3話―SIDE ミエラ―
——SIDE ミエラ——
不思議な男だった。今になって思えばきっと私達が近づいていたのに気づいていたのだと思う。その男、黒はわざとらしい鼻歌を歌ってこちらに存在を知らせようとしていた。
人種。それは私達ゴブリンだけでない、スライム種や竜種、その他の種族から心底嫌われている種族だ。
人種は自分達こそが神によって作られた至高の種であると言って憚らない。まるで畜生のように他の種を軽く扱い、憎み、嘲笑う。
街では人種以外が、奴隷として扱われているのを私達は知っていた。奴隷にされ、犯され、殺された同族は道端にゴミのように積み上げられている。
その男、黒という人物を見た時。私達は迷うことなく後頭部を殴りつけ地面に転がした。厳重に縛り、仰向けに転がす。何故下着だけしか着用していないのだろうか。どこかしらの夜盗、または蛮族なのだろうか。いや、蛮族にしても今の時代、草や葉でできた衣服を身に着けることはあるまい。何物なのだろうか。
脳裏をそんな疑問が掠めるが、男からはなんの異臭も感じない。逆に鼻孔を通るのは清らかな、まるで深い森の中にいるような気持ちの良い匂いだけだった。どこかしらの貴族? いや、貴族がこのような場所で草の下着を身に着ける訳がない。それに男はこの状況、自身に危機が迫っているというのにまるで暴れようとしない。貴族ならば泣き叫び、小便を漏らそうとなんら不思議ではない状況だ。
そう、男はあまりに焦りを感じさせなかった。黒は平然としながら周囲を見渡し、私と目が合った瞬間、軽く瞠目しただけだ。
だが、その反応に少し、失望した。やはり人種、異形の身である私を嫌悪しているのだろう。
『私に敵意はありません。武器も持ち合わせておりません。よろしければ拘束を解いていただけると助かるのですが?』
流暢な喋り方だった。
人種は自分達以外が喋る言語を獣語と言って蔑んで一括りにしているが、実際には違う。一つ一つの種によって違う言語が発達していることもあれば、地域によって発達している言語もある。
私達が使う言語はゴブリン特有の物で、その言語を人種が流暢に喋っているのだ。私達は軽くどよめく程に驚いた。自分達以外が持つ言語ですら嘲笑う人種が、その嘲笑った言語を喋っているのだ。それは驚くに決まっている。
『何か失礼があったようでしたら申し訳ありません。なにぶん、教養の無い身でありましてどこが失礼にあたったかも理解できておりません。何卒ご容赦いただければと思います』
こちらのどよめきの理由を自分に見つけられ無かったのだろう。ゴブリンに対して人種が使っているとは思えない程に丁寧にこちらに謝罪をしてくる。
この男は、本当に人種なのか? 周りと同様にそんな疑問が頭を掠める。
その後、男は自分を旅の行商人である、黒だと名乗った。
男は名乗った後、拘束を解いてほしいと二度目の願いを言った。だが、こちらとしてはまだまだ信用できない。町長が私達に目配せをして、一歩前に出た。
私達は黒と名乗る人物に最大限の警戒をする。もし男が少しでも変な行動、言動をした場合、即座に首を撥ねられるように腰にかけた柄に手をかけた。
町長が質問をなげかける。ゴブリンに対して嫌悪感は無いのかという疑問だ。私達も気にはなる。男はあまりにも、私達ゴブリンに対し礼儀正しく、誠実すぎる。普通の人種ならば喚き散らし、汚い言葉を投げかけてくるであろう現状で、殴られ地に伏せられているこの現状で、男のその態度は異質に過ぎた。
その質問をされた直後、その男の冷静に見える表情が少し変化した。きょとんと、まるで子どもが分からない事を聞いてくる時のような、そんな純粋な表情をしたのだ。
なんでそんなことを聞くのだろう、と思っているようだった。
そして回答、男はなんでもないように。まるで当然のことのように、世界の理のように、少し笑って答える。
『可愛い。それが最も重要です。そちらのお嬢さんがたまらなく可愛い、こんなに可愛い人を嫌悪できるはずが無いじゃありませんか』
まっすぐこちらに向けられる視線。その瞳に見えたのはあまりにも純粋で、穢れがないように思えて。心臓が震えた。
そんな、奇妙で不思議で異常な出会いが、黒との出会いだった。
蔦を解いた後、町へと続く道すがら、黒はしつこいぐらいに私に話しかけた。ミエラさんと呼んで良いか、好きな食べ物、飲み物はなにか、普段はなにをしているのか、良ければ美味しい食事処を教えてほしい、等どうでも良いことを永遠と。最初はすげなく返すうちに諦めるだろうと思っていたが、ついに町に着くまで終わることはなかった。
服屋をまたぎ町長宅のキッチンへついても、黒は私に言い寄った。
嫌いかと聞かれた。嫌いとは答えられなかった。分からなかった。黒は今までの人種と、心の在り方というものが全て、違い過ぎていた。
『それは仕方ありませんね。人種に非がありますので。それではこれから私という個人を見ていただいて好意を抱いていただけるよう努力しますよ』
『だって私は貴方というゴブリンが大好きなのですから』
『ゴブリンと人種では美的感覚が違うのでしょうか? 私は貴方のことが可愛らしく魅力的だと思っているのですが』
言動全て、行動全てが私に好意をしめしているようで、顔が燃えそうに熱くて、私は叫ぶ。私を惑わせないでほしい。私を可愛い等と言わないでほしい。大好きなんて言わないでほしい。喉から、絞り出すようにそう叫んでも、男はケロっとした顔でまた、私に可愛いと言うのだ。
私は黒の腹を殴りつけた。
それでも黒は怒らない。仕方無い、とばかりに苦笑して、調理を開始しようと、メモをとってくれと私を促した。
黒と話すうちに私は分からなくなっていく。人種というものが、今までの認識が全て覆される。
町長に料理を食べている最中、お腹の音が鳴る。私は羞恥の中で縮こまってしまうが、黒の顔をちらりと覗くと、優し気に笑っているのだ。なにを考えているのだろう。可愛いものを見るような眼をしている。
料理も上手く、丁寧な物腰、人種の貴族はこのような男のことを言うのだろうか。違うはずだ。今までを忘れてはいけない。疑え、最後まで信用などしてはいけない。思い出せ、今まで人種によって齎された地獄の景色を。
人種は、人間という理不尽は、私達の肌の色、耳の長さを蔑み、口汚く罵るくせに性欲の捌け口として使うのは躊躇わない。そんな種族だった筈だ。
食事が終わり、今後の話をする町長。私はその話を聞いて身体が震えるのを感じた。
一体なんと言ったのだ、このゴブラエルという男は。
魔契紙、と言ったのか。そんなものを使うと言っているのか。
多分、黒は知らないのだろう。少し訝しむ表情をしたものの、恐怖の色は見えなかった。魔契紙を知っていれば、理解していればそのような表情でいられる筈が無い。
魔契紙とは、その名の通り悪魔と契約するための契約書だ。その契約は、決して違うことを許さない。契約者の魂の奥深くまで食い込み、逃がさない。
契約が破られた時、破られようとした時、その者は足の指先から、すり潰される。死ぬことはできず、眼がすり潰されるまで、自分の身体が徐々になくなるのを見届ける。口が無くなるまで、痛みによる絶叫が響き渡るだろう。
そして、最後にその者の魂が見るとされるのは、悪魔の汚れた、虫が湧き、腐臭の漂う、真っ黒な口の中だそうだ。
悪魔の口等見たことは無い、だが、すり潰される姿は見たことがある。目から、鼻から、耳から、口から、毛穴から、血が噴き出る。それでも意識は途切れることなく、口から血の泡を飛ばしながら、全てがすり潰されるのだ。
この契約だけは全種族を通して禁忌として扱われている。持っているだけで極刑となる。何故そんなものを町長が持っているのだ。今ここで切り伏せられても文句は言えないというのに、ましてや、ましてや契約を迫る等、正気の沙汰ではない。
そんなことをしたら、それこそ人種と同じじゃないのか。より惨い殺し方をしようとするなど、ましてや魔契紙など、そんなことをする町長こそ、人種よりも余程醜いのではないのか。
気づかないうちに、私は黒のローブに手をかけた。それは町長のやり方を非難してか、それとも黒を心配してかは自分でも判断できない。だけど、ここで黒が死ぬことになれば、私はきっと後悔することになることだけは、本能的に理解していた。
だけど彼は、こんな時でも何も変わらなかった。ただ微笑んでいた。
優しく、私の手を握り、ローブから離す。
町長の正面に座り、書類を記入する。
私は震える手で彼の手を取り、指先にナイフを滑らせた。
意外だった。いつも通りに見えた黒の手は、微かに、けれどしっかりと震えていた。黒も恐怖を覚えることがあるということが、その事実が私には少し嬉しく感じた。
黒は、魔契紙に対して、恐怖を感じていたのだ。そして、恐怖を感じた上で、自分は問題無いと、ゴブリンに害意は無いと魔契紙に自分の名を刻んだのだから。
名前、血判ともに問題無いことを確認し、魔契紙を村長に渡す。村長も確認し魔力を魔契紙に流し込む。普通の魔道具とは比べ物にならない程に複雑な魔法陣がいくつも浮かび上がる。魔法陣は、残酷な程に美しい紫色の粒子を散らしながら一つに纏まっていく。最後にひと際眩い光を放つと魔契紙へと消えていく魔法陣。
終わった。黒は問題無く、契約に応えた。この黒という人物は、ゴブリンに対して害意が無いと証明してみせたのだ。
震えた。足が、手が、身体が、心が。黒という人物に対し、感じたことのない震えを感じた。付いていきたい。そう思う。人種に対しそんな思いをするとは、思いもしなかった。
この人種ならば、この黒という人物ならば自分に違う世界を見せてもらえるのではないだろうか。自分の狭い世界を、広く塗り替えてくれるのではないだろうか。
いや、少しではあるが、もう塗り替えられた。熱く鼓動する心臓に手を添える。この感情がどういう物なのか、まだ分からない。けれど、悪い物ではない。暖かく、優しい。
町長に、この者についていく許可をもらおう。例え許可無くとも、町を抜けてでも、この者に付いていきたいと思ってしまっているのだから。
そう思い、口を開こうとした瞬間。黒は叫び声を上げた。
契約後、呪いを刻む時に少し痛むとは聞いたことがあるが、この反応は少し痛いという物では無かった。
生憎契約などしたことが無い。契約をするところは一度見たことがあるが、私が見たことがあるのは契約自体が成立せず死ぬ姿だけだ。痛みがどの程度かもわからないがこんな声を出すほど痛むものなのだろうか。
町長に顔を向けると、やや呆れた顔をしながら静かに首を振られた。どうやらそこまで痛むものでは無い、もしくはこんなにも痛がる姿を見たことが無いらしい。
黒はまるで最後かのようにこちらに手を伸ばしてくる。きっと勘違いしている。
苦しそうに顔を歪めている。確信した。これは絶対に勘違いしている。
何かを喋ろうとしているので近づき、膝を曲げた。黒が最後だと思い、どんな言葉を残すのか少し興味があったので本当のことは告げない。
お願いがある、そう苦しそうに告げる黒に静かにうなずく。
『おっぱいを揉ませてください』
『嫌』
即答する。
少し付いていくのをやめようかと思った。
だが、最後まで笑って気絶する黒を見て、溜息をつきながらも、呆れながらも、笑ってしまった。
町長もおかしかったのか静かな笑い声を上げる。こんなにも笑う町長を見たのは、本当に久しぶりで驚いてしまった。ひとしきり笑った後、こちらを見て町長は言った。
『黒さんに付いていくのですね、ミエラ』
『は、い。彼、は、黒は、大丈夫、です』
『貴方は頭が良すぎる。昔から変わらないその喋り方。頭の中はいつも他のゴブリン以上に考えているのに、口がそれについていかない。とても誤解されやすい。けれど、黒さんはすぐにそれを理解したのでしょうね。目に見えない配慮がいくつもあったように感じます。彼は、人種にしては優しすぎる。そんな彼と言葉を多く交わしたのですから、貴方はきっとそう言うだろうと思っていました』
思い返す黒との会話。確かに、黒との会話は苦痛に感じなかった。他のゴブリンと話す時はいつも会話についていけない。凄いスピードで流れていく会話の情報量に溺れそうになる。だが、どういった配慮があったのか、いや、配慮等している気はないかも知れないが、彼との会話は凄くスムーズに流れていたように思う。
『きっと止めても無駄でしょう。ミエラさんの好きになさい。でも、きっとここにいる以上に辛いこと、苦しいこと、悲しいことが外の世界には溢れています。きちんと覚悟しておきなさい。そして』
町長が私の肩に手を置く。昔から変わらない。私が小さい頃から全く変わらない、優しい光を灯した瞳。
その瞳がこちらを捉えて、ゆっくりと細められる。
『それ以上に、黒さんといれば、嬉しいこと、楽しいこと、感動することが外に溢れているでしょう。生を、楽しんできなさい』
『うん、あ、りがと』
気絶している黒を背負う。客室に運び、寝起きを待とう。
歩き出そうとしたところで、再び後ろから声がかかる。
『私は用事があります。彼が起きた時には、きっと私はもう居ないでしょう。好きな時に出てもらってかまいません。それと、子どもができたら帰ってきてくださいね。私にとって、孫も同然。育ての親に見せにくるのは当たり前でしょう?』
一瞬フリーズした。すぐにオーバーヒート気味に再起動する思考
なにを言ってるのののの。
私は黒に興味があるだけであってオスとしての興味は無い。いや、全く無いなんてことは無い。いや嘘、全く無い。いややっぱり全く無いということも無きにしもあらずというか別に黒がどうしても望むのなら子づくりしても良いとは、いややっぱり子づくりはまだ早い。子づくりともなればそれは私と黒の問題だけでは無くなってくるのであって、子どもという生命を授かるのであればそれはとても責任重大なことだし、黒がきちんと親としてやっていけるかどうかも子づくりには大切であって親としての適性もきちんと考えてから子づくりをしなければそれは子どもの不幸に繋がってしまう可能性もあるわけで、だから黒のことをもっと深く理解しなくてはいけなくて、子づくりはまだ早いということになる。だからキスとかまでであって、いや私がしたいということでは無く私個人としては黒がどうしてもと頼み込んでくるのであればしてあげても良いかなと考えている程度なのだが多分黒はどうしてもとせがんでくるに決まっているから私と黒がキスすることも決まっているのであって別にそれを嫌悪しているかと言われると別に嫌悪はしていないという気持ちもあって、だが私がもつこの感情が恋愛感情だとは私自身にもまだ分からないということもあり、そんな中途半端な気持ちのままキスをしていいかと言われると倫理観的にはしてはいけないことなのだからもう少し黒には待ってもらおう。
思考が纏まらない。知恵熱がでそう。
そんな私の様子をニヤニヤと笑いながら町長が見ていた。
『バカ』
一言そう告げてから、私は客室に走った。
客室のベッドに黒を寝かせる。町長のせいで意識してしまう。この感情がなんなのか、それはまだ分からなくていい。黒と一緒にゆっくりと深めていきたい。
多分人種のなかでの評価では、黒の顔はあまりかっこ良くは無いだろう。だが、けっして大声でブサイクと罵られる程でも無い。ブサイク寄りの普通の顔といったところだろうか。
まぁ私はゴブリンだから、そんな評価はあまり関係ない。少し豊かなほっぺたも可愛い。そう思う。
これから黒と行くであろう様々な場所を想像し、思い馳せながら手を握り、心地よい疲労感と眠気に身を任せ、思い瞼を下した。
——SIDE OUT——
その日、夕方近くに広場へと集められる町民。前には町長が立ち、声を上げ、一つの報せが伝えられた。
【ここに、黒という人種に対して、この町を自由に出入りする権利と安全の保障をする。この人物に対しなにか危害を加える者、害意ある行動をとる者を厳罰に処す。】
不満の声が上がる。町長が言っていた、黒を処刑するべきとしていた町民たちが不満の声を上げていた。
そんな者たちに町長はより大きな声を出し、一つの事実を口にした
『この者に魔契紙を使いゴブリンに対し害意が無いことを確認した!!
もう一度言おう。魔契紙を使いゴブリンに対し害意がないことを確認したのだ!!
その事実を知っても尚不満のある輩がいるならばその者に対し魔契紙を使いゴブリンに敵意が無いかを確認してやろう!!
前へ出ると良い!!
ゴブリンに対し近しい人種がいることに不満をもつこと自体が自分達の首を絞めていることに気づかんのか、それともゴブリンという種に対し害意があり人種との関わりを絶とうというのか、確認してやろう!!
さぁ、前へ出よ!』
静まり返る広場を見回す。
誰も何も言わないことを確認し町長は再び口を開いた。
口調も、雰囲気も全く違う。
普段の優しい雰囲気が町民の間を漂うが、それでも、後に続く町長の言葉は不気味な程に耳に残った。
『これで町民に対する報せは以上になります。明日の朝には人種である黒さんとゴブミエラさんが連れ立ってこの町をたつことになるでしょう。皆さん暖かく見守ってあげてください』
再びどよめく広場。だが、町長が広場を出ていくと皆がそれぞれの目的に沿って場所を移動していく。
最後に残ったのは一人の青年だった。
青年はゴブミエラという名前が出された瞬間に眼を見開き、そのゴブミエラが人種と共に町を出ると聞き、怒りに身を震わせた。
町長がいなくなった場所を一睨みすると青年は自宅の蔵に足を進める。
埃っぽい蔵の中をかき分け、手に取ったのは【岩石】によって作られた斧だった。
青年は一人、狂気を目に宿し、顔に歪んだ笑みを浮かべていた。
ミエラさん好き?
忘れている方もいるかと思いますが彼女はロリ巨乳です。それとクーデレ。まぁ作者がクーデレ好きなだけですが。