「太陽の冠」(3)
「おばあちゃんただいま! これからご飯作るわねー!!」
礼拝堂に一声かけて奥の住居に入ると、久しぶりに作る料理の献立を考えた。
「エラルが来るんなら、ご飯食べていくわよね。えっと……。」
材料を吟味している時である。
ティキの脳裏に光が走った。
ティキ! 助けて……
太陽の冠が……助けて!
その悲鳴にも似た響きにしばしの間ティキは呆然と我を忘れたが、やがてはたと我に返る。
「今のは……クレス様!?」
おそらく、女神クレスに何かがあったのだ。…太陽の冠が、という言葉が聞こえた気がした。太陽の冠に何があったというのだろう?
何もかもがよくわからないが急がなければいけないことだけはわかっていた。
聖女の錫杖を持ち走り出そうとする。しかしその足は急に止まり、ティキは俯いて怯えた顔になった。
「……母さんに、何て言えばいいの……?」
あれほど自分の帰りを喜んでくれた母。まだ帰ってきて間もないというのに、再び別れを告げなければならないのは辛い。
しかし躊躇している暇はない。ティキは思考を止めてとにかく走り出すことにした。
扉を開こうとした瞬間、ガチャリと向こう側から扉が開く。
エラルだ。
「うわっと! どうしたんだ、ティキ? そんなに慌てて。」
「エラル……。母さんを、お願い。私……行かなくちゃ。」
「行くって、クレス様に何かあったのか?」
「さっき、クレス様からテレパスがあって……。だから、行かなくちゃ。」
ティキの様子は尋常ではなかった。普段は見せたこともないような不安と焦りが、彼女の琥珀色の瞳に闇を落としている。
エラルはとっさに、ティキをひとりで行かせるべきではないと思った。焦りは生命の危険に直結する。大切なティキにそのような愚を冒してほしくなかった。
エラルはまっすぐティキを見つめて言った。
「俺も行くよ。」
「駄目よ! エラルは母さんを……。」
ティキの言葉を制してエラルは強く言い放った。
「ごまかすなよ。何年お前と付き合ってると思ってんだ。
かなりやばいことなんだろ?
おばさんにはマザーだっているんだ。それよりも俺はお前が心配なんだよ!」
「……エラル。」
エラルの叱咤にようやく我に返ったティキは小さく頷いた。
「とにかくおばさんには本当のことを話してきな。俺はここで待ってる。
おばさんに黙って行くなんてできないだろ。早く行ってこいよ。」
エラルの教え諭すような言葉にティキは黙って頷くと階段を上っていった。
ティキは母ネリの部屋に静かに、しかし重々しく入っていった。
「どうしたんだい、ティキ?」
ティキは蒼白い母の顔を見つめる。哀しみをたたえた瞳で。
勇気を出して言おう。
母さんはどんな顔をするだろう。
「母さん……、私……。」
「いいんだよ。行っておいで。クレス様に何かあったんだろ?」
ティキは意外な母の言葉に驚きを隠せなかった。
「! どうして……。」
「お前がそんな顔をするのはそれぐらいしかないからね。
クレス様は私たちの大切な女神様。
お前がその力になれるなら、私のことは何も心配しなくていいんだよ。」
ティキは優しい母の枕元にすがりついた。そして少し潤んだ瞳を母に向けて微笑み、おもむろに立ち上がると一礼をした。
「母さん……。ごめんね。すぐ戻るからね。」
「ちゃんとおばさんに話してきたのか?」
「ええ。急ぎましょう。クレス様が心配だわ。」
エラルはほっとした。優しさの中に強さを秘めた燃える瞳。いつものティキだ。
「そうだな。シーファの町まで行けばフリーゲートがあるから、神殿なんてすぐさ。」
フリーゲートとは法力を使った移動装置だ。レクタの町には険しい山道を下るしか下山する方法がないが、山のふもとにあるシーファの町には聖戦士たちの集う都ヴィダリスまで行くことのできるフリーゲートがあるのだった。そしてヴィダリスまで行けば神殿までのフリーゲートがある。本来ならたいした道のりではないのだ。
そうだ、とエラルは思い出したようにティキに言った。
「俺、ちょっと家に寄って親父の鎧出してくる。剣もいるな。
旅支度も少しはしておいた方がいいもんな。
ティキは町の入口で待っていてくれよ。」
そう言ってエラルは一足先に駆け出していった。
ティキはエラルを見送ってからゆっくりと歩を進め、町の入口に着いた。渓谷から吹いてくる風が彼女の赤毛を揺らし、少し傾いた太陽が額の金環を光らせる。その姿は凛として輝いていた。
クレス様……。あの悲鳴のようなテレパス。
クレス様の身に何が起こったのだろう。
太陽の冠に何があったというのだろう……。
ティキは心中穏やかでなかった。
「お待たせ! さあ行こうぜ。」
エラルは青味がかった鎧を身に纏い、腰には剣を、肩には皮袋を下げてやってきた。
エラルの父はこの辺りでは名の知れた戦士だった。その形見の鎧や剣がこんなところで役に立つとはエラル自身も思っていなかった。父が自分にティキを守る力を与えてくれたのだ。ティキには決して心配をかけさせないと彼は心に誓った。
「ええ、急ぎましょう。陽のあるうちに神殿に着きたいわ。」