【閑話】メイドさんの素敵な日々
女神が消えてから三年後の状況です。
新王国歴三年。
女神の恩恵が失われた『鎮魂の七日』と呼ばれる“災厄”の日から新たに始まった、アルグレイ国、新王国歴元年から三年。
女神の結界が消えたことで他国からの干渉は増えたが、住民達は女神がいなくなったことを不安に思いながらも、街は次第に活力を取り戻していった。
王都にあるメルシア侯爵家の別邸では、現在、次期当主とその夫人が住んでいる。
その夫人は災厄のあと、スキルが使えなくなった民たちを癒した『慈愛の聖女』と呼ばれる女性で、本人は人見知りの為あまり表舞台には出てこないが、そんな若奥様を屋敷の使用人達はとても愛らしく思っていた。
その夫人には、彼女が親友と公言する一人の専属メイドがいる。
そのメイドは夫人が学生の頃、異世界から召喚した人族の【パートナー】であり、貴族の【パートナー】となった者はその相手に準じる地位を持つ為、まだ18歳という若さながら、その美しさと忠誠心で次期侍女長とも噂されていた。
「お勤めご苦労様です」
「「はい、ありがとうございますっ!!」」
屋敷の門番達が声を掛けてきた黒髪のメイドに背筋を伸ばして返礼する。
夫人に次ぐ地位もあるが、門番達がまだ年若い彼女に礼を尽くすのは、その性格があまりも過激だったからだ。
夫人が嫁いできてすぐ、以前から嫡男であった次期当主を狙っていた下級貴族の侍女が、若い夫人に対して侮るような態度を繰り返していたが、その日のうちに矯正されて現在はすっかり人が変わってしまった。
彼女達の間で何があったのか知らないが、その日からその侍女は他の誰とも会話をしなくなり、自分の名前さえも変えて、ずっとメイドさんの補佐をしている。
「お出掛けなら馬車を出しますが……」
「いつもの買い物なので、それには及びません。必要になれば呼びますので」
「そうですか……」
彼女には幾つかの逸話があり、彼女が口笛を吹くとどこからともなく“八本脚の馬”が漆黒の馬車を牽いて現れるらしい。
「では、行きますよ」
漆黒のメイド服姿が静かに歩き出すと、その後に続くもう一人のメイドにようやく気付いて、門番達は思わず悲鳴をあげそうになった。
以前からは想像出来ないほど変わり果てたそのメイドは、蒼白い顔で大きく目を見開いたまま瞬きをすることもなく、声を掛けたメイドさんに返事をする。
「ベティチャン……デスッ」
「ベティちゃん、お上手ですよ」
流れるように歩くメイドさんの後を、ギクシャクと操り人形のように歩くメイド――突然『ベティ』と呼ばれるようになったメイドが続く。
一体、何が『お上手』なのだろう……?
そんな彼女を門番達がドン引きしながら見送っていると、突然ベティの顔が180度後ろ向いて、門番達がくぐもった悲鳴を漏らした。
「ベティチャン……デスッ」
「「………」」
今のはきっと目の錯覚だと己に言い聞かせ、門番達は例え国王に逆らっても、このメイドさんにだけは逆らわないようにしようと心に決めた。
そんなメイドさんであるが、意外と他の使用人達からは頼られ、慕われている。
それは彼女の逆鱗が若夫人に対することだけで、それ以外では非常に寛容で気さくな人物であり、貴族にありがちな多様な問題を即座に解決してしまうからだ。
もっとも一番大きな理由は聖女と呼ばれる可愛らしい夫人が、彼女を心から信頼しているのが分かるからだ。
見た目はきつめだが、美人で可愛らしい性格の夫人と、可憐な外見で非常に容赦の無いメイドは良いコンビなのだろう。
そのメイドさんが屋敷から離れて数分もしないうちに、その正面から歩いてきた金髪の美青年が穏やかに微笑みながら声を掛ける。
「やあ、奇遇ですね」
「これはエリアス様、ごきげんよう」
そんな二人の様子に周囲の人達から生温い笑みが向けられる。
メイドさんは特別なことが無い限り決まった時間に買い物に出掛け、そこに毎回、龍神教会の聖騎士となったエリアスが偶々現れて彼女に声を掛けるのを、近所の人達は全員知っていた。
「今日も良い天気ですね」
「そうでございますね」
「ベティチャン……デスッ」
メイドさんが歩き出すと一緒にエリアスも歩き始める。
以前は夫人の食事をすべてメイドさんが作っていたらしいが、夫人がメルシア家に嫁いでからは一定のレシピを料理長に渡し、彼女は毎日のお菓子のみを作るようになっていた。
そのお菓子作りに必要な上白糖やシロップ類は彼女の目で見て直接買い付けることになっているが、近隣の商店では、彼女のお眼鏡にかなわないと言うことは品質が悪いと同義なので、ここ数年で食品関係の鮮度は驚くほど高くなっている。
ちなみに以前贔屓にしていた第三ダンジョン近くの商店は、店主がとても愉快なヘアスタイルで有名だったが、その店主がある日突然『海に帰る』と言い残して、どこかへ消えてしまったらしい。
最後に彼を見た者は、全身が緑色だったと証言しているが信憑性は定かではない。
「ベティチャン……デスッ」
「ではそちらの薔薇のハチミツと薄力粉を50キロ、あと、そちらの氷砂糖をおまけしてくださいませ」
「かしこまりました。それと例のモノは……」
「もちろんございますよ」
揉み手を擦るように低姿勢な店主にメイドさんが小さな袋を渡すと、店主はその中にある黒いブツを確認して、ほぼ原価で精算を終えた。
最近の店主は妙に頭髪が増えたとご近所で噂になっている。
「荷物を持ちますよ」
「ええ、では半分だけお願いします」
拡張袋に荷物を仕舞おうとしていた手を止めて、メイドさんは荷物の半分をエリアスに渡す。
そうして二人並んで歩いている姿は、上級侍女とその護衛――もしくは良い仲の間柄に見えるが、二人とも片手で50キロの荷物を軽々と持っているので、色々と何かおかしい。
商店では商売柄小さな虫などが店に入ってくるが、彼女達が買い物を終える時は一匹も居なくなり、その片隅で影の薄いメイドがモゴモゴと口を動かしていた。
「ベティチャン……デスッ」
メイドさんが口笛を吹くと、裏路地から鼻水を垂らした小さな子供達がわらわらと寄ってくる。
以前の子供達とは違うが、大きな街ならこのようなあまり裕福ではない子供達が必ず居て、メイドさんは変わらずにそのような子供達と接している。
「子供達、元気にしていましたか?」
「「「はーい」」」
無邪気にお返事をする幼い子供達にメイドさんが柔らかな笑みを浮かべる。
「周辺の小国では混乱は収まりつつある」
「西方のコード帝国が軍の一部を動かした」
「南方のキリシア公国から複数の間者が紛れ込んでいる」
「なるほど、良く分かりました。ご褒美です」
「「「おねーちゃん、ありがとーっ」」」
無垢な子供達の笑顔は癒されます。
「それではエリアス様、ありがとうございました」
「別に大したことはありませんよ」
二時間ほど掛けてメルシア家前に戻ると、綺麗な所作で頭を下げるメイドさんにエリアスがキラキラとした蕩けるような笑みを向けていた。
エリアスが軽く手を振りながら去って行く後ろ姿をしばし見送り、メイドさんは片手に荷物を抱えて、彼女を待っている敬愛するお嬢様の元へ向かう。
「お嬢様、本日分のカロリーを購入して参りました」
「その量を一日では食べませんわっ!」
可愛らしく憤慨するお嬢様のたわわに優しげな瞳を向けて、今日もいつものと変わらぬメイドさんの日々が続く。
「ベティチャン……デスッ」
たまにネタがあったら閑話を追加したいと思っています。
次回があれば、たぶんメイド長のお話。




