理想を求めた家族
「広介、晩御飯は "ねこまんま" でいいかしら?」
「うん、いいよ!ねこまんま大好き!」
俺の名前は戸田広介。
父親のいない母子家庭で育った。
広介「ママ、パパはいつ帰ってくるの?」
俺はいつも母に訪ねていた。
「パパの事覚えてる?」
「うん!覚えてる!」
戸田恵。俺の母親だ。
「そうね。パパの絵が世界に認められて、お金持ちになったら帰ってくるわよ。きっと。」
俺が小さい頃、画家をしていた旦那(俺の父親)が、修行に行ってくると行ったきり失踪した。
母と父は結婚しておらず、父が一人前の画家になれたら結婚する予定だったらしい。
画家としての生き方を邪魔してはならない。
そんな想いが母にあったのだろう。こちらから探し出しに行く事はしなかった。
そして、父の "帰ってくる" という言葉を、一切の疑いもなく信じていた。
「ママ、新しいパパは作らないの?」
ガキの頃の俺が聞いた事があった。
「ママはね、広輝さんの事が大好きなの。」
「あの人が帰ってきた時に、広介とママが別のパパと暮らしてたら、パパ悲しいでしょう?」
いつまでも、父の帰りを待つつもりでいたらしい。
数年間、何も連絡がない、あの親父を。
当時、携帯電話なんてなかったが、手紙くらいは出せたはずだ。
母はシングルマザーとして、俺をよく育ててくれた。
毎日パート・アルバイトを繰り返し、休む暇もなく働いてくれていた。
そんな中でも、炊事・掃除・洗濯を欠かさず行う。
そんな健気な姿をずっと見ていた。
家庭でできる事に関しては俺も多少、手伝った。
学校への弁当を作ってくれる時にはもう、感謝しかなかった。
毎日遅くまで働いて、家庭の仕事もこなす母は、とても気丈で弱音を吐いた事がない。
俺は中学生に上がる頃には、いろいろ知識もつき、
ようやく世間というものを理解し始めたとき、母がどれだけ苦労をしているのかわかってきた。
そんな母を想って、夜な夜な泣く事もあった。
マザコンだと思われようが関係ない。
俺は、この人の生活を絶対、楽にさせてあげようと誓った。
俺が高校生になってアルバイトをし始めてから、ようやくこの家庭も落ち着きを見せ始めた。
俺は中学を出たら働くと思っていたが、母は貯金をしてくれていたようで、高校に通う事ができた。
母は、携帯電話さえ買ってくれた。
今時の高校生が、スマホすら持っていないと、友達との付き合いができないだろうと言って。
周りの友達とかは、中学から持ってたりする奴もいたりして、SNSを使って連絡し合っていた。
それを羨ましいと思っていた事を感じ取っていたのだろう。
俺は早速、SNSに登録して、友達の輪の中に入る事ができた。
貧乏な生活ではあったが、父親がいないという点を除けば、何も文句のない幸せな家庭だった。
と、俺は思っていた。
母も、そう思ってくれているだろうとも。
「おやっ!恵ちゃん、また草津へ行ってきたのかい?」
俺たちの家庭が困った時に、いつも助けてくれる近所のおじさんの原田さん。
母が風邪で寝込んだりした時は、おかゆを振舞ってくれたりする、気の良いおじさんだ。
俺は、母が原田さんと結婚でもしてくれたらいいのにななんて、思った事もあった。
「そうなんです、草津は何度行っても、良い所ですよ〜。こちら、温泉まんじゅうを食べてくださいな」
毎年夏になると、母は草津へ連れて行ってくれた。
父親がいた頃、毎年三人で旅行していた場所だ。
俺の覚えている父の記憶と言えば、いつも絵ばかり描いていて、
毎日毎日、アトリエに閉じこもっていた。
遊んでもらった記憶なんてほとんどない。
しかし、夏のその旅行だけは、二人の思い出の場所らしい。
時は過ぎて、俺も社会人になり、父の存在など忘れかけていた。
とある日、テレビのニュースを見ていた母が大声をあげた。
「広輝!」
テレビを見ると、ある天才画家が亡くなったとの事で、弟子たちがインタビューを受けていた。
その中に、 "峯島広輝" という人物が映し出されていた。
母は、彼は俺の父親だと言った。
正直、俺はもうどうでも良かった。
名前さえ忘れていた。
母をこんなに苦労させておきながら、絵が描きたいという自分の事しか考えていない、
クソみたいな父親なんか。
しかし、母はまだ、父の事が好きだった。
昔からずっと、またいつの日か会えると信じて、毎年草津に旅行していたって行動にも現れている。
なぜ父は、俺たちの元へ帰ってこなかったのか。
母は会いに行くと決めたらしい。
(今更会って何を話すのか。母を一人で行かせる訳にもいかない。俺もついて行こう。)
俺たちは、縁もゆかりもない天才画家の葬式に向かった。