龍を倒す下準備
高さ数十メートルはありそうな断崖絶壁が、黒い石ころだらけの地面をぐるりと取り囲んでいる。
漂う硫黄の匂いから、おそらく火口なのだろう。
高い壁に囲われて日が当たらない割には暑い。
床暖房のように地面から放熱され温められているからだ。
俺たちはそんな閉鎖空間のど真ん中にいた。
1辺が2メートル程度の木作りの祭壇らしき物が、俺たちの現住所だ。
出入り口は一つしかなかったが、頑丈そうな無骨な扉でがっちりと蓋をされていた。
上空を見上げると、さも気持ちよさそうに大空を旋回する五匹の龍がいる。
距離感が良く分からないが、個体によって大きさは違うようである。
一際大きいものを除けば、おそらくダンプカーくらいだと思えばいいだろう。
まずは敵のことを知らないとどうしようもない。
「あとどれくらいであの爬虫類どもは襲ってくるんだ」
「龍様! 何て罰当たりなの!」
「いいから」
「……そうね。多分、日暮れになったらだと思うけど。ここからだと太陽が見えないから正確には分からないわ」
確かに。
こんな日の当たらない空間ではそうだろう。
ポケットの中を探し、中に入っていた物を取り出す。
電波のないスマホ、家の鍵、財布、時計。
今となっては何の役にも立たない。
取りあえず、現代っ子の俺はパシャリと龍を撮った。
撮った画像をズームで確認する。
やらなければ良かった。
黒と紺色の中間くらいの色をしている龍。
顔面には巨大な瞳が黄金色に爛々と光り輝く。
太い腕の先には触れる物全てを破壊するであろう爪が生えていた。
大きな翼には薄い皮膜があり、うっすらと血管らしきものが確認できた。
その圧倒的な存在感に身震いした。
これは現実なのであるという危機感が俺の体をすくませる。
硬そうな鱗がびっしりと体中を包んでいたのだが、よくよく見てみると、龍には大きさ以外の個体差が合った。
鱗の一部分が白いのだ。
何だろうあの部分は?
「何か持ち物無いか?」
「アナタなんでそんなに偉そうなの? ……火打石と短刀だけよ」
嫌そうに二つを取り出して、しぶしぶ俺に渡す。
火打石ってはじめて見たな。
結構しっかりした作りの割には妙に軽い。
「何のためにこんな物持ってるんだ」
「夜になって龍様が私の所に来る時、見えづらかったら困るでしょ?」
マリアは、祭壇の傍らにある火のついていない松明を指差して言う。
ああ、照明用か。ご丁寧なことで。
「短刀は私が耐えられなくなったら、自害するようにって母がくれたの」
何を言いたいのかは分かったが、あえて想像することはない。
「……やるだけのことはやってやる」
手持ちの持ち物では、とてもあの図体のでかい生き物に勝てる気がしない。
祭壇を一通り見た限りだと、彫り物程度の細工はされているが、塗装やニスなどと言った防水加工が施されていない。
太い木を組み合わせて作っただけの、使い捨ての簡易の祭壇らしいことが分かった。
どちらかと言うとキャンプファイアーの井桁型に似ている。
確かにあんな巨大生物が祭壇を傷つけずにいてくれる保証なんて無い。
お祭りなどでご存知の日本の神輿は、確か一台当たり数百から数千万、場合によっては一億円近くする超高級品だ。
たとえ、龍様の生贄だとしても壊されるのはもったいないんだろう。
だが、そのけち臭い考えのおかげで、少し希望が見えてきた。
力を入れると、意外なほど簡単に骨組みが解体できた。
何て罰当たりなことをするの、と言った外野からの野次は聞こえない。
分別すると、四枚の板と一六本の丸太と二〇本の細長い棒の資材が揃った。
丸太と棒を借りた短刀で削る。
いやに軽い丸太だな、とその時は思った。
木がもろいのか、母の愛の詰まった短刀の切れ味が鋭いのかは分からない。
先端を尖らせて槍にするつもりだったのだが、思うよりも簡単に木は削れていった。
祭壇の主役の座から降ろされたマリアは、じっと伺っている。
尖った砂利の上では痛かろうと思い、板を提供したと言うのに、まだ怒っているのだろうか。
「なあ、あんたさ。将来何になりたいとか、あったのか?」
一々びくりと体を震わせる。
化けの皮がはがれた暴言処女の仕草を可愛いなんてもう思わない。
「何よ。急に……」
疑わしそうに俺に返事をする。
「龍に選ばれる前はどんなことをしたかったのかなあ、なんて。いや、暇つぶしの世間話だよ」
「……お花屋さんかな」
何て不謹慎なの、と噛み付きそうな顔でマリアは言った。
「へえ。可愛らしい夢だな」
不安になりながらも話し相手が欲しかったんだろう。
一度口を開いた彼女は、意外にお喋りだった。
「そう思うでしょう? でも実際のお花屋さんって朝は早いし、花の管理は大変だし、儲かるけど希少な植物の取り扱いには免許がいるし、どんな冠婚葬祭にこういうお花が必要だとか勉強しなくちゃいけないし」
「まあ実際はそういうもんだよな。実家が花屋なのか?」
「そうよ。例えばね。ケガのお見舞いにお花を持っていくとするじゃない。そういう時は、お花屋さんで聞いたほうがいいのよ。お見舞いにはこのお花がお勧めですよって、ちゃんと面倒がらずに教えてくれるから。この前来たお客さんでね、綺麗だからってお店に飾ってあったお花を持っていっちゃったの」
「ほうほう」
「それが上司へのお見舞いのお花だったんだけど、そのお花が枕元に飾ってあるのを奥さんが見て、浮気を疑っちゃって大変なことになったみたいよ」
「何で?」
「花言葉が『恋わずらい』だったから」
「なるほど。確かに知らない人と知っている人じゃ受け止め方が違うな。俺の聞いた話なんかじゃ、鉢植えの花はお見舞いに持って行っちゃいけないなんて言われているけど」
「何それ? 初めて聞く話」
「根っこが張っている植物は、根付く、つまり寝付くって音の響きが似ているからあんまり縁起のいいものじゃないってことさ」
「え? どういうこと? 根と寝るじゃ全然違うじゃない」
「だから、根つくと、寝つくって同じように聞こえるだろう?」
「全然聞こえない。何言ってるのよ」
「ふとんがふっとんだってことだよ。アルミ缶の上にあるミカンみたいな。ダジャレみたいなもんだ」
「ふとんが飛ばされてどうしたの? あるみかん? 何のこと? ダジャレになってないじゃない」
おいおい。何だこれは?
全く通じてないぞ。
っていうか、結構有名な話だと思うが。
「もういいよ。ミカンについては」
一々説明するのが面倒になった俺は話を打ち切った。
「アナタが言い出したことでしょう?」
「今、いくつなんだ?」
「話が急に飛ぶし。今日が一五歳の誕生日よ。分かるでしょう?」
「わかんねえよ。アンタの年なんて」
「生贄にされる年齢なんて誰でも知っていると思うけど……」
「あいにく学校はサボっててあんまり行っていなかったんだ」
「え? 『学園』に行ってたの!? 凄いじゃない!」
「だから、学校だって言ってんだろ! 逆に言いづらいだろ学園って」
「アナタさっきからおかしいわよ?」
木を削る間の暇つぶしに会話をしたのだが、妙にちぐはぐな会話だった。
これがコミュ障ってやつか、と嘆きながら根気良く得体の無い会話を続けて、この世界の世界観と言うものが段々分かってきた。
アスガルズというこの世界には実に分かりやすいルールが存在している。
あの巨大な龍たちに人間たちは逆らうことが出来ない。
あの馬鹿でかい図体だけではなく、未来予知とも言うべき超能力を持っているから討伐などといったことは早々に諦めた。
自主的に上下関係の下についたのだ。
そのため人間たちは、生贄という形を持って龍への従順の証とする。
生贄という制度は随分昔から続いているようで、なんでも最初は、野菜や果物などの作物の実りに感謝するという形で収穫物を分け与えるという方法だったのだが、ある日、何かが龍の逆鱗に触れたらしく小国を滅ぼされてしまう大きな事件が起きてから、制度が抜本的に見直されたらしい。
今ではその小国は立ち入りが禁止されるほど危険な地区になってしまった。
とにかく、それからというもの人身御供という生贄献上方式になったという。
龍たちは一月に一度国中の地区を周り、生贄を指名する。
栄えある生贄に選ばれた者は一五歳の誕生日に生贄とされるべく、ここ火口にあらかじめ組まれた祭壇へと運ばれる。
「酷い話だ」
「だから必要最小限の犠牲なの、ってこれは受け売りなんだけどね」
「俺の国じゃ、そういう考え方は良しとされない」
「アナタの言いたいことは分かるけど、現実的じゃないわ。私一人が犠牲になることで得られる安全の方が大事だと思う」
「アンタはそれでいいのか?」
「……うん……本音を言うと……ちょっと嫌かも……」
「今まで生贄が逆らって龍を攻撃したことはないのか?」
「聞いたこと無いよ……まさか、アナタ何かするつもりなの」
「さっきから思ってたんだけど、俺、ちょっと変なんだ」
「わざわざ言わなくても知ってる」
マリアのそんな軽口を無視し、加工した資材の先端を確認する。
話をしながらも、丸太一六本、棒二〇本の合計三六本の槍が出来上がっていた。
そのうちの棒一本を持って立ち上がり、マリアの方に目線を向ける。
マリアは、何をするつもりなのか分かっていないようだった。
服についた木屑を払いながら、遠く離れた岩壁に向って手製の槍を構える。
指に力を込めると、棒がミシミシと音を立てる。
腕から溢れる力が、俺に自信を与える。
これはいけるぞ。
背筋を思い切りそらせ、その反動にまかせ思い切り振りかぶる。
胸筋を収縮させ、三角筋、上腕二等筋、前腕と力を走らせる。
筋肉から伝道される力が、そのまま槍に乗り加速がかかった瞬間、握力を解放し槍を手放した。
投槍だ。
すさまじい速さで射出された槍による、風を切る音がうなる。
轟音と共に岩壁に突き刺さった槍はその圧力に耐え切れず、半ばまで刺さったところで破裂した。
余波によって崩れる岩壁がガラガラと音を立てる。
「な? 変だろ」
ドヤ顔で振り返ると、ガクガクとあごを鳴らせ、恐怖の目で俺を見つめるマリアが見えた。
一層ぷるぷる震える仕草にはちょっとだけ萌えた。
「……アナタ、何者なの?」
「さあな。俺にも良く分からん。しまった……やっべえ」
今まで悠然と上空を泳いでいた龍たちが、音に気付いたのかこちらに向ってくるのが見えた。