4 悪意
この話には非常に残酷で悪魔的な表現がございます。ホラー仕立て。
一区切りするまで恋愛要素が始まらないです……
その二人の男達は、周囲の気配に溶け込みながら目立たないように“ターゲット”に近づいていく。
「失礼、お嬢さん。少しばかりよろしいかな」
人気の無い暗い通路で声を掛けるのは男としても自分が怪しいと自嘲してしまうが、平和な世界から来たというターゲットの少女は、何の警戒心もない顔で驚きもせずに振り返った。
「なんでございましょうか」
キョトンとして首を傾げる少女に、男達も思わず息を飲む。
その少女は、召喚をした学生よりも一つ下の、まだ14歳になるかならないかと言う年齢だと聞いていたが、複数の人種の血が入り交じっているのか、エキゾチックで子供とは思えない魅惑的な雰囲気を醸し出していた。
(確かに……貴族の坊やが夢中になるのも分かるか)
その男二人は、召喚をした学生の親である伯爵から依頼を受けていた。
その内容は、彼女を説得して伯爵の息子である少年のパートナーになることを承諾させることだ。
今回召喚されたのは珍しい【人族】の若者達。それも学生達と同年代で、見た目もそれなりに良い者ばかりが揃っている。
男子生徒も女子生徒も程度の差はあれど色めき立っていたが、召喚された少女達の幼さが残る愛らしい可愛らしさと違って、その伯爵の息子は彼女の美しさに夢中になり、自分で勝ち取ることをせずに親に頼ったのだ。
「私はある貴族家の使者でフリストと申します。実は、主があなたの美しさに感銘を受け、是非とも夕食をご一緒したいと申しておりまして、ご予定を伺いに参りました」
「まぁ、そうですか……」
メイド服の少女は、暗赤色の目を細めて薄く微笑む。
「ですが、私はお嬢様の身の回りのお世話をするメイドです。お断りを…」
「いやいや、ちょっと待ってください。まだ【パートナー】は正式に決まっていないはずですよね? 是非とも我が主人に機会を与えてはいただけませんか?」
「申し訳ございません」
あっさりと断りを入れるメイド姿の少女にフリストが慌てる。
聞いていたのは、この少女のパートナー候補になっているのは、侯爵家の令嬢ではあったが、身分の低かった前妻の娘で家では疎まれており、幼い頃の教育が半端に終わったせいで、魔術制御が苦手な劣等生だと言うことだ。
今回の説明で他の学生のほうが有用だと分かれば、必ずこちらの提案に靡くはずだと伯爵は言っていた。
この短い時間に、侯爵令嬢とこの少女との間に何の変化があったのか?
この少女は、どうしてそこまであの侯爵令嬢に拘るのか?
「……仕方ありませんね」
「ご理解いただけてようございました」
「ですがね……私も“子供の使い”をするつもりはないのですよ」
フリストは元々裕福ではない準男爵家の三男で、成人と共に何の支援もなく外の世界に出された。
それまで貧していても貴族だったフリストは、平民に頭を下げて仕事をすることが出来ず、転がるように裏社会へと落ちていった。
そこでもあまり大成出来なかったフリストに、貴族家の伝手から魔術学院の卒業生であることを利用して侵入する仕事が舞い込んだ。
この仕事を失敗する訳にはいかない。伯爵からは出来るだけ穏便にと言われてはいたが、裏社会に染まった彼は交渉がこじれた時のために、ある事を行っていた。
「あの侯爵家のご令嬢ですが……、どうやらあなたと生活するための生活用品を購入するのに、自ら街へ出たようですよ」
「お嬢様……」
それまで細められていた少女の目がわずかに見開く。
「侯爵令嬢ともあろう方が不用心ですねぇ……。貴族用の商店がある所は安全ですが、疎まれている娘は、平民用の商店街に赴くしかないので……」
悦に入ったフリストの言葉が途中で止まる。
目の前の少女は変わらずに笑顔を浮かべていたが、フリストは背中に薄ら寒いものを感じて我知らず一歩下がった。
「……やれ」
フリストはもう一人の仲間に指示を出す。
嫌な予感がした。それが何なのか分からないが、こうなってしまってはこの娘と侯爵令嬢の二人を拉致して、伯爵に引き渡したほうが良いかと短絡的に考える。
もう一人の男が少女に向けて素早く動いた。さすがは裏社会の人間と言うべきか、人間を拉致することを慣れているようだ。
だが、
「ぐ、がぁ」
その男の動きが止まり、苦悶の声が漏れた。
「どうしたっ」
フリストの声に仲間は答えず、麻痺したように硬直する男の影から少女が変わらぬ笑顔を半分だけ出して、暗い眼差しをフリストに向けた。
「くっ」
フリストが本能的な恐怖を感じて後ろに下がる。だが、何も無い廊下で、そこに無いはずの“壁”が彼の退路を妨げた。
「な、なんだっ」
背後にまるで闇を凝縮したような壁が立っていた。叩いてもびくとしないそれは彼の背後だけではなく、いつの間にか彼らの周囲を全て囲んでいた。
「どこへ行くの……?」
「ひっ」
フリストが叩いていた壁から聞こえた声へと振り返ると、そこには変わらず笑顔で立つ少女と、手足が不自然にひん曲がり、マリオネットの人形のようにカクカクと不思議な踊りを続ける、仲間であった男の姿があった。
「ひぁあ」
腰が抜けたようにフリストが床にへたり込む。
ゆっくりと近づいてくる少女がフリストの方にそっと手を添える。
そしてフリストは静かに開いた少女の艶やかな唇に目を奪われ、その闇のような暗い口内に、蠢く無数の“何か”を見て、気が狂ったように恐怖の叫びをあげた。
***
シャロンは制服のまま平民が使う商店街まで来ていた。
「お、おじ様、そこのコップと歯ブラシを……」
「ほいよ、お嬢ちゃん、毎度ありっ」
魔術学院の制服を着ているので裕福な家の子だと思われても、人見知りのせいかシャロンを貴族令嬢だと気付く者はいなかった。
普段のシャロンなら貴族の矜持から無駄に高飛車に出たかも知れないが、心が弾んでいる今のシャロンは、そんなことは気にならない。
あの異世界から召喚されたフルーレティと言う女の子が、仮とは言え自分の【パートナー】となってくれた。
こんな自分を“選んで”くれた。
気の弱い父親。自分を疎う継母。自分に反発している弟。自分を蔑む侍女や執事達。母が亡くなって以来、シャロンは家族と食事をした記憶もない。
だからこそ侯爵家令嬢としてシャロンは必要以上に貴族の矜持を持ち、そうなるように振る舞ってきた。
そのおかげか、第二王子の三番目の婚約者候補となったが、そのせいで同性から嫉妬され、友人と呼べる人は誰も居なかった。
そこにフルーレティが現れてくれた。
多少性格が読めないことはあったが、実家でもまともに侍女達から相手にされていないシャロンは、メイドと言うよりも彼女が自分の“お友達”になってくれるかも知れないと、心を躍らせていた。
「パートナーに必要な物を買うのは、貴族の勤めですわよねっ、うん」
ウキウキとした気分で買い物を続けていたシャロンは、フルーレティの衣服を買ってないことに気付いて、少なくなった財布の中身を確かめる。
寮生活になって家を出たことで気楽にはなったが、継母のせいで仕送りが最低限以下まで減らされていた。食事は寮の食堂もあるが、どちらかと言えばそれは平民用の食事で、貴族が食堂に赴く場合は平民の生徒と会話をするためで、下働きを連れてきているはずの貴族が単独で食事をする場所ではない。
後のことを考えれば、食費を残すべきだ。他には非常に不本意だが、異母兄弟である弟のヨアンに頭を下げて借りるしかない。
ヨアンは実家から潤沢な資金を貰い、専属の侍女まで連れてきている。
頭を下げればお金を貸してくれるかも知れないが、弟と侍女から嫌味とお小言を延々と聞かされるのは気が重かった。
「お嬢さんお嬢さん、新しい服装の店が出来たんだけど、寄ってかないかい」
「え、……わたくし?」
声を掛けてきたのは、二十代後半のやけに扇情的な服装の女性だった。
「そうそう、あんたさ。新しく店を作ったのは良いけど、奥まった店なんで客引きしているんだよ。助けると思ってちょっと寄ってってよ」
「そうですわね……」
見るだけなら良いかもしれないが、その女性が来ているような露出度の高い服は、恥ずかしくて着られない。
「あ~…大丈夫、まともな服も売ってるさ。それにね……」
彼女はそっとシャロンに耳元に顔を寄せると、やたらと甘ったるい息で囁いてきた。
「下品に見えずに男性をその気にさせる服もあるよ。あんたくらい綺麗な子なら好いた男の一人や二人居るんじゃない?」
「っ!」
その時、シャロンの脳裏にあの召喚の時にその場にいた男性の顔が浮かんで、一瞬で顔が熱くなった。
「そうじゃなくても、安くするからさ。見るだけでも、ね?」
「……見るだけなら」
男性に見せる服はともかく、フルーレティに似合うような安めの服もあるかも知れない。そう考えた迂闊なシャロンは女性に案内されて薄暗い路地へと足を踏み入れた。
「う……」
饐えた裏路地の匂いにシャロンは一瞬口元を手で覆う。
「あはは、悪いね、こんな道で。店は向こうさ。さっさと通り抜けよう」
「は、はい」
シャロンは女性に背中を押されるようにどんどん奥へと進む。
店どころか人さえも見かけない薄暗い路地。進むにつれて不安になるシャロン。
しばらく進み、通りの雑踏さえ聞こえなくなった頃、シャロンが通り過ぎた後にさらに横手の暗い路地から、五人の男達が現れてその後を追い始めた。
「あれが、例の貴族の娘か?」
「なかなかいい身体してんじゃねーか。……味見しても良いんだよな?」
「あれは他の貴族に売るんだよ。傷物にしたら値が下がるじゃねーかっ」
「ひんむくくらいならいいんじゃないか。なぁ?」
四番目の男が後ろの仲間に同意を求めるように振り返ると、そこには確かにいたはずの男が居なくなっていた。
「お、おい、どこ行った?」
「どうした?」
「誰か居なくなったのか? 誰だ?」
三番目の男が隣の仲間を振り返ると、そこに居たはずの男が消えていた。
「な、なんだ、どこいったんだっ!?」
「また消えたっ!」
「なんだよぉ……なんなんだよっ!」
知らないうちに仲間が消える……。まるで世界が変わったように暗くなっていく路地の途中で、男達は怯えるように身を寄せ合った。
「あ、あれを見ろ……」
一人が震える声で指さす方に男達が顔を向けると、一瞬で夜のように暗くなった路地の奥から、ギクシャクと操り人形のように歩いてくる四つの人影が見えた。
「……ふ、フリスト……?」
消えてしまった仲間達。その中の一人が自分達に仕事を依頼して、今はメインターゲットと交渉に行っていたはずのフリストだと気付いて、誰かが掠れた声を漏らした。
だが、それは本当にフリストなのか。本当に仲間達なのか。
全員が死人のような肌で、その濁った瞳からは生気が消えて、まるでゾンビのように見えた。
ゾンビは死体に大地の魔素が溜まり、低級霊が憑いて魔物化した物だ。
だが、こんな街中では憑依するような低級霊は駆除されているし、そもそもゾンビは喋るような知能はないはずなのに、フリスト達は苦悶の声を上げていた。
『……タスケテ……』
『クル…シイ…』
『……コロシテ……クレ…』
まるで地獄に落ちたかのような光景に怯える男達の前に、四体の人形の影から、闇を斬り裂くように、花のように美しい少女が現れた。
「……お、お前は…」
上等なメイド服を纏ったその少女は、貴族のようにスカートの裾を摘んで一礼し、口元だけに薄い笑みを浮かべると、フリストの背中に無造作に腕を突き刺し、内側からフリストの顎を動かして腹話術のように声を出した。
「初めまして、フルーレティでございます」
さっきまでの地獄すら生温い行為に、三人の男達は股を生温い液体で濡らしながら、絶望の表情で腰を抜かしてへたり込む。
「………あ、……悪魔……」
その呟きを耳にして、可憐な少女は唇の端を耳元まで上げるような笑顔を浮かべた。
次回、メイドさんの素性があきらかに。 過去回入ります。