「太陽の冠」(8)
薄暗い小さな部屋。
唐突に光の渦が現われ、また消えていく。代わりに二人がその小部屋へといざなわれた。部屋に見て取れるのは小さな扉だけ。ティキはその扉をぎいと開いた。
風圧に扉を押し戻されそうな外の世界は白雲の海だった。上を見やると雲ひとつない満天の星。小部屋から目の前に渡された長い橋を走り抜けると荘厳な城が姿を現す。この世の最も高きところに存在する女神クレスの神殿だ。
「クレス様……。」
ティキは意を決したように城の扉を開けると、神殿の中には女神クレスの麝香のそよ風が微かに漂う。その香りの中、多くの巫女たちが神女の武装をし、神殿の中心にある永遠の穴に続く階段を囲み祈りを捧げていた。
扉の音に巫女たちが振り向くと皆が不安と喜びの入り混じった視線をティキに寄せた。
ひとりの巫女がティキの前に進み出て平伏した。
「ティキ様! ああ、よくぞお戻りになられました。クレス様が巨大な魔物に……。
我々がついていながら……申し訳ありません!!」
動揺し、泣きそうな部下をティキは優しく慰めた。そして確かめるように声をかける。
「わかっています。クレス様は永遠の穴にいらっしゃるのですね?」
小さく何度も巫女は頷く。
ティキは姿勢をただし、巫女たちを制するように右手を水平に胸の前に掲げると凛とした声で命令を告げた。
「皆の者! 私はこれから永遠の穴に入る!!
クレス様は私が命に代えても守る故、心配するな!!
皆は魔気が外に洩れ出さないよう、結界を張るのを怠るな!!」
「はっ!!」
巫女たちが一斉に声を上げ、再び祈りの瞑想に入る。エラルはティキの存在感の大きさに飲み込まれていた。聖女とはこれほどまでのものなのかと不謹慎ながらティキとの遠い距離を感じていた。
「行きましょう。エラル。」
神殿中央にある下り階段へとティキは走り出す。続いてエラルも走り出す。
その階段に足を踏み入れるとエラルは驚いた。そこは、ぐるぐると永遠に続いているような錯覚すら覚える螺旋階段であった。
「ティキ……。」
階段を落ちるように走り降りていくティキにエラルは声をかける。彼女は彼に顔を向けることなく半分気がないように返事をした。
「何?」
「……俺が盾になるから、ティキはまずクレス様の救出を考えろ。いいな。」
「ええ、クレス様は私が必ず助けるわ。それが私の使命。
だから……力を貸して。」
「わかってるよ。俺はクレス様もティキも絶対に傷つけさせないから。」
「……ありがとう。」
どれほどの階層を降りたことだろう。ふいにやや広い空間に出た。多くの天然の石柱が立ち並び、奥から麝香の香りのそよ風が吹く。
輝き流れる金髪。水色のローブに天女の羽衣。
女神クレスがいた。
「クレス様!」
ティキは夢中で走り寄ろうとした。
「危ない、ティキ!!」
女神クレスの叫びをかき消すように石柱の影から異形の塊が現われた。
身の丈はティキたちの倍以上ある。黒鈍色のぬるりとした肌に手には鋭い三本の鉤爪、口からは大きく覗いた無数の牙。角を何本も頭部に生やし、背中には蝙蝠のような翼がでたらめに生えている。そして蜥蜴のような尾をびくんびくんと振るわせていた。
「……何だ、この化物は!?」
エラルは剣を構え、ティキに目配せをした。ティキはすまなそうに頷くと魔物の死角を抜けて女神クレスの元へと走っていった。
「ガ……アァア!!!」
それに気がつきティキを追おうと吼える魔物。その前にエラルは立ちはだかった。
「お前の相手は俺なんだよ!」
エラルはそう叫ぶと剣を振りかぶり、力任せに化物を袈裟懸けに斬ろうとした。ずぶりと肌の裂ける鈍い音。化物は怒号を上げるとエラルにつかみかかってきた。
「クレス様、大丈夫ですか?」
腕を取り、女神の無事を確かめると、額を見た。
太陽の冠がない!
ティキは顔面を蒼白にしてエラルの方を振り向くと、化物の右の鉤爪に冠が引っかかっているのを認めた。
「エラル、右手を狙って! 太陽の冠が……!」
ティキの悲鳴にエラルは狙いを右手に定めた。化物の爪をかいくぐり、懐で反転する。魔物に背を向け、右肘の下から冠のかかっている鉤爪へと肉を削ぐように力任せに剣を振りきった。一本背負いの要領である。緑青色の血とも粘液ともいえない液体が化物の腕から噴出し、化物は激痛からかどうと倒れ、地面を転がった。
化物が地面に倒れた衝撃で、爪に囚われていた冠が宙を舞い、化物から離れる。ティキはそれを見て取ると聖女の杖を真っ直ぐ地面に突き立て、両の手を翡翠の宝玉にあてた。
「精霊よ、女神の忠実なる下僕よ!
償いの道を示せその過ちに、邪なるものを戒めよ。
女神の掌にて……!」
彼女の手のひらから無数の虹色の光が牙をむくように走る。その光は化物を包み込むように突き刺さった。
「グゥ……ァ!」
化物は絶叫を上げるとよろよろと立ち上がり、広間の奥にある穴の中に墜ちていった。声が穴に吸い込まれるように消えていく。
やがてあたりには静寂が訪れた。
エラルは息を整えながら太陽の冠を拾い上げた。無言でティキに差し出すと、ティキは冠の汚れを拭き取り、恭しく女神に差し出した。
女神はそっと冠を受け取ると髪を揺らし、額にあてた。
「ああ……! ありがとう、二人とも。これで魔気も収まるでしょう。」
「ご無事で何よりです。クレス様。本当に申し訳ありません。
私が傍にいなかったばかりにこんなことに……。」
「ティキ、そのようなことは気にしなくていいのですよ。
すべては私の責任なのですから。」
女神は忠実な下僕に礼を述べ、そしておもむろにエラルに顔を向けると優しい笑みを見せて彼にも礼を述べた。
「ありがとう、勇敢な戦士よ。
あなたのおかげでティキも私も無事でいられました。」
エラルはばっと膝を折った。平伏し、言葉を返そうとしたが、あまりの緊張からか、うまく言葉が出てこない。
「お、恐れ多いお言葉、ありがとうございます。ご無事で何よりで、す。」
クレスはそよ風のように軽やかに歩き出すと二人に告げた。
「神殿に戻りましょう……。本当にありがとう。」
こうして女神クレスと太陽の冠は女神の神殿に戻り
世界に洩れていた魔気も消え去りました
それはティキとエラルの旅が
無事終わったことを告げていました