58 神魔決戦 ①
全力戦闘です。
……とっても眩しゅうございます。
【古き神】の力の核を元女神から奪い取ったクラリス嬢は、その力を自分の物とされたようで、女神のような聖なる気を発しておられました。
『……あ、あんた……か、返せ……』
元女神が呻くように呟きながら、震える手をクラリス嬢に伸ばす。
その身体から急速に神気が失われ、体表面が罅割れていく。
「あら、まだ動けるのですね」
クラリス嬢が初めて気付いたように微笑みながら元女神に視線を向ける。
「あなたとはお話ししたいことが沢山ありましたのよ? この世界に【箱庭世界】を造りだし、奔放に乙女ゲームを愉しむ【女神】さま。あなたのおかげで、わたくしは幼い頃から大変な目に遭って参りましたのよ」
『なぜ……それを……』
「時間軸さえいじくるとは随分と無茶をしましたね。あなたの技量ではこの世界が消滅する可能性もありました。そんな不安定な世界に生まれ変わるなんて……【古き神】のお話を聞いて、正気を疑いましたわ」
生まれ変わり――転生者。そのおかげでクラリス嬢もあの【古き神】と会話が出来たのでしょう。そしてこの世界の裏側を知った。
「子爵家で冷遇されていたわたくしは、調べる時間だけは沢山ありましたからね。薄いスープだけでひもじい思いをしたり、真冬に薄布一枚で倉に閉じ込められたり、下働きから無駄な暴力も受けましたが、古い本だけは沢山あったのは助かりましたわ。何をしても改善されない。誰も助けてはくれない……。当たり前ですよね? メインヒロインはそう決められていたのだから」
『あ、アタシは……あんたの幸せを…』
「自分の遊びの為に、でしょ?」
それまで淡々と語っていたクラリス嬢の笑顔がいびつに歪む。
それは物語のヒロインのお話。家で虐げられても明るく元気で、その優しい心を認められて王子様と幸せに暮らす物語。
「私が前世で“プレイヤー”だったからまだ耐えられた。いつか学院に進めると分かっていたから。記憶の無いただの子供だったら耐えられたのかしら? 心が擦り切れて、あなたに都合の良い“操作キャラクター”になっていたのかしら?」
『……ち、違う……アタシはっ!』
突然元女神がクラリス嬢へ襲いかかった。奪われた力を奪い返す為。そして自分を馬鹿にする女に恨みをぶつける為。
そんな元女神に、クラリス嬢はわずかに目を細めて指先を向ける。
「あなたはもう……『消えなさい』」
クラリス嬢から光が放たれ、元女神の背後に黒く臓物のように鳴動を繰り返す扉が出現した。その扉が解き放たれ、中から無数の触手が元女神を絡め取り引きずり込む。
『や、やめ……ギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!』
その奥の暗闇から元女神の断末魔のような声が聞こえ、黒い扉はゆっくりと閉まって消えていった。
「……ふぅ」
「く、クラリスっ、良くやったっ! それでこそ私の婚約者だっ!」
息をつくクラリス嬢に、やっと正気に戻られたユーリ様が声をかける。けれど、それには応えず、クラリス嬢は静かに私のほうへ顔を向けた。
「ねぇ……フルーレティさんなら、今のが“何か”ご存じかしら?」
「時空間の管理者……でしょうか?」
「さすがね。管理者とは言っても、とても意思の疎通が出来そうな存在ではないけど、【古き神】の知識の中にその情報があって助かったわ。アレが好き勝手したせいでこの辺りは本当に不安定だったから」
「生け贄は丁度良さそうですね」
「その通りよ。アレを捧げたことで、地球とこちらの時間軸を元に戻せたはずよ。……やはりあなたとは敵対したくないわ。今からでもわたくしのパートナーとならない?」
「申し訳ございません」
「……そう?」
私があっさり断ると、クラリス嬢は微かに眉を顰める。
「クラリスっ、私を無視するとは何事だっ!!」
そこに、生まれて初めて無視をされたのか、唖然としていたユーリ様が怒りに満ちた声を張り上げた。
そんなユーリ様にクラリス嬢は冷ややかな視線を送る。
「失礼しました、殿下。新たな【女神】として、やるべき事がありまして」
「おお、やはり其方が女神となったかっ! これで我が国は安泰だっ! いや、女神たる其方を王妃として、私はこの大陸に覇権を為すことも出来ようっ!」
女神と聞いてユーリ様が野望の炎を目に灯して、高らかに嗤う。
「あの悪霊は、女神を騙っていたのではなく、女神に憑いていたのだな! あのような者が女神など――」
「失礼」
ユーリ様の話途中で、クラリス嬢が軽く腕を振り、光を何処かへ解き放つ。
「クラリス、何を…」
ドォオオオォン………ッ!!
「なっ」
「あら、お父様も養母様も、やはり屋敷に逃げ帰っていましたのね」
王都のどこかで響く轟音。遠くから巨大な火柱が天に伸び、夜空を血の色に染めた。
おそらくあの場所が、クラリス嬢のご実家である子爵家なのでしょう。
「せっかくの娘の晴れ舞台だと言うのに、すぐに帰ってしまうなんて酷いと思いませんか?」
汚れを知らない乙女のように、朗らかに笑うクラリス嬢にユーリ様が一歩下がる。
「く、クラリス、何をしているっ!?」
「何を…って、“ゴミ掃除”ですわ」
ユーリ様にそう答えると、クラリス嬢はまた腕を振って光を放ち、また遠くの場所で火柱が立ち上った。
「娘を金で売った母親は、地獄の業火で焼かれるべきだと思いませんか?」
「お、お前は……」
ユーリ様が怯えたように後ずさっていく。遠くから聞こえてくる人々の悲鳴と、恐怖と混乱の叫び声の中で、クラリス嬢は静かにある方角へ視線を向けた。
「次は、私に嫌がらせをしてきた女生徒かしら? まだ学院にいそうね……」
『龍神の力を非道に使わせるなっ!!』
フェイ殿の声が響き、巨大な黒竜がクラリス様に突っ込んでいく。……が、その途中で黒竜の頭部が突然弾け飛んだ。
「いきなりですね」
クラリス嬢はつまらなそうに竜達に右手を向けて他の竜達を牽制する。そして左手では、私が不意打ちで放ったトゲ棍棒の一撃を片手で受け止めていた。
……これは、本気で困りましたね。
「フルーレティっ、そのまま押さえておれっ! 私がっ」
上位竜の頭部を片手で潰し、私の渾身の一撃を軽く受け止めたこの絶望的な状況で、ユーリ様は何が好機だと思ったのか、片手剣をクラリス嬢に振り上げた。
「……そう。あなたはもういらないわ」
トゲ棍棒の先端を泥団子のように握り潰し、冷たく呟くクラリス嬢の声音に私は全力で跳び下がった。
「『龍神の吐息』」
「……、」
光の奔流が爆発するように広がり、ただの人間であるユーリ様が一瞬で魂ごと燃え尽きる。私も本性を現して、八本の蜘蛛の脚で身体を覆い、全力で防御する。
そのたった一撃で、教会施設を含めた1㎞ほどの範囲が、無残に焼き尽くされて消滅していた。
竜達も逃げようとしたみたいですが、その半数近くが光に焼かれて焼けた地面に墜ちていく。
「あら、まだ生きていらしたのね。フルーレティさん」
まだ燃えるような余波と余熱が渦巻く中を、光り輝く少女がゆっくりと歩いてくる。
私の脚も二本ほど吹き飛びました。残りの脚を解いて立ち上がる私を見て、クラリス嬢が眉を顰める。
「あなた、その姿は……“悪魔”でしたの?」
「風評被害でございます」
どうして皆様、私のことを悪魔呼ばわりするのでしょうね。こんなに可愛い蜘蛛さんですのに。
「そ、そうなの? まあ、良いわ」
私の答えにクラリス嬢はわずかに戸惑った顔を見せると、小さく息を吐いて、あらためて笑顔を浮かべた。
「せっかくだからもう一度言いますわ。やっぱりあなたの力は惜しいわ。これからあの汚らしい元女神の残滓を焼き払うのよ。あなたにはそれを手伝って欲しいの。愉しそうでしょ?」
「……人間どもはどうなさるので?」
「そうね……攻略対象くらいは助けようかしら? 他の人間は、運があれば生き残れるかもね」
素敵な小物でも見つけたように可愛らしく微笑んでから、クラリス嬢は私のそっと手を伸ばした。
「さあ、私に仕えなさい、フルーレティ」
「お断りいたします」
一瞬の間もなくお断りすると、クラリス嬢が一瞬、キョトンと目を瞬いた。
「……理由を伺ってもいいかしら?」
「良うございますよ。私は素敵なお嬢様以外にお仕えするつもりはございません」
私はニコリと微笑みながら障気で風化したスカートを指でつまむ。
お嬢様の二の腕プニプニ以上に素敵な物は、この世に無いので仕方ありません。
「……消えなさい」
低い声と共に放たれた光が届く前に、私はその場から跳び避ける。躱しきれずに右の脚の一本が焼かれて動かなくなる。
先端が半分砕かれたトゲ棍棒に、今度は強度だけを増すように魔力と障気を送り込むと、トゲ棍棒が魔力に耐えきれずギチギチと鳴った。
高速で移動しながら横殴りに繰り出した一撃は、今度は光の障壁だけで弾かれ、光を避けた瞬間にいつの間にか追いついたクラリス嬢に背中を蹴飛ばされる。
あの元女神は、千年掛けても七割程度の力しか使う事が出来ませんでした。でもクラリス嬢は、すでに【古き神】である【龍神】クラスまで力を使いこなしているように思えます。
さすが優等生のクラリス嬢ですね。魔法戦闘も直接戦闘技術も、元女神とは比べるまでもありません。
生き残った竜達が単発的に攻撃を仕掛けるも、翼や胴体を光の槍で撃ち抜かれて墜とされていく。
さすがは最高ステータスを誇るメインヒロインと言ったところでしょうか。本気で敵に回すとかなり厄介な相手です。
ですが……ここまで力の差がありましたでしょうか? 感覚的に三倍程度の力の差はあると思っていましたが――
「あら、気付いた?」
クラリス嬢は花のような可憐な笑みを浮かべると、空に浮かびながら光の翼のように両手を広げる。
「この【箱庭世界】も消そうかと思ったけど、せっかくだから有効利用させて貰うわ」
光の翼が夜空を照らして――
「【聖域】」
「……くっ」
世界の“大気”が変貌する。おそらくは少しずつ変えていたのでしょうが、彼女がそれを発動させたことで、私にも理解できました。
聖なる光の領域……。この中では、私は力を回復出来ません。今ある体力と魔力を失ったらそこで終わりです。
「もう勧誘はしないわよ。あなたは厄介だからここで殺すわ」
「お互い様ですね」
かな~り絶望的ですが、私が負けることはシャロンお嬢様のお命も危険になります。
今の私がクラリスに勝っているのは、脚の数と身体の耐久度くらいですが、それでなんとか出来ますかね?
「あははっ、何か愉しくなってきたわっ」
クラリスが光の槍を放ち、私は転がるようにギリギリを躱していく。
「ホントは、女神をどうにか出来そうになかったら、素直に王太子妃になっても良かったんだけどねっ。まさか、あんな男だとは思わなかったわ」
「それは同感でございます」
お互いに高速で距離を詰めて、光の槍をトゲ棍棒で逸らしながら、私達はお互いの膝で蹴り付ける。
ボキン……ッ。
「クラリス様、下着が見えますよ?」
「……それはあなたも同じでしょ」
クラリスは軽く傷みに顔を顰めただけでしたが、私の右膝は折れてしまいましたので右側の脚の一本を補助に使う。
「あはは、それ便利ねっ! ねぇ、フルーレティもあの遺跡で【古い神】に会ったんでしょ?」
「ええ」
10メートル蜘蛛の脚で攻撃をするが、スカートの裾を少し斬り裂いただけで、逆に脚の爪が砕ける。
「私は情報を取れただけだったけど、私の他にアレに接触した人がいると分かって興奮したわ。だって、女神の力を奪えるチャンスがあるかも知れないから」
蜘蛛の糸を瓦礫に巻き付け、数トンもありそうなそれをクラリスに投げつけると、彼女は光の障壁でそれを砕いて、私に静かに微笑んだ。
「だから、あなたには少しだけ感謝してあげる」
クラリスの右手から光の爪のような物が幾重にも解き放たれ、私はその攻撃に巻き込まれるように吹き飛ばされた。
ドゴォオオオオオオオオオオオオオンッ!!!
「……けふっ」
かなり遠くへ吹き飛ばされてどこかの建物に突っ込んだ私は、瓦礫の中で横たわり血を吐き出した。
残りの魔力は半分程度ですね……。咄嗟に防御しましたが、左側は蜘蛛の脚も自前の手足も全滅です。残りは右腕と折れた右脚。蜘蛛の脚が右側二本のみです。
トゲ棍棒を杖にして、蜘蛛の脚と折れた右脚でそっと立ち上がる。歩くのは出来そうですが、高速戦闘は難しいかも知れません。
クラリスは少しずつですが、精神に異常を来しているように見えました。やはり人間には過ぎた力なのでしょうか。
それとどこまで飛ばされたのでしょうか? 少々見覚えがあるのですが……
ガタン……。
「れ、レティ……?」
「シャロンお嬢様……」
大変でございます……。私の正体がラブリースパイダーだとお嬢様に知られてしまいました。
悲壮感さん、お仕事していますか?
次回、シャロンの決断。メイドさんの本気。
残り数話となります。




