36 聖女
新たなヒロイン登場。三人称多めです。
ダンジョンからの魔物大発生。それによる魔術学院破壊……その復旧から数ヶ月が過ぎていた。
寒暖のゆるいこの地方でも冬となり新年を迎えている。
この世界の新学期は地球で言う夏の終わりである。終業式は夏の始まりで、卒業式は春の終わり。そうなると学生達の関心は、春の中頃に行われる“卒業パーティ”に向けられていた。
だがそれは、あくまで学院内のことで、世間様では新年を祝う為、王族と新たに紹介される“聖女様”を見に王城の周りに集まっていた。
王城にある控えの間で、依波はゆったりとした仕草でティーカップに注がれた緑茶のようなものを口に含む。
軽く結い上げた艶やかな黒髪と長い睫毛、白い肌に小柄な身体と、お人形さんのように可愛らしい容姿をしているが、その仕草と愁いを帯びた色素の薄い瞳が、彼女を年齢よりも大人びて見せていた。
依波は華道の家元である祖母の家で育った。依波という名は多少ハイカラな感じもするが、それは厳しく育てられた祖母の実娘である母の精一杯の反抗だったらしく、そのせいか依波は物心つく頃には祖母に引き取られ、母以上に厳しく育てられた。
賢い依波は、祖母が厳しく躾けるのも、さほど大家ではない家元であることの劣等感だと理解している。
だが頭で理解しても許せるかどうかは別の話で、そのストレス解消の為、祖母が決めた友人である秋留と知恵里の家で初めて“乙女ゲーム”に触れ、嵌まっていった。
「……ダメな子達ね」
依波がこの世界に来たことは望むべき出来事だった。この世界の攻略対象に興味が無いと言えば嘘になるが、それ以上に祖母を見捨ててこの世界で自由に恋愛出来るかも知れないことを喜んだ。
ゲームを知っている友人二人は、焦っていたのか瞬く間に自滅して学院内での立場も微妙なものになっている。
依波は二人と争うつもりもなく、彼女達がそんな自分にも黙ってゲーム攻略を進めていたようだったが、依波はやりこんでいた二人がどうして自滅したのか考えていた。
この世界は、あの乙女ゲームと酷似しているが、実際のゲームとは違う“現実”の世界であり、攻略対象も生きている人間なのだ。
それを考慮しなければ攻略など出来る訳がない。だがそれだけで要領だけはいい二人が簡単に失敗するだろうか?
誰かゲーム攻略の邪魔をする人間がいる。
比較的仲の良い銀子や吹亜はゲームをやらないし、隠している様子もない。あの苛めをしていた三人も、流行やアイドルを追いかけることしかせず、ゲームの話題など一度も聞いたことが無かった。
では、誰が? 消去法でいけばあの苛められていた神白という子だろうか。何を考えていたのか興味も無かったが、あの状況ではクラスの女子全員を恨んでいてもおかしくない。
そしてもう一人……。
「エナ様、“光の聖女”様がお越しになりました」
「あら。お通しくださいな」
部屋付き侍女の言葉に許可を出すと、静かに扉が開き、ふわふわとした金の髪を揺らしながら、優しげに微笑む可愛らしい少女が入ってくる。
「ごめんなさいね、エナさん。少しだけお話がしたくて……」
「ええ、かまいませんわ、クラリスさん」
魔物大発生を終結させた“光の聖女”。
この乙女ゲームのメインヒロインである、クラリス・ド・リニエロ子爵令嬢だった。
「どうぞ、お掛けになってください」
「ありがとうございます」
大本命であるヒロインの登場に、依波も穏やかな笑みを浮かべて席を勧める。
侍女が二人分の緑茶を煎れ、この国では珍しい緑茶にたあいのない談笑をしてから、クラリスは変わらぬ笑顔でヌルリと尋ねた。
「あなたはどこを向いていますか?」
「……不思議なことを仰いますわね」
二人の間に奇妙な緊張感が生まれ、二人とも変わらぬ笑顔のまま、しばし無言で見つめ合う。この世界の住人であるクラリスがゲームのことを知っているとは思えないが、彼女は何か知っているのだろうか。
「意味が分からないあなたではないでしょう?」
「それを私に尋ねるのはフェアでないのではなくて……?」
依波がそう返すと、尋ねたクラリスは『ふふ』と小さく笑う。
「そうですわね。わたくしは殿下のお側で、この国を光で照らしたいわ」
「それは素敵ですね。私はこちら側の二人の世話で精一杯ですわ」
「ふふふ」
「ふふ」
それだけの会話で、二人の間から凍るような緊張感が消え去った。
これは協定だ。狙いが違う。協力もしないがお互いに邪魔もしない。
ガシャン。
「……ぁ」
あまりの緊張感から貧血を起こしたらしい侍女が、ふらついて生花が生けられた花瓶を倒してしまった。
「も、申し訳ありません、…痛っ」
「慌ててはいけませんわ。叱ったりしませんから」
慌てて割れた花瓶を拾おうとして指を切った侍女に、クラリスが“癒し”の神術をかけて瞬く間に治してしまう。
「あ、ありがとうございますっ」
女神に愛された光の聖女。その神々しさに見惚れながらも、侍女は割ってしまった花瓶と、思わず踏んで散らしてしまった花に表情を曇らせる。
そこに。
「形あるものはいずれ壊れます。ですが……」
依波が散ってしまった花を集め、それを“生け花”のように生けながら、その手から緑の光を放ち、花を元の状態にまで戻して見せた。
「……緑の手…」
植物を成長させ復元するレアスキル。生けられた花の美しさとその光景に侍女が呆然と呟くと、依波がふんわりと微笑んだ。
その時、部屋の外から執事らしき男性の声が掛かる。
「お待たせしました。光の聖女様、緑の聖女様、陛下達がお待ちです」
***
寒暖厳しくない今日この頃、皆様、どうお過ごしでしょうか。
日々のたわわ成長のミリ単位の違いが分かる女、フルーレティにございます。
『卑しき者よ、女神の眷属たる我が領域に入るとは、何事ぞっ!!』
本日私は、朝も早くから食材を探しに魔の森へと赴いた訳ですが、唐突に因縁をふっかけられました。
確か“火鳥”というとても大きな鳥の魔物でございますね。一部地方では聖獣とか呼ばれていたと記憶しております。
それにしても女神の眷属ですか……。ただ通りかかっただけですのに、とても柄が悪く思えますね。
今まで、シャロンお嬢様の身に降りかかったご不幸と、ギンコ嬢フア嬢の考察を考慮して考えますと、あの元同級生達が言っていた“乙女ゲーム”とやらの寝言が信憑性を増してきます。
その根本を支えているのが、この世界の秩序である【女神】のようです。
おそらくはこの世界の【管理者】の一人であるはず。
以前、メイド長から聞いた話に寄りますと、世界の管理者とは大抵の場合、大精霊などが行っているらしいのですが、ごく稀に大精霊を超える力を持った存在が現れると、大精霊から役目を奪い、【神】と呼ばれ始めるとか……。めんどくさい存在ですね。
『我を無視するか、卑しき者よっ! その罪を命で贖うといいっ!!』
まだ居たのですね。とりあえず火鳥は食べる部分が少ないので興味はございませんでしたが、“女神の眷属”を自称なさるのなら仕方ありません。
全身から放つ魔力を炎に変えて真っ直ぐに突っ込んでくる火鳥に、私は途中で拾った超堅クルミを手から落とし、落ちきる前にトゲ棍棒でかっ飛ばした。
『ぐぎゃっ!?』
クルミに頭を撃ち抜かれて火鳥が落ちてくる。
「ファー」
少々警告が遅うございました。どなた様も玉を撃つ時は注意してくださいね。
『……ぐ…くっ……』
「おや? まだ生きておられましたか」
地方では灰の中から復活するとか伝承が残っているそうですが、頭を撃ち抜かれて息があるのでしたら、誇張とは言い切れませんね。
『……強き者よ……頼みがある……。我が巣にある卵を其方に託す……』
「かしこまりました」
突然、“卑しき者”から“強き者”にランクアップは正直どうかと思いますが、死に間際の願いを無碍にするほど外道ではございません。
『……頼んだぞ』
火鳥はそれだけ言い残して灰になりましたので、私は近くの大木の上にあったダチョウ級の卵を拾うと、それを持って颯爽と帰宅いたしました。
「シャロンお嬢様、おはようございます。朝でございますよ」
「……ぉはよぉ、れてぃ……」
むにゃむにゃと目を擦りながら必死に起きようとするお嬢様は、大変お可愛らしいのです。
「ささ、朝食も出来ておりますよ」
「……ごはん、なぁに?」
「本日は、新鮮な火鳥玉子のオムレツでございます」
そう言えば、火鳥は死ぬと自分の卵に精神が乗り移るそうですよ。
メイドさんはお嬢様最優先です。
次回、緑の手




