幹線で向かうことにした。


 新幹線のなかで、弁当を食べながら、今日呼び出された用件を考えてみる。


 私は、カリスマ社長に「お前はいらん」と直接いわれた男だ。


 出向期間がきれて、今の会社に一生骨を埋めろか、ほかの関連会社に転籍しろか、この二択だろう。


 東京にも戻りたくないし、今の会社に行くのも楽しい。ずっと、今の会社で人生を終えるのも悪くない。


 ん? ただ、そのようなくだらない用件を伝えるだけならば、電話で十分なのに。また辛気臭い男の顔を見なければならないとは、情けない気持ちが湧き出てくる。


 私の憂鬱な気持ちとは裏腹に、長いトンネルを抜けると、快晴の青空が広がっていた。



 スマホの画面で、時刻を確認する。指定された時間よりも、やや早かった。これまでは、自分の社員IDで直接入室できたが、さすがに出向の身分ではそれはできず、受付を通した。


 何年間も通い続けた会社であるが、久しく来ないうちに、知らない世界に迷い込んだような不思議な感じがする。


 田舎に流れている時間と、東京で流れている時間には確実に違う。


 受付横の待合室で待たされていると、知ってる顔が何人も忙しそうに通り過ぎていく。


 だれも私の存在には気づかない。その中には、元部下達の顔もあるが、さすがに都落ちした元上司の姿は見せたくなく、顔を背けた。


 予定した時間から10分後、ようやく人事担当役員の部屋に通された。


「なんだ。その格好は。礼儀も知らんのか!!」


 開口一番、役員が大声をあげた。その様は、天性の小物感の匂いがした。


 小物が激怒した理由は、私が髭も剃らずに、今の会社の作業着で来たためだ。


 本社での出世にはもう関係ないし、急に呼び出されたことにも腹が立った。めんどくさかったので、いつもの会社の格好で来た。


 まぁ、確かに。以前の私からは考えられない愚行なのかもしれない。


「倉庫で検収してた途中なんですよ。急に来いと呼ばれたんで、用意できるスーツもなかったんです……」


「まぁ、いい。時間もない。ついてこい」


 役員は怒りを通り越して、あきらめ顔となった。


 私に用事があったのは、この小物ではなかった。しょうがないので、無言のまま、人事担当役員の後をついていく。


 役員の目的地が社長室であるとわかった。さすがに、このような格好はまずかったかなと後悔してきた。


 そう言えば、出向を言われたときも、この小物に連れられて、赤絨毯を歩いた。


 あの時は、まるで処刑台に向かうように、生きた心地がしなかったなぁ。


 だけど、今は違う。別に失うものもない。社長に叱責されようが、関係がない。やはり、私のなにかが変わったのかもしれないなと思った。



 私が入社したときのR社は、そこに転がっている中小企業だった。それが、あれよあれよと、5年前に新興市場に上場を果たした。既存の枠組みにはとらわれない斬新な戦略と積極的なM&Aを繰り広げたことから、業界の風雲児と呼ばれている。


それもこれも、一代で築き上げた金川社長の手腕によるところが大きい。


 本社にいた時に、何度か新規事業の説明のために対峙したことがある。金川社長は、口下手で無骨なところがあるが、核心をついててくる。


「つまらんから、駄目だ!!」


 これはいけると思った企画だったが、書類を顔に投げつけられたこともある。役員も社員たちも、ワンマン社長を全員恐れている。


 私は、金川社長を尊敬しているところもある。この会社に長く勤めていたのは、社長の存在もあったのだろう。ただ、出向を言い渡されたときに、お前はいらんとはっきりと言われた手前、会わせる顔がない。


 人事担当役員が、緊張の面持ちをみせて、社長室のドアをノックした。


 部屋に入ると、社長はソファに座っていた。片手に書類を持って、目を閉じてなにかを考えている。社長が話しかけるまでは、そのまま直立不動で待つのがこの会社の暗黙のルールだ。


「きたか。急に呼んで悪かったな。お前にはもう用はない。下がれ!!」


 人事担当役員は、お役御免といった感じで、逃げるように部屋を出て行った。


「まぁ、座れ。向こうはどうだ」


「ご無沙汰しております。見ての通り、向こうの生活にも慣れて元気です。さすがに、むこうは気候が厳しいんですが、魚と蟹はめちゃくちゃ美味いんです。社長にお会いするとは思っていなかったもので、こんな格好で申し訳ありません。でも、慣れると作業着もなかなかいいもんです。窮屈なネクタイはもうウンザリですわ……」


 以前の私なら、社長に怯えて、このような話はできなかった。ほんと、どうしたんだろうか………


「それは、よかった。………残念だが、またそのネクタイ生活をしてもらう。時間がないから、単刀直入にいう。本社に戻ってこい。話はそれだけだ。お前に選択肢はない。これは俺の命令だ!!」


 相変わらず、金川社長は結論を先にいう。


「えっ、なぜですか……?」


 想像もしていなかった展開で、言葉を失い、そういうのが精一杯だった。この前は、いらないと言ったくせに、社長の考えと話が見えない。


「花城。お前は、この会社に入ってどれくらいになる? 」


「もうすぐ20年になります……」


「そうか……それならば、ある程度はわかるな。俺がこの会社を作ってから、もうすぐ30年になる。この会社も潰れそうになったことはたくさんある。俺はこの会社を守るために必死だったよ。それがどうだ。今、入ってきた若い奴らは、なんの苦労もせずに、会社があることが当たり前のように考えている。まさに、学級崩壊した小学校のようだ。この30年、俺が何を考え、何をしてきたか。お前には、わかるか? 」


「………わかりません」


「………簡単だよ。必要な物と人間に、時間と金を突っ込んで、無駄な物と無駄な人間を時間をかけずに、切ってきただけだよ。ただそれだけだ……。会社の寿命は30年だ。うちにも、つまらん膿がでてきた。本社にお前を戻すが、たまたま、お前が必要となっただけだ。だから、自分には実力がある、能力があるとは、思わないことだ」


 ここまで、会社経営について、饒舌に話す社長は初めて見た。やはり、すごい人だ。


「話はそれだけだ。つぎの取締役会で、執行役員にしてやる。この会社の最年少役員だ。家に帰って、嫁を喜ばしてやれ!!」


「話はそれだけだ」と社長が言うと、黙って退席するのが、この会社の暗黙のルールだ。


 記憶にはないが、「期待に応えるよう頑張ります!」というようはことを言って退席した。



 何が起きたのだろう……社長が放った言葉を一つ一つ思い返しながら、赤絨毯の廊下を歩いていると、もっとも会いたくなく男とあった。


「おっ、話は聞いたぞ。なんだ、そのみすぼらしい格好は。田舎暮らしでボケてしまったんじゃないか? 花城役員、ご栄転した気分はどうだ。俺が約束通り、お前を呼び寄せてやったんだぞ。感謝しろよ!!」


 相変わらず胸糞の悪い笑い声を立てながら、雨池専務がやってきた。


「せっかく、向こうの生活にも慣れたところなのに、ほんと迷惑な話です」


「貴様、なんだその言い方は。また、飛ばされないように、今度こそ、会社のために頑張るんだぞ!」


 私は黙って頭を下げた。そして、雨池とは目線も合わせずに、そのまま前を向いて歩いた。


 心の中では、もう二度とこの男には屈しないことを誓った。もう、私には屈する理由さえない。


 兎にも角にも、私は本社に復帰することになった。しかも、異例の大抜擢で。元の仕事と生活を取り戻したのだ。


 ただ、「もとの生活と決定的に違うこと」がある………


 妻には本社に復帰し、東京へ帰ることを告げていない。


 そして、会社の近くにマンションを借りた。

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