43 緑檻
陽の降り注ぐ王宮の広いテラス。そこにただ一つだけ置かれた白いテーブルと二つの椅子で、一人の青年と一人の少女が向かい合っていた。
青年は、このアルグレイ王国王太子、ユーリ・ド・フォン・アルグレイ。
少女は、このたび光の聖女と認められた、クラリス・ド・リニエロ子爵令嬢である。
ゆるりとお茶を愉しむ二人と、十数人居る使用人や護衛の騎士達とは20メートルほど離れており、彼らの会話を聞くものはいない。
「こちらでも確認した。お前の情報は正しかったようだ。あまり気分の良いものではないがな……」
「それは失礼いたしました。ですが、真実から目を背けては後手に回りましょう」
「分かっている。感情と理性を制御出来なければ、王太子などやってられんよ」
「それでこそ、ユーリ様です」
ふんわりと微笑むクラリスに、ユーリはわずかに口元を歪めた。
「まさか、この世界が、遊技の中だとはな」
クラリスはこの世界の住人だ。だが、生まれながらにして他人とは違う記憶と知識を持っていた。
この世界に数百年ごとに召喚される【人間種】――彼らの世界で生きた記憶を。
その世界で生きた自分のことは曖昧だったが、この世界のことは良く知っていた。
乙女ゲーム――光と闇と恋のライン。
幼い頃にこの国の歴史とゲームの内容が酷似していると気付いたクラリスは、歴史書を読みあさり、ここがゲームの舞台であることと、その裏に潜む存在を確信する。
「いいえ、ユーリ様。この世界は現実です。女神の遊び場として歪められていますが」
「…………」
この世界は【女神】によって、ゲームの内容と酷似するように歪められている。
作り上げたシナリオを地球でゲームとして発売し、それを愉しんだ少女達の想いを核として、彼女達をヒロインとしてこの世界に呼び込む。
この世界は、女神が乙女ゲームを楽しむ為の、広大な遊技場なのだ。
そのシナリオの内容に沿う為に、何人もの人間の人生が狂わされた。自分がメインヒロインであると気付いたクラリスも、子爵家の庶子として生まれ、意味のない苛めや、望まない人生を強いられてきた。
それを許すつもりはないが、クラリスは冷静に…冷徹にそれを利用しようと考えた。
「お前から提出された“予定表”に書かれていたことは、七割的中している。その他のことにしても時期的なズレがあっただけで、九割近く合っていると言えるだろう」
「女神は気まぐれですが、自分のシナリオを変えたりはしませんわ」
「これでお前の言うことが嘘だというのなら、お前は希代の詐欺師か、伝説級の予言者だな」
「ふふ。私はただの“ヒロイン”ですよ」
「ならば、ヒロインであるお前を王妃とすることが、完璧な繁栄の道と言うことか」
聖女であるメインヒロインを王妃に据える。それだけで女神が作ったシナリオにより次のゲームまでこの国と王家の繁栄は女神によって約束される。
「だが、女神はそれを知って悪戯心を持たぬか?」
「ユーリ様が思うほど女神は万能ではありません。今まで確認したところ、女神が見ているのは全体の場面。それとイベントのみですわ」
「こんな会話まで聞いてはいない……か。良かろう。クラリス。お前を私の婚約者筆頭とする」
「ありがとうございます」
クラリスはまったく変わらない微笑みのまま、優雅に礼を言って頭を下げた。
「それと、同じ聖女でもエナ様のとこは諦めくださいませ。彼女は彼女で、鷹のように少年二人を追っていますので、関わらないほうが良うございます」
「あれは、側妃とする予定だったのだが……、女神が絡むとなればやむなしか」
「シャロン様はいかがで? お気に召していらっしゃったでしょう?」
「確か、悪役令嬢とか言う存在だったな。確かに良い女だが、あれはジョエルの婚約者候補だ。女神が何かしてこないか?」
「どうせ彼女はジョエル様と結ばれることはありません。多少の罪を作り上げて、強引に自由を奪えば女神も納得するでしょう。シャロン様もシナリオでは不幸になる場合が多いのですから、救うことにもなりますよ。ただ……」
「ただ……なんだ?」
「あのメイド――フルーレティさんも欲しいのなら、お気をつけくださいませ」
「……何かあるのか?」
「いいえ、何も。ただ……彼女は私の知らない“登場人物”です」
クラリスの真剣な瞳にユーリも表情を険しくした。この世界には登場人物の他に一般モブと呼ばれる、その他大勢の人がいる。
ただそれらモブは、重要な人物に深く絡むことはない。何かしらの隠しキャラでもない限り、あのメイドは酷く不気味な存在だった。
しばし無言で見つめ合い、息を抜いたユーリが軽く手を振ると、クラリスは立ち上がって頭を下げ、本日の会談は終了した。
「それではユーリ様、失礼いたします」
変わらぬ笑顔でそう言って退席するクラリスの背に、ユーリがふと声を掛ける。
「ふっ、計算高い女だな。クラリス」
「あら。計算高い女はお嫌いで……?」
微かに振り返ったクラリスの視線と絡み合い、ユーリは愉しそうに嗤いだした。
「はっはっは、それでこそ我が隣に居るに相応しいというものだ」
その言葉に、クラリスの笑顔が微かにニヤリと変わり、そのまま立ち去ろうとしたとの時……。
「……地震?」
微かな揺れを感じてクラリスが街のほうへ視線を向けると、その瞬間、石畳を突き破り、高級街区を丸ごと覆うように巨大な植物の蔓が天へと伸びていった。
「……何事だ? あれは植物か。すぐに兵士達を送れっ! それと緑の聖女を呼び出して対処させろっ!」
瞬時に硬直から復帰したユーリが周りの者達に指示を出す。
その声で呆然状態から回復したクラリスは、ユーリの言葉に“緑の聖女”である少女の顔が一瞬頭に浮かぶ。
「………あの子、何をやっているの?」
***
お休みからお早うまで、今日もお嬢様の成長をミリ単位で見守る素敵メイド、フルーレティにございます。
今朝は0.37ミリ大きくなっておられました。あのサイズでまだ成長なさるとは本当にお嬢様は素晴らしい方です。
「あなたもそう思いませんか?」
何度打ちのめしても、死なない程度に手加減をしているせいか、何度も立ち上がってくる王宮侍女三人組は、仕方ないのでM字にして縛り上げておきました。
何をM字ですかって? 嫌ですねぇ、私に口から言わせたいのですか?
王宮侍女のせいで余計な時間を取られてしまいました。
シャロンお嬢様のお側にはアンディ様と執事様がいらっしゃるので無事だとは思いますが、メイドとしてすぐさま駆けつけなければいけません。
私が放ったメイド蜘蛛とまだ糸は繋がっているのでお嬢様の位置は分かります。
屋根伝いに跳んでいければ楽なのですが、上に伸びたツルが上空で一つに纏まり、鳥かご状態になって徐々に下に降りてきています。
この分では地下も根が張り巡らされているかも知れませんね。
結局どちらも時間が掛かりそうなので、私は街中を進むことにいたしましょう。
『アアアアアアッ』
「ナイスショット」
道の角でばったり出会った貴族っぽい太ったおじ様を一番ホールに叩き込み、私は先を目指します。
ところでさっきの人は操られているか確認を怠りましたね。まぁ済んでしまったことは仕方ありません。私は前向きな女でございます。
それにしても私はどうしてなんともないのでしょうね? 人間ではないステキスパイダーだからでしょうか。
……お嬢様が操られていたらどうしましょう。
とりあえず一度お薦めして断固としてお断りされた、スケスケベビードールでも着せて、しばらく様子を見るしか無さそうです。
「……おや?」
私はメイドの嗜みとして、この街全ての裏路地と近道を存じております。
それも基づいて道を選んだところ、あの巨大な植物のツルが束になって道を塞いでおりました。
「では……フルスイング」
ドガンッ!!
久々のトゲ棍棒でフルスイング。いつもは本気で打つと人間の下半身が爆散するのでパターショット程度で控えていますが、これなら遠慮は……むむ?
なんと言うことでしょう。砕けたツルが瞬く間に再生していきます。いえ、再生とは少し違いますか……壊れた瞬間から、周りのツルが補填する感じですかね。
ですが少々分かったこともありました。
このツルの植物には小さな花が咲いており、そこからあの甘い匂いがしています。おそらくは幻覚を見せる食虫植物等が元になっているのでしょうか。
それと、花から吹き出す花粉のようなものが、トゲ棍棒の先端に弾かれているように見えました。
この先端には呪われた鉱石が埋め込んでありますが、強い魔力を帯びております。つまりは操られているのは、魔力値の低い人間なのでしょう。
「……これはいけません」
私はお嬢様が操られているのなら、今はそのほうが安全だと思っておりました。ですが、お嬢様は私の食事の影響も有り、魔力値がかなり上がっております。
そうなれば、操られた人々に正気のお嬢様だけが襲われる可能性があります。
「これは……」
私がお嬢様の下へ急ぐべく再度トゲ棍棒を振りかぶると、そこら中から操られた人間共が集まってきました。
先ほどの一撃から私を危険だと判断したのでしょう。植物のツルからも細いツルが無数に湧き出し、私を絡め取ろうとしてきました。
私の邪魔をしてきますか。本当に……
『いい加減にしろ、下等生物共』
私の声に人間も植物も硬直するように動きを止める。
私がお嬢様をお助けするのを邪魔するのなら……本気になりますよ。
白眼部分が黒に浸食され、私の肌が見る間に光沢のある青銅色に変わっていく。
溢れ出る障気で朽ちたように擦り切れたメイド服から、背中を突き破るように10メートルもある八本の黒い蜘蛛の脚が生え伸びた。
私の“本性”を見た意識のないはずの人間共がガタガタと震え始め、私の障気を浴びた植物が瞬く間に腐り落ちる。
『……多少痛くても我慢して下さいね……』
メインヒロインは敵か味方か。メイドさんも本気モードです。
次回、決着を付けた人物は……




