35 閑話 ■■■メイド長襲来■■■
ピシィ……ッ!!
「「…………」」
いつもと変わらぬ平和な日々。朝の慌ただしい仕事を終えて一息付く穏やかな時間。
そんなある日、アルグレイ王国王都の【教会】にて、この世界の平和がいつまでも続くように掲げられた巨大な石造りの聖印に、突然ヒビが入った。
「……不吉な」
教会所属の聖騎士エリアスは、一緒に目撃した教会孤児院の幼子と共に渋い顔でヒビ割れた聖印を見つめてそう呟いた。
「お兄ちゃん……」
「大丈夫だよ」
不安そうに脚に縋る幼子を抱き上げ、エリアスは近くに居た神官に聖印の修繕を頼むと、なんとなく今日は一日外には出ないと心に決めた。
*
ドォオンッ! ゴロゴロゴロ……
「な、なんだっ……雷か?」
王都郊外で果実園を営んでいた男は、突然の雷に慌てて納屋から外に出る。
もうすぐ水分が多いナッシーという果実の収穫時期で、スコールでも来て実が落ちれば大損害となる。……と思ったが、空は雲もほとんど無い晴天で、遠くにも雷雲のようなものは見えなかった。
「……なんだったんだ、いったい」
「もし、そこの方」
「ひゃぁああああああっ!?」
自分以外には滅多に人の来ない果実園で突然後ろから声を掛けられた男は、乙女のような悲鳴をあげながら転がるように振り返った。
「あ、あんた……」
「申し訳ございません。お尋ねしたいことがございます」
その声の人物を見て、いい歳まで独り身であった男の熊のような髭面が赤くなる。
年の頃は二十歳ほどだろうか。解れどころか埃一つすら無い漆黒のロングドレスに、上等な絹のような純白のエプロンドレスを身に纏い、陽に焼けたことのないようなきめ細やかな白い肌に、美しい金髪を豪奢な縦ロールに巻くその姿は、どこぞかの貴族か、王族の専属侍女のようにさえ見えた。
そして最も驚くべきはその美貌だろう。完璧なシンメトリーに人間の歪みを排除した冷たい美貌は、神が創った人形のように思えた。
「な、なんだい?」
いっさいの表情を見せない女性に異様な威圧感のようなものを感じながら男が聞いてみると、女性は悠然と頷く。
「ここらで、十代半ばの黒髪のメイドを見かけませんでしたか?」
「……メイドなんて、こんな場所にはいねぇっすよ。王都の街中にある貴族様のお屋敷ならいるんじゃねぇですか」
「さようでございますか」
女性は王都の方角を聞くと、男の丁寧にお礼を言ってその方角へと歩いて行った。
その遠くなる後ろ姿を呆然と見つめていた男は、女性の美貌に霞が掛かったような頭を振り、小さく溜息を付きながらボソリと呟いた。
「しかし、どえらい美人だったなぁ……。あれで、“絶壁”じゃなければ……」
ピカッ、ゴロゴロゴロ……
その年、王都郊外のある果実園から、果実が出荷されることはなかったと言う。
***
びくっ!
「どうしたの? レティ」
「申し訳ございません、シャロンお嬢様。何やら寒気が……」
魔術学院女子寮の部屋でお嬢様にお茶とおやつを出してした私は、唐突に悪寒を感じて身を震わせてしまいました。
「まあ、それはいけませんわ、レティ。風邪でも引いたのではなくて?」
「ご心配をおかけして申し訳ありません。ささ、チョコドーナツのお代わりはいかがですか?」
「いただきますわっ」
三個目のドーナツを頬張るお嬢様を微笑ましく見つめながら、私はそっと窓の外に目を向ける。
「……不吉な」
***
「もし、そこの店主様。ここらで十代半ばの黒髪で、多少変わったメイドをご存じありませんか?」
「………いらっしゃい」
王都所有の第三ダンジョン――通称“塩ダンジョン”近くで商店を営む店主は、来店した、異様なほど美人な金髪メイドに、思わず既視感を感じて渋い顔になる。
(どうしてうちの店には、奇妙な侍女さんしかこねぇんだっ!?)
先月発生した魔物大発生では随分な損害を出したが、店が無事だったこともあり今は持ち直している。
それというのもその奇妙な侍女が店を襲った魔物を倒して、荒れた商品の一部も買い取ってくれたからなのだが、店主はあまりに安く買い叩かれたのを少々根に持っていたので、目の前に居る女性がその侍女の知り合いなら、少しだけ意地悪をしてやろうかと考えた。
「まぁ知らねえことはないんだが、……ほら他人様に物を尋ねる時は、分かるだろ? 侍女さん」
「なるほど、もっともでございますね」
「……へ?」
多少下卑た笑みを浮かべていた店主は、あっさり了承してそっと白魚のような繊手で頬を触れられると、ドキドキしながらも思わず狼狽した声を漏らした。
「店主様は少々頭皮が寂しゅうございますので、【主様】直伝の“秘伝”を施したく思います」
「え、ちょ、」
その日、とある商店から町内に響き渡るような悲鳴が聞こえ、その日、その店が再開することはなかった。
***
ぶちっ!
「…………」
お砂糖が足りなくなってきましたので、例の商人様のお店で買い叩こうと向かっていたところ、革ブーツの紐が一斉にぶち切れましたでございます。
『ピィ』
指先を唇に当てて小さく口笛を鳴らすと、あちこちの路地から鼻水垂らしたガキんちょ達が音も無く寄ってくる。
「「「おねーちゃん、こんにちわー」」」
「はい、良いお日柄でございますね。何か変わったことはありませんでしたか?」
「あのお店は今日は開いてない」
「すごい美人の客が来て突然店を閉めた」
「店主の髪が、アフロになった」
「良く分かりました。ご褒美です」
「「「わーい、おねーちゃんありがとー」」」
氷砂糖を貰って無垢な笑顔で手を振る子供達に手を振り返し、私は本日の買い物を諦めてお嬢様の元に戻ることにいたしました。
「……不吉な」
***
「ふふふ……。今度こそあいつを、……あいつだけでもっ!」
ミシェル侯爵家、シャロンの弟ヨアン付き侍女で、姉弟が仲直りしたことで立場を失い、シャロン襲撃の実行犯ながらギリギリの恩赦で新人メイドからやり直しているはずのミーアは、監視の目をかいくぐり、かつての伝手を持って荒くれ者を集めて、再び、二人を襲おうとしていた。
どちらかというとシャロンはもうどうでも良かった。ただ、現状ミーアに降りかかる損害の全てが、あのメイドのせいだと考え、一泡吹かせようと考えたのだ。
「おいおい、手伝うのはいいけど、手間賃は払えよ」
「大丈夫よ、ダリオ。あいつ、確か結構持っているはずだから、収納袋ごとあんたらにあげるわよ」
二十代前半のミーアだが、十代の頃はかなりやんちゃをしてきた。その時からの仲間だった、侯爵家をクビになった元執事のダリオを含めた数人のチンピラが、今回のメンバーだ。
「あの黒髪のメイドも俺にくれよ」
「ふふ、いいわよ。今度こそ、あのフルーレティの奴をぎゃふんと、」
「もし、今、フルーレティと仰いましたか?」
「……え」
突然掛けられた声にミーアが振り返ると、ダリオを含めた男達全員が手足の関節をすべて外されて、奇妙なオブジェのような状態で裏路地の壁に飾られていた。
「え、あ? はぁっ!?」
「失礼いたしました。少々見苦しかったので、可愛くして壁に飾っておきました」
見たこともない豪奢な金髪美人メイドのとんでもない台詞に、ミーアは何が起きているのか理解できず、終わることなくその女性とダリオ達を何度も見直していた。
「それと、あなたの服装ですが、どこぞかのメイドとお見受けしたします。同じメイドとして教育が足りないように思われますので、わたくしが特別に指導させていただきますわ」
「え、え? ええええええええええええええええええっ!?」
そしてその日、裏路地から若い女性の悲鳴が聞こえ、一人のメイドがいなくなった。
***
「初めまして。フルーレティのお仕えするお嬢様。わたくし、彼女の前の職場でメイド長をしておりました者でございます」
「まあっ、それは遠いところを来てくださったのですね。レティ。メイド長さんがあなたを心配して尋ねていらしたみたいですわっ」
「………お久しぶりでございます」
なんと、メイド長が来やがりましたでございます。
それとお嬢様。私を異世界から召喚したお嬢様が、前の職場から尋ねてきたメイド長に違和感を持たないのは、天然にも程がございますよ。
メイド長もお嬢様とは穏やかに会話しておりますが、完璧に制御された“威圧”が私にだけ放たれております。……このバケも、
「フルーレティ」
「申し訳ございません」
普通に心を読まないでくださいませ。
硬直する私にメイド長はゆっくりと近寄ってくると、突然私の頭をぐりぐりと撫で回して、お嬢様に頭を下げた。
「フルーレティも良い方にお仕え出来てようございました。シャロン様。不肖の弟子をよろしくお願いします」
「ええ、レティはよくしてくれますのよっ!」
そんなことを言って、突然来た割りには、あっさりとメイド長は帰っていきました。まさか、本当に私の顔を見に来ただけだと言うのでしょうか……。
「良い方でしたわね。……ところでレティ」
「どういたしましょうね……」
部屋の中には、足の踏み場もないほどナッシーという果物や、お塩やお砂糖、小麦粉などの品と、乾燥ワカメやタコスルメなどが山のように積み上がっていた。
すべてメイド長のお土産だそうです。
………相変わらず、メイド長は恐ろしい方ですね。
メイド長は普通に来て普通に帰ります。
次回より第三章に入ります。




