37 子竜
「レティ、わたくしおかしくないかしら?」
「ええ、とてもお綺麗でいらっしゃいますよ。シャロンお嬢様」
本日はお休みでお嬢様はお出掛けの準備です。もちろんお嬢様はとても可愛らしく、日ごとに美しくなられておいでになります。
毎日負担にならない程度に魔物素材を食事に混ぜ込んでいますので、魔力の増強と細胞の再生能力が高まっていますから、お嬢様のお肌は赤ちゃんのようにすべすべでプリプリでございます。
魔物素材は老化防止ばかりではありません。この前親切な方に快く譲っていただいた火鳥卵の栄養価は、日々の生活で歪んでしまった部分も元に戻してくれますので、あえてどこの部分とは申しませんが、たっぷりとたわわに育った部分もツンと上を向いておられるのです。どこの部分とは申しませんが。
「……レティ。また変なことを考えていますわね」
「お嬢様の胸部は、ツンデレでいらっしゃいますね」
「まるで意味が分かりませんわっ!?」
それはともかく、本日お嬢様がお出掛けするのは、魔物に襲われた学院で危ないところを救っていただいた近衛騎士のアンディ様に、お礼に伺いたいと書状を送らせていただいたところ、騎士詰め所ではなくアンディ様のご実家であるメルシア侯爵家にご招待されまして、本日アンディ様が直々にお迎えに来やがりますそうです。
コンコン……
『シャロン様に騎士様がお訪ねになられています』
「承りました」
伝言に来た女子寮の下級生らしい女生徒に小分けにした焼き菓子をお駄賃として渡し、お嬢様とメイドの私が一階まで降りていくと、そこには多数の女生徒から見つめられて居心地悪そうになされておられるアンディ様がいらっしゃいました。
「やあ、シャロン。……その、似合っているね」
「あ、ありがとうございます……」
アンディ様の少し照れたような台詞にお嬢様がはにかみながら応える。
お嬢様の本日の装いは、春先と言うことで若葉色のドレスです。細身に製作したドレスはスタイルの良いお嬢様に大変お似合いなのですが、実を言えば例の火鳥の卵は大変栄養価が優れているのと同時に大変高カロリーでございました。
そのせいか、お嬢様の体重が同年代女子平均値よりも少々上回ってしまい、昨夜は遅くまでお嬢様の玉体を全身マッサージさせていただきました。
「レティ……また」
「いいえ、お嬢様。私は常にお嬢様のことだけを考えております。マッサージよりもドレスの寸法調整のほうが簡単だったなど考えてはおりません」
「先におっしゃいっ」
そうは言いましても、お嬢様が涙目になるほどモミモミしましたが、メイドである私はお嬢様の体型を完璧な状態に維持する義務がございます。
お嬢様が私を叩こうとするスリッパを、スカートの裾をつまみ上げた華麗なサイドステップで躱していますと、下級生の女子生徒が憧れの瞳で見つめ、アンディ様が直視出来ないかのように、たわわんと揺れる物体から目をそらした。
学院から王都にあるメルシア侯爵家の別邸まで馬車で三十分ほどでしょうか。
ニール君が轢く…おっと牽く馬車なら全てを蹴散らして数分で着くかと思いますが、アンディ様はメルシア家所有の余裕で六人は乗れる四頭立ての馬車で迎えに来てくださいました。
地球で言えばロールスさん程ではないけれど、ベンツさんの市街で脚に使う乗用車くらいの感覚でしょうかね。
「いらっしゃいませ、シャロン様。お帰りなさいませ、お坊ちゃま」
「私も二十四になる。ぼっちゃんはやめてくれないか?」
五十代の恰幅の良い侍女が出迎えると、おそらくは古くから仕えているのでしょう、その女性にアンディ様は優しい目で苦笑する。
「お久しぶりでございますね、シャロン様」
「わたくしを覚えていらっしゃるのですか……?」
「ええ、もちろん。カール様と一緒に遊んでいらしたお姿を昨日のことのように覚えておりますよ」
その侍女――メルディ様は10年前のお嬢様をご存じのようでした。私とお嬢様が初めて出会ったのもその頃ですね。
「メルディ様、こちらを持って参りました。お納め下さい」
「シャロン様の侍女ですね。私に“様”なんていりませんよ。……まあ、とても良い香りがしますね」
お詫びのお土産として持参したバームクーヘンです。下級生に渡した切れ端ではなくど真ん中の部分を10センチほどの厚切りにして持ってきております。
女子寮の中庭で巨大な鉄串に巻き付けながら焼き上げましたので、ダイエット中の女生徒からは恨みがましい目で見られ、試作品やおこぼれを狙ってくる下級生やお嬢様の相手で大変でした。
『キュイーッ』
その時、奇怪な叫び声を上げて開いた玄関から青緑色の物体が飛び出してきました。
思わずトゲ棍棒を投擲して撃墜しそうになりましたが、アンディ様の元へ向かったので静観すると、その中型犬ほどの空飛ぶ物体を受け止めたアンディ様は笑いながら物体の頭を撫でた。
「……ドラゴン?」
お嬢様の声にその子竜が顔を上げ、アンディ様がその子竜を良く見えるように抱え直す。
「シャロンは初めて会うのか? この子は私の【パートナー】である異世界のドラゴン――フェイだよ」
『キュイ』
なるほど。アンディ様も魔術学院出身の貴族です。そうなると異世界から召喚した知性ある種族――【パートナー】が居てもおかしくありませんね。
人型は珍しいと聞いていましたが、ドラゴンですか……。
「わぁ、可愛いっ」
『キュイッ』
可愛いモノがお好きなお嬢様が黄色い声を上げると、子竜が嬉しそうに小さな羽根でお嬢様に飛びつき、本当に埋まりそうな胸元に顔を埋める。
……大変微笑ましい光景なのですが、奇妙な胸騒ぎを感じます。
「ははは。いつまでもこんな場所でなくて中に入ろう」
「はいっ」
館の中に入ると応接間に通され、メルディ様が――敬称はいらないと言われましたが先達者には敬意を表します。そのメルディ様がお茶の用意に下がられましたので、私もバームクーヘンを切り分ける為にご一緒させていただきました。
メイドとして持参したお菓子を家人の前で毒味して見せなければいけませんからね。
今回はアンディ様へのお土産なので甘みはごく普通のものにいたしましたが、それではカロリー大好きお嬢様には物足りないでしょうから、ハチミツ入り生クリームも用意させていただきました。
私が切り分けて手際よくお皿に盛ると、侯爵家の若いメイド達――まぁ、私よりも年上なのですが、それを見ながらアンディ様の分を盛り付ける。ちゃんと彼女達の分も小分けしたものを持ってきていますよ。
後はお任せしても良いでしょう。これ以上手を出すのは彼女達の領分を侵してしまうことになります。
『キュイ』
私が先に応接室へ戻ろうとしたところ、誰も居ない廊下にあのカビ色の子竜――フェイが浮かんでいました。
『……待て、異界のモノよ。我が名は“翡翠”。お前に伝えたい事がある』
「…………」
フェイはやけに渋い男性の声でそう言うと、私をジッと見つめた。
なるほど……違和感の正体はこれですか。確かに異世界から召喚する“知性”ある生物が、ただのペットな訳はありませんね。
お名前は知っているとある国の言葉に似ていますが、似たような文化がある世界があるのでしょうか。
それはともかく。
「先に済ませておきたいことがございます」
『……何だ?』
「ナイスショット」
渋い声で話すフェイに私は優雅に近寄ると、一瞬で取り出したトゲ棍棒でフェイを真下からぶっ飛ばした。
『……ぐえぇ』
何かお話しがあるようですが、お嬢様へのセクハラは許しません。
メイドさんはお嬢様へのセクハラを許しません。
次回、異界の竜のお話し。




