57 卒業 ⑤
三人称多めです。
アルグレイ王国王太子ユーリはかつてないほど苛立ちを覚えた。
今回の魔術学院卒業パーティーは、王太子である自分も出席する、光の聖女クラリスとの婚約披露宴に近い。
この国では15歳で成人となるが、それ以前の家同士による婚約はあくまで“仮”と見られ、この卒業パーティー以降の相手が正式な婚約者として見られる。
正式な婚約パーティーは王家主催の王城で行われるが、ユーリはこれから王国を担う若い貴族達に自分の印象を刻み込もうと考えていたのだ。
だが、その思惑は大いに外される。
まず劣等生で、きつい印象から生徒から恐れられ蔑まれていた侯爵令嬢シャロン。
元より見た目は良い娘であったが、この一年足らずで艶やかに花咲き、会場の者達を魅了していた。
エスコートするアンディの手を恥ずかしげに取り、柔らかな視線で見つめ合い微笑む愛らしい姿に、会場の女性達からも感嘆の溜息が漏れていた。
艶やかな髪と滑らかな肌。蠱惑的なスタイルを包む上質なドレス。その胸元を飾る紫色のダイヤはユーリがクラリスに送った物よりも美しく光り輝いていた。
そしてユーリの弟である第二王子のジョエル。
父王と似るユーリと違い、たおやかな王妃の容姿を受け継いだ弟は若い娘達に人気はあったが、ユーリと違い適当な令嬢を婚約者とするだけの、所謂ユーリとクラリスの引き立て役のはずだった。
だがジョエルがエスコートしていた令嬢は見たこともない黒髪の美しい娘で、お互いを慈しむような仲睦まじい様子は、会場中の視線と話題をさらっていた。
そんな二組のせいでユーリとクラリスの入場は霞んでしまった。
今まではどこへ行ってもユーリが現れるだけで雷に打たれたように平伏していた者達が、ユーリよりもシャロンやジョエルを目で追っていた。
何故こうなったのか……? 聖女とは言えクラリスよりも艶やかなシャロンを妃としたほうが良かったのではないか? 黒髪の娘――ギンコは異世界人らしく、これまでの歴史を鑑みれば彼女を妃としたほうが民の受けが良いのではないか?
クラリスも美しい娘ではあったが、聖女としての立場を抜かせばただの子爵令嬢だ。その立場があったからこそ王太子妃として認められているに過ぎない。
中身の計算高さも次期王妃として考慮しているが、ただ聖女と言うだけでは何か物足りない気がした。
そんな思いを込めてエスコートするクラリスをチラリと伺うと、彼女も不満そうな瞳でユーリを見上げ、視線を外しながら小さく溜息を漏らしていた。
ユーリは表面上は微笑みながらも内心は怒りが渦巻いていた。
クラリスを怒鳴りつけ、シャロンとギンコを強引に自分の物とすることも脳裏を過ぎったが、それをする訳にはいかない。
後で二人を側妃とするにしても、今の様子を見ている貴族から反発も受けるだろう。
苛立たしく思いながらも、今はクラリスを王太子妃として印象づけ、貴族達の興味を自分達に集める必要がある。
その為に会場の中心へと向かおうとした時、突然、妹のエミル王女が意味の分からないことを言い始め、さらにあの二組へと視線が集まっていった。
自分が不利だと思ったエミルが『女神の神託を受けた』と言い始め、祭壇から現れた何かを、あの黒髪のメイドが捕獲した。
それは女神を騙った太った女の悪霊だった。
初めは神話や教会のタペストリーにある美しい女神の姿をしていたが、瞬く間にその正体を現し、美しい婦人しか見たことのないユーリにはおぞましい悪霊に見えた。
それに名を呼ばれ、ユーリも聖騎士のエリアスも顔を引き攣らせた。教会関係者であるエリアスはともかく、あれと関係があると思われたらユーリの評判に影響する。
逃げ出した悪霊を追って天井から飛び出していく黒髪のメイド。
シャロンの護衛を兼任する腕の立つメイドと思っていたが、まさか主の為に悪霊とまで戦う力が有るとは思わず、一瞬だけチラリと見えた下着のきわどさに、あらためてアレが欲しいと思ったが、今はそれどころでは無いだろう。
「者共、静まれっ!! これより悪霊の討伐を行うっ、我が騎士隊は付いてこい!」
「兄上っ!? 危険ですっ!」
ジョエルがギンコを抱き寄せて護りながら声を上げた。
「ジョエル、お前はここで事態の収拾にあたれ、お前もだ、アンディっ!」
あの二人をこれ以上活躍させる訳にはいかない。ここはユーリの手で悪霊を始末する必要があった。
「で、ですが……」
「くどいっ! ……クラリス、お前は来てもらうぞ。聖女の力を見せろ」
「……はい」
ユーリが護らずとも自分で結界を張り身を守っていたクラリスが、短く返事をしながら静かに立ち上がった。
クラリスを近衛騎士の馬に乗せ、自分も馬を駆りながら、騎馬数十騎を率いてユーリが悪霊の後を追う。
クラリスは悪霊の居場所を正確に掴んでいた。悪霊ならばクラリスの聖女の力も存分に揮えるだろう。
ようやく役に立ったか、とユーリは『ふん』と息を漏らした。
クラリスはユーリとの【イベント】をこなしていない。悪役令嬢シャロンのパートナーである不気味なメイドとの敵対を嫌った為だ。
現実であると理解しても、まだゲーム感覚の抜けきれないクラリスは、王太子妃にさえなってしまえば後はどうにでもなると思い込んでいた。
そんな状況では恋どころか、心の交流などあるはずもない。
「者共、続けっ!! 女神を騙る悪霊を駆逐せよっ!!」
『『『はっ!!!』』』
悪霊を追い教会に辿り着いたユーリは絶句する。
それはそうだろう。この周辺国家でも見たことがない、大陸の隅にでも行かなければ見ることも叶わない上位竜達が悪霊と戦っていたからだ。
「……女神の僕たる偉大なる竜達よっ! ここは我らの国。女神を騙る悪霊の始末は、我らに任されよっ!」
ユーリはこの上位竜達が、本物の女神から遣わされた女神の眷属だと考えた。建国前のこの地は悪しき邪龍に支配された土地で、女神がそれを倒したと云われる。
ならばこの上位竜達も女神が調伏した女神の僕なのだろう。
悪霊と竜達の戦いの中で一瞬だけ見えた、禍々しい巨大な蜘蛛の影が悪霊の正体なのだろうか? そんなおぞましい悪霊を打ち払う、偉大な竜族と共に戦えることにユーリが興奮気味に竜達に呼びかけると、竜達から凄まじいほどの怒気が放たれた。
『何バカ言ってんの、この愚図っ!! さっさと竜どもを倒しなさいっ!!』
広場に出来たクレーターから、ダミ声を響かせながらあの太った悪霊が飛び出してくる。あの悪霊はまだ自分が女神だと騙せるつもりなのだろうか?
竜達の怒気が一瞬自分に向けられたような気がしたが、悪霊が出てくる事を察して警戒したのだろう。
「者共、竜達に後れを取るなっ! クラリス、聖なる護りを掛けよっ!!」
*
あらあら、ユーリ殿下は竜達に開幕喧嘩を売りましたね。
クラリス嬢から聖なる加護を貰ったユーリ殿下が騎士達と共に元女神に襲いかかっていらっしゃいます。
竜達も討伐しに来た相手ならともかく、【古き神】の眷属として一般の人間には手を出しづらそうです。殿下の暴言にフェイ殿が激高していましたが、他の竜達に止められていました。
『ユーリっ! あんたアタシに逆らうなんて、なんのつもりよ!?』
「煩いっ悪霊めが! その小汚い口で我が名を呼ぶなっ、成敗してくれるっ!!」
『キィ――――――ッ!!!!』
はっきり言ってただの邪魔でございますね。女神の力を使った『聖なる力』など、あれに通じる訳がございません。
私ですか? ユーリ様が現れた瞬間、地中に潜っておりますよ。
潜るのは地面かお嬢様のご寝所だけと決めているフルーレティにございます。お嬢様のポンポンを冷えから守る為には手段は選びません。
ただ今、ボロボロになったメイド服を手縫いしている最中でございます。
あ、騎士様が数人ぶっとばされました。さすがに元女神の張り手は強烈です。とりあえずまだ息のある方は地中に引き込んでおきましょう。
非常食ゲット――と言いたいところですが、アンディ様の御同僚ですので、お嬢様のご婚約にケチが付いたら困りますので生かしておきましょう。
おやおや、痺れを切らした竜達も参戦したようです。あの暴言がなければ人間を巻き込むことはしなかったでしょうに。
別にお外の様子が見えている訳ではありませんが、地上に出した糸でだいたいの様子は伝わって参ります。
ですが……何か、奇妙な気配がいたしますね。
これは“悪意”……でしょうか? 少々違いますね。かなり歪んでいるようですが、ここまで強烈な“想い”は普通に人間には出せません。
元女神とも竜達ともまるで違いますし、……はて?
『キィ――――――っ!!! ウザいウザいウっザーいっ!! こんな【世界】はまとめてリセットしてやるっ!!』
おっと、これ以上のんびりは出来ません。丁度メイド服も仕上がったので、私も参戦いたしましょう。
騎士様方はほとんど残っていませんね。そのほとんどが元女神と竜達の巻き添えとは困ったものです。ユーリ様も唖然としています。
とりあえず息のある騎士様を地中に引き込み、タイミングを見計らう。
『みんな、消え――』
「ナイスショット」
ゴンッ、と景気の良い音がして、地中から飛び出した私のトゲ棍棒が元女神の股間に直撃する。
良い感じです。クリティカルヒットにございます。
「貴様はっ!」
「フルーレティにございます」
驚いているユーリ様にとりあえずご挨拶。
『……ぐぎょぎょ……』
竜達がだいぶ削ってくれていたようですね。元女神が股間を押さえながら目を白黒させながら呻いていました。おや? 口から何かが……
『アレだっ! フルーレティっ! 奪い取れ!』
フェイ殿の声が響く。ああ、なるほど、アレが力の【核】でございますか。私に声を掛けながらもフェイ殿が突っ込んでいく。
「良くやったフルーレティっ! 私がとどめを!」
それと同時に元女神へ剣を構えて突っ込んでいくユーリ様。とても邪魔です。
『ぐぎゃ!?』
その時、何か光のツタのような物が元女神を貫いた。
その光のツタを沿うように、力の【核】がどこかへ流れていく。そして……
「ようやく……手に入れたわ」
光が王都全体を照らすように瞬き、その中心に光り輝く“少女”の姿が浮かび上がる。
それはこの【箱庭世界】の新しい神――【女神クラリス】が出現した瞬間でした。
………本気で困りましたね。
その光を見たメイドさんは困りました。
もしかしたら薄い黄色の下着もお嬢様には似合うのではないかと。
次回、新しい女神。




