48 紫石
「私は女神様を信じていたのですが……」
「さようでございますか」
私とエリアス様は無事に和解いたしました。
それにしてもエリアス様は丈夫な方ですね。おそらくは女神によって“不死化”されているとは存じますが、屋根を越えて通り向こうにまでぶっ飛ばしましたのに、多少脚がふらつく程度で戻られたのはさすがです。
「それでは私の知っていることをお教えしましょう」
まずは情報交換でございます。
この国で【女神】と呼ばれている存在が、元は古き神――力を持った古龍の巫女であった、ただの人間であったこと。
一時的に力の弱まった古龍から力を奪い、自分の想いのまま好き放題する為の【箱庭世界】を創ったこと。
そして竜の一族が、結界が壊されると同時に女神に対して攻勢を仕掛けること、等をエリアス様に説明しましたところ、
「そうですか……」
少し険しい顔で何事か考えていたエリアス様は、ご自分の考察を語られた。
まず【箱庭世界】に関してですが、エリアス様が実際に感じたところによると、このアルグレイ王国を中心に周辺六カ国……だいたい西ヨーロッパの半分くらいの面積だと思いますが、その辺りまで女神の影響が強く、そこから先は途端に女神の恵みを感じなくなることから、そこまでが女神の【箱庭世界】である可能性が高い。
女神の【箱庭世界】は、確かに外敵の脅威も少なく安定しているように見えますが、外の世界では危険は多くても、文化的な停滞がなく進歩しているように感じられた。
外の世界の人間は、特殊な【スキル】を持っているようには感じられなかったので、【スキル】の恩恵は女神によるものだと仮定すると、女神と敵対した場合、女神の恩恵で取得したスキルは使えなくなる可能性がある。
まぁ、エリアス様はご自分でかなり鍛えていらっしゃいますし、そもそもどんくさそうなお嬢様が、まともなスキルをお持ちなはずがありませんので問題なしです。
「女神が定めた重要人物は、“不死化”されていますが、事を起こした場合、その恩恵も消えることになりますのでご注意を」
「……肝に銘じておきます」
エリアス様はとりあえず今までと同じ生活をして女神の目を欺きつつ、事が起こった際には協力していただけるとのことです。
もしかして彼のような人物が、メイド長が仰っていた【ゆうしゃ】とか言う、私どものような存在の天敵かも知れないので、敵に回らないだけでも助かります。
「念の為……これをどうぞ」
「これは、どういう意味でしょう?」
「お守りでございますよ」
私が自分の髪の毛――を模した黒い蜘蛛糸をエリアス様の指に巻き付けると、彼は非常に感激した面持ちで礼を言う。
「ありがとう……大事にします」
「さようでございますか」
単純に女神の影響を弱めて、見えにくくするだけの品なのですが、どうしてそこまで喜ばれるのでしょう?
それはともかく、出来れば、女神とは正面から戦いたくはないですね。
技量は私の方が上だと自負しておりますが、単純に力が上の相手と正面から戦うような愚を犯すつもりはありません。
女神を罠に掛けることが出来たら良いのですが、女神が油断して、その存在位置を漏らすような状況まで、今は蜘蛛の巣に獲物が掛かるように、じっくりと待つしかありません……。
さて、私も通常業務に復帰いたしましょう。今日もシャロンお嬢様のたわわにカロリーを与える大事なお仕事が待っております。
「シャロンお嬢様、ドレスは決まりましたが、装飾品はいかがいたしましょうか?」
「それもありましたね……」
濃厚なニューヨークチーズケーキを食していたお嬢様が、不意に寂しそうな顔をなされた。
「……お嬢様。お代わりはまだありますよ」
「食べ終えたから、悲しんでいたのではありませんわっ!?」
どうやら私の勘違いのようです。
「では、お代わりはいりませんか?」
「……いただくわ」
お嬢様は自分の二の腕をプニプニさせながら、苦悩の表情でお代わりを要求する。それでこそ私のお嬢様です。
ですがお悩みになることはございません。魔物素材のミルクは高タンパク低カロリーで、しかも栄養のほとんどは胸部に注がれていますので、まだまだ許容範囲内でございます。
もうちょっと……もうちょっとだけモッチリなされても可愛らしいと思うのですが、お嬢様はちょっぴり気になる乙女心のようです。
「……実はね、わたくし、お母様の宝石がございますの」
「ご生母様……キリア様の宝石ですか」
キリア様がお嬢様に残されたのは大量のアイテムを仕舞える【拡張袋】だけではありませんでした。
ほとんどの物は継母であるあの女に奪われ、大抵の物は売り払われてしまったそうですが、宝石類の一番大きな物だけは残り、それを心を入れ替えた弟のヨアンが届けてくれたそうです。
「これよ」
「……これはなんと言いますか」
大きさは親指の先ほどの、お嬢様の瞳の色と良く似た見事なアメジストでしたが、その宝石自体はそれほど高価ではありません。
そのせいか粗雑に扱われたようで、金属部分が腐食しておりました。
……でもこれは。
「お嬢様、少々磨かせて貰っても宜しいですか?」
「え? ええ、レティなら構いませんわ」
お許しをいただき、私特製蜘蛛糸の布で磨いて、多少ですが表面を削らせていただくと、アメジストにしては色が薄く、内部より放つような輝きを見せてくれました。
「レティ……これって」
「私も実際に見るのは初めてですが、こちらはパープルダイヤかと思われます」
おそらくはキリア様がダンジョンで手に入れられた物でしょう。
カラーダイアモンドは色によって値段は変わりますが、これ程の大きさなら大金貨数千枚の値段が付いてもおかしくありません。
キリア様がご自分の容態に気付いて偽装なされたのかも知れませんが、お嬢様の手に渡る前に奪われたようですね。
「お母様……」
「お嬢様、お任せ下さい。これに相応しい装飾を作りましょう」
「と言う訳で、アンディ様。ご協力下さい」
「……また君か」
無事に退院されて現場復帰なされたアンディ様のいる騎士詰め所にお邪魔すると、最初の頃のような、私に遠慮する空気は無くなっていました。
「ご協力をお願いします」
「今度はなんだい……?」
そんな顔をされると、私がいつも問題ばかりを持ち込むように、他の騎士様に誤解されるではないですか。
私がキリア様のダイアの話をして、その装飾部分を直してアンディ様の手からお嬢様にお渡しするようにお願いすると、キリア様を良く知るアンディ様は、
「……そうか」
と思いを馳せるように呟き、快く了承していただけました。
多少説得に難航するかと思いましたが……妙ですね。これまでお嬢様がジョエル様の婚約者候補なので常に一線を引いて接していらっしゃったのに、何か状況でも変わったのでしょうか。
まぁ、とりあえず、アンディ様に快諾していただき助かりました。
本来なら私が丹精込めて作りたいところなのですが、プラチナはこちらで手に入りづらく、銀製品はどういう訳か、今の【私】になってから多少苦手になっているのです。 けして、お嬢様のカロリーの為に上白糖を買い込みすぎて予算が厳しくなったとか、そう言う理由ではございませんったらございません。
目的を果たしてお嬢様の待つお部屋まで帰ろうとした途中で、見知ったお顔を見かけました。
「おや? ギンコ嬢ですね。何をなされているのでしょう?」
私の同級生である中学生組の女生徒で、私の苛めには中立で、比較的私に気を使ってくれていた方ですが、相方であるフア嬢と一緒でないとは珍しいですね。
どこかお加減でも悪いのでしょうか? 足取りがフラフラしているような気がいたします。
泥酔でもしましたか? そんな方でもありませんね。普段ならあまり気にしないのですが、少々気になります。
「ギンコ嬢、いかがなされました?」
「…………」
これはいけませんね。瞳の焦点が合っていません。やばいおクスリに手を出しましたか? とりあえず気付けの為に私特製のおクスリを投与しますと、ギンコ嬢はビクンビクンと激しく痙攣した後で、ハッとした顔で私を見上げる。
「……かみしろさん」
「フルーレティにございます。いかがなされました?」
私がそう問うと、ギンコ嬢は目の下にわずかに隈が残るお顔を、泣き出しそうに歪められた。
「……わからない。わからないの。変な声が聞こえるの……。ヒロインだから、アレをしろ、コレをしろって……」
おやぁ? もしかして蜘蛛の巣に掛かりましたか?
また性懲りもなく……
次回、蝶を待つ蜘蛛の巣




