「太陽の冠」(6)
ティキたちは再びシーファの町まで戻ってきた。
もう夕闇が近づいている。町の家々には灯がともりはじめている。
二人は急いで教会へ戻ると神父に神聖石を手渡した。
「おお、ティキ様。ご無事で何よりです。」
神父は神聖石を両手で受け取るとフリーゲートの中心にある台に静かに置いた。
「すぐ直りますか? 急いでいるんです。」
ティキの言葉は女神クレスのテレパスを思い出し、少し焦りが混じっていた。
「……これは。」
「どうしたんです?」
神父は固く動かなくなり、震える声で二人に告げた。
「神聖石が……魔気に侵されている。」
「何ですって!?」
「何だって!?」
二人は同時に叫び声をあげる。
神父は心を落ち着かせようとゆっくりと振り向き、重く口を開いた。
「ティキ様……急ぎの用とはまさか……。」
「……。」
ティキは何も言わなかった。しかしそれだけですべてが伝わったようだ。
「とにかくティキ様にはクレス様の元に急いでいただかなくては。
微力ではありますが私と修道女たちの力と、
ティキ様がお持ちの聖女の錫杖を貸していただければ、
何とかゲートを開けるかもしれません。
お急ぎとは思われますが、どうかお待ちください。」
コルツ神父はひとりの修道女を呼び、ティキたちの世話を頼んでいた。
「ティキ様、どうぞこちらへ。
お疲れでしょうから二階の方でお休みください。
準備ができ次第お伝えにあがります。」
ティキたちは教会の二階でしばしの休息をとることになった。
しかしお休みくださいと言われてもティキは落ち着いてはいられない。
下階では慌しい音が聞こえる。窓越しに外を見ると旅の巡礼者の中にも力になれる者はいないか、町中を探しているようであった。
ティキには刻々と流れる時間の一秒一秒がたまらなかった。
「これでゲートが開けばいいけど……。」
「そうだな……。」
窓際に立つティキの傍に椅子を引っ張りこんできてエラルは座った。
「でもよりによって魔気だなんて……、クレス様は無事なのか?」
その一言にティキは俯き、後悔するように首を振る。
「私がお側にいなかったせいで……。」
「あ、そんなつもりで言ったんじゃ……。」
小さく肩を震わせる彼女の肩に手をかけようとして、エラルは立ち上がった。
ちょうどその時階下から修道女が上がってきた。
「ティキ様、準備が整いました。どうぞお願いいたします。」
「……行こう。」
宙で止まった右手を椅子の背に置き、エラルはティキを促した。
ティキは何かを吹っ切るように首を横に一振りすると顔を上げ、小さくこくんと頷くとフリーゲートへと向かった。
「おおティキ様、お待たせして申し訳ございません。」
フリーゲートの周りにはかがり火が焚かれ、十数人の修道女や巡礼者が集まって輪を作り、小さく呟くように呪文を詠唱していた。
「どうぞこちらへ……。」
神父はティキたちをフリーゲートの中心にいざなった。
「ティキ様、フリーゲートの中心にある神聖石の上に杖をお立てください。」
ティキは言われたとおりにゲートの中心に聖女の錫杖を真っ直ぐ立てる。
すると周りの呪文の詠唱が光となり、翡翠色の宝珠に引き込まれていく。
「ティキ様。」
コルツ神父も一礼をし、輪に加わった。
「我々のすべての祈りをもってしても、
直接ヴィダリスまでのゲートを開くことはできないでしょう。
かろうじて海を越えることができるだけでしょうが……、よろしいでしょうか?」
「ええ、充分です。皆さんありがとうございます。」
「では……。」
神父が頷き、周囲の者たちもそれに応じたように目を閉じる。すると祈りの輪がさらに輝きを増し、そしてそれと共に宝珠は眩しさを増していく。やがて光の強さはあたりを白い虚の中へと溶け込ませた。
……再びフリーゲートが静寂とかがり火の光だけを取り戻した頃、ティキとエラル、二人の姿はなくなっていた。皆は輝きを無くした神聖石に視線を落とし、誰からともなく再び祈りはじめていた……。
太陽はすでに水平線の彼方に消えようとしている。海には微かにオレンジ色の線が浮いているだけだった。薄闇が天を覆わんとしているその時、岬の端に地上から数メートル、白い光に包まれてティキとエラルは姿を現した。光の球はゆっくりと地上に降りると融けるように消えていった。
「日が暮れてしまったわね。……ここはどこかしら?」
ティキはあたりを見回す。闇濃く黒い海の向こうに微かに町の灯が見える。おそらくシーファの町だろう。ということは、ここはヴィダリスの都がある岬の先端らしかった。
「どうするんだ、ティキ。これじゃあいくら急ぎたくても危険すぎるぜ。」
「ええ、そんなことはわかってるわ。でも……、行くのよ。」
「どうせそう言うと思ったよ。このおてんば聖女様は。」
エラルはひとつ背伸びをすると、改めてティキに向き直った。
「ティキ。お前は俺が絶対守ってやるからな。
だから今、お前はクレス様のことだけを考えていればいい。」
「エラル……。ありがとう。」
「よし、行こうぜ! やっぱ旅支度してきて良かったぜ。」
そう言うとエラルは皮袋の中からランタンを取り出した。カチカチと手際よく火打石で火をつける。魔物への目印にはなってしまうが、光がなければこちらもお手上げなので仕方がなかった。
ティキたちは岬を北西に歩き出す。しかし恐れていた魔物は出てこない。
「……気配も感じないわ。どうしたのかしら。かえって不気味ね。」
「そうだな。」
しばらくすると前方にいくつかの明かりが見えてきた。しかもこちらに向かっているようだ。
「やっと敵さんのお出ましか?」
二人は戦闘態勢をいつでもとれるように固く武器を握りしめた。
しかし近づくにつれ、蹄の音も聞こえてくる。やがて数頭の軍馬が二人の前で立ち止まり、先頭の葦毛の馬から金色の甲冑に赤いマントを纏った男が降りてきた。年の頃は三十前といったところであろうか。輝く金色の甲冑同様金色の髪をさらりと揺らし、深い群青の瞳をティキに合わせた。
「やはりティキ様でしたか!」
「イグレック! どうしてここに?」
ティキは驚きを隠せないようだった。どうやら聖殿の戦士らしい。エラルの眉根がぴくりと細まる。
「詳しいお話は馬上でいたします。どうぞお乗りください。」
イグレックと呼ばれた男は額にかかる金の髪を軽くかきあげると、
「失礼。」
ひょいと軽くティキを自分の馬に乗せ、自らも騎乗の人となった。
「おい、ティキ! こいつら何なんだ!」
エラルは慌てて不満をぶつけた。このままでは自分は取り残されてしまう。それより何よりティキを勝手に自分の馬に平然と上げたこの男に頭が切れていた。
ティキも慌てた。
「エラル、この人はイグレック、聖戦士団長よ!」
ティキはイグレックにエラルのことを話した。彼女の幼馴染であること、女神の危機を救うための旅に同行してくれたこと、色々と助けてくれたこと……。
話をひととおり聞き終わっても、彼はあからさまに不満げな顔をしたが、このような僻地に人を置き去りにするのは騎士のすることではない。イグレックは部下にエラルを同乗させるよう命令すると、馬の横腹を蹴り、ヴィダリスへと戻るよう踵を返した。
当然エラルにも不満はあったが、相手が聖戦士団長では今は話題の隙間に入る余地がない。しぶしぶと他の騎士の馬に乗せてもらう。しかしエラルは馬に乗るのは初めてだったので、内心はおっかなびっくりであった。
馬上、ティキはイグレックが何故ここまで来たのか尋ねた。彼はティキを気遣うように軽やかに馬を駆けさせながら語った。
「ヴィダリスからこちらの方に光の柱が立つのが見えたのです。
今、ヴィダリスのフリーゲートは不安定で使うことができず、
シーファも同様かと思っておりました。
しかしティキ様なら何か別の方法を使って来られるのではと思い、
一同待機してお待ち申し上げていたのです。」
「そう……。それでクレス様は!?
巫女たちやあなたたちは今何をしているの?」
ティキの問いに少々彼は顔を曇らせた。しかし彼の前に乗っているティキにはわからない。しばしの沈黙の後、彼は重く口を開いた。
「……どうやら〝永遠の穴〟から魔気が洩れているらしいのです。
クレス様は魔物に穴に引きずり込まれたようです。」
その言葉にティキの血の気がざっと引いた。
「クレス様が……そんな! 早く行かなくちゃ!! 急いでイグレック!!」
「はっ!」
掛け声と共に軍馬たちの速度が上がる。
やがて岬に再び静寂が訪れる。残ったのは蹄の跡だけだった。