4話
見上げる天井。どうやら死ななかったようだ。
どうせなら、知らない天井だ、とか言ってみたかったが腹が痛くて無理だった。
腹部がどうなったのか確認しようと、痛む腹部を右手で抑えて上半身を起こしてみる。そこに見えたのは意外な光景だった。ミエラさんだ。なにやらシーツの上に頭を乗せて寝入っている。すごい、おっぱい乗ってる。
すごいっていうか、すんごい。なにそれ、クッションなの? 手で頭を支えているっていうかおっぱいで頭を支えている状態じゃないですか。あとでそのクッションをお借りしても? 貸してもらえるなら安眠どころか永眠してもいい。
思わずその光景を脳内のフォルダに保存するのに夢中になる。いかん、いかんですよ。そのおっぱいはいかんですよ。
脳内の容量を圧迫するかの如く凝視する。
いかんいかん。目的を忘れるな自分。
頭を振り、気力をもって目を背ける。着ているシャツを捲り上げ、腹部を確認してみるとそこには臍から右の脇腹にかけてなにやら幾何学模様のタトゥが入っていた。
お母さん。貴方に貰った身体に中二病のようなタトゥを入れてしまった愚かなる自分をお許しください。
どうせなら虎とか竜みたいな墨を入れたかった。
自分の身体の変化に思わずくらっときてしまい、ぼふんと勢い良くベッドへと身を沈める。
『ここは、どこなのでしょうか』
回答を求めた訳でもない言葉。
だが、ベッドの脇からすぐさま返答があった。
『町長、の、家。外出の、許可、ある』
ビクッと震えてしまう。
どうやら先程倒れこんでしまった衝撃で起こしてしまったようだ。昨日は体が震えていた。きっと想像の及ばない程に心労をおかけしてしまったに違いない。起こしてしまって申し訳ありません。それとミエラさんの素晴らしいおっぱい画像を脳内に保存しています。永久保存です。申し訳ありません。
『そうですか。教えてくださりありがとうございます。そして起こしてしまったようで申し訳ありません』
『いい』
全く気にされていない様子。流石だ。なんて寛大な心なのだろう。
それに甘えるようで申し訳ないが許してもらえるのであれば、これからも隙あらばおっぱい画像を脳内保存していきたい。
まだ腹は痛むが、ベッドを出ようと足を動かす。ふと、そこで気づいた。俺はこのまま一人で町を出ることになっている。ミエラさんと離れ離れになってしまう。
ミエラさん…と、離れ離れ、だと? なんだそれは、この世の地獄か?
愕然とした。この異世界に来て、それこそ魔契紙にサインする時ですか震えることの無かった足が、がくがくと生まれたばかりの小鹿のように震える。
嫌だ。ミエラさんと一緒にいたい。まだおっぱい見ていたい。ぷにぷにほっぺ、むちむち太もも、とがったお耳、透き通る唇、すっと通った鼻。
全部、全部だ、全部まだぺろぺろできていないいいいいいいいいいい
全身が震える。まるで北極に素っ裸で放り出されたような寒さを感じた。死ぬ、このままでは死んでしまう。
こちらを見たミエラさんが異変に気付く。少し慌てたように駆け寄ってきた。
情けなくても良い。どうせもう会社を辞めたニートおっさん。それにブサメン。これ以上に失うものなんてないだろう。縋りつくのだ。ミエラさんと離れるわけにはいかない。
『み、みみみ、ミエラさん。わわ、私はまだ、貴方と、離れたくありません』
唇の震えのせいで上手く喋ることができなかった。だが、言いたいことは言えた。
俺の震えは見るまに早くなっていく。カタカタからガタガタへと進化し、ついにはガタタタタに最終進化した。その震えはベッドが軋むほどだ。人間バイブレーションだ。ミエラさんのお股へとダイブして震えたい。
ミエラさんは俺の情けない発言を聞くと、少し驚いた様子。すぐに目を細めて優しく微笑みを浮かべた。
『私、も、もう少、し貴方と、いたい。村長、には、言ってい、る。一緒に、行こ?』
神様。最初はすっぽんぽんで放り出されたことを恨み、男なら一発殴らせろ、女なら一発やらせろと思っていましたが、ここに改めて忠誠を誓います。
なんだったら貴方が女性なら足を舐めてもいい。男性だった場合は知らん。
嘘のように収まる震え、無神論者の俺も今ならばマリアを歌える。
両手を胸の前に組み祈りを捧げる俺に呆れたような目を向けるミエラさん。
『それ、と、ミエラ、嫌』
『やっぱりですか』
震えが止まった瞬間にあだ名呼びを拒否するそのクールさが俺の開けてはならない扉をいつも開きかける。
ミエラさんは、傍らに置いていたのであろう、大きいリュックを背負う。いつの間に用意したのか。
大きさの割にリュックの中には少なめの荷物しか入っていないようだ。
だからか、収まりの良い位置にリュックを背負うのを少し苦労していた。良いよ良いよ、もっと跳ねておくれ。お乳が揺れるんじゃぁ。
やがて満足がいったのか笑みを浮かべ、こちらに向かい手を差し出す。
だがいかんせん俺は童貞。こういった触れ合いに不慣れな為とってよいのかとってはダメなのかを瞬時に判断できず、掴みかけたところで止まってしまう。まるで本番前になって勃たなかったような屈辱だ。そんな経験なんて一切無いが。
焦れたのかミエラさんがこちらの手を取り、布団から引っ張り出された。
『行こ』
『はい、行きましょう』
町長宅を出るまで、手を繋いでることを意識していなかったミエラさん。出た瞬間に周りの視線で気づき、すぐに離されることになる。俺は離される瞬間まで、盛大に手のぷにぷにさを堪能していた。すべっすべのぷにぷにだった。
だが所詮俺は童貞。緊張し過ぎて手に汗をかきまくっていた。こんな可愛い子の手が俺のような童貞の手汗で汚してしまい申し訳ない気分となるとともに少し背徳感があり興奮したのを気づかれていないように祈るしかない。
俺は片手をズボンの中につっこみ位置調整した。
——・・・・——
町の中を歩く。すぐにでも外に出るのかと思ったが違うらしい。ミエラさんが旅に必要な物を買いこんでくれるようだ。どうりでリュックがぺったんこだなと思った。
それはそうだ。なんの用意もしないで旅などできる筈も無かった。異世界に来て金銭を持ったことがない俺。買い物をするということすら頭からすっぽ抜けていた。
干し肉やら乾パンやら粉末スープやら小型の鍋やらマグやら色々な物を迷うことなく買い、リュックに詰めていくミエラさん。そしてその後ろを何をするでもなく暇そうに歩いている俺。
傍目から見ると完全に子どもに金を集り全てを押し付ける屑だった。いや、傍目に見なくても、自分自身で思う。屑だ。
どんどんと膨らんでいくリュック。後ろから見るとなんと大きなことか。リュックのかげから足のふくらはぎから先しか見えない。
4軒目の店を出るとこちらに振り帰る。
『必要、だと、思う物。買った』
『ありがとうございますミエラさん。私が出すべきところ立て替えていただき感謝の念に堪えません。村を出た後なにかしら稼ぐ方法を見つけ返させていただきますね』
『いい。二人、の、旅。黒、稼ぐ、方法、行商人じゃ、ない?』
『いえいえいえいえいえいえいえ、商人でしたとも。それはもう商人でしたとも。ですが、ほら、ね? 私は賊に襲われ今は商品も全て失い商人としてはやっていけない身でありましてね? そのような状況ですと稼げない身でしてね? 最早商人とは言えないでしょう? ですから今は旅人のようなものなのですよ。ですから何か稼ぐ手段を、と思いまして』
早口で捲し立てる。忘れてた。そんな設定はもう忘れてた。
すぐさま話題を変えなくては。言葉を重ねようと口を開くが、ミエラさんが先に言葉を発した。
『そう。それじゃ、二人、の、旅、だね。お金、一緒に、稼ご、ね?』
いかに自分が穢れた存在かを実感した。なんて素直なんだミエラさん。天使か。天使だ。
最初よりも感情を素直に出してくれるようになったミエラさん。今も極僅かにだが目を細められていらっしゃる。嬉しいことだ。
だがどうしたことか。すぐに表情が消えてしまった。いや、これもまた極僅かだが、唇の端が少しひくついているように思える。何かあったのだろうか。
『ミエラ、嫌』
やはりダメらしい。確かにさらっとあだ名で呼んだが最初は気にするそぶりも無かったではないか。二人で旅に出るのだ、あだ名で呼ばせてくれてもいいのに。
俺は乾いた笑いをもらすと、すみませんと謝った。
『行こ』
『そうですね。行きましょう』
やっとはじまる。きちんとした旅が。ちゃんと現代人として、衣服を身に纏い旅に行けるのだ。いわばいままではチュートリアル。ゴブリンの町こそがはじまりの町だったのだ。
気分はるんるんだ。
鼻歌でも歌ってしまいそうになりながら、俺は、ミエラさんと一緒に町を出る為の門を潜る。
眩しい陽射しに目を細める。なんだかんだと長く洞窟の中にいたのだ。暗くは無いが明るいということも無いという部屋の中のような適切な環境の中にいたせいか、余計に眩しく感じた。
門の外は、来た時と同じ、岩に囲まれた広場のような場所だった。山頂付近にあるこの場所からは、昨日俺が全裸出発した草原も見渡せる。年甲斐もなく胸が躍った。
『いい天気、ですね。どこに行きま……』
後ろに振り返りながら、声を出そうとした。人種の町はさけようか、人種の中でも差別の少ない地域に行こうか、他の種族の町を巡ろうか、そんなことを聞こうとした。
だが、それは叶わなかった。最後に見たのはそのどんぐりの様な目を限界まで開き、驚いているミエラさんだ。その大きな瞳をぺろぺろさせてほしい。
『黒……!!』
そんないつも通りのことを考えながら、目まぐるしく景色が変わる。回転して、空を飛んでいるようだ。
最後のミエラさんの顔を見る限り、どうやら攻撃された模様。
なんでそんなに他人事のように考えているかというと、全く痛くなかったからだ。本当に、これっぽっちも痛くない。俺からすると視界が回転しながら急上昇しただけなのだ。
やがて上昇も終わり、降下へと移行する。流石にこの勢いで地面へ頭から着地するとなると頭が木端微塵になるだろう。きっとトマトのように真っ赤なものをぶちまけるに違いない。
無理に体制を変えようともがく。痛みが皆無のためか思考が非常にクリーンで助かる。
着地寸前、なんとか体制を変え肩から着地することに成功する。
地面の凹凸に合わせ体が跳ねるが、無事に勢いをとめた。
上半身を起こし、周りを確認。襲撃者を発見した。大分遠い。めちゃくちゃ飛ばされた模様。
パーカーを目深に被っているが、服の間から見える肌は緑色だった。手には巨大な岩石でできた戦斧。
俺が元々いたであろう場所を見ると、そこは地面が不自然な形で盛り上がっていた。知ってる。これは土魔法みたいなやつだ。ロックピアーと呼ぼう。
体に異常が無いことを確認し、襲撃者を見ていると、どうやらまだ立ち呆けたままのミエラさんの方に歩みを進めている。が、俺が見ていることに気づいたのか、こちらに視線をおくると驚愕したのか目を見開く。
憎々し気に顔を歪めこちらに向けて走ってくる。これはいかん。これはいかんよ。あんなでかい斧で攻撃されたらいかんよ。
ミエラさんもやっと現状に頭が追いついたのか、懐からナイフのような物を取り出し襲撃者へと投げる。
まっすぐな、綺麗な直線を描き襲撃者の頭に向かうが、途中で気づかれ斧で防がれた。優先順位が変わったのか走る角度を変えて襲撃者はミエラさんに迫る。
いかん。これは大変まずい状況だ。あの男、きっとミエラさんを好き勝手にするつもりだろう。許さん。絶対許さん。認めん。
あだ名で呼ぶのも拒否られている身でありながら言わせていただこう、ミエラさんは俺のものだと。
慌てて辺りの石をかき集めて男に投げつける。途中、ふと気づく。石を持ち、投げつけるまでの短い、一瞬ともいえるその短い時間、世界が止まって見えることに。いや、止まっているというのは違うか、思考速度が上がっているのか、スローモーションのように見えるのだ。
知っている。これを俺は知っている。一つのことに集中した時におきるこの現象を俺はこの世界に来た時に、味わっている。
パンツだ。
そう、パンツなのだ。ミエラさんと出会う前。確かパンツを作っている時だ。あの時も、俺は原材料である草を切るために石を使っていた筈だ。
その時に俺は、このスローモーションの世界の中にいた。
襲撃者は目つぶしと勘違いしたのか斧を眼前に平に構えていた。
それを見て、俺は知れず、笑っていた。防げないことを理解していた。
だが頭の奥底にはまだ疑問視している自分もいることを知っている。常識的に考えてありえない事なのだと、訴えかけていることを。
どっちつかずな思考の中で、ゆっくりと石が斧に当たるのを見続けた。
先に投げた石が襲撃者の斧に当たった。
っぱぁああん
『………はっ、ははっ』
襲撃者は走っていた。そして巨大な斧を構えていた。それはどのくらいの重量になるのだろうか。少なくとも石ぐらいで止まるはずがないと思っていたが、その重量を、俺が投げた石が弾き飛ばしたのだ。
その光景を見て、歓喜の声が喉から漏れ出る。
襲撃者は斧ごと吹き飛んでいく。流石異世界。俺の常識なんていとも簡単に打ち破ってくれるぜ。
何個も投げたものだから断続的に続く破砕音。
この勢いなら気絶してくれるかもしれん、なんて考えてしまったのがダメだったのだろう。男は鼻血を出しながらもすぐに立ち上がり、もう一度俺を標的に走りだす。まっすぐでは無くかくかくと曲がりながらこちらに走ってきた。
よかろう。こちらは投石だ。
こちらは原始時代、そちらは石器時代。時代的にはそちらが新しいのだろう。だがね、新しさじゃないのだよ、使い勝手は。
距離をとるようにバックステップしながら石を拾い投げる。ただ投げる。がむしゃらに投げる。
投げるたびに柔らかい肌と肌が激しくぶつかったような、ぱぁあああん、という音が響く。なにこれ楽しい。まるであの音みたいではないか。もっとぱんぱんしたい。
襲撃者は避ける。たまに当たるにしても斧は思いのほか頑丈で盾代わりにして突き進んでくる。
俺はそんなことはどうでも良いと言わんばかりに石を投げ続ける。これで良い。いや、これが良い。
襲撃者との距離はとうとう5メートルぐらいまで縮まった。だが俺はそれでも気にしない。
俺は、俺は、俺はもっとぱんぱんしたいのだ。俺は今ドラマーとなっている。卑猥なドラマーに。もっと打ち鳴らしたい。
道中集めていた石を両の手の指の間に持つ。合計8個。
さぁ、良い音を鳴らしておくれぱんぱん。
勢いよく両の手を振り、投げつける。だが、石は途中で砕ける。
襲撃者は我慢できずに下卑た声を上げた。
『ざぁあああんねえええ』
多分、『残念』と言いたかったのだろう。それを言い終えることなく、襲撃者は爆音と共に吹き飛んでいった。最初の音とも、今までの投石の音とも、比較にならない。まるで数十の数百の爆竹が弾けたときのような音がした。
それはまるで高速ピス〇ンを数十人が同時にしたときのような音がしたのだ。
途中砕けた石はその勢いを衰えさせることもなく、散弾銃のように男の全身を打ち付けたのだ。
当然俺のテンションは最高潮。脳汁がドバドバと溢れていた。目を閉じ、拳を突き上げる。
素晴らしい演奏だった。
打ち震える。自分に異能があった事実にではない。まだ自分の異能が把握しきれていない不安からでもない。
石をもった瞬間に思考速度が上昇したのなんてどうでもいい。自分が投げた石が常識外れな威力をもっていたこともどうでもいい。最後の技も無意識にはなってしまったがどうでもいい。
単純に、極めて純粋に、自分の演奏に感動して打ち震えているのだ。それ以外の事実などどうでもいい、些末な問題でしかない。
そんな風に考えていたのだ。だからこそ、ふと背後から聞こえてきた疑問の声に応えることができなかった。
『黒、さっき、の、何』
いつの間にか近くまで来て問いかけてくるミエラさん。その目に不審は見えなかった。純粋に驚き、知りたがっていることが伺える。すまないミエラさん。俺はその問いに答えをだすことができそうにない。
だって知らないんだもの。
『分かりません。私も咄嗟のことで驚いているのですよ』
『隠し、ごと、嫌』
驚きから不審へと変わったらしいミエラさん。ほっぺをぷくっと膨らましていらっしゃる。つっついて空気をぬいて怒らせてみたい。
倒れている襲撃者、そして俺が隠し事をしていると怒っているミエラさん。そして何一つ把握できていない俺。
さっきまで脳汁ドバドバで最高にハイだった俺の脳は、どうやって説明しようかと悩むことになった。
なんとか間に合いました…。お楽しみいただけると幸いです。
この後はとうとう旅立ちです。中々時間がかかったものの次章からは別のモンスターも出てきます。