10 反撃
前話のメタい部分を少々修正しました。
魔術学院、貴族クラスの最終学年に、ある子爵令嬢が居た。
女癖の悪い子爵が、美人と有名だった街の歌姫に産ませた庶子であったが、第二王子ジョエルが生まれたことから、学院で彼と知り合い、願わくば寵妃とする為に母親から引き離され、正式な子爵令嬢となった。
子爵夫人から子と認められない子供。実の母親から金で売られた子供。
それでも彼女はそんな家庭環境に卑屈になることも、冷たい家族にへりくだることもなく、優しい少女として育った。
コツン……。
わざと光量と色温度を落としたランプのような灯りの中、魔術学院にある女子寮の一室で、細い指先がチェスのような駒を盤上で動かす。
その氷のような冷たい瞳は盤上を微動だせずに映しているが、彼女はその盤上よりも大きな舞台を冷静に思索していた。
「……お、お嬢様。お食事の用意が出来ました…」
部屋の片隅からそばかすが残る年下のメイドが、怯えるように声を掛ける。
「…………」
「お、お嬢様……?」
「………後で食べるわ。あなたは休みなさい」
「は、はいっ」
盤上からわずかに移されたその冷たい視線と、凍り付くような声に身を竦ませたメイドは、慌てて頭を下げると逃げ出すように従者用に部屋に戻っていった。
「…………」
思念活動を中断された令嬢は、軽く息を吐くように椅子の背もたれに細い身体を預けながら、幾つかの駒を盤上に並べる。
「この盤上に上がるのは、何人かしら……」
***
「シャロン嬢、お待ちください」
「……アンディ様」
「まだ居られていて良かった……。この度はカールが迷惑を掛けたようで…」
「い、いえっ、……どちらかと言うとこちらが…」
「……は?」
「何でもありませんわっ、同じ学院の級友として当然のことでございますっ」
「……ご立派です。同じ貴族として弟にも見習って欲しいものです」
「あ、…いえ、」
「このお礼はいずれ正式に、メルシア家のほうから御家に出させていただきます。それと……シャロン嬢、もし…」
「は、はいっ」
「……いえ、申し訳ありません。殿下の元に戻りますので、これにて失礼を…」
「……はい」
どちらもへたれでございます。そんなお嬢様を影から見守るメイド、フルーレティにございます。
今回は第三ダンジョン近くの商店の中からお届けしております。
とりあえず道の中央で、近所のハナタレガキんちょ共に囲まれているのも気付かないほど黄昏れているお嬢様は気になりますが、私はまず自分の仕事を済ませましょう。
「店主様、この量でその金額はいかがなものかと」
「そうは言ってもねぇ、侍女さん。この街じゃ塩はそこまで貴重品じゃねぇんだ。ダンジョン様々ってな」
四十台の少々頭部防御力が低下している店主様ですが、なかなか手強いですね。
ダンジョン周辺には探求者ギルドの出張所もあり、そこで買い取っても貰えますが、商人に直接売る方が多少お得です。
「この品質を見てもそう仰いますか? ダンジョンで掘ったばかりで酸化もしておりませんよ」
「おいおい、塩は不足してないって言っただろ? うちの規模でそんな量を買い込んだら、それこそ品質が下がっちまう」
あくまで“多少”です。商人様と交渉出来る技量がなければ、定額で買い取ってくださるギルドよりも安く買い叩かれる恐れがございます。
「ほほぉ……それは、そちらに置いてある“商品”のように……ですか?」
「……侍女さん、何が言いたいんだ?」
私の言葉に商人様の目が細くなる。その射るような視線に私は爽やかな笑顔で、ちらりと並べられているお塩の壺に目を向けた。
「私の口から言わせたいので……? 差別化や味の向上を含めて混ぜものをする場合がありますが…」
「……一割増しだ。これで嫌なら他の店に行きな」
「二割増しで。この辺りの単価を見ましたが、それでも十二分に利益は出るでしょう」
「奇麗な侍女さんよ……。ちょっとばかり調子に乗りすぎじゃないのか?」
「明るい夜道ばかりではないと……?」
「はっ、うちは真っ当な商店だ。言い掛かりはよしてくれ。うちは王家御用達の大商店とも取引があるんだ。そちらで買い物が出来なくなっても…」
「その大商店様は、今月お城に食材を納品するそうですね。……まさか、そちらのお塩を大商店様に納品する訳ではないのですよね?」
「…………」
商品様は口を歪め、私の笑顔が深くなる。
「何もこれだけ……とは申しません。こちらもどうぞ」
「……なんだ」
私が袋を差し出すと、店主様が中身を確認する。
「乾燥した……なんだ?」
「海が遠く、塩も輸入しないのであまり見ないでしょうが、これは“ワカメ”でございます」
「これが、何だと…」
私は店主様の頭皮を見つめ。
「“店主様”にとても良い物でございますのよ」
「…………」
無事に買い取りが終了いたしました。
売却金額は金貨七枚と銀貨四枚。日本円にして74万円程度でしょうか。これに魔物素材の売却益も含めると、そこそこの金額になります。
それだけでなく、商人様には香辛料も幾つか付けていただけましたよ。本当に優しい商人様でございます。
私は黄昏れているお嬢様を、ポケッとした顔で見ているガキんちょどもに氷砂糖を与えて追い払いながら、お嬢様に声を掛ける。
「シャロンお嬢様、お待たせして申し訳ございません」
「…え、あ、レティ」
正気に戻ったお嬢様が、少しだけ寂しげな微笑みを私に向けた。
「はい、良い値で売れましたので、お嬢様のお好きな焼き菓子も購入しました。ご夕飯も期待してくださいませ」
「ありがとう、レティ。でも、魔物肉はいりませんわよっ」
「はい、もちろんでございます」
お嬢様のどこか気を使われるような態度に、私は満面の笑みで応える。
お嬢様のお気持ちは分かっておりますよ。
「食材がバレるような失態は起こしません」
「違いますわよっ!?」
***
さて、ヒナ嬢に少々薬物を使用させていただき検査したところ、精神に異常は認められませんでした。
おかしいですね。まともな神経ならあんな事を言うはずがありません。
全身をビクンビクン痙攣させながら、焦点の定まっていない虚ろな目付きで、涎を垂らしながらへらへら笑うくらいの薬物を処方しましたので、検査に問題はなかったかと存じます。
ああ、そうそう、ちゃんと自然由来の優しい“蜘蛛毒”ですので、何の後遺症もありません。毒も量によっては薬になるのです。私は薬学など存じませんが。
ヒナはこの世界が【乙女ゲーム】とかふざけたことを言っておりましたが、それを呟いたと言う人物が“誰か”までは覚えていませんでした。
脳が干涸らびて振ればカラカラと鈴のように鳴るのではないでしょうか。
ですが、それを馬鹿げた一言と切って捨てたりはしません。あらゆる状況において、万全を期すのが“出来るメイド”でございます。
“乙女ゲームの世界”などと言うものはあり得ませんが、ゲームの世界ように管理された【箱庭世界】ならばあり得ます。
それがどの程度の規模かは程度によって変わりますが、死亡が禁止されている人物がいることを考えると【管理人】がいる可能性が高くなります。
………本当に面倒ですね。
調査が済むまで正体は隠しておきましょう。
*
「レティ。あなたの準備は済みましたの?」
「はい、お嬢様」
私は現在、朝からお嬢様のご入浴をお手伝いさせて戴いております。
わずかにも手を抜く訳にはまいりません。今日は私がここ数日お嬢様にさせていただいた【お嬢様磨き】の最終段階なのです。
お嬢様の銀の髪を丁寧に洗ってトリートメント剤に馴染ませておく。
蜘蛛糸で作った極上の洗い布で、お嬢様の玉肌を撫でるように洗い、古い角質も丁寧に取り除きます。
ウトウトし始めたお嬢様の全身を、メイド長直伝の特製香油を使い揉みほぐす。
だからと言って時間を掛けてはいけません。
全魔力を使って時空間を歪めてでも、お嬢様の貴重な朝のお時間をメイド如きが奪う訳にはいきませんからっ。
「お嬢様、準備が整いました」
「……はっ?」
お目覚めになったお嬢様は、ご自分がすでに髪も整えられて、制服に着替え終えていることに驚いていられるようでした。
「いつの間に!?」
「良くお眠りになっておられましたね」
「…………」
お嬢様は私が差し出すカフェオレとフレッシュオレンジ、ベーグルサンドをちまちまと可愛らしいお口で啄みながら、頬を赤くした不服そうな顔で私を見る。
これまでのお着替えでも、下着類まで私が手伝うことを恥ずかしがっておられましたので、それがご不満なのでしょう。
「メイド仕事の一環です」
「レティは私のメイドとして仕えてくれますけど、あなたは、レティは……」
お嬢様がそこまで言ってそっぽを向く。
「……わたくしの…お友達…だから」
「お嬢様……」
お嬢様は本気で可愛らしい。
「ごちそうさまでした」
「何の話ですのっ!? どのことについてのお話しですの!?」
それはもう、お着替えを含めた色々なことでございます。
さて、お嬢様が仰っていた私の“準備”とは、お嬢様の【級友】となる準備でございます。
どういう事かと申しますと、この世界に慣れる為、パートナー選びの一環として、地球から召喚された中学生全員が、お嬢様の居られる貴族クラスへと編入することになったのです。
「レティ……制服はどうしましたの? 支給されていたはずですわよ」
国から私用の制服は支給されていましたが、私は自分のメイド服のままです。
「メイドの制服はメイド服でございますので」
「……いいのかしら?」
良いのでございますよ。
実際、自分の糸で作ったメイド服の方が仕立てが良いですからね。もちろん、お嬢様の制服も、私の糸製にこっそり取り替えてありますので、ナイフくらいなら簡単に弾きます。
「私も……何処もおかしくないかしら?」
今日から私が一緒に通うと言うことで、お嬢様の方が緊張為されておいでです。
まるで授業参観に初めて参加するママさんのようですね。実際には、逆なような気がしますが、言わぬが花でございます。
「はい、今日はいつにも増して、お綺麗でいらっしゃいます」
「も、もぉ、そんなことばかり言ってないで、行きますわよ」
「はい、お嬢様」
もちろんお嬢様は“完璧”です。
今日の為に何日も掛けて“仕上げ”をしましたから。
カツン、カツン、と学院の廊下を歩く、侯爵令嬢であるお嬢様に、平民や下級貴族の生徒達が慌てて道を開く。
貴族であろうと完璧に振る舞うお嬢様は、後輩などに厳しくご指導為されるので、多少ですが恐れられているようです。
ですが、本日は少々違います。
恐れながら道を開けた下級生達は、男子も女子もお嬢様を見た瞬間、頬を染めていらっしゃいました。
「……レティ、本当におかしくない?」
「ええ、もちろんでございます」
いつもとは違う視線に、不安そうに振り返るお嬢様に私はニコリと微笑んでおく。
教室まで着いて私が静かに開く扉をお嬢様が通ると、そのお姿を見た生徒達が一瞬静まりかえり、その後に教室がざわめきだした。
「……シャロン。君か?」
「え、……ええ、ジョエル様、シャロンでございます」
先にいらした、少し呆けたようなジョエル様が声を掛けてくると、お嬢様も戸惑いながらも答えて礼を返す。
全ては計画通り……。
お嬢様は、幼い頃よりご実家のゲスどもに冷遇されていたせいで、髪もお肌も傷んでおられでした。
もちろんそれでもお嬢様はお美しいのですが、そこで私が食事を管理し、栄養状態を整え、お手入れも自己流だった髪もお肌も完璧に磨き上げて、お嬢様の本来の美しさを取り戻したのです。
その変化は。この教室を見れば一目瞭然でしょう。
さぁ、“攻撃”の準備は整いましたよ。
次回は、反撃開始です。




