「宮津(嶋)屋」、または哈密(hami)の思ひ出
ブログを整理していたら出てきたので。
わたし達は、中国の新疆ウィグル自治区は哈密にいた。
観光バス(というには長さと幅が足りなかったが)で、国境、もしくはその境にある街を目指そうとしていたのだが、入り組み、一方通行が多い路地に閉口して、道を尋ねようとさ迷っていたのである。
バスを運転していたのは、我が旦那様。ちなみに現実では、大型特殊免許など持っていない。
ついでに付け加えれば、哈密からちょっと路地裏を抜けたところにある国境や街などは、存在しない。
バスを路地のど真ん中にとめたまま、簡略地図を片手にさまよっていた我らだが、幸いにして日本語の通じる露天商と思われる御仁に、道を訊くことができた。
どうやらいったん来た道を大回りせねばならないようで、運転手である旦那様はかなり不満げなうめき声をしばらく漏らしていたが、わたしと同道していた我が両親に窘められて、口をつぐんだ。
ちなみにばかりで申し訳ないが、旦那様の名誉のために追記しておかねばなるまい。
もしそんな事態になったとしても、彼はそんな不満は決して口にしないだろう。ましてや義理の父母がいる前でなど。
そんな場で必ずおおっぴらに文句を垂れ流すのは、ふんだんに儒教的素養を持ち合わせている彼ではなく、そんなもの害でしかないと蹴飛ばすわたしである。
まぁそんなわけで、道はわかった。
そうすると現金なもので、ついでに周辺を観光しておこうかと言う気になり、三々五々分かれてそぞろ歩きを楽しむことになった。
で。露店冷やかすわと言う父母や妹と別れて、旦那さまと二人、少々薄暗い感じの路地裏へと足を進めたのであるが……。
そこで見つけたのである。「宮津屋」を。
屋号の書かれたガラス戸が煤けていたのでよくわからなかったが、もしかしたら「宮嶋屋」だったかもしれない。
そこは一見奇妙な店で。二軒並んで立っているのだが、休みなのか開店時間にはまだ早いのか、入り口のガラスの引き戸はかたくではないが閉じられ、店の奥が見通せない。
引き戸の横にはめ殺しのガラス窓があり、その窓から一辺が薬棚くらいの幅で小さく仕切られた戸棚が見え、そこに入っているのは薬ではなく眼鏡や香水瓶、ガラスやビーズで作られた髪留めとおぼしきものなどである。
その窓のさらに横には、表裏に名前の彫り込まれた木の札が無数にぶら下げてある。札のどちらが表か裏かは分からないが、すべてではないが、名前は赤と黒に塗り分けられているようだ。
長寿人気ドラマ「相○」でお馴染みの、あの名前札を想像して頂ければ、わかりやすいと思う。
旦那さまと二人で何の店だろうと覗き込んでいるうちに、なんとなく見当がついた。
あぁ、ここは「置き屋」なのだ、と。
何故表から見える形にしているのかは想像するしかないが、置かれた小物は女性達のもので、名前の札は彼女達が出勤してくれば、裏返されるのだろう、と。
名前の札や小物の多さで、所属する女性の人数と多彩さを宣伝しているのかも知れない。
ふうんともふぅむともつかない感想を漏らしているうち、いつの間にか少しだけ開けられていたすりガラスの引き戸の向こうに薄紫色のワンピースを着た女性の姿が見えて、わたし達はそそくさとそこを離れた。
そこからバスの方に向かって歩いていると、数メートル先でスカーフなどを売る露店の前を歩く妹と母の後ろ姿をみつけ、近寄ろうとする足を踏み出したところで目が覚めた。
小品としてはまとまった夢だったと思う。
いつか書けるだろうか。




