明日もまた、陽が昇りますように。
祈りをささげそう呟くような、夢をみた。
物語は、「わたし」が旅から戻ってきた場面からはじまる。
そこはどうやらとても大きな館のようで、わたしは重厚な赤い絨毯の敷かれた廊下をすすみ、白い片開きの木の扉の前で、肩に担いだ大きな旅行カバンを下ろした。
と。廊下を挟んだはす向かいの扉があき、わたしと旧知の背の高い肩幅の広い男性が出てきた。
彼らの出てきた扉はわたしの目の前の部屋の扉とまったく同じであり、帰ってきたわたしのように彼もまた、軽快な旅装束である。
わたし達が立っている廊下の照明や、同じ扉がずらっと並んでいる様は、ホテルを想像させる。
「あぁ、これから?」
「あぁ。行ってくるよ」
主語も目的語もない会話が、彼とわたしの間で交わされる。
廊下の先に誰かいたらしく、そちらに向かって話しかけながら、彼が足元の白い大きな鞄を肩に担ぎ、歩き去る。
その広い背中を見送りつつ、わたしは「スーツケースやキャリーじゃなくて、鞄なんだ。意外だな」なんてことを考えていた。
白い扉の向こう、わたしの部屋は、フリルのついた白いベットカバーに覆われた、ダブルのベッドが中央に据えられた部屋で、ベッドのヘッドボートの上には、大きな窓が見えた。
窓の両端には赤い分厚い布と、レースのカーテンが。窓は都会のホテルにある様な一枚ガラスではなく、木枠で区切られた古い意匠。ガラスの向こうには冬枯れの木立が見える。
それで季節は冬の始めであり、わたしと彼がコートを着ていた理由が分かった。
旅の快い疲れを吐き出すようにわたしはため息をつき、荷ほどきを始める。
と。隣の部屋に誰か入ってきた。
廊下側の扉は閉めいるのに、それが自分と同年代の女性とわかったのは、彼女とわたしの部屋を分ける壁がなく、何故か映画館のスクリーンを隠す分厚いカーテンのようなものが、その代わりにあり、いまはそれが全開になっていたから。
わたしと彼女はその事を不自由にも不思議にも思っていないようで、お互いに挨拶を交わしている。初対面だったのだ。
彼女とわたしがどこから来たのか、旅の途中はどうだったかなんて事を話している間、まるでナレーションのように夢を見るわたしにこの物語の「設定」が流れ込んでくる。
ここは、世界有数の巨大企業の創始者にして当主家族が所有する広大な館の一棟であり、わたしも彼女も先ほどいた彼も、かつてメディチ家がそうしたように、その当主達に招かれたもの達である。それぞれ別の、けれど十分に将来有望な才能を持つわたし達は、ここで碌を食みつつ研鑽を重ねるのだ。
そんなナレーションが流れる間に、創業者一家の一員が登場する。
創業者一家には、3人の娘がいる。というより、当主にはその娘達しかいない。性格も外見も異なる彼女達はそれぞれの得意分野も違い、適材適所で家業を盛りたてている。
この館の切り盛りを含めた「文化事業」に従事するのは次女。三女も手伝ってはいるが、彼女には別の仕事もある。
そして、年の近いこの二人の上に長女が君臨し、当主一家の事業全てを統御している。娘である彼女がそうしていると言う事は、年齢からすれば現当主であるはずの、母親もしくは父親はいないのだろう。
荷ほどきをのんびりしながらお喋りをするわたし達の部屋を訪れたのは、次女である。
ひらひらとワンピースドレスの裾を遊ばせながら現われた彼女は、春の陽だまりの様な笑顔を浮かべて、わたし達に部屋の使い心地を尋ねてくれる。
わたし達はそれぞれ満足している事を告げ、女三人寄ればなんとやらで、次女を交えてお喋りを再開する。
その間にも、館専属の便利屋の初老の男(何故かオレンジ色のツナギを着ていた)が「手入れする靴があると聞いたのですが」と言いながらわたしの部屋の扉をノックしたり、それは隣の部屋の彼女が頼んだもので、ついでにわたしも旅の間中穿いて草臥れていた黒い靴を頼むことにした。
ついでに頼んだわたしに、隣の部屋の彼女は彼らの修復と磨きの技術がいかに素晴らしいか熱弁し、いつの間に集まってきていたこの館の別の住人達の一人は、ノックの音にわたしが何故かフランス語で答えたものだから、どこで学んだか聞いている。
そしてそんなカオスな状況を、次女は穏やかな笑顔を浮かべて見守っている。
***
いきなり場面が展開し、混乱と悲しみが画面を覆う。
男女交えた大勢の人間が、椅子やいくつもの洋服をかけたキャスター付きの衣装かけを、白い扉の部屋の一つから、ある大きな部屋に運ぼうとしている。
白い扉の部屋も、両開きではあるけれどその大きな部屋の扉も、大勢の人間が大きな荷物を抱えて出入りするには狭くて、人々は押し合いへしあいしながら不満の声をあげる。
その人波を後ろから見渡したわたしは、真ん中にいた次女を一喝した。「あなたが一番彼女の部屋に詳しいのだから、指揮をとりなさい!」と。
「あぁお姉さま」
細いため息とともにそう呟いて顔を両手に埋めた後、次女はキッと顔をあげ、普段とは別人のように覇気に満ちた姿で、的確な指示を飛ばし始めた。
次女の指示によりその広い部屋は徐々に整えられていく。
廊下とは別の、毛脚の短い絨毯は、白いパネルで世界地図が描かる。その世界地図では、南北アメリカ大陸が何故か他よりも大きく作られている。
地図のパネルを囲むように、北半球の上には机が椅子と一緒に並び、その後ろには何故か本格的な台所が設置される。この部屋で籠城でもしようというのか。
粛々と整えられていく部屋のそこかしこで、囁きが交わされる。一族の当主、長女がいなくなった、死んだというものだ。
理由も過程も語られないその噂は、それでも実しやかに使用人の口から口へ伝えられ、何故か次女も三女も信じてしまっているのだが、「わたし」はそれが根拠のない噂でしかなく、長女は「物語の終盤で帰ってくる」と確信している。
わたしのそんな確信を置き去りに物語は進んでいた。
いままで姿を見せなかった見知らぬ男達が地図の周りの椅子に陣取り、各々勝手な報告を始めたのだ。
曰く、「彼女がいなくなる前に北米の取引は決まっていたのだから、このまま進めるしかない」
曰く、「この案件は重要なのだから、彼女の承認は降りていないが、やるしかない」
「しかない」、「ねばならない」、「仕方がない」……。
他人事で語るくせに、それが決定だと言い渡すような男達の態度と愚鈍な表情にわたしがキレかけた頃。
「ふざけるなこの馬鹿どもが!」
可憐な声をつぶして発せられた怒鳴り声が、広い部屋に響き渡った。
重要人物であるかのように、腕を組み椅子にふんぞり返っていた男たちが、揃ってぽかんと口を開ける姿がひどく滑稽だなと思いつつ声の主を探せば。部屋の入り口で三女が仁王立ちで男達を睨み据えていた。その隣には、いつも柔らかく笑みの形に細められていた目を三角にして、次女も立っている。
「お姉ちゃんの素晴らしさも、事業の意図も理解できていない馬鹿どもが、勝手な事を言うな」
まだあどけなさすら残る顔を真っ赤にして三女はぷりぷり怒り、男共が提出した案件を残らず却下していく。その後ろを支える次女は、うんうん頷きながら、男達の掲げる書類を手に持ったごみ箱に叩きこんでいく。後でたぶんシュレッダーにかけるのだろう。
先ほどまでの偉そうな態度はどこへやったのだと、意地悪く突っ込みたくなるくらい、男達は年若い姉妹に怒鳴られ下を向き、小さくなりながらお互いの顔色をチラチラ伺っている。
まぁ奴らはこんなもんだろう。
彼らの情けない姿を鼻で笑いつつ、わたしは仲間達とともに台所スペースに足を進め、そこに鎮座する美味しそうな料理を物色する。
蒸し万頭に、菜っ葉の浮かんだ塩粥、濃い緑色が食欲をそそる空芯采の炒め物もある。中華鍋に鎮座しておられるのは、天津飯様……?
並ぶ料理はどれも中華で、土間と土の竈で構成された台所の雰囲気と良くマッチしていた。
その料理達をつつきつつ、この家は彼女達に任せておけば大丈夫だろうと思ったところで、目が覚めた。




