5 友達
回想です。
私が最初に意識を取り戻したのは、生命力が何も感じられない暗い世界だった。
ここが何処なのか、自分は何なのか、まるで分からない。
ただぼんやりと“ここ”ではない別の世界で生きていたような感覚はあった。
何も分からないなりに、今の自分の姿が『スライムのようだ』と思う程度の、知らない知識が存在した。
それを不自然、不便だと感じる自分と、それでも本能で虫のような物を捉えて食べる自分が同時に存在している。
その虫は潰すと甘い香りがして身体を満たしてくれたけど、一緒に懐かしさのような心細さも感じて、私は虫を食べるのを止めてぼんやりと過ごすことになった。
身体が“ひもじい”と訴える。でも心が“寂しい”“悲しい”と訴え、生きる為の意欲を奪っていく。
そんな私を狙う“敵”がいた。
正確には敵じゃない。私と同じスライムのような物体や、靄のような物。たぶんそれらは私の同族で、私を食べようとしているのでしょう。
怖くはなかった。同時に、こんな奴らに食べられたくないとも思った。
私は衰弱していた身体に鞭打って逃げ出した。いえ、逃げるんじゃなくて所謂戦略的撤退です。
だけど相手のほうが速い。逃げて逃げて追い詰められた私の前に、唐突に光り輝く、とても小さな【魔法陣】のような物が浮かび、私を吸い込んでいった。
とてもとても小さく、不安定な【召喚魔法陣】。多分、私が衰弱しきっていなければ通れなかったでしょう。
私を捕食しようとしていた奴らも通れないと考え、私は辿り着いた光ある場所で、ぷるぷるスライムぼでーを振るわせながら安堵の息を吐いた。
『やったっ、できたっ』
生まれて初めて、意思のある【言葉】を聞いた気がした。
光に感覚が慣れてくると、そこが石で囲まれた部屋だと分かった。その中に私を見つめる、小さな女の子の姿が見えた。
銀色の髪と紫色の瞳をした五歳くらいの可愛らしい女の子。
仕立ては良さそうだけど、あちこちが解れたドレスを着た女の子は、私を嬉しそうに見つめていた。
……この子から流れ込んでくる。彼女の寂しい思いと魔力が流れ込んできて、私の衰弱した身体を満たしていった。
小さな女の子は、さらに小さな私に満面の笑みを浮かべて、壊れ物にでも触れるように私に手を伸ばす。
『ねぇ、わたしと……』
彼女の言葉を聞き終えた瞬間、私はまた魔法陣に引き寄せられ、気がつくと元の暗い世界に戻っていた。
多分だけど、魔力が足りなかったのか、魔法陣が不完全だったのでしょう。
彼女のことを思い出して少し寂しい気持ちになったけど、私は感傷に浸っている暇もなかった。
そこには私を捕食しようと迫り、どこかに飛ばされた私が戻ってくるのを待ち構えていた同族が居たからだ。
でも私は、さっきまでとは違う。
私は襲ってきた同族スライムの攻撃をかいくぐり、あの子の魔力のおかげで取り戻した力で“敵”を撃破した。うまうま。
それから私がどうしたかと言うと、調子に乗った。
私が何の生き物なのかいまだに分からないんですけど、本能が戦い方を知っているように動いて、同族を倒して捕食していった。
同族でも食べちゃうのは抵抗があるかと思ったんだけど、まったく気にならないのは何でだろう?
調子に乗って捕食を続けた結果、身体が重くなってなってきた。え、……太った? 力は強くなっているのに動きが遅くなって捕食ペースが上がらない。
もっと速く軽快に動ければいいのに。
もっと遠くまで伸ばせる長い手足があればいいのに。
もっと沢山の手足があれば、沢山の獲物が狩れるのに……。
ズシャッ! と私の黒い爪が小さな猿のようなものを引き裂いた。
結果的に私は、真っ黒で細身で手足の長~い【女郎蜘蛛】のような形態に変化していた。どうしてこうなった。うん、私が望んだからです。
さらに調子に乗った私は、小さなスライムや靄の塊では物足りなくなり、小さな猿を狙うようになった。
お猿さんはなかなか強かったけど、本当の蜘蛛みたいに糸を出せるようになると、五匹程度なら問題にならないくらいには強くなれた。
それからしばらく経って、私は慢心していたんじゃないかと思う。
少し毛色の違うちょっとだけ強かったお猿さんがいた。なんとか倒すとそのお猿さんはまるでゲームみたいに“乾燥ワカメ”みたいな物をドロップして驚いたけど、それから少し経つと、私の周囲からお猿やスライムが一斉に姿を消していた。
これはもしや、みんなが避けるほど私が強くなったのかな?
そんな風に慢心しているとそうではなかった。私は他の連中よりも頭は良さそうだったけど、彼らより野生の本能が足りなかったみたい。
『……ひぃっ!?』
すぐ間近まで来てようやく気がついた。
何かとんでもない物が近づいてくる。あり得ないほど暴力的で巨大な気配が私の居るほうへ近づいてくる。
お猿やスライムどもは、コレが来たから逃げたのだ。一声くらい掛けてよ、ご近所様でしょっ!
『……………』
そして現れたのは、人間のような【メイド服】を着た“化け物”でした。
一目見て分かった。逃げても刃向かっても無駄だ。あまりにも力の次元が違いすぎてまともに直視も出来ずに、そのままひれ伏すように頭を地に擦り付けた。
私の直角土下座に、それを見た化け物様の雰囲気が微かに変わった気がした。
その頭部から無数の髪の毛が伸びて私に迫ってくる。……あ、これって髪の毛じゃなくて金色の蛇だ……。
無数の蛇にジロジロと観察され、私が糸で作った巣も見た彼女は……私をお持ち帰りしやがりました。たーすーけーてー。
私は食べられずに済んだようです。
どうやら、私が倒した“毛色の違う猿”は、化け物様の配下だったみたいです。
その配下の替わりに配下となることを強いられた私は、日給乾燥ワカメ1キロと言う破格の報酬で雇われ、糸で女性が使うような衣服を作らされた。……何でワカメ。
え? 化け物なんて呼んでませんよ。
“メイド長”と呼べって? あ、はい、分かりました。
私が言葉を話せることがバレると、何故かメイド服を支給されて、メイド隊の下っ端に配置されました。
メイド服を着ている蜘蛛ってシュールですね。誰が作ったんですか? なんとメイド長のお手製でした。
それから私のメイド生活が始まりました。言葉遣いから立ち居振る舞いまでガッツリと矯正されて、前世っぽい記憶もあり物覚えが良かった私は、いつしかメイド長の補佐にまで出世することが出来ました。
メイドがいると言うことは、それらが仕える【ご主人様】がいるはずです。
この化けも……げぶん、メイド長が仕えているなんて、どんなとんでもない存在なのでしょう?
でも私のような下っ端蜘蛛が、そんな天上の存在にお会い出来る機会なんて無いので気楽なものです。あっはっは。
……え? 【主様】が私に会いたがっているのですか? マジですかー……。
なんでも私がシルクより上質だと自負する糸でせっせと作っていた下着類は、なんと言うことでしょう、【主様】に献上されていて、そのお目に止まったとか。
もう少し手を抜けば良かったですね……。そんな事をしたらメイド長に折檻されるからやりませんが。
そして謁見を許された私は【主様】の処まで引きずられて連れて行かれた。
【主様】はなんと言いますか、黄金に光り輝いて良く分かりませんでしたが、あまりの威圧感と神々しさに、私は思わずまた直角土下座をしてしまいました。
ちなみに“直角土下座”とは、頭を床に擦り付けた状態で、お尻を頭上まで直角に持ち上げた状態を指します。そんな奇妙な体勢の私を見て、【主様】のお側にいた仮面のメイド様がお腹を抱えてケタケタと笑っていた。
世の中、何が幸いするのか分かりませんね。
何を気に入られたのか分かりませんが、私は【主様】から直々に【名】を賜ることになりました。
【フルーレティ】……それが私がいただいた名前。
我らのようなものに名を授けられるのは【主様】だけで、【名】を与えられた私の力は安定して、格段に強くなりました。
その力と能力により、私は千人のメイドの部下を与えられて、【主様】の敵を屠る役目も授かったのです。
メイド中将、フルーレティ。……メイドである意味はあるんですか?
疑問に思い何気なく、どうして【中将】なのかと尋ねてみると、【主様】は不思議そうに、フルーレティは中将でしょ、と仰った。
どうやら私の名前は何か意味のある名前らしいです。
正直意味は分かりませんが、出世街道まっしぐらです。
ところが順風満帆に見えた私に行く先に暗雲が立ち込めました。それまで順調だった私の力の伸びが頭打ちになったようです。
まぁそれでもそこら辺の敵には負けませんし、メイド長や【主様】の側近クラス以外なら、仲間内でも上位ですから気にはしないんですけど、そんな暢気に考えていたある日のこと、私はまた【主様】に呼び出された。………減給ですか?
どうやら私の力が伸びない原因が分かったそうです。
要約すると、私はまだ最初の【契約】を完遂させていないらしい。
契約……? その言葉を聞いた瞬間、私の脳裏に可愛らしい女の子の姿が思い浮かびました。
私は……あの子との【約束】を果たしていない。
あの子の事はずっと心のどこかに引っ掛かっていた。でもあの世界に自分の力で行くとは出来ないと、心のどこかで諦めていた。
生きることで世一杯だったと言えば聞こえは良いですが、私はあの子から生きる力を貰ったというのに……。
会いたいな……。会ってあの子の力になりたいと強く願った。
あの子との約束を果たしたい。
もう一度会って、今度はちゃんと私は……
その時、【主様】がニヤリと笑った気配がした。
なんと言うことでしょう……。事もあろうに私は、神にも等しいお方の前で、心の中とは言え“願って”しまったのです。
『………え!?』
私の足下に突然現れる、黄金の魔法陣。
慌てる私に【主様】は仰った。
あの女の子と私との絆が、糸のように繋がり互いを引き寄せる、と。時間も場所も越えて、再び出会うことが出来ると。
そして私は……前世の身体に戻り、再び“お嬢様”と出会った。
*
はい、回想終わりです。
おやぁ? 長々と昔話をしている間に、生きている人が居なくなっていました。
ちょっとお説教するだけのつもりだったのですが、シャロンお嬢様に害する気があると聞いちゃったので“ついやっちゃった”みたいです。
とりあえず私は、まだ支配下にある【肉】に、動かなくなった【肉】を処分するように命じてから、お嬢様の後を追いました。
「ちっ、あいつら何処で油売ってんだいっ、こうなったら私がっ」
「な、何をしますの!? お店は…」
「はっ、おめでたいお嬢ちゃんだねっ、そんな怯えた顔しなくても、大人しくしてれば痛い目に遭わずに済むよ」
「あ、あなたは……」
「くっく……そうさ、あんたを浚って貴族の狒々爺に買って貰うのさ。大人しくしていりゃあ、今より良い生活出来るかも知れないよ?」
「や、やだ……、誰か…」
「こんな場所まで、のこのこ付いてきた自分の間抜けさを恨みなっ おら、逃げるな」
「やだ、やだ…誰か……………レティっ」
「はい、お嬢様。何をいたしましょうか?」
「………え?」
私が声を掛けると、怯えていたお嬢様が少々アホづ……呆気にとられたような顔で、私にまん丸に見開いた可愛らしいお目々を向けた。
「レティっ!?」
「はい、お嬢様。フルーレティにございます」
「あ、あの人は…?」
「あの方でしたら、邪魔なので移動させていただきました」
「邪魔なのでって……。あなた、どうしてここに…」
「はい、お嬢様がお呼びでしたので」
安心させるように出来るだけ優しく声にして、両手で包むようにまだ震えている手を握ると、お嬢様はギュッと握り返して私の肩に顔を押し付け、肩から小さく泣きそうな声が聞こえた。
「……あり…がと……」
*
寮に戻ったお嬢様の夕食を作り、お着替えとご入浴のお手伝いをさせていただくと、もう寮の消灯時間も近くなっていました。
丁寧に整えた清潔なベッドにお嬢様を寝かせて、私の持つランプ以外の明かりを落とすと、お嬢様から少しだけ寂しげな雰囲気が伝わってきます。
「……おやすみ、レティ」
「お休みなさいませ、シャロンお嬢様」
不安はあっても色々あってお疲れでしたのか、すぐに寝息が聞こえてきましたが、そのお嬢様の手が、眠りながらも不安そうに何かを探し始めた。
私は音もなく歩み、お嬢様のベッドの脇に膝を付き、その手を握る。
お嬢様の寝息が穏やかなものに変わり、小さな唇が微かに声を漏らした。
「……レティ……」
「……はい」
私はお嬢様の幼く見える寝顔を見つめながら、あの日を思い出す。
あの日、幼いあなたは、まだ弱かった私を呼び出し、生きる力をくれました。
幼いシャロンお嬢様は、私にこう言った。
『ねぇ、わたしと……おともだちになってっ』
カーテンから漏れる月明かりの中、私はお嬢様の髪を静かに撫でて小さく微笑む。
「はい、シャロンお嬢様。私はずっとお側におりますよ」
メイドさんの正体は何なんだ……
これで一区切りしましたので、多少更新ペースは落ちるかと思いますが、ご了承ください。
次回、お嬢様とメイドさんに迫る最大の危機。