13 帰郷
秋留はその地に古くからある酒蔵の娘として生まれた。
その地域では地酒として、他県への土産物として有名であり、秋留は何不自由なく生きてきた自覚もある。
その生活が変わったのは中学に上がる頃だった。
それまで都心で私立の小学校に通い、裕福な家庭の友人達とお稽古事に勤しみながらものんびり過ごし、このまま系列の大学まで進むかと思っていたが、会長であり、現役の杜氏である祖父の教育方針により、秋留は酒蔵のある街に移ることになったのだ。
近所にはこじゃれた店もない。車に30分も乗れば都心に出られる程度の距離とは言え、学校帰りに友人と買い物をすることすら出来ない。
しかも一学年一クラスにも満たない人数しか居ない公立中学は、これまで挨拶と言えば『ごきげんよう』のみであった秋留にとって、かなりの衝撃だった。
それでも悪いことばかりでは無い。
わずか17人しかいないクラスだったが、彼らはまるで意図的に集められたかのように顔立ちが整った者が多かった。
その中でも聖衣と羽王と言う二人の男子生徒は、モデルやアイドルでも通用しそうな美少年達で、秋留も思わず心をときめかせた。
恋じゃない。アイドルに憧れるファンのような気持ちだったが、それでも秋留にとっては“潤い”に他ならない。
秋留は上流社会で身に付けたスキルを使い、見事に猫を被ってクラスに溶け込んだ。
聖衣は所謂優等生タイプで、私立の学校に通っていた秋留には見慣れたタイプだったが、やんちゃ系でスポーツ少年である羽王は、秋留の周りには居なかったタイプで、彼の歓心を買おうと、秋留は完璧なお嬢様として振る舞った。
こんな地域の中学生が、自分のような女の子を好きにならないはずがない。
だが、そんな秋留の計画は、たった一人の存在によって狂わされた。
背が高いことを気にして、下を向いているハーフの女の子。
眼の色が違うことを気にして、目元を隠している女の子。
他人と違うことを気にして、クラスと打ち解けない女の子。
クラスのアイドルだった男子二人が、その女の子のことを気に掛けはじめたのだ。
それは単純に、好意ではなく厚意だったのかも知れない。けれど秋留はそれが気に入らなかった。
自分を蔑ろにする人を許せなかった。
だから、同じようにその女の子のことを気に喰わず、表だって苛める三人を裏から煽った。自分の手を汚さす彼女達の思考を誘導してみせた。
それに大した意味はない。
ただ単に、この地に来てから今までの、ストレスを晴らす為のサンドバッグが欲しかったのかも知れない。
そんなことが一年以上も続いたある日、秋留はクラスメイトと一緒に、異世界に召喚された。
男子の一部は『勇者召喚』だとか夢を見すぎているような事を言っていたが、秋留は状況を見てすぐに把握した。
オンライン乙女ゲーム【光と闇と恋のオンライン2――恋のミルフィーユ】
国の名前、人の名前、状況がそれに酷似していた。
秋留が公立中学に通うことを不憫に思った父親は、彼女が望むモノを全て与え、その中にこのゲームがあった。
父親はそんな物を買った覚えがないと言っていたが、そんなことはどうでもいい。
ゲームでもメインヒロイン以外のヒロイン候補は、地球から召喚された中学生達だった。秋留は【光と闇と恋のオンライン2――恋のミルフィーユ】の世界に本当に召喚されたのだと興奮した。
それはこのゲームに登場する、ある攻略対象者に逢えるかも知れないからだ。
ヨアン・ド・ミシェル。14歳。侯爵家令息。魔術学院4年生。
悪役令嬢シャロンの異母弟で、年下枠の可愛らしい少年だ。
彼は、父親である侯爵が“真実の愛”を育んでいた伯爵令嬢との子で、本妻とシャロンから危害が加えられることを恐れた侯爵により隠されてきた少年だ。
母親から姉であるシャロンの、貴族にあるまじき行いを聞かされて育ったヨアンは、そんなことをするシャロンがジョエル殿下の婚約者候補となったことで悩んでいた。
その悩みを聞き、姉の悪事を止めたいと願うヨアンの為に、彼の母親からシャロンの悪事の証拠を貰い、彼女を断罪することでフラグが成立する。
ヨアンが秋留の一番のお気に入りで、オンラインでは何度も他のプレイヤーを蹴散らして攻略した。
思えば秋留が羽王に興味を持ったのも、二人きりになった時に見せるヨアンのやんちゃな笑顔や天真爛漫さを、現実に求めていたのかも知れない。
きっと他にもこのゲームの事を知っているクラスメイトもいるはず。メインヒロインである子爵令嬢も敵になる可能性がある。
だからこそ秋留は、自分から情報をバラすような馬鹿な真似はせず、周到なまでに画策してヨアンとの距離を縮め、彼の実家である侯爵家まで招待されるまでになった。
それなのに……。
「……ここまで来て、またあの子が邪魔をしますか」
***
なにやら遠くから薄ら寒い悪意の気配を感じる、心地よい陽気になりましたね。
今日もシャロンお嬢様のたわわを見守るフルーレティにございます。
「お嬢様、女子寮の郵便受けに書簡が何通か届いております」
「……えっ」
クイニーアマンと激甘ミルクティをご堪能していたシャロンお嬢様が、お目々をパチクリさせて私を見る。
本来でしたら貴族間の重要な手紙は手から手へ直接渡されますが、さすがに学院内では寮の郵便受けに届けられます。
さすがにボッチ慣れしているボッチクイーンのお嬢様です。手紙などご実家からも届かないので郵便受けは新品のようにキレイでした。
「レティ……また変なことを考えてますわね」
「最近のお嬢様は、二の腕がプニプニしてきましたね」
「れ、レティが、甘い物ばかり作るからですわっ」
そう思うのでしたら、食べるのをおやめください。クイニーアマンをちまちまハムスターのように食べているお嬢様は大変可愛らしいのです。
「元々お痩せになられていたので、まだ大丈夫ですよ。ご安心ください」
「そ、そうですよねっ」
私がニッコリ微笑むとお嬢様はあからさまに安心したお顔になって、それはもうスープなんじゃね? ってくらい砂糖の入れすぎでとろみの付いたミルクティを飲む。
私は太りそうなのでそんな物は飲みませんが。
「それで、レティ。どちらから?」
「まず右腕のプニプニ度から説明しますと…」
「二の腕の話ではありませんわっ」
ご入浴時に堪能させていただきます。
それはさておき、どうしてボッチのお嬢様に手紙が届いているのかと申しますと、昨日、お嬢様が本来の美しさを披露なされたので、勘違いした下郎共がお誘いの手紙などを寄越しやがるようになったのです。
「そうですね……重要度の高い物ですと、ジョエル様から会食のお誘いですね」
「ジョエル様が……」
私が差出人の名前を確認してそう言うと、お嬢様が驚いたように目を丸くする。
先日何か言いかけていたのは気の迷いではなかったようですね。
今まで婚約者候補のシャロンお嬢様と碌な交友もしてこなかったのに、あのゲス野郎様はちょっとお嬢様がお綺麗になっただけでこれですから。
「それでも無視する訳にはいきませんので、後日ご予定を調整しておきます」
「それでいいですわ。他に重要そうなのはありまして?」
そこらの有象無象は名前だけ後で確認して貰いましょう。……おや、これは?
「子爵家のご令嬢より、お茶会のお誘いがありますね。……お知り合いですか?」
私がクラスのグループ分けで一緒になったクラリス嬢ですね。一応、私も一緒に参加出来るようになってるみたいです。
「……あまりお話ししたことはありませんわ。酷いことを言われた記憶もありませんけど、どうしてお誘いが来たのかしら?」
「とりあえず、私が随伴することを条件に、ご出席で宜しいですか?」
「うん……ありがと」
私が一緒で安心したのか、お嬢様のお手々がモジモジしていました。
「さて、他には……」
私はある一通の手紙を見つけると、大きく振りかぶって綺麗な正回転を掛けながら、全力でその手紙をお部屋の隅にあるゴミ箱に投げ込んだ。
「さて、他にめぼしい物はありませんね」
「いやいやいや、レティ、お待ちなさいっ! 先ほどのは実家の封筒ですわよね!?」
ちっ、気付かれましたか。
本当に嫌ですが、私はお嬢様のご実家である、ミシェル侯爵家の家紋が入った封筒の端っこを指で摘み、お嬢様にお渡しする。
そんな私にお嬢様は苦笑するように小さく笑われた。
「気持ちはわたくしも一緒ですが、抑えなさい、レティ」
「申し訳ございません」
いけませんね。お嬢様のメイドとして失格でございます。私が素直に頭を下げると、お嬢様は頭を下げる私の髪を軽く撫でてから封筒を開けた。
「……………」
一目したお嬢様の顔色が目に見えて悪くなる。だから嫌だったのですよ……。
お嬢様を長年蔑ろにしてきたクズ共からの手紙です。
お嬢様が10歳からこの魔術学院にご入学なされてもう四年少々経ちますが、その間にご実家に顔を出されたのは二度しかないそうです。
それも仕方ありません。この学園もあまり良い環境とは言えませんが、あの生ゴミの巣よりかマシですからね。
今まで手紙どころか碌な援助すらなかったのに、今更何の用でしょう?
「いかがされましたか?」
本来メイド如きが尋ねることではないのですが、この件は別です。
「……ヨアンから私が不祥事を起こしたと聞いて、至急戻ってきて釈明をしろと言ってきましたわ」
「また、あの弟君ですか」
不祥事というのは、私がお嬢様のパートナーとなったことでしょうか? 本当に○○が小さい人達です。
「まぁ、丁度良くジョエル様からお誘いも来ていますし、お断りしておきましょう」
「……いいえ、レティ。いつまでも避けていられませんわ。それに下手に無視を続けると、妙な噂を流されるかも知れませんから」
もしかして、以前にも変な噂を流されたことがあるんですね。
「仕方ありませんね。とても面倒ですが」
私が素直な気持ちを口にすると、お嬢様がプッと吹き出した。
「でも、良い機会かも知れませんわよ。今の私には、……レティ、あなたが居てくれますから」
「お嬢様……」
お嬢様のはにかんだ笑顔が素敵すぎます……っ。
感極まった私は、改めてお嬢様の前で跪き誓いを述べる。
「このフルーレティ、必ずやお嬢様に害する者全てを、私のダイナマイトパンチで血の海に沈めて見せますわっ」
「そこまでは頼んでいませんわっ!?」
*
翌朝、学院にお休みの届けを出した私達は、女子寮監督官さまの個人的な馬車を貸していただき、お嬢様のご実家に向かうことになりました。
「あの厳しい寮監が、良くご自分の馬車を貸してくれましたわね……」
「ええ、お嬢様。それはもう快く貸していただけました」
四十代独身で寮の女生徒にきつく当たる寮監様ですが、きっと心根は優しい方なのですよ。
何しろ、最初は学院を休むお嬢様にブツブツ嫌味を言っていられましたが、私が優しい目を向けると、真っ青な顔で全ての手続きを即座に済ませてくれたのです。
ふふふ、大丈夫ですよ。あなたが街で若い男の子を買っていたなんて、誰にもお話ししていませんから。
「それでは御者は私が勤めさせていただきます」
「あなた、馬の扱いが出来ますの?」
馬車に乗る時も馬がどういう訳か私に怯えていたのですが、私が説得するとすぐに全てを諦めて従ってくれました。
お嬢様のご実家であるミシェル侯爵家の領地には、馬車で一日半ほどかかりますが、朝早く出たことと、馬が必要以上に頑張ってくれたので、その日の夕方にはご実家まで辿り着くことが出来ました。
途中で馬に与えた魔物血のドリンクが良かったのかも知れません。
「レティ……ここですわ」
「こちらが……」
ミシェル侯爵家のお屋敷は、お屋敷と言うよりも“小さなお城”と言った感じでした。
夕暮れに茜色に染まるお城は、血塗れのように見えて心躍ります。
正門の前で馬車を止めると、自分達で呼んだにも拘わらず、お出迎えどころか門番さえも出てきませんでした。
「シャロンです。帰りました。門を開けなさいっ」
お嬢様が凛とした声でそう言うと、門の柵の向こうでカードゲームをしていたらしい門番達が驚いて顔を上げ……そのままゲームの続きを始めた。
「あなたたち、開けなさいっ! 私は、」
「お嬢様、ここは私にお任せ下さい」
このまま帰っても良いのですが、それではお嬢様の決意を無駄にしかねませんので、私が対応いたします。
「お嬢様。まず到着したら、やることは“ノック”ですよ」
「………え?」
私がスラリと取りだした【オークキラーEX】にお嬢様が目を見張る。
こちらは私が手に入れたオークキラーの先端球部分に、劣化ウラン並みの重い鉱石を入れてコーティングした物でございます。
その鉱石は呪いの品で、持ち主を死に追いやるアイテムとして死蔵されておりましたので、安く買い取らせていただきました。
今は私の手の中で『…ォオ…ォオオォ…オォ…ォ…』と何やら呻き声のような音を出す良い品に仕上がりました。
「では、ごめんくださいませー」
私のご挨拶と同時に振り下ろされたトゲ棍棒が、魔鉄で出来た鉄柵を飴細工のように粉砕する。
土煙の中、唖然してカードを取り落とす門番達にニコリと微笑み、私はポカンと口を開けていらっしゃるお嬢様に振り返る。
「門の劣化が酷かったようですね。それでは参りましょう」
「……え、…ええ」
こうしてお嬢様と私は、何の問題もなくご実家に辿り着くことが出来ました。
次回、侯爵家のメイド軍団とお料理勝負?