38 密約
「アンディ様。この度は危ないところを助けていただき、誠にありがとうございます」
「いや、シャロンが無事ならそれでいい。……実際はあのフルーレティ嬢が途中で拾ってくれなければ、間に合っていたかどうか。礼ならは彼女を労って欲しい」
「はいっ、レティは大事なお友達ですもの」
年頃の少女らしい笑顔を浮かべるシャロンを、アンディは眩しげに見つめる。
幼なじみでありながら貴族のしがらみから救えなかった少女……。友人らしい者も居らず、いつも周りから責められ、笑顔さえ忘れてただ貴族の矜持を護ろうとしていた彼女が、今は明るい笑みを浮かべていることが奇跡のように思えた。
はにかみながらもシャロンから向けられる真っ直ぐな瞳に、アンディは遅まきながら自分の想いにも気付けたが、今の二人の立場は、第二王子の婚約者候補と、第二王子の近衛騎士に過ぎない。
「それにジョエル様が行けと言ってくださったからだ。ジョエル様にもお礼を言ってくれ……」
「……はい」
シャロンも自分の立場を思い出してわずかに笑顔が曇る。
ジョエルは内心二人のことを認めてはいるが、立場的にそれを口に出せず。二人も共に侯爵家の長子として、貴族の決まり事を、己を殺してでも守らなければいけない立場にあった。
「殿下からはあの後、何かあったか?」
「一度だけ……書簡が届きました」
魔物を殲滅させた第一王子――王太子ユーリは、シャロンとそのメイドであるフルーレティに興味を持った。
その気になれば、たとえ弟の婚約者候補と言えども、彼の一言であっさり覆されてしまうだろう。だがユーリはただ一通、『そのうち城に顔を出せ』とだけ寄越した。
そのうちとは言っても、王族の言葉なら『すぐに来い』と言っているのと同義だが、色々と理由を付けて先延ばしにしている。だがいつまでも先延ばしには出来ず、婚約者候補がジョエルからアンディになったとしても、貴族として断ることは難しいだろう。
想い合っていながらのすれ違い……。
すでに二人は、最初の“幼なじみの男女”から貴族の顔へと変わっていた。
「(…と言う訳で、お二人のお茶に興奮剤を混ぜて様子を見るのはどうでしょう?)」
『(お前は何を言っている…っ!?)』
さすがはメルシア家ですね。天井の高さが一般とは段違いなので誰も気付く気配がありません。
子竜のフェイ殿と一緒に応接間の天井にへばりついてお二人を優しく見守るメイドの鑑、フルーレティにございます。
『(……おかしな気配だとは思っていたが、やはり人間ではなかったのだな)』 「(お嬢様の為に天井に潜むのはメイドの嗜みでございます)」
『(お前みたいなメイドが居るかっ)』
これは異な事を。私はどこにでもいるラブリースパイダーでございますよ。
それはともかく、私とフェイ殿の示談は成立しました。お嬢様へのセクハラを認めなければ裁判にて慰謝料を請求すると申しましたところ、フェイ殿は和解金を支払って示談になさることを了承していただきました。
「(……小汚い石ですね)」
『(一応は“竜の胆石”だぞ。そこらへんの宝石の数倍は価値がある)』
口から出したので印象悪いですね。とりあえず受け取っておきましょう。
「(ところでお伺いしますが、なぜあのようなペットのような真似を?)」
竜というのはかなりプライドが高いと聞いておりましたが、彼が居た異世界は違ったのでしょうか?
『(……召喚されて即座に帰還出来ないと悟り、油断させる為に動物のような真似をしていたのだが、あの純情なアンディの奴を気に入ってしまってな)』
「(さようでございますか)」
『(あのようなフリをしていると、プリプリの若い娘が寄ってくるしな)』
「(さようでございますか)」
和解金が倍額になりました。
知性ある竜種は他種族とも子を為して亜種を生み出すと聞いたことがございますが、本当に節操のないゲスな生き物ですね。
このようにお嬢様のたわわを二人で真剣に見守りながらお話ししましたところ、多様なことが分かってまいりました。
フェイ殿は異世界の竜ですが、この世界の竜――元龍神と言うのでしょうか、あの遺跡に封印されていた“古き神”の声が聞こえるらしいのです。
聞こえると申しましても一方通行的な【神託】で会話は出来ないそうですが、声に従い調べてみたところ、やはりこの国で信仰されている【女神】が、古き神から力を奪った張本人らしいとの事でした。
女神となった巫女は奪った力がまだ使いこなせないのか、最初はこの国だけにしか影響――【スキル】を与えられなかったそうですが、数百年ごとに影響を与える国と地域を増やしていったそうです。
数百年ごとと言いますと……そう言えばアキル嬢がこのゲームは四作目と言っていた数と一致いたします。おそらく内容も酷似しているのでしょう。
女神は数百年ごとに地球でゲームをしていた者を、時空間を超えて召喚し、ヒロインに据えて自分が“ゲーム”を愉しんでいた。
女神が作った、この【箱庭世界】で……。
「(脳は大丈夫ですか?)」
『(調べた結果だっ! 我ながらアホな内容だとは思うが……)』
本当に仮にも“神”を自称する者がそんなアホだとは簡単に信じられませんが……。
フェイ殿の話ですと女神の結界の外にいる竜種に少しずつ連絡を取って攻勢に出ようとしているそうですが、亜種になると知性が吃驚仰天するほど下がるので、いまだに女神の結界を突破出来ないそうです。
……メイド長はどうやって入ってきたのでしょう。
『(お前に頼みたいのは結界の破壊だ。口惜しいが、お前のほうが現在の竜よりも力が有るように思える)』
「(かしこまりました。では有事の際にはお力添えを)」
こうしてフェイ殿との密談と密約が終わりました。密約……何故か心惹かれる良い言葉でございますね。
そんなこんなで、どうやらお嬢様のほうもお話しが終わったようでございます。
「……どこに行ったのかしら? レティっ?」
「はい、お嬢様」
呼ばれて飛び出て、お嬢様の斜め後ろに着地して声を掛けさせていただくと、お嬢様とついでのアンディ様が引き攣ったお顔でのけぞった。
「れ、レティ、また天井にいましたのっ?」
「お嬢様のメイドとして、いつでも事後の処理を出来るように控えておりました」
「何の話ですのっ!?」
スパァン、と真っ赤になったお嬢様にスリッパでどつかれました。さすがお嬢様は慎み深くていらっしゃいます。
***
「またお休みでございますか?」
「ええ、そうみたいですわ。なんでも魔の森で守護者だった聖獣が居なくなって、森の一部が枯れ始めているのですって」
「それは大変でございますね」
学院が修復され、授業が再開して数週間が経ちましたが、また休講だそうです。
消えたのは大きな鳥の聖獣らしいですが、迷惑な話ですね。
それはいいのですが、何故かまともに授業を受けた記憶があまりありません。そんなんで良いのかとも思いましたが、ちらほらと【パートナー契約】を済ませた生徒もいるようです。
全体の半数弱と言ったところですが、中学生組は女子よりも男子のほうが達成率が高いそうですね。
女子のほうはアキル嬢やチエリ嬢と言った“売れ筋”が引き籠もっているのも原因ですが、男子のほうはセイ君やハオ君が売れ残っているのは何故でしょうか。
「ですが、魔の森が枯れるのと学院のお休みと、何の関係があるのでしょう?」
「レティは聞いたことが無くて? エナ様が“緑の聖女”になられたでしょ。魔の森は外部の魔物が入ってこないように“結界”を兼ねているらしくて、彼女が森を癒すそうですけど、講師の一部と生徒達も有志を募って、エナ様をお護りするそうですわ」
「……それはアルグレイ国の兵士のお仕事では?」
「……そう言えばそうですわね」
シャロンお嬢様も私に言われるまで疑問も感じていなかったようでした。また微妙な干渉があったのでしょうか。そのうちバ○サンでも焚いておきましょう。
コンコン……。
「レティ、どなたかいらっしゃったようですわ」
「またですか。珍しいですね」
別にお嬢様がボッチ気質なので来客が少ないとかそういう意味ではなく、貴族であるお嬢様へのお誘いはまず書簡で予定を伺う事から始まりますので、前回のようにお迎えが来たような場合を除き、滅多にあることでは無いのです。
私がドアへ向かい、覗き窓から伺ってみますと、そこには数名の侍女を連れたどこかで見たような小柄な女生徒が居ました。
「どちら様でしょうか?」
「エナです。……えっと神白さんですよね? あなたとシャロン様にお話しがあってきたのですけど……」
そうそうエナ嬢でしたね。もちろん覚えていましたよ。
雇われ侍女のような人達も戦闘力が低そうでしたので扉を開けると、エナ嬢が前に出て大人びた笑みを浮かべた。
「シャロン様と神白さんに、魔の森に一緒に来て欲しいのですけど、シャロン様にお伝えして貰えるかな」
次回、魔の森へ。
誰が聖獣を殺すなんて酷いことを……




