裏の偽善、蛇足の偽善
恐る恐るではあったが、ミドガルズは町のヒトたちに受け入れられた。
先ほどまで漂っていた暗澹たる町の光景はどこかに消えてしまったかのようだ。
明るい雰囲気の中、町の復興が進んでいく。
瓦礫がどかされ、バッタの欠片が片付けられ、怪我人の治療が行われ、食料が配給される。
脅威がなくなった安心感からか、町のヒトたちはこんな惨状なのに、笑顔だった。
だが、まだ足りない物がある。それもたくさんだ。
もちろん偽善者の俺は、このまま終わらせる気はない。
未だに広場にいる町民を、少しでも作業に向かわせようと指示しているゴルドスタインさん弟に声をかける。
「ゴルドスタインさん。お兄さんはどこにいますか?」
「そう言えばさっき聞こうとしていたな。両替所だ。道は分かるか?」
瓦礫に埋もれた町は、かなり道が変わってしまったが、何とか分かるだろう。
「ええ。大丈夫です」
まずは、昼間のうちに、元々やりたかった事の一つ目を終わらせちまおう。もう一つは夜の方が色々と都合が良い。
どちらにせよ、ゴルドスタインさん兄が必要だ。
ポンポンとポケットを叩き、俺は両替所に向かった。
――――――
――――
――
「失礼します」
地上の建物部分はかなり損傷していたが、地下はかなり頑丈に作られていたのだろう。
もう噂になっていたのかもしれない。
俺が両替所に行くと、周りのヒトたちは率先して道を開けてくれた。
ゴルドスタインさん兄は、そこで指揮を取っていた。
様々なヒトが入れ替わり立ち代わり被害状況を報告するのを受け、何やらサインをしたり、指示を出していたり忙しそうだった。
だが、俺の顔を見ると、一目散に駆け寄ってきてくれた。
「ご無事で本当に良かったです! 広場のこと聞きました。いや、本当に安心しました。龍神様を疑ってしまい、重ね重ね――」
「いいんです。そんなことは。それよりもお金についてちょっと聞きたいんですけど」
「は? お金ですか? どのようなことでしょうか」
「町の復興資金ってどこから出るんですか?」
ゴルドスタインさん兄にその話を切り出した。
ここでは人目がありますので、と彼は言って、ソファーとテーブルしかない応接室に通された。
席に着くなり彼は話し出した。
「……復興資金の源泉。町の税金です……ここだけの話、それでは足りないでしょう」
そうだろうな。
建物だけではなく、近隣の畑や森までやられているんだ。
相当な金額になるはず。
「俺にそのお金を出させてください」
だが俺は偽善者だ。
ミドガルズから貰った金塊がある。
この人なら、俺なんかが使うよりよっぽど有意義に使ってくれるはず。
「……本当ですか!?」テーブルに乗り出しそうな勢いで言うが、直ぐにその言葉を引っ込める。
「……いえ。……お気持ちは大変ありがたい……本当にありがたい。……しかし、貴方がたにそこまで迷惑はかけられません」目を伏せながら、続けて声を絞り出す。
「……お止めになった方が良い。領主様に目をつけられてしまいます」
「お金に余裕が無いのでしょう? 弟さんが言ってましたよ」
「……事の次第は報告済みです。これほどの天災の場合、特別一時金として国は早めの対策を取ってくれるはずです。領主様を通じて国へ上申し、それが通り次第、この町へと配分されるでしょう……ご安心を……」
「その特別一時金とやらは、ちゃんと使われますか?」
ゴルドスタインさん弟が、アバドンを倒そうと言った俺に対して返した言葉「メガス使い様に払えるお金なんてない」それの意味。
領主は、町の非常事態にも兵士どころか金も寄越さない。
そんな領主が国から一時金を貰ったらどうするか。
「……どういう意味の質問でしょうか?」
「クソ領主のルートを通った一時金は、きちんと町の復興に使われるかどうか、という質問です」
町になんて使わないで、着服するに決まっている。
まるで苦虫を噛み潰したように苦渋の表情を作るゴルドスタインさん兄。
「それは……お答えしなければなりませんか?」
「ええ。是非」
「……私の進退問題に関わる質問です」
「町の進退問題に関わる質問でもありますよね?」
俺の揚げ足取りに、むすっとした表情を作るゴルドスタイン兄。
「……確かに。いえ。……貴方の考えている通りでしょう。……領主様は、一時金は国からのお小遣いとしか考えていません。……でも……だったら何だっていうんですか? この町は領主様の領地内にあります。言うがままにするしかないでしょう……」
「被害額ってどれくらいになりますか?」
俺は質問を変えた。
「……概算ですが……二〇〇万ライザは軽く超えるでしょうね。とてつもない被害額です……ですが、貴方がたがいてくれたおかげで、この程度で済んでいます。それには本当に感謝しています」
「領主はどこにいますか? 誰に聞いても分からないんです」
またも俺は質問を変える。
「……し……知りません」
ゴルドスタインさん、あんたは嘘がへたくそだ。
さっき報告したって言っていたじゃないか。
「この町で一番領主の懐具合に詳しいのは誰ですか?」
「……それは……私……でしょうね」
そうだと思った。大体、初めからしておかしい。
一民間人であるゴルドスタインさんが、何故町の復興資金のやりくりをしなければならないのだ。
それは彼が、公私共に領地の資金繰りを任せられているからだ。
この領地の法律でそれがどうなっているのかなんて知らない。
そんなことはどうでも良い。
「懐具合を把握させるのは許しても、居場所は把握させない。自分の財布を預けているのに、連絡が取れないなんてことがあるんでしょうか?」
「…………」
黙るゴルドスタインさんに質問を続ける。
「保管した金を引取りに来る場合って、どうするんですか?」
「……かしこまりました。少々お待ちを……」
がっくりとしたまま立ち上がろうとするゴルドスタインさん。
俺はそれを引き止める。
「あ、ちょっと、待ってください。保管証をなくした場合、どうなりますか?」
「保管証の紛失ですか……再発行するには時間が……いえ……今すぐやります」
「座ってください。物凄く重要な話です」
痛い腹を探られて、彼の挙動はかなり怪しいものになってきた。
目をきょろきょろさせて、しきりに膝をゆする。
「……何でしょうか?」
「保管証を紛失して、それを本人が忘れてしまって、さらにそれが一切引き出されないとしたら、その金ってどういう風になりますか? 誰かが使うことは出来ますか?」
「質問の意図が分かりません。保管時効の話ですか? 今引き出す貴方には関係ないでしょう? それとも信用性の問題ですか? ここの誰かが勝手にヒトの金を使うことなど、ありえない。……非常に不愉快な質問です」
警戒の表情を色濃くして、疑った目を俺に向ける。
「俺の友人たちがすごくお金に困っているんです。俺も是非とも支援したい。ですが、正規のルートだと譲渡だとかなんだとかで、領主に税金として持っていかれるじゃないですか。一ライザも無駄にしたくないんです。どうすればいいか、困ったなあ」
「……寄付にしたらどうでしょうか……寄付の損金算入は適法です。税金の申告の際に使えます」
「そういう財テクの話じゃないんです。多額の寄付を行ったとして、領主に見つからない保証はありますか? 仮に自前のお金で、大規模な工事や食糧の配給をやったとして、バレないように出来ますか? 例えば、この町に寄付をするとして、その寄付をする宛先はどこですか?」
「国ならともかく、あの領主様の目をかいくぐれるとは思えません。領地経営は、全て領主様の権限で行われます。優秀な官僚たちが大きなお金の動きを見過ごすとも思えません。寄付先も当然、領主様になります。この町にはほとんど届かない。……いや、新しい法律を作られて、寄付自体がなかったことにされるでしょうね。……もう良いですか? 私は忙しいのです……」
疲れきったその表情。
この町の汚点を探られるのは良い気分ではないだろう。
だが、俺は町を必死で守っていたアンタの姿を見ている。
アンタはそれを善しと思っていないはずだ。
「ゴルドスタインさん。ルディスの町が好きですか?」
「……当たり前だ。私の生まれ育った町だぞ。ルディスを愛している」
ゴルドスタイン兄の表情が力強く変わる。
口調も変わった。
「町のために犯罪を犯す覚悟はありますか?」
さらに突っ込んだ話をする。
憤慨したように、ゴルドスタインさんの表情は怒りへと変わる。
語気が荒くなり、目が据わっている。
「……犯罪だと?」
怒気をはらんだ言葉。
「……横領の誘いか? 町のために領主のカネに手をつけろということか? ……私は王都で金融を学んだ。カネのトラブルは嫌になるほど見てきた。ヒトを融かしてカネに変えるのが金融だと言う者もいるだろう。……ああ、確かに私は領主の犬だ。領主の言いなりになって、犯罪スレスレのヒトに言えない汚いことは数え切れないほどやった。顧客にクズ同然の債権を握らせたこともある」
顔を真っ赤にしながら続きを話す。
「だが客のカネに無断で手をつけたことなど一度たりとも一ライザたりともない。それはルール違反だからだ。何より私の信念に反する!」
ばん、とテーブルに握りこぶしを叩きつけて、大声で恫喝する。
「例え、領主のカネを預かる財布係だとしても、それは同じだ! 領主のカネに勝手に手をつけることなどありえん! 町と私の信念を天秤にかけさせるつもりか!? ふざけるな! 確かに領主はクズだ、だが領主の人間性と、財産の処分権は全く関係がない! それこそ公私混同だ! 私をなめるな!」
目を剥いて興奮しながら俺へと言葉をぶつけた。
今にも殴りかかってきそうな勢いだ。
「……いいえ。違います。クソ領主のカネじゃありません」
俺はポケットに入っていた金の保管証を取り出し、折り目を伸ばした。
ゴルドスタインさんは怒り顔のまま、その様子を見つめる。
俺は保管証を目の前に掲げる。
端と端を持ち、ビリビリと破いた。
「二四万ライザ分の金の保管証を無くしてしまった。ああでも、忘れちゃった。もう二度とこの金は引き出されない。……さあ、どうしますか?」
怒りで真っ赤になったゴルドスタイン兄の顔は、鳩が豆鉄砲を食らったような驚きへと変わった。
しばらくフリーズして目をぱっちり開けて俺を凝視する。
俺はその視線を正面から捉えながら、頷いた。
領主にバレないように使って欲しい。
クソ領主が作ったクソ法律に抵触するかもしれない。
だがそんなことは知ったことか。
見知らぬ領主の犬だとゴルドスタインさんは自分を語る。
いいや、命がけで町を守ったアンタを信用する。
ふ、と口の中で息を吐き、彼は大きく笑い出した。
何かが吹っ切れたかのような表情と、笑顔がぐちゃぐちゃに織り交ざった顔だ。
「貴方、本当に馬鹿、ですね。信じられない。どれくらい馬鹿だか、分かりますか? 私が、知っている中で一番です。それはもう本当に……大馬鹿……う、ううう」
目じりに涙がたまっている。
しきりにそれを拭い、顔中がぐしゃぐしゃになる。
嗚咽が次の言葉をつなげない。笑い過ぎたのだろう。
「何かお困りのことがあればなんなりと、と言ってくれましたよね。今、俺は困っています。金は好きに使ってください。ゴルドスタインさんに全てお任せします。手数料もそこから引いてください」
多額の金の移動はどうしても領主の目に留まることになってしまう。
見つかったら、何だかんだと理由をつけられその金を使われる。
冗談じゃない。だが素人の俺には上手い方法なんて思いつかない。
じゃあ内緒でやるにはどうすれば良いか。
信用できるプロを丸め込むしか方法はない。
「……私ならもっと上手くやります。書類上で架空の誰かをでっち上げれば犯罪のハの字も残りませんよ。私が知っているだけでも、少なくともあのクソ領主は、五人の架空の人間と三つの架空会社を作り上げています。貴方は雑過ぎます……もう少し見習ったらどうですか?」
そんなに可笑しかったのか、鼻をすすりながら、ゴルドスタインさんは言う。ぐちゃぐちゃで汚く、愛に満ちた笑顔だ。
「そうですね。機会があればそうします」
俺の言葉を聞いて、途端に真面目な顔つきになる。
顔をぐいっと近づけて、俺に囁くように言う。
「いいや。貴方は全然分かっていません。……領主はこの町をずうっと北に進んだ別荘にいます。広大な敷地を持つ大きなお屋敷に、一〇人近くの愛人と一緒です。今なら町長もいることでしょう。是非とも教えを学んだ方が良い。少しはためになる話が聞けるはずです」
茶目っ気たっぷりで、領主の居場所を教えてくれた。
「ゴルドスタインさん。ありがとう」
その言葉を聞いて、ゴルドスタインさんは涙を流す。
最早、拭うなどしない。
両手をテーブルにつけて、深々と頭を下げながら、つっかえて言葉を搾り出す。
「礼を言われる筋合いは、ありません。……礼を言うのは……私たちです……。助かります……本当にありがとうございます……必ずこの町を元に……」
ふふふ。遂にかっこつける瞬間が来たぜ!
「お礼は――」
「――全部終わってから、ですね。委細承知しました。命に代えてでも!」
兄弟二人そろって、俺の見せ場を取るんじゃねえよ!
頼んだぜっ!
うし。
あと一つ。
――――――
――――
――
これは蛇足だ。
俺たちの道中とは、全く関係がない話を少しだけしよう。
なんと不思議なことに、その日の夜を境に復興資金は予定金額に届いた。
五人の人間と三つの会社から、巨額の寄付が行われたおかげだ。
もちろん善意の寄付であることは言うまでもないだろう。
ゴルドスタインさん兄、曰く「こんなことはありえない。一体どんな手(以下、略)」らしい。心優しい方もいるようで大変喜ばしい限りだ。
これまた不思議なことに、領主様は「龍神様お許し下さい」が口癖になったらしいが、一体どういうことなのか全く見当がつかない。きっと悪い夢でも見たんだろう。
顔は若干気持ち悪かったが、町とムシハミオオネズミを愛する、色々ためになるお話をして下さったとても良い領主様だ。
ああ、それと、マンジューシャの汁にはかなりの腹痛作用があるみたいなのでお勧めしない。色々大変なことになる。……らしい。
俺とリント姫とヴィゾとニーズが、次の日の朝、寝坊をしたことで揃ってマリアに怒られたのは単なる偶然だ。ミドガルズがあくびばっかりしていたのも偶然に過ぎない。
恐喝とか拷問なんていう恐ろしい犯罪とは全く接点のない一般人が、ちょっと夜更かしして朝寝坊をしてしまった。そんなありきたりな話に特筆すべき所などない。
三つ目の偽善を完了させた話、いや偶然が重なった話など、大変面白くないので、この辺にしておくとしよう。




