47 信用
エリアスは【女神】の敬虔な信徒である。
幼い頃より夢に現れる女神の声を聞いて、その美しい姿と耳障りの良い言葉に、まだ幼かった彼は女神を心から信じるようになった。
その思慕にも似た想いが、わずかに解れてきたのはいつからだろう……。
ある時出会ったメイドの少女は、彼の固定された価値観を揺り動かし、少しずつ――シロアリが巨大な塔を崩すように彼の心を侵食していった。
永い歴史を持つ大国と言われるアルグレイ国だが、建国から千年も経つと言うのに、異世界人達が“中世”と呼んだ文明からほとんど発達していない。
魔法があるのだから、科学分野が発達しないのはまだ理解できるだが、それに匹敵するような魔法の発展がないのは何故だろうか。わずかにあった文明の発展さえ、全て異世界人からもたらされたモノだった。
何故、そうなったのか? この世界の人間は誰も疑問に思っていない。全ての恩恵は女神によって与えられ、女神が変わらぬことを望んだからだ。
そんな中で、あのメイド少女の周りだけが、良きにしろ悪きにしろ変化していた。
彼女が仕えている令嬢も、エリアス自身もそうだ。
この変わらぬ世界の中で、異世界から来たあの可憐な黒髪の少女だけが、紙に墨を垂らすように世界の色を少しずつ染めていった。
変わり始めたエリアスの心は、女神の言動にわずかな違和感を感じはじめる。
いまだに女神はエリアスの夢に現れるが、どうして露出度の高い服装をしているのだろう? 女神を信じるものには愛を説き、それを救うエリアスを褒めるが、それ以外の人はどうなってもいいのだろうか?
そんな時、エリアスは女神からの神託を受ける。
《エリアス……。私の可愛いエリアス。この世界の平穏を乱す存在が現れました。その者の名はシャロン・ド・ミシェル。あなたは私の聖騎士として、彼女の罪を断じなければなりません……》
「……な、」
その神託を聴いて、エリアスも思わず絶句する。
彼女のことはエリアスも知っている。あのメイド少女が仕えている侯爵令嬢で、学院ので評判は確かに良いとは言えなかったが、実際に会った印象では、常識があり穏やかな性格の少女で、どうして彼女が酷く言われるのか理解が出来ないほどだった。
「もしや……」
エリアスの脳裏に一つの考えが浮かぶ。
シャロンが平穏を乱すというのなら、彼女が変わった原因。
平穏を乱すというのは、変わらなかったこの世界をわずかにでも変えた存在。
もし……“彼女”がそうだというのなら……。
***
「………」
私のご挨拶にも、エリアス様はお顔を顰めたまま、無言で剣の切っ先を私に向けていました。
困りましたね……。ご挨拶は人間関係を円滑に行う為に大切な――そう、所謂、袖の下と同等のものだとメイド長より教わりましたが、間違っていましたでしょうか。
ご挨拶が遅れてしまいました。世の中で大切なモノは、袖の下と、お嬢様の脇の下。フルーレティにございます。
「何かありましたか?」
「……確かめさせて貰う」
ガキンッ!!
一瞬で間合いを詰めてきたエリアス様の剣を、咄嗟にスカートを翻して純白のガーターベルトを挟んでいたトゲ棍棒で受け止める。
このガーターベルトは私の趣味ではないのですが、シャロンお嬢様用に用意しましたが何故か拒否されましたので、仕方なく私が着けております。
「失礼。見えてしまいましたか?」
「…………」
ああ、これは完全に見えてしまいましたね。咄嗟の場合には女の武器を使う事もメイドの役目だとメイド長に教わりましたが、確かに一瞬、エリアス様の剣がわずかに鈍ったように感じられました。
……偶にはまともなことも言いますね。
それにしても、やはりエリアス様はお強い。まともな人間の中では随一と言っても良いでしょう。
今まで数々のボールをナイスショットして傷一つ付かなかった【オークキラーEX】にわずかに傷が入りました。
エリアス様のお力は、運と状況によっては私を滅ぼせるレベルと言っても過言ではありません。
それよりも……
「見られていますね」
ガキンッ!
再び迫ってきたエリアス様の突きをトゲ棍棒で弾きながら、私達は再び距離を取る。 なかなか積極的に迫ってきますが、教会育ちの為か、女性に迫るのはあまり得意では無さそうです。
それよりも、“何か”に見られていますね。
以前より幾度か“視線”を感じることがありまして、覗き見防止の“蜘蛛の巣”を強化しておりますが、どこまで有効でしょうか。
この視線は……私の存在よりも上位の気配がいたします。
ですが力は有っても、技術的には下位の私に気付かれるほど稚拙なので、私の蜘蛛の巣でも充分に認識阻害は出来ると思いますが、あまりやり過ぎると、逆に私の存在を認識されてしまいますので、蜘蛛の巣にダミーの映像を流しておきましょう。
メイド長や【黄金の主様】にはまったく通用しないでしょうが、この稚拙な感じからすると、相手には『突然剣を抜き放ち、裏路地で素振りを始めるエリアス様』の映像が見えているはずです。
少々準備に手間は掛かりましたが、ようやく私もまともに動けそうです。
「お待たせいたしました」
「っ!」
何かを感じたのか、咄嗟に飛び退いたエリアス様が居た石畳を、私のトゲ棍棒が粉砕する。
「良く避けられましたね。割と自信があった一撃だったのですが」
「……君は」
オーガークラスでも一撃で粉砕出来る程度の力は込めました。どうせ、エリアス様も訳の分からない力で死亡を回避していると思いますので、手加減の理由がありません。
その本気具合が分かったのか、エリアス様が先ほどよりもわずかに距離を取り、警戒した様子を見せる。
「やはり君は強いな……。君は何故戦う?」
「意味が分かりかねます。戦いを挑んできたのはあなただと思いますが」
再び振るったトゲ棍棒の一撃を、エリアス様は受けずに避ける。
さすがに技量は高いですね。重量級鈍器を下手に受け止めて体勢を崩すような愚は犯してくれそうにありません。
「違う……ッ。君は何故戦い、どうして世界を変えようする!?」
「はぁ……本当に意味が分かりませんね」
エリアス様の言いようがまったく理解できなかったので、その面倒くささを払拭するようにトゲ棍棒を頭上でブンブン振り回しながら、きっぱりとエリアス様に言わせていただきました。
「これからお嬢様のご夕飯の準備がございます。それ以外に興味はございません」
「…………」
お嬢様間の大好きな、カロリーたっぷりの甘味も用意しないといけませんので、あと五分二十秒ほどならお相手してあげますよ。
そんな私の闘志たっぷりな言葉に、エリアス様は脱力した様子で……
「……そうか、ははは」
自嘲するように笑って、自らの剣をその場に捨てると、何故か晴れやかなお顔で私に深々と頭を下げる。
「すみませんでした。あなたを試すような真似をしてしまいました」
……本当に良く分からない方ですね。
エリアス様から聞いたお話に寄りますと、あのクソ女神からシャロンお嬢様がこの世界を乱す存在であると神託を受けたとか何とか。
エリアス様もそれを鵜呑みにした訳では無さそうですが。
「……これまで女神様が絶対だと信じてきたのです。それに疑問を持ち始めていましたが、最後に女神様を信じられるかどうか、あなたに賭けてみたのです……」
「さようでございますか」
何と迷惑な。ですがこれで、あの視線の主が女神であると確信が持てました。同時に女神の力量もある程度把握出来たのは良い結果と言えるでしょう。
ですが。
「とりあえず、そんな理由で戦いを挑まれたのですから、罰は受けてくださいね」
「……わかりました。衛兵に自首を、」
「そんな時間はありませんので、手っ取り早く行きます。死にはしないと思いますが、気をしっかり持って踏ん張ってくださいね」
「……え、ちょっと、」
私がトゲ棍棒を振り上げるの見て、エリアス様が顔色を青くした。
某野球のナンバー1選手の如く、フラミンゴのように華麗に片足を上げて、踏み込むと同時に全力のホームランショットを打ち上げる。
「ナイスショット」
やりました満塁ホームランです。屋根を飛び越えて飛んでいったエリアス様ですが、死亡回避されているので問題はないでしょう。多分。
シリアス……?
メイドさんの大切なことは、お嬢様のカロリーです。
次回、エリアスとの共闘?
申し訳ありませんが、仕事の関係で次回の更新は来週の日曜になると思います。




