血塗られた堕天
『ジャアジャア。そういうことで。残念だなあ。絶対知っておかなきゃいけないことなのになあ』
『まだ言うか。くどいぞ。人間はこの者がいるから大丈夫である』
なおも続いていた交渉はやっと大詰めに入ったようだった。
ぷくっと顔を膨らませる、にゅ龍。
膨れ面のまま、姫龍に言う。
『……姫様殿下。その、頭のお飾り、そういう物は置いて行ったほうがいいですヨ』
にゅ龍は、ぶしつけに姫龍の体を指差した。
『ティアラとネックレスと耳飾りのこと? どういうこと?』
『堕天すると、その大きさの装飾品だとケガするかもネ』
ああ、なるほど。
確かに姫龍は小さいとは言え、龍のサイズだ。
当然、装飾品も龍サイズだ。
堕天して人間の大きさに体がサイズダウンしたら、相対的にそれらの小物はかなりの大きさになるはずだから、確かにケガをしかねない。
例えば、龍にとってはピアスの穴サイズでも、人間にとっては小石サイズだ。
耳に風穴が開いてしまう。
想像するだけで痛い。
『盗む気じゃないでしょうね』
そう言いながらも、姫龍は体を彩っていた装飾品を外した。
ニーズとヴィゾもそれに習い、装飾品を外していった。
小、中、大の大きさの龍は、こうやって見るとやっと区別が付くようになってきた。
姫龍は色々小振りな体。
ニーズは角が他の二匹より大きい。
爪龍と言われるだけあって、牙と爪の大きさはヴィゾが上で、傷痕でも分かる。
必ず体の一箇所に白い所がある。
例えばニーズは肩の近くにそれがあった。
人間に龍の細かい違いは分からない。
だが、こうやって同じ時を過ごせば段々区別がつくようになるんだな。
外国人の見た目が分かり辛いのと同じだろう。
しばらく一緒になれば分かるようになるんだ。
これはきっと、これから役立つ知識だろう。
ヒトも龍も同じなんだ。
『……そんなことしないですよ。ちょっと思ったけど、ミドガルズオルム殿下がいるんじゃムリです』
コイツ、マジで正直者だなあ。
呆れるよホント。
『じゃあ、こっち着いて来て下さい。一人ずつ堕天しますから、他の人はココで待ってて下さい。勝手に触っちゃダメですからね。棚は絶対ダメですよ。ゼッタイだからね。後でカエルちゃんあげるからいいコで待ってってよぉ?』
そう言って、にゅ龍と三匹は部屋から出て行った。
『何か揉めてたみたいだけど、大丈夫か?』
ミドガルズにそう聞く。
『ああ、大丈夫だ。人間社会の情報なぞそなたがいるから良いと言うのに。アヤツは中々折れなかったので難儀したが、そなたがいたおかげで何とか説得できた。それより、そっちの方は良いのか?』
この世界独特の特殊な情報だったら正直自信がないが、マリアがいるから大丈夫だろ。
この時そう思った馬鹿な俺を、褒めてもとい、止めてやりたい。
『うん。マリアも『学園』に行くって言ってる。勝手に決めちゃったけど、いいか?』
『ほう。どうやって説得したのだ?』
『自分から言い出した』
『そうか、そうか。我輩の目に狂いは無かったのだな。うむ、これで懸案事項も消えたな』
ミドガルズがわざわざ才能を発掘したのだ。
それを俺がぶち壊した形になる。
もしかしたら、ミドガルズに迷惑をかけていたのかもしれない。
少し心配していたのだ。
マリアが『学園』に行かない決定を生み出した俺は、責任を感じていた。
これだけ世話になっておいて、それをあだで返すかもしれないことに。
ミドガルズはそんなことを言わないだろうが、それはまた別の話だろう。
『それは良かった。……で、ミドガルズ。一つ手を貸してくれないか?』
『なんだ?』
俺は悪い笑顔をミドガルズに向けて、先ほど登りかけた棚を指差す。
『棚に何を隠してあるのか、捜査しようじゃないか』
『そうだな。ここは少々キナ臭い』
いたって真面目にミドガルズはそう返した。
――――――
――――
――
『何だコレは。こんな物を溜め込みよって……全く。あの者が考えていることが分からん』
かなり大きいサイズの棚だったため、ミドガルズに物色してもらった。
棚を開け、中を覗き込む龍は下から見ると、何か手にとっている様だが、何なのか分からない。
『……まさか、体の一部とか、あったりするの?』
『いいや、安心しろ。布切れだけだ。それも小さい物が多数。どこから持ってきたのやら。……む、変な形だな。用途が分からん』
良かった。
きっと、ハンカチとかカーテンとかそういう物なんだろう。
てっきり人間を捕まえて閉じ込めていたり、または想像するのも恐ろしいが、FBIに指名手配されている猟奇殺人者みたいに誰かのパーツでも入っているんじゃないかとひやっとしたが。
まあ、アイツは人間に負けるくらい弱いヤツらしいから、その心配はし過ぎか。
『これは何に使うのだ?』
ミドガルズは上から尋ねてくる。
手には小さな布らしき物がひらひら揺れていた。
『見せてくれ』
俺は見上げながらミドガルズに言った。
なんだろう。
もしかしたら、異世界独特の儀式めいた物だろうか。
まあ、いいや。どっちにしても見なきゃ分からん。
『落とすぞ』
ミドガルズは小さな布を俺に落としてきた。
宙をはためきながら、ゆっくりと俺の手元に落ちてくる。
レース仕立てで出来たそれは、俺の来た世界でも見た事があった。
いや、はっきり直接見たことはなかったが、……これは。
これはっ!?
驚愕の事実を語る、そのブツは、小さいながらもとんでもない存在感を放っていた。
だが、次の展開が俺の握るふわっとした神聖なるそのブツを取り落とすほどのショックを与える。
――――――
――――
――
『堕天したよ! ねえ! 見てみて!』
おお、とミドガルズが棚に手を掛けたまま、感嘆の声を上げる。
向こうから甲高い可愛らしい声が響いてきた。
『どこからどう見ても人間になりましたな、姫』
そうコメントするミドガルズ。
姫龍と思しき少女の影が、大声を上げながら、ドタドタと走ってきた。
すげえ。
あれが本当に元姫龍か?
ちゃんと人間になっている。
まるで黄金色にたなびく麦畑のような、亜麻色の長い髪。
まつげと眉毛がくっきりと彩った、意思のはっきりした目元。
美しく通る鼻筋は完璧な位置に配置している。
小さな顔と小柄な体。
透き通るような真っ白な肌には、ほくろ一つない。
何も……ない。
「きゃああああ」
隣にいるマリアが全力で叫び、俺に平手をかました。
「見ちゃダメえええええ!」
マリアは俺の目を手で覆おいながら、かぶさる様に俺にのしかかる。
みるみると俺たちに近づいてくるリント姫。
当然ながら、はっきりと見えてしまう。
色々なところが、何も隠す物がない状態で。
さすが元龍だけあって、マリアをぐいっといとも容易く、優しく脇へ押しやる。
俺たちの間に割って入るように、リント姫は俺の手を取り、尋ねる。
マリアとリント姫の両者は言語の違いから、その言動の意味が理解できていない。
『今はちょっと待ってね。……ほら、良く見て。こんなに柔らかいんだね人間の体って。ちょっと触ってみてよ』
マリアをあやすように脇に押しやりながら、俺に詰め寄る。
童貞である俺は、そんな修羅場に経験など無い。
フリーズ状態でなすがままだ。
その手がダヴィンチコードに触れる。
何を言っているのかの説明はあとでさせてくれあたまがまわらないつるりとしたそのはだにふれたしゅんかんにおれのあたまをめちゃくちゃにかきまわす――。
『いやっ……ちょっと……待ってく……』
逆らおうとしたはず。
棒切れで爪龍と闘い、元将軍と闘えるほどの力を持った俺だ。
だが何故か全く無力だった。
逆らえるわけない。
や、ややややややわらけええ!
ぶっと鼻血が出る。
性的興奮と鼻血には医学的な根拠は全くないと証明されている。
ないのだっ!
ないはずなのに!
「ああ! 何やってるのよ! ダメなんだよっ! そんなことしちゃ!」
マリアがなおも俺たちの間に入ろうとする。
『ちょっと邪魔しないで。ね、お願いだから。……え? もしかしてリントブルームおかしいの? 心配になってきた……ほら、固まってないで触って、柔らかすぎるのかな……?』
「そんなこと言ってる場合じゃない! アナタ裸なのよ!」
『きちんと堕天出来ているか知りたいだけだから大人しくしてて。もう、何言ってるのこのコ?』
奇跡的に意思疎通が取れてそうな会話が出来てやわらかくてすべすべしてる。マリアには一体なんて聞こえてるんもっちりしてるのにさらっさら。
リント姫の小さな胸に手を当てて、鼻から血を流した俺は、頭の中がぐるぐる回りながらも、そう思っていた。
れ、れれれ冷静になれ、俺。
血圧と脈拍と動悸と息切れと、その他様々なバイタルサインがレッドゾーンに突入する。
すう、はあ――
これは唯の検分だ。
何一つやましい気持ちなどない。
きちんと堕天しているのか確かめる作業に過ぎない。
R18的な意味など1ピコすら存在しないはず。
医学的社会的堕天的な確認作業の一環なのだ。
ドクドクと心臓が破裂しそうになりながらも、何とか平常心を、鋼の心を取り戻す。
よし、冷静に――
『強き者っ! 大変だ! オレ失敗したかもしれない!』
ダッダッダッと小気味良いリズムで地面を蹴る音が聞こえる。
しなる体は良く鍛え上げられていた。
うっすらと筋肉の曲線が浮き上がる体は、すらりと伸びた手足を自由自在に扱っていた。
大きな垂れた目が俺を見つめながらも、焦った表情をかもしだす。
走りながらなためリント姫に比べると短めの黒髪が宙に舞う。
胸元に存在を主張する二つの大きな物体もばいんばいん宙に舞う。
俺の鼻血は、もはや噴水の如き勢いで宙に舞った。
『お、おお、おおお、お前!!?? メスだったの!?』
そんな当然の疑問にも法龍ニーズは応えてくれない。
顔は心配そうな表情を全面で訴えていた。
『おい! 強き者! オレの体めちゃくちゃ柔らかいんだけど失敗したのか!? ほら、この部分が……何だ人間っ! ちょっと今は邪魔しないでくれ! オレの緊急事態なんだ!』
マリアは、わあわあ言いながら俺たちを引き剥がそうと必死だ。
そんなマリアをまたも、今度はニーズがひょいとどかして、超近接距離にまで近づいてくる。
パーソナルスペースなんてお構い無しだ。
リント姫を触っている俺の右手。
もう片方を取って胸に手を埋める。
う、うまる!? 俺の手うまってしまうの!?
プリンの如き柔らかなその質感は俺の意識を根こそぎえぐり込むようにぶん回す。
『――あ。ちょ、ちょっと待ってくれ。オレそこは防御力が、スゴク弱くなってる。へ、変な感じする。優しくしてくれないと、オレ、ダメになる』
うわわあああ。
なんつーこと言うんだ。
マリアはそれを「離れて! ダメだって言ってるでしょう!」と人間言語で鬼の形相で止めようと暴れていたが、ニーズに阻まれ上手くできない。
頑張れマリア俺はもうダメだうもれちまう。
誰かたすけ……なくてもいいかも。
至上の感触を両手に花しながら、俺は意識の片隅でそう思っていた。
三度の接近が俺たちの前に聞こえてきた。
『――歩きにくいな。この足の位置は、む、当たってしまう。どうすれば良いんだこれは』
『完全二足歩行になるとどうしてもそうなるみたいですネ。しかし良いフォルムしてますね。ちょっと触ってみても良い? あ、ぶった! ケチケチケチ!』
相変わらず騒がしい斑のにゅ龍と、背の高いがっしりとした体格の人間が話しながらこちらに向かってくる。
悠然と歩きながらもまだそれに慣れていない足取りで歩くその影は、顔に大きな傷をもつ男だった。
さらりとした茶色い前髪は、その傷を隠すか隠さないかくらいの長さだ。
酷使されつくした挙句、その形に収まったであろう筋肉は全身を覆い、かといって分厚いわけでもなく、機能を追及させて鍛え上げられた形を主張する。
胸板と腹筋は綺麗なカットで削りだされたように、無駄な脂肪がなかった。
やっぱりコイツ、イケメン属だったのか、と妙な嫉妬を起こす前に、劣等感に打ちのめされた。
……でけえ。
身長ではない。身長も大きいほうであったが、そうじゃない。
とんでもなくでかいのだ……。
『む。姫様ですか? やはり人間になってもお美しいですな。それに比べてニーズ。何だその胸の脂肪は。もっと精進せい。だらしない。おい貴様、自分のも検分してくれ。……どうした、血が流れているぞ?』
いや、ごめんなさい。
それだけは触りたくないです。
『お世辞かどうかも良くわからないわね。でもありがとう。アナタもいいと思うよその形』
『閣下、面目ありません……なあ、強き者、オレやっぱり失敗したのか? 心配なんだよオレ。あ、そこはもっとそっと、して。何か、尖ってきた。変か? オレ何か変なのか?』
ヴィゾの色んなパーツを息を呑みながらじっくり鑑賞していたマリアは、はっとしたように俺の方に向き直って再度叫びながら、平手を振りかぶる。
「きゃあああああ!」
頬に平手が再度めり込む。
だから何で俺を叩くんだマリア。
その勢いで五人が固まっているところから、はじき出される俺。
もう抵抗する気もない。
勢いに任せて地面にひれ伏す。
『ねえ! 堕天出来てるのか、ちゃんと確認してよ! わあ。尻尾が無いの変な感じ。リントブルームなのに、リントブルームじゃないみたい』
『姫様、ちゃんと人間になっています……オレはそう思います。強き者、姫様もこうおっしゃっている。きちんと確認してあげておくれ。相方の頼みだ』
『貴様。姫様のご確認がまだ残っているのに何を休んでいるのだ。おい、どうした? 大丈夫か?』
『ヒヒヒッ! おヒメ様方、スゴクお似合いですよ! イイナイイナ。やっぱり写生しちゃダメなの? ボクのコレクションの中に加えたいのに?』
奇声を上げながら俺をぶん殴ったマリアは、口元を抑えてまたもや叫びだす準備をしようとしていた。
一刻も早く、何とかしないと……。
俺は手に持ったブツを握り、素っ裸である元龍に飛び掛ろうとした。
白い女物の下着だ。
せめて下だけでも隠してくれ。
出血多量で死んでしまう。
「何するつもりなのっ!?」
再度、マリアの平手が俺の頬にめり込んだ。
……誤解だ。
もうどうにでもしてくれ。
――――――
――――
――
棚の中には、色とりどりの人間の着る服が入っていた。
『何で勝手に棚開けたの!? ア、ア。殿下これは違うんです。ちょっと人間が干していた物を失敬しただけで、盗むつもりは……無かったわけでもないですが。服っていう布で自分たちを包むこと、知らなかったでしょ。キシシ』
『この量は失敬で済まされる量ではないわ』
『えっへん。えっへん。スゴイでしょボクのコレクション。アア、違うんです。ゴメンナサイ』
『いや、こればっかりはマジで助かった』
俺はにゅ龍にそう言った。
人間と龍の、大きな違いは、その道具にまで及ぶ。
例えば以前、俺が背中に背負っている『レーヴァンテインの枝』を取りに言った時にミドガルズは剣というものがどういう物か知らなかった。
こうなる結果を気付くべきだったのだ。
龍は服など必要ないから、服がどういう用途で作られているのか知らないのだ。
にゅ龍が先ほど重要だ何だとぎゃあぎゃあ言っていたのは、全く重要な情報だった。
服を着なければ、人間社会では変人に思われてしまう。
その通りだ。
って言うか、危うく出血多量で死ぬところだ。
『デショデショ? うーんニンゲンってやっぱり賢いネ。いいよぉ特別にカエルちゃんあげちゃう!』
だからいらねえって。
部屋の隅ではマリアが、俺をハッピーエンドの死の淵に追いやろうとしていた、二人の全裸少女に服を着せていた。
俺の意思とは無関係に動き暴走しようとする目を、何とか制御する。
俺は嫌々ながらも、ヴィゾに服の着方を教えた。
飲み込みが早いか、手足をするすると袖に通して何とか男同士での接触を逃れる。
『なるほど、布で包めばブラブラしなくなるのか。……ふむ。何のためにあんな布で全身を包んでいるのかと思えば、こういう理屈か』
……感心するなよ、ヴィゾ。
みんながみんな、お前のようなビックシティなわけではない。
ちくしょう、と思いながらも俺はその意見を否定することが出来なかった。
自分が限界集落であるなどと、認めたくなかったからだ。