フォレスト・ランナウェイ
「あ、やっぱり? その反応を見ると、どうやら正解だったみたいだねぇ?」
栗色の髪の男……ヴォン・ゴレインは優しげな笑みを絶やさずそう言った。
だが、その事実を指摘された鋼太郎の心臓は早鐘を打つ。
何故? どうして? WHY?
しかし鋼太郎の些か足りない脳味噌で考えを巡らせたところで、正答など得られるハズも無く。
だから鋼太郎は、ゴレインにそれとなく探りを入れてみる。
「ど、どどどどうしてそれを!?」
勿論、この期に及んでポーカーフェイスで情報を引き出せる話術など、鋼太郎は持ち合わせてはいないのである。
「……ま、それは国家機密って事で♪」
対するゴレインは片目を閉じ、唇に人差し指を添える。これ以上の情報を与える気は無いというアピールだろうか。
まんまと掌の上で転がされているのを痛感し、臍を噛む鋼太郎。
そして悔しいが、中年男性のゴレインがそうしたお茶目な振舞いをしても、そこそこ絵になっている。
元々の顔の造形が整っているのもあるが、同じような仕種をしても、神様ではこうは行かないだろうなぁと考えてしまう。
だが改めて鋼太郎は思う。
このゴレインという男は油断ならない、と。
戦闘力は未知数だが、頭が切れるのは間違い無い。
このままこの男に付き合っていては、鋼太郎にとって不利益しか産まない。
そう考えた鋼太郎は、一か八か逃げる算段を整える。
「……悪いけど、アンタとくっちゃべってる暇は無いんだ。俺はそろそろ失礼させてもらうぜ?」
「アハハ、キミ面白いねぇ! わざわざ逃げる事を宣言するとか、よっぽど根が善人なのかな?」
子供と木の棒を持ったまま、腰を落としていつでも全力ダッシュで逃げる体勢をとる鋼太郎に対し、ゴレインは特に構えるでもなく。
ゴレイン自身が何かしらの行動を起こすまでもなく、鋼太郎達を取り囲んでいる闇猿達だけでも対処可能だと考えているのだろう。
「でも、キミにならこんな絶望的な状況でも何とか突破されかねないなぁ……それこそさっき、屈強な男達からその子供とその『杖』を奪った時みたいに、さ」
その言葉にピクッと反応する鋼太郎。
それはゴレインが先程の戦闘についても、ある程度の情報を得ているという事だ。
あの男達に聞いたのか?
それともあの時近くに潜んでいたヤツが、コイツに報告したのか?
いや、それよりも……
「なぁ、アンタに1つだけ確認しておきたいんだけど……」
鋼太郎は最初に出会った時から、ゴレインについてある疑問を抱いていた。
だがそれを確認するのを躊躇った。
それは、鋼太郎の心に深々とキズをつけてしまうかも知れないからだ。
しかし鋼太郎は確認する決心をしてしまった。
一度そう決心してしまっては、引き返せないのが鋼太郎なのだ。
例えそうやって突き進んだ先が、奈落の底だと解っていたとしても……
「……さっき俺が倒したヤツ等、まだ生きてたハズ、だよな?」
「そうだね。キミが『杖』を奪って逃げたって事も、ボク自身が彼等から聞いたワケだからね。っていうか、キミどうやって彼等を倒したんだい? 見た所、顔にキズのあった1名以外はこれといった外傷は見当たらなかったんだけどねぇ? それもキミの異能かい?」
ゴレインの問い掛けには答えず、鋼太郎は更に質問する。
ありったけの勇気を振り絞って……
「……ソイツ等、今も生きてんのか?」
そう、鋼太郎が気になっていたのは、ゴレインの黒い鎧と黒い外套だ。
黒ずくめだったので解りにくいが、そこかしこに何かが付着しているのだ。
それは、血だ。
だがゴレイン自身が怪我を負っている様子は無い。
ならばそれは……
「その血、返り血だよな……誰の血だ?」
考えたくはない。
そうであってほしくない。
違うと言ってくれ。
だがゴレインは、ニヤッと薄笑いを浮かべた後、鋼太郎が最も望まない答えを返した。
「……それも国家機密って事で、ね?」
先程と全く同じ、片目を閉じて唇に人差し指を添える仕種をするゴレイン。
だが鋼太郎は、ゴレインの事を先程と同じくお茶目な中年男性とは見る事が出来なくなっていた。
それを見る鋼太郎の目は、怒りと恐怖に彩られていた。
◇◆◇◆◇
鋼太郎は考える。
まず間違いなく、あの男達はコイツに殺されたのだと。
自分との戦闘で弱っていたところを、この残虐非道な男に撫で斬りにされたに違いない、と。
自分の行動の結果、誰かの命が理不尽に奪われた。
その事実に、鋼太郎は激しく動揺していた。
「……まぁそんな事より、早くその『杖』をこちらに渡してくれないかな?」
ゴレインは鋼太郎にそう迫る。
「キミがそれを素直に渡してくれるなら、キミとその子供には一切手出しはしないと約束するけど?」
「……イヤだって言ったら、どうなるんだ?」
「さぁ? 試しに言ってごらんよ?」
ゴレインは薄笑いを浮かべながら、1歩だけ鋼太郎へと歩み寄る。
それに対し、鋼太郎は3歩後退りする。
「言っておくけど、ボクが興味を持っているのはその『杖』だけであって、その白い子には何の興味も無いんだよね。だからその『杖』さえ貰えれば、ボク達はすぐにでもキミの前から消えるよ」
鋼太郎は恐怖を感じていた。
この場面、もし仮に鋼太郎が愛する多くのスーパーロボットに乗る主人公達なら、ほとんどが義憤に燃えて敵と戦うだろう。
だが鋼太郎にはそれが出来ない。
それ程までに、ゴレインという男を恐れているのだ。
無理もない。何故なら鋼太郎は、こんなにも躊躇なく人を殺せるような人間と、今まで出会わずに生きて来たのだから。
この男が怖い。
この男とは戦いたくない。
この男から1秒でも早く逃げたい。
気を抜けばたちまち膝が震え、歯の根が鳴り、涙が溢れてしまうだろう。
「(そうだ、何を我慢してやがるんだ? この木の棒を渡せば、少なくとも俺とこの子は助かるじゃないか!)」
心中ではそんな弱音を吐いている。
無論、ゴレインが本当に鋼太郎達を見逃す保証など、どこにもありはしない。
だが肝心の鋼太郎自身に、戦う気力が微塵も湧き起こらないのだ。
どんなに優れたチート能力を有していても、鋼太郎はただの高校生に過ぎない。
鋼太郎の暮らしていた日本では、誰かの手でこんなにも容易く命が失われたりはしないし、人の生き死になど自分とは遠くかけ離れた世界の話だとさえ思っていた。
が、改めて思う。
自分はもう、そんな理不尽な世界に来てしまったのだと。
いくら自分が不殺を貫こうとも、こういう事が日常茶飯的に起こってしまうのだ。
いつかはそんな無慈悲な事実を受け止め、前を向いて歩く事が出来るようになるのかも知れない。
だがそれは今ではない。
ここは大きく後退してでも、まず生き延びる事を最優先にしなければならないのだ。
「考えはまとまったかな? キミのような子供には、それはさぞかし重荷だろう? ならそんな物は捨てて、身軽になってしまえば良いんじゃないかな?」
ゴレインの言葉は甘い誘惑となり、鋼太郎の心は今にもそれに屈してしまいそうになる。
否、もう既に半ば以上屈してしまっている。
「くっ……!」
鋼太郎は震える手で、持っていた木の棒をゴレインに差し出そうとして……
その手を誰かに掴まれた。
「えっ!?」
鋼太郎は驚いて、その手を見る。
その小さな手を。
「……だめ」
鋼太郎の腕の中に抱かれていた子供が、いつの間にか目を覚ましていた。
そして鋼太郎が木の棒を差し出そうとする腕を、両手でギュッと掴んでいる。
「わたしちゃ、だめ……」
子供は眦に涙を貯めながら、その宝石のような青い瞳で鋼太郎をジッと見つめている。
その目は、鋼太郎を責めているようにも見えた。
だが子供は、震える声で鋼太郎に訴える。
「おねがい……たすけて……」
その切なる叫びを聞いた瞬間、鋼太郎の胸の中で何かが弾けた。
この子はこんなにも小さな身体で、それでもこの異世界を取り巻く理不尽な現実と戦っているのだ。
それなのに自分は何なんだ、と鋼太郎は思う。
神様からチート能力をてんこ盛りで授かっておきながら、それを使って悪に抗う事もせず、容易く膝を屈しようとしている。
今、この幼気な救いの声を聞かずして、何がヒーローか? 何が正義の味方か?
鋼太郎はまだ若く、未熟で、不完全だ。
だが、それを言い訳にして逃げ出す事だけはしてはならない。
今はまだ自分の身を守るので精一杯であっても、いつかは救いの手を差し伸べるべき弱者の為に、その身を差し出さなければならない。
ではそのいつかとは、いつだ?
「今だろおおおおおおっ!!」
「うわぁ!? な、何? 何で急に叫んだの?」
先程まで観念した様子の鋼太郎から、目的の『杖』を受け取るべく近づいていたゴレインは、突然の絶叫にビクッと身体を竦ませる。
「ヴォン・ゴレインさんよぉ……悪いが、アンタにこれは渡せねぇ!」
ゴレインは見た。
鋼太郎の瞳に燃え盛る炎を。
先程までゴレインに気圧され、生まれたての子鹿のように震えていた鋼太郎はもう居ない。
今ここに居るのは、正義と理想と希望に燃える若きヒーローだ。
それを瞬時に悟ったゴレインは、ゆっくり数歩後ろに退く。
「へぇ……ボクと戦う気かい? それは構わないけど……いくら異世界人だからって、あまり自分を過大評価してると、すぐに痛い目を見る羽目に……」
「黙れ!!」
「!?」
ゴレインの忠告を遮り、鋼太郎が吠える。
「そして聞け! 我が名は鋼太郎……黒鉄鋼太郎! 我こそは、悪をぶちのめす拳なり!」
次回更新は6月8日18時です。