1 召喚
よろしくお願いします。
「やったっ、できたっ」
古い城……石に囲まれた儀式を行う古い部屋。
その床に描かれた歪で小さな魔法陣。
まるでお伽話の魔女の住処のようなその場所にはまるで似つかわしくない、幼く小さな女の子。
まだ五歳くらいだろうか。銀の髪に紫色の瞳……。貴族のような装いでいながら少し古びたドレスを纏ったその少女は、満面の笑みで魔法陣に現れた小さなスライムのようなモノに手を伸ばし、そっと可愛らしい声を掛けた。
「ねぇ、わたしと……」
***
ぽつん……ぽつん、と頬に触れる冷たい感触に私はそっと目を開く。
霞んでいた視界に見えてきたのは知らない天井――みたいな“お約束”ではなく、一面に広がる曇天の空だった。
あれ…? 私はどうしてこんな所に寝ていたんだっけ……?
これで頬や背中に感じるものが柔らかな草原なら、野外の開放感でうっかり居眠りもあり得るけど、背中に感じるゴツゴツとした堅い物が、錆びた自転車や冷蔵庫等であるところを見ると、ここが学校近くにある不法投棄されたゴミの山だと理解した。
そうだ……。ここは学校の近くで、私は課外授業のゴミ清掃に来ていたんだった。
この場所は学校側から見ると数メートルの崖になっている部分で、窪地のような地形になっていたのもあり、隣の街からも冷蔵庫やテレビを不法に捨てに来るような困った場所でもある。
本当に迷惑ね……。それを生徒に片付けさせる学校もどうかと思うけど、バカな学生がさらにペットボトルやコンビニのお弁当の容器なんかも捨てるから、本当にどうしようもなくなっていた。
そう言う連中に限って真面目に掃除なんてしないから、結局、真面目な生徒ばかりが割を食うことになる。
………ところで、
私は……“誰”でしたっけ?
「ね、ねぇ、やばいよ…」
「そんなこと言ったって、デンコだって賛成したじゃないの」
「だ、だってぇ」
「……し、死んじゃったの?」
「そんなの……」
「ねぇ…逃げようよ」
「でも、私達の班が疑われるんじゃ…」
「どうしろって言うのよっ」
「突き落としたのはボタンじゃないっ!」
「で、でも、ヒナちゃんもやれって…」
あ~…少しだけ思い出してきた。
今も崖の上でピーチクパーチク(死語?)騒いでいる女子達に、私は崖から突き落とされたんだ。
でも、彼女達から聞こえる声は自分達の保身の言葉ばかりで、誰からも救急車とか保健室とか、そんな単語は聞こえてこない。
落とされた崖の高さは5メートルってところかな…?
細かなゴミが残っていればクッションになったかも知れないけど、清掃が終わった後だから、学生では片付けられない大物しか残っていない。要するに私は二階以上の高さから、金属の山に頭か背中から落ちたことになる。
うん、充分に死ねるね。
人間なんて半回転出来る高さがあれば、簡単に死ぬ。
脚から落ちても骨折するし、錆びて折れた自転車の鉄パイプなんかも刺さるかも。
「あ、雨が降ってきた……」
「やっぱり逃げ…」
「教室に戻ろうよぉ。雨なら誰も探しに来ないかも」
「……見つかったら?」
「ち、ちょっと押したくらいで、勝手に落ちたんだから、事故よっ」
「……帰るの?」
ピカッ、ゴロゴロゴロ……
「「「きゃあああああああああああああああああああああっ!?」」」
タイミング良く鳴り響いた雷に、彼女達三人は一斉に悲鳴をあげた。
起き上がって崖を登った私が声を掛けたからではないと思いたい。だって同級生に声を掛けられただけで悲鳴をあげるなんて失礼じゃないですか。
「か、神白さんっ!?」
そうでした。それが私の名前……だったっけ? 名前というか名字だけど。
私を突き落とした三人は、多少の罪悪感と安堵感……そしてたっぷりと怯えた表情を浮かべて私を見つめる。
「……な、なんで」
「し、死んだんじゃ…」
「血が…」
「わ、…私は悪くないわよっ!」
「いやぁあああああああっ」
「あ、待って、」
三人は、あたふたと怯えるように足をもつらせながら、校舎へと逃げていった。
「……え~…」
なんか『死んでれば良かった』みたいな態度ですね。失礼な人達です。
ポツリポツリと降り始めていた雨が大粒になって髪を濡らす。
何気なく髪に触れると雨水とは違うヌルリとした感触が指先に触れて、見てみると掠り傷ではあり得ないほどの血に濡れていた。
あ、なるほど。これなら普通の女子中学生だと怯えますね。
………ザァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァ……
空が一気に暗くなって大量の雨粒が校庭の上で跳ね上がり、見る間に乾いた土を薄暗い濁った泥へと変えていく。
私はどうせ濡れたのだからと、雨をシャワー替わりに血糊を洗い流し、着替えを得る為に女子ロッカー室へと足を向けた。
この状態で室内履きに履き替えるような無駄な真似はしない。土足のまま校舎に入って二年生のロッカー室まで移動する。
他の学年はまだ授業中だからか誰かに会うこともなかった。
清掃の課外授業だったからジャージで良かった。制服での清掃だったら、芋ジャーで下校する羽目になるところだった。
誰も居ないロッカー室で、私はポケットから小さな鍵を取り出す。
……だんだん記憶が鮮明になってきた。
私は迷うことなく自分のロッカーを開ける。私のロッカーだけ少し薄汚れているので迷うことがないのです。
まぁ、マジックで書かれていた悪戯書きを消したからなのですが、良くもまぁそんな幼稚なことが出来るものですね。……あの三人は。
ロッカーの中からスポーツタオルを取りだし、胸元まで伸びる長い三つ編みを解いてから丁寧に髪から水気を拭う。
「……前髪が鬱陶しい」
長い黒髪が鼻先辺りまで垂れていた。
そう言えば“私”は、他人から眼を見られるのが嫌で伸ばしていたのでしたね。
水気さえなければ丁度目元だけを隠してくれていたので、それほど気にはならなかったのですが、今の【私】からすると鬱陶しいことこの上ない。
「…………」
私は辺りを見回し、丁度良く誰かが放置していた裁縫キットを見つけて、小さいながらもお目当ての物を見つけて手に取った。
ジョキン……ッ。
パラパラと切り落とした前髪が床に落ちる。
素人ではパッツンに切り揃えることしか出来なかったけど、すだれ状態の前よりかはよっぽどマシってなもんです。
とりあえず着替えよう。……下着まで水気が浸透していなくて良かった。
公立中学校のあまり可愛げのないブレザー制服に手早く着替えると、壁に備え付けの姿見に自分を映してみる。
「あ、私って、こんな顔してたんだ……」
ジジ……ッと、唐突に電灯が点滅して光と闇が私を照らし出す。
他人事のようにも聞こえるけど、姿見には、艶やかな黒髪で暗い朱色の瞳の、人間味をそぎ落とした冷たい【人形】のような少女が映っていた。
ピカッ、ゴロゴロゴロ………
また雷が閃光と轟音を響かせ、照明が完全に落ちると、闇の中で紅い瞳が灯火のように瞬いていた。
***
都会でもなく田舎でもない土地。
政令指定都市に隣接し、国道に面していても、それ故に、人はただ通りすぎるだけのような街。
民家は多くても若い家族が居ない古い家が多く、公立の中学校では登校時間徒歩30分圏内でも、各学年1クラス分の人数しか集まらなかった
「……先生遅いわね。後はホームルームだけで終わるのに」
「また職員会議を長引かせているんだと思う…」
副学級委員である銀子の漏らした声に、気弱そうな眼鏡少女――吹亜が言葉を返す。
少し勝ち気な性格とそれに合わせた外見の銀子は、友人の言葉に、やばい宗教にでも嵌ったかのように、やたらと奉仕活動をさせようとするオールドミスの担任を思い出して、なるほどと頷いてから、小さく溜息を付いた。
だが、そんな事をさせている原因もこのクラスにある。
二年一組。……1クラスしかないのだから組はどうでもいいのだが、たった17人しかいない二年生だというのに、このクラスはあまり纏まりがなかったからだ。
8人いる男子は、それなりに纏まっている。
他の男子が大人しいのもあるが、聖衣と羽王と言うちょっとアレな名前ながらも見た目の良い男子二人がリーダーとなり纏めているからだ。
だが、その二人の見た目の良さが原因で、9人の女子に纏まりがない。
積極的に二人の男子に絡んで牽制しあっている女子が三人。
それを見て陰口を叩き、苛めのような事をして鬱憤を晴らしているのが三人。
銀子や吹亜のように、他人との確執が面倒で関心のない者が二人。
そして、女子から無視されている女生徒が一人……。
表面上、女子の仲は良さげに見える。
クラス替えの無い学年に17人しかいない“仲間”なので、今ではほとんどが男子女子関係なく下の名前で呼び合っているほどだ。
たった一人……無視されている女生徒を抜かして。
一年生の頃は、一人で居るその女子を銀子達が仲間に入れようとした。
けれどもそれをする前に、正義感か義務感か知らないが、例の男子二人が声を掛けて構ってしまったのだ。
それによって女子達は、銀子と吹亜を除いた全員が彼女を無視するようになってしまった。
銀子にしてみてもそれが良い状況とは思っていないが、それをすると余計に男子二人が動いてややこしい状況になる。
卒業まであと一年と半年と少々……。クラス替えのない状況でクラスを二つに別けてギスギスとした雰囲気で過ごしたくない。と言うのが偽らない本音だ。
「……なんか大人しいね」
「そうね」
吹亜の声に銀子が軽く視線だけを向ける。
すでに全員がジャージから制服に着替えている中で、率先して苛めをしているあの三人の女子だけがジャージのままで、ぼそぼそと怯えたように囁きあっていた。
そう言えば、そのたった一人姿の見えない女子はどうしたのだろう……?
(……あの子の下の名前って……何だったっけ?)
ピカッ! ゴロゴロゴロ……
「きゃっ!」
「おわぁっ」
「ひっ」
かなり近くに落ちたらしい雷に電灯が消えて、クラスの数名が悲鳴をあげた。
「「「………」」」
叩きつけるように激しく振る雨。次第に暗さを増していく空に、誰とも無く息を飲んで静まりかえる。
「あら、どうしたの?」
「ひあっ!?」
「きゃひっ!」
「なっ!?」
いつの間にか気付かないうちに開いていた教室の入り口から、一人の少女の声が静かに響いた。
「……か、神白…さん?」
例の男子の一人、聖衣の声が掠れるように漏れる。
その困惑したような声音は、その場に居た全員の気持ちを代弁していた。
彼女……神白が苛めのような目に遭っていた原因は、彼女が日本人とトルコ人の血を引くハーフだったからだ。
顔立ちや瞳の色……子供は自分達と違う者を簡単に排除する。
大人になれば誰も気にはしないが、元々大人しい性格の彼女は、幼い頃に自分が周りとは異なる者だと感じて、下を向き顔を隠すようになった。
そんな彼女が隠されていた素顔を晒して、今までとはまるで雰囲気の違う、すべてを威圧するような朗らかな笑顔を浮かべていた。
それはまるで、一度死んで生まれ変わってしまったかのように……。
ピカッ! ゴロゴロ、ドォオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!
『……ッ!?』
雷光と雷鳴が生徒達の悲鳴をかき消した。
砕け散る窓硝子。光に包まれる教室。
生徒全員が恐怖と困惑の中で悲鳴をあげる中、たった一人――神白と呼ばれた少女だけが、一瞬だけ驚きを顔に浮かべた後、何かを悟ったように微笑みながら、そっと目を閉じた。
***
「成功だっ!」
「おおおおおっ、やったっ!」
「きゃあああ、すごいっ、人族だわっ」
巨大な召喚魔法陣から現れた少年少女達に、魔術学院の生徒達が安堵混じりの歓喜の声を上げた。
魔術学院の最終学年である五年生……今年十五歳になる魔術を学ぶ生徒達の中で、魔力の強い貴族の子弟達は、自分の【パートナー】となる【異世界】の知性ある生物を呼び出し、主従契約を結ぶ。
授業の一環ではあるが、【魔術】を扱える程の魔力が大きい彼らにとって、自分が召喚した【パートナー】は魔術師以上の【魔導師】であることを示す、貴族としての一種のステータスでもあるのだ。
一口に【異世界】と言っても様々に存在する。
竜族や月狼族のような力が有り知性ある幻獣が呼ばれる場合もあるし、エルフやドワーフのような、この世界には居ない【亜人】が呼ばれる場合もあった。
それらはまだマシなほうで、年度によってはオーガやトロールのようなモンスターの場合もあり、生徒達はとても緊張していたらしく、安堵の表情が色濃い。
そんな彼らが安堵しつつも歓喜し、興奮していたのは、今回召喚されたのが自分達と同じ外見を持つ【人族】だったからだ。
人族の居る世界は次元的に距離があるらしく、滅多に現れない。
しかも召喚された【人族】は、強い魔力を得られる場合が多く、それらは伝説によると数百年ごとに召喚されるらしい。
「………ふぅ」
今年召喚をした、魔力値の高い生徒達は十七名。
その中できつい顔立ちをした銀髪に紫の瞳の少女――シャロンは、白くなるほど杖を握りしめていた指を揉みほぐしながら、緊張した面持ちで息を吐いた。
(何とか成功したみたいですわね……)
ここで失敗したとなれば、魔力の制御が苦手なシャロンが皆から責められていたかも知れない。侯爵家の娘として、これ以上失態を見せる訳にはいかなかった。
歓喜の中で生徒達は次にするべき事を思い出して、緊張に表情を引き締めた。
先ほど【主従契約】と説明したが、【奴隷紋】を魔術で刻む呪いに近い儀式を犯罪者や魔物のような危険な対象以外に施すことは、法で禁じられている。
だが、突然生活の場から召喚された知性ある生き物が“友好的”である事は少ない。
ある者は不安に怯え、ある者は嘆き悲しみ、ある者は怒り狂って召喚者である生徒達に危害を加える場合もあるからだ。
それ故に、生徒達だけでなく、上級貴族の子息子女を護る為に派遣され待機していた王国の騎士達も緊張していた。
貴族の生徒達にとって、【主従契約】が使われない、“知性ある種族”に選ばれないと言うことは恥でもあった。
貴族である彼らは、召喚された者達に自分の【パートナー】となる利益を示し、卒業までの一年という期間で、仕える主として自分を“選んで”貰わないといけないのだ。
その一年間が過ぎれば【パートナー】候補達は国に召し抱えられ、選ばれなかった者は、今後一生【パートナー】を得る機会を失うことになる。
今回召喚されたのは、召喚者である生徒達と同じ年頃の少年少女達。
単一民族なのか同じ黒い髪色をしている彼らは、突然召喚されたことに怯えて、とても混乱していた。
中には泣き出しそうな顔をしている少女も居て、生徒の幾人かが若干の罪悪感を覚えたように声を掛けられずにいた。
最初に声を掛け、印象には残るが、恨みが集中しそうな役目を誰が引き受けるのか。
牽制しあうような微妙な空気の中で、シャロンも動悸を抑えるように深く息を吐いてから、こんな自分にでも仕えてくれそうな【人族】を目で捜した。
異世界より知性ある生物を召喚出来るのは、たった一度と法で決められている。
その最初の一度だけ【魂の絆】が生まれると言われ、その時に選び選ばれて主従となった【パートナー】は、主の力を最大限に高めてくれるからだ。
そして【魂の絆】が強い者ほど主として選ばれやすい。
「…………」
だが、それを知っているシャロンは不安を感じている。
(……もし、誰もわたくしを選んでくれなかったら、どうしたら……)
幼い頃の過ち。シャロンはこれが初めての召喚ではなかったのだから。
緊張が高まっていく空気の中で、生徒の一人である王国の第二王子ジョエルが、臣下に手本を示すべく一歩足を前に踏み出す――その前に、召喚された少年少女の達の中から、一人の少女が悠然と前に歩み出た。
貴族の生徒達は、その少女の雰囲気に引き込まれて息を飲む。
文化圏の交わる場所で様々な血の入り交じった、エキゾチックな美しさ……。
黒曜石のような艶やかな黒髪……。絹のようなきめ細やかな美しい肌。
意志の強さを感じさせる綺麗な朱色の瞳……。
その人形のような美しさに視線を奪われ、生徒達を護るはずの騎士でさえ思わず止めることも忘れる中、少女はまっすぐに第二王子ジョエル――の横をそのまま静かに通り過ぎ、一番後ろにいたシャロンの前で、淑女のようにスカートの裾を摘んで優雅に一礼して見せた。
「よろしくお願いしますわ、お嬢様。私のことは“フルーレティ”とお呼びください」
王国歴八九三年・秋初めの月。
一人の不器用な悪役令嬢と、一人の異世界から来たメイドの物語が始まる。
どれを投稿するか悩んだあげくのお試し投稿です。
完全不定期なると思いますが、よろしくお願いします。
続きを読んであげてもよろしいですわ。と言うお方は、ブックマークをお願いします。