「太陽の冠」(4)
レクタの山道を下っていく。ここは洞窟と山の端を交互に抜けて降りていくような構造になっている。その理由は山の中に流れる湧水にあった。湧水がところどころから染み出して、長年の間に不思議な山の内外を通る山道をつくりあげたのだ。途中にはその水の恵みを祭った祭壇もあった。しかしティキたちはそれを素通りし足早に山を下っていく。
その時である。何かがティキの頬をかすった。
「!?」
気がつくと山犬と呼ぶには大きい黒い獣が数頭、ティキたちの周りを取り囲んでいた。
「なんだこいつら!? ここの山にはこんな獣いないはずだぜ!!」
ティキの脳裏にクレスのテレパスが蘇る。
〝太陽の冠〟が……
まさか、太陽の冠が何者かに奪われたのでは?
あの冠は伝承にもあるとおり、魔物の魔気を祓う力を持っている。あれがもし失われたのなら、魔物が地上に再び現われてもおかしくない。
「エラル、この獣は魔物よ!」
「何だって!?」
「やっぱりクレス様と太陽の冠に何かあったんだわ! 突破するわよ!
このままだと世界にどんどん魔物が広がっているかもしれないわ!!」
「了解!! 親父の剣は伊達じゃねえところを見せてやるぜ!!」
ティキとエラルは互いに背を合わせ、死角をなくす。視線をすばやく走らせると一、二、三……七匹はいる。ティキは右手で錫杖の根元辺りをつかむと、左肩に構える。そして呪文を小さな声で呟いた。
「精霊よ、女神の忠実なる下僕よ。
我が道を塞ぐ邪な輩に正義の鉄槌を与えよ……!」
錫杖を横に薙ぎ払うように右へと振り抜く。その後を追うように青白い光が地を走る。 聖なる三日月の白刃を喰らった五頭の魔物は牙をむく間もなく塵と消えた。
エラルはティキの聖術の強さに一瞬あっけにとられたが、すぐに気を取り直す。今度は自分の番だ。魔物も彼同様聖なる光にたじろいでいる。彼は不敵に目を細め、形見の剣の封印を解く。ぱしん、と軽い音で弾けた封印の古さとは裏腹に、鞘から現われた刀身は錆ひとつなく白く美しい輝きを湛えていた。いつか聖戦士になるために毎夜磨きを重ねた剣とともに素振りをした成果を初めて試す実践の舞台だ。
「うおおっ!!」
気合とともに地を蹴って飛ぶエラルの白刃は黒い魔物の胴を薙ぎ払う。凄まじい絶叫が響き、どす黒い血が大地を染めた。どうという音とともに倒れる魔物。その重い感触にエラルは一瞬気をそらした。
「エラル!」
ティキの叫び声にエラルは我に返る。目の前に魔物の鋭爪が迫っていた。
防ぎきれない!
エラルの頭に恐怖と興奮の入り混じったその瞬間、ティキの錫杖の根元が魔物の脳天を貫いた。魔物はエラルの鼻先でそのまま固まり、びくんびくんと身体を震わせると、やがて動かなくなった。
魔物の屍骸から錫杖を抜き、血を拭うとティキはエラルに駆け寄った。
「エラル、大丈夫?」
「……悪りい。」
乾いた声で返事を返す。エラルにとって今の醜態はかなりショックだった。女性とはいえ、ティキは神女の頂点に立つ聖女である。生半可な強さではない。エラルもそれを承知していたが、多少であれ彼女をか弱き女性と見て、守ってやらなければと思い込んでいた己の自信過剰な部分を彼は思い知ったのである。
「気にしなくていいわ。これは私の仕事なんだから。」
ますます痛いところを突かれてエラルは戦いの意味と剣の重さを実感した。
「急ぎましょう。もうすぐふもとよ。」
ティキは急ぎ足で下山をしはじめる。エラルも慌てて剣の血糊を拭き取り鞘に収めるとその後を追った。途中何度も先刻の戦いを振り返り、悔しそうに唇を噛み締め、首をひねりながら。
何度か魔物との戦いをやり過ごし、レクタの山を下山した。そこは限りない平原、まるで緑の海のようだった。視界を遮るものは何もなく、遠くに赤い瓦屋根が集まっているのが見てとれる。
広い緑の平原、漣のように草たちがざわめく中にシーファの町はあった。
町に着いた時にはもう夕暮れが近かった。宿屋の酒場が開きそうな時刻である。
「予定よりずいぶん時間がかかっちゃったわね。
やっぱり魔物と戦いながらだとかなり辛いわ……。」
「でも宿をとってる暇なんてないんだろ? このままフリーゲートへ入ろうぜ。」
「ええ。」
二人は教会の地下にあるこの町のフリーゲートへと足を向ける。だが少し様子が変だ。町を取り巻く草木だけでなく、人々もざわついているようだった。
ティキは近くにいた巡礼者らしき女性に声をかけた。
「何かあったんですか?」
彼女はちょっと迷惑そうな顔をしたが、いらついた声ながらも話してくれた。
「教会の地下にあるフリーゲート。今、使えないみたいなの。」
近くにいた旅人の青年もぼやく。
「フリーゲートが使えないと聖殿にお参りできないよ。困ったな……。」
聖殿というのはヴィダリスの都にある聖戦士の社だ。ティキの実家の教会同様、巡礼者のメッカだ。その他にも皆が各々不安の色を示している。
「なんだか急に天気が悪くなってきたけど、どうしたんだろうな。」
「外を散歩していたら突然魔物が襲ってきたんです。
今までこんなことなかったのに。」
ティキとエラルは顔を見合わせた。この小さな町にも異変の片鱗が現われている。
「とりあえず教会へ行ってみましょう。
フリーゲートが使えない原因がわからないことには、何もはじまらないわ。」
「そうだよな。ここいらの海は船でなんて渡れる代物じゃあないからな。」
この世界の海は俗称を絶海といい、渦や高潮が荒れ狂う死の海なのだ。太陽の光が海の底まで届かないため、封印された魔気が海底で渦を巻いているのだと言われている。
とにかくこの世界では海を船で渡る、ということは不可能なのだ。
小高い丘の上にある教会を訪れる。修道女に導かれ、二人は教会の地下にあるフリーゲートまでやってきた。そこにはこの教会の主であるコルツ神父が佇んでいた。
コルツ神父はティキの姿を見て取ると、一礼をして敬意を示した。
「おおティキ様。……神殿へ参られるのですか?」
「ええ。フリーゲートは……?」
神父は質問されたくない内容だと言わんばかりに小さく溜息をつくと話しはじめた。
「それがゲートの中枢となる神聖石が割れてしまったのです。
南の森にある祠に石はあるのですが、取りに行こうにも急に魔物が暴れはじめて……。」
「どうするんだ? ティキ。」
「仕方ないわ。フリーゲートでしか海は渡れないし。」
ティキは神父の前に進み出ると、右手を差し出して促した。
「神父様。私たちが神聖石を取りに行きます。鍵をお貸しください。」
「なんとティキ様自ら? 恐れ多いことです。ではこちらを……。」
神父は首から下げている十字架に絡めてある小さな銀の鍵をティキに手渡した。そして恭しく礼をすると両の手を組み、祈りを捧げた。
「急ぎましょう、エラル。日没前に町に戻らないと魔物との戦いが面倒だわ。」
一体今日は何度ティキの「急ぎましょう」を聞いたことだろう。
エラルはそう思うと、ティキの抱えている使命の重さと女神クレスへの忠誠心を改めて強く感じた。