宣誓と決闘
心理学で有名な、かのユングは師であるフロイトに「地下室の悪夢」について語り、師フロイトはそれをユングは自分の死を無意識に望んでいるのではないかと疑ったと言う。
彼らの師弟関係が悪化した一つの原因であると言われる。
長々と万年樹で出来た階段を下に向かって進んで行く。
らせん状の階段は一段一段が龍のサイズであったため、俺はまたもやミドガルズの背中に乗る羽目になった。
地下室へ向かうことが、俺たち二人の仲を引き裂く原因にならないことを祈る。
『飛んで降りればいいと思うんだけど……』
『殿中での飛行は禁じられているのだ』
誰も見てないのにくそ真面目だなあ。
他の龍を知った今では、そんなところが良い所だとも思う。
龍議会なる王座の間での一騒動は、たちまち万年樹上にいる龍に知られることとなった。
保守派の龍たちはヴィゾーニブル将軍を支持し、改革派の龍たちはリントブルーム姫を支持した。
龍議会の場は保守派の龍たちが多かったが、龍議会などに出る機会のない若い龍たちは圧倒的にリントブルーム姫の側に回ったため、お互いが丁度半々の支持を持つようになった。
龍たちは誇りを重んじる生き物だというのは今更だが、決闘と言う制度はそれの最も神聖なものであるそうだ。
正式な手続きによる決闘によって互いの全てを賭け、その信念を貫くことは全ての龍が持つ権利である、とは次期龍王予定のミドガルズの説明だ。
つまり、俺と将軍の決闘の結論に、龍たちの異文化交流の行く末が委ねられている。
……重すぎる。
俺は今、その政敵であるヴィゾーニブル将軍の粋な計らいで『枝』なるガラクタを取りに行っている最中だ。
思い出してもムカムカしてくる。
なんだよ、笑いものにしやがって。
ちょっとふてくされ気味の俺に向かってミドガルズはその『枝』の説明を始めた。
『そもそも『枝』とは、万年樹大地の開闢の神器と言われていた』
『へえ。……すげえじゃん』
ちょっと盛り上がってくる感じが腹の底からうずいてきた。
『万年樹の天頂を長らく支配していた不死の雄鶏を唯一打ち倒せる一振りが、その『枝』だと古文書には記されておった。見事『枝』によって雄鶏は打ち倒され、我輩たち龍の栄華が約束された、とされている』
『うおおお! テンション上がるぜそういうの!』
テンション? と言った顔をこちらに向け、ミドガルズはその話をオチへと進める。
『……だが、この話には大きな欠陥がある』
『欠陥?』
『暗黒神ロキが鍛え上げ、女神シンモラが保管していたとされるその『枝』をとある龍が手に入れようとする。すると、その龍に向かって女神は取引を持ちかけた。雄鶏の尾羽と引き換えになら『枝』を渡しても良い、というものだ』
『え? ニワトリを倒すのに必要な武器を手に入れるには、ニワトリが必要ってこと?』
『その通り。堂々巡りである。誰も手に入れられないのだ。はっきり言わせてもらうと、これは唯の童話で、子供がぐずった時に語るおとぎ話の一つである』
『ああ、そういうことね』
桃太郎とか、かぐや姫的なものなのだろう。
確かにちょっとガッカリな感じがする。
『そして我輩たちが今まさに手に入れようとしている物こそ、その『レーヴァンテインの枝』だ』
『え!? 本物があるってこと!?』
どっちなの?
テンションの置き場所が定まらないよ。
『我輩はおとぎ話だと言ったはずだ。そして、これこそがガラクタと言われる由縁である。我輩たち龍は本物しか認めん。どこの誰が作ったのか知らんが、そんな存在するほうがおかしい紛い物を神器として認めるわけにはいかん。しかし、いつ作られたのか分からない骨董品を粗末にするほど愚かでもない。いつか誰かが研究するはずだと思い、ほったらかしにされる事は少なくない。長い歴史の中でそういった由来の定かでない怪しい物品は山ほどある。そんな物が集められた場所を、レーヴァンテイン、つまり裏切り者の墓という意味で呼ぶ。実際にはただの大きな地下室であるが』
話の終わりと共に、階段が終わりを見せた。
俺はミドガルズの背中から飛び降り、辺りを見回した。
どこまでも続く深い暗闇が広がり、果てしないほどたくさんの箱が積み上げられていた。
『そして、ここがそのレーヴァンテインである』
――――――
――――
――
高級そうな細工が施された黒々としたその箱は、長い時間放置されていたようだった。
誰も触らずにいた様子で、埃のヴェールを身にまとっている。
全てが木製で出来ているのにもかかわらずギリギリと錆付いた音を立てて、その箱は開けられた。
『これが『枝』だ。重いから気をつけろ』
ミドガルズは中に入っていた棒状の物をぞんざいに取り出し、俺に渡した。
不思議な形の金属片だった。
金属バットをハンマーでやたらめったら叩き潰したらこんな形になるんだろうか。
表面はデコボコとした老木の樹皮に似た質感で、長さは俺の身長程だった。
片方の先端の太さはちょうどテニスラケットのグリップくらいで、もう片方の先端に行くにつれ湾曲し、平たく細く尖っている。
強い鈍色が凹凸をさらに濃く目立たせる。
『確かに枝っぽい形だな。このサイズの剣じゃ龍にとっては使い道がないだろうね。切れ味も悪そうだ』
『剣とは何だ?』
驚いたことにミドガルズは剣という物がなんなのか知らなかった。
『……剣って言うのは、人間が使う武器だ。こういう形をした……いや、もっと綺麗に磨がれていて真っ直ぐで鋭くて……えーっと、龍の牙とか爪に当たるものかな』
『ああ。見たことがあるな。ヒトが腰に下げているあの棒切れか』
『棒って……いや、まあそうかもしれないけど』
『この『枝』はどんな圧力をかけても折れんし、何かに使うとしても重過ぎる。楊枝にもつっかえ棒にも使えん』
上下に振ったり、左右に振ったりしてみるが、言うほど重くはない。
俺には剣術なんて言う特殊技能は無い。
むしろ刀のように美しく研がれていると使いこなせずうっかり自爆する危険がある。
『頑丈なのはありがたいね。ぶん回すだけなら、俺には良い大きさだし』
そうか。
龍にとって剣は、細長い金属の棒でしかないってことだ。
そういう風に考えると、この荒っぽく叩き上げられたであろう無骨な剣を、枝なんて呼ぶ理由もおぼろげながら分かる。
『あの柔い丸太よりは良いかもしれんな。超人であるソナタなら充分強力な武器になるだろう』
『大切に保管してあったみたいだけど、本当にもらって良いのか?』
『龍議会の決定だ。是非もない』
――――――
――――
――
『ヴィゾーニブル将軍閣下及び御後見のご入場!』
歓声らしき咆哮が聞こえる。
日本のボクシングや格闘技では、挑戦者が先にいて王者がそこへ向かっていくのが通例だ。
アメリカだと逆の形だが、どうもこの世界では日本と同じようで、格下である俺の陣営が先に入場していた。
レーヴァンテインと呼ばれた物置にあったあの『枝』は、滑り止めのために持ち手部分に紐をぐるぐる巻きつけて、グリップとした。
刃が無かったので、鞘は要らなかった。
むき出しの状態で手に持っている。
せいぜい先端の尖りに気をつける程度だ。
今の俺の格好はというと、ボロボロになった服の上から布を被り、怪しげな『枝』を持つ、いわゆる変質者然としたものである。
だって、誰も服持ってないんだもん。
しょうがないじゃん。
案内役だった小柄な龍は『頑張れよお前に有り樹全部かけているんだからな』と激励なのか脅しなのか分からないコメントを俺の後ろにいる後見人に聞かれないように、こそっと残して去って行った。
通貨まで樹で出来ているのか、と今は特に重要ではない感想を思った。
俺の後ろにいる姫龍とミドガルズは、交互に何かアドバイスらしきものをするがあまり耳に入らない。
開始線でぼけっと突っ立って周りを見回す。
非現実的な光景だ。
初めて龍を見た火口のように、ぐるりと観客席が闘技場を取り囲む。
龍王とその取り巻きたちが一番見晴らしがいい場所を陣取っていた。
その中には知っている龍がちらほらと見て取れる。
席を確保できなかった龍は上空にまでいた。
雲ひとつ無い晴天に、龍が小さな影を落とす。
観客席へと笑顔らしき表情で尻尾を振り歓声に応える龍が、余裕ぶった足取りで俺たちに近づいてきた。
後ろには、二匹の龍が付いて来ているが、どちらも緊張しているのか浮かない顔だ。
『なぜ逃げ出さなかった?』
俺に向かって、傷痕を醜く盛り上がらせ不服そうな表情に変わりそう尋ねる。
どうせ逃げたら追い掛け回すつもりだろう。
リントブルーム姫やミドガルズに迷惑が掛かるのは目に見えていた。
龍の決闘について詳しくは知らないが、決闘の担保のようなものなのだろう。
後見人として俺の後ろに立っている。
もしかしたら、この傷痕将軍は俺が逃げ出して二匹に迷惑が掛かることを狙っていたのかもしれなかったが、それが正しいかどうかは分からない。
『俺に有りがね全部を賭けている龍がいるからだよ』
必死で強がった俺を褒めて欲しいくらいだ。
『ふん。虫けらめ。嬲り殺してくれるわ』
両陣営が相対したところで、場内放送が入る。
『これより龍議会承認の決闘を開始します。決闘事由は、龍言語の啓蒙方法による両者の食い違いです。歩み寄りが不可能であると龍議会が判断したため決闘を認めました。いかなる理由があっても勝者の方法に従うと、両者は魂を賭けて宣誓して下さい』
『誓います』
『誓おう』
まだ見ぬ花嫁の前でしか言わない予定だったのに。
こんな所で言う羽目になるとは。
『リンドブルーム殿下、ミドガルズオルム殿下、ズメイガランド殿下、ロンブオーン閣下。御後見として両者の決闘を見届け、いかなる理由があっても勝者の方法に従わせると、魂を賭け宣誓して下さい』
『誓います』『誓う』
『誓おう』『ち、誓います』
『宣誓により決闘はここに約定されました。これより先は両者以外、闘技場内には入れません。御後見の皆様方お下がり下さい』
『頑張ってね』
リントブルーム姫は俺ににっこりとした優しい声を掛ける。
こういう子がいいお嫁さんになるんだろうな、とまたも余計な考えが浮かんだ。
ミドガルズは何も言わず見つめ、俺の肩に優しく手を置き、ぐっと暖かく力を込めた。
うおお、渋い。
かっけえ応援の仕方するなあ。
両陣営が闘技場が良く見える一室に通された。
――――――
――――
――
『覚悟はいいか虫けら』
『アンタ、今までこんなことばっかりやって出世したんだろ?』
『数え切れぬわ。その末席に今すぐ加えてやる』
こんなに殴りたいと思ったことが無いほど醜い笑顔で、その龍は言った。
代わりに『レーヴァンテインの枝』をぎゅうっと握り締めた。
丸太や棒とは違い、頼りになる力強さが反発する。
『始めてください』
決闘という割には、優しい場内放送が辺りに響いた。
爪龍の中で一番強いとされる龍が襲い掛かってきた。