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15 おとぎ話の住人

 くしゃりと草を踏みながら、それまで黙って話を聞いていたシルフが少し考え込んだ様子で話す。

「――確かにその話を聞く限りだと『精霊の行進』に似ているけど、違うだろうね」

「なぜそう思うの?」

「生まれたばかりの精霊は弱い。まだ自分の姿も保てないから光っているように見えるだけで、それはほとんどただの力の固まりみたいなものなんだ。だからたくさんの生まれたばかりの精霊で集まって育っていく」

「つまり、一つの光だけがそこにあるというのは考えられないことか?」

「そう思うよ。僕も生まれたばかりのことだからあまりよく記憶していないけど、僕ですら他にも同じ時期に生まれた精霊たちと一緒に育ったから」

 シルヴェストが聞けば、シルフはうんと頷いた。こうし平然と一緒にいるので忘れがちであるが、シルフは風の精霊を統べる精霊である。その彼ですら他の精霊と身を寄せ合っていたというのであれば、あの紫の光の主が精霊であるならかなりの異端ということになるだろう。

「じゃあ、噂の正体は……」

「――エステル!」

 ぼんやりと考えていると、突然シルヴェストが背に掛けていた盾を構えてエステルの前に立つ。そしてシルフが風の守りで三人を包んだのもそれと同時であった。

 そしてすぐ傍にあった木の幹を鋭く貫くような音がして、それを見ればそこには先ほどまで無かった変わった形の矢が刺さっていた。


「――久しぶりだっていうのに大した挨拶だね?まったく、僕の尻尾を掴んで離さなかった悪戯坊主はどこに行ったんだか」

 シルフはその矢が飛んできた先を見つめて、呆れたように大きなため息を吐いた。だがゆらりゆらりと揺れる豊かな尻尾を見る限り、シルフにも向こうにいる人物にも害意はないようである。

 そしてそのままシルフの視線の先を見ていると、その先からくすくすと笑みを零しながら軽やかに枝を渡って一人の青年が降りてきた。華奢ではあるが体つきはしっかりしている。エステルよりも明らかに筋肉がついていて重そうなのに、その身のこなしは鳥の羽のように軽い。その動きは彼の重さなんてものをまるで感じさせないのだ。そして目深にかぶったローブを下ろしてくすくすと笑うその表情はエステルが今までに見たどの男の人よりも美しく、人間離れしていると言って良いほどだろう。声のトーン、体つきから彼が男性であるとはっきりと分かるのに、まるで女性であるかのようだった。

「守りを固めているはずの森の奥で人間の気配がしたから驚いてね。……あれ?それとも、僕の矢も防ぐことができなくなった?シルフはもうおじいさんだものね」

「へぇ?僕にそんな口を利くの?君のお姫様に色々とお話してあげなくちゃいけないみたいだね」

「――シルフ様、申し訳ない!俺のしつけが至らずに坊ちゃんがこんな風になってしまったのも、俺の責任だ」

 ピクリと耳を動かして呆れた様子のシルフの前に一匹の大きな狼が現れた。彼もまた気配もなく現れ、人語を簡単に操っているところを見ると高位の精霊であることが聞かずとも分かる。

「本当だよ、フォーレ。幼子のラズはあんなに可愛かったのに。ああ、嘆かわしいことだね」

 さらに大きなため息を吐いたシルフはフォーレと呼んだ大きな狼を見る。フォーレと呼ばれた狼はシルフよりも一回りは大きく、圧倒的に彼の方がシルフよりも強そうだ。それであるのにしゅんとうな垂れたような様子でシルフに頭を下げている。


 しかし、そんな状況に一切着いていけていないのはエステルとシルヴェストの二人である。どうやら現れた青年たちはシルフの古い知り合いらしいが、今の所彼から紹介もない。口を挟んでいいものかと考えていると、ぱさりぱさりと風を切る音がして近くの枝に一羽の美しく白銀に輝く鳥が留まった。

「――皆様、お茶の準備が整いました。そちらのお嬢様方も混乱しているご様子です。こんなとことでは何ですから、どうぞ屋敷の方へどうぞお越し下さい」

「アル。屋敷の主人は僕なんだけど?」

「――と、奥方様からの伝言でございます」

 鳥は当たり前のように発言して、ラズエルと呼ばれた美しい青年の肩に留まる。

「……はぁ。トーコが言うなら仕方ない。僕はラズエル。この先に僕の屋敷があるから着いて来て。トーコも人間と話すのは久しぶりだから喜ぶよ」

「私はエステル、彼はシルヴェスト。ええと、貴方は?」

「この森の主さ。人間は『迷いの森』と呼ぶんだったかな?」

 美しい青年はそう言ってにやりと口角を上げて笑った。




 そして青年と精霊たちと連れられて着いた先には、美しい花園とこんなところにあるのが不思議なくらいの古く趣きのある屋敷があった。鬱蒼と茂っていたはずの森の中に光が差し込み、色とりどりの花々が咲乱れる花園。そしてそこから先に視線をやると、こんな森の深くにあるとは信じられない美しい屋敷。白い壁は美しく磨かれていて、おそらく王宮のそれよりも凝った装飾がされているだろう。前に訪れた古い神殿にあったものと似ていて、趣のある古さというものを感じる。

「――いらっしゃいませ。私はラズの妻のトーコです。どうぞ中へ入って下さい」

「初めまして。私はエステル、彼はシルヴェストです。突然お邪魔してすみません」

「トーコ殿、失礼する」

「ふふ。いいんですよ。どうぞこちらの部屋へ。久しぶりにお客様をお招きしたから、張り切ってクッキーを焼いたの。お口に合うと良いんですけど」

 屋敷で出迎えてくれたラズエルと同じ年の頃の女性はそう言ってふわりと笑うとエステルたちを中に招き入れる。彼女が動くとふわりと優しい花の香りが漂い、傍に庭に咲いていた花が生けてあることに気付いた。淡い黄色の花弁がたくさん重なったその花はまるで彼女のようである。優しい色の黄色は周りの雰囲気を明るくし、仄かに香る花の香りが周囲を癒す。

「お気遣いありがとうございます。お言葉に甘えて、失礼します」

「奥様、お茶をお持ちしました」

「アル。ありがとう。――アルのお茶は美味しいんですよ。どうぞ召し上がって」

「ありがとうございます」

 勧められるお茶を一口飲むと、仄かに香るベリーのような甘い香りがふわりと香る。温かいお茶はエステルの体に染み渡るように感じた。


 だが、そこで一息ついて時間が止まる。

 思えば、ここには紫の光のことを探るためにやって来たはず。それなのに、今ここでのんびりお茶を飲んでいる。


「お茶もお菓子もとっても美味しかったです。ありがとうございました。私たち、用事があってそろそろお暇させていただこうかと思います」

 お茶を傾けて飲み干すと、同じようにカップを空にしていたシルヴェストと視線を合わせて頷く。そして目の前に座るトーコに向かって礼を言えば、その後ろのデスクに腰掛けていたラズエルがカップを持ったまま思案顔で続けた。

「――紫の光のことだったよね?」

「ご存知でしたか」

「僕はこの森の主だと言ったじゃないか。外の人間たちがアレを見て騒ぎ立てていることくらい知っているさ」

 ラズエルはさも当然のように言って、その美しい顔で微笑んだ。

「……あの。シルフともお知り合いのようでしたが、その森の主と言うのは……?」

 それは彼に最初に会った時からの疑問だ。シルフは知っての通り精霊であるが、どこにでもいるような風の精霊ではなく、四大精霊の一つシルフである。そういうこともあって、シルフは誰の前にでも姿を現すわけではなく、彼と契約できた人間の前にしか姿を現さないのだ。それなのにラズエルはシルフを昔から知っているような口ぶり。

 しかし、精霊特有のその気まぐれな性質もあってシルフと契約している人間は現在エステル一人だけのはずなのである。

「正確には森の主の座を先代から譲られたんだけどね。僕はハーフエルフだから本来はその権利はないし」

 そう言ってラズエルはゆるく笑いながら顎まである艶のある黒髪を耳にかけた。その仕草で何気なくその様子を見ていると、彼の顔の横についているそれが自分たちのそれと明らかに形状が違うことに気づく。

 人間であるならば、多少の違いはあれど耳の形は丸くカーブを描いているものだ。それなのに、彼のそれは先が上に向かって尖っている。そう、まるでおとぎ話の「エルフ」のように。

「え……エルフ?」

「だから、僕はハーフエルフだって。……あれ?もしかして、エルフって見たことない?。最近はエルフもここから去るばかりで、人間の世に出る変わり者なんてほとんどいないからね。これもまた時の流れなのかもしれないけど」

 エステルが驚いて聞き返すと、ラズエルは少しだけ寂しげに笑った。

「私、エルフっておとぎ話に出てくる空想のものだとばかり……」

 エルフという言葉は知っている。幼い頃に好きだった冒険物語の登場人物には欠かせなかったし、国の歴史にもエルフという種族が多少なり関わっているという話もあるくらいだ。しかし、そういう種族が本当に存在しているという話を聞いたこともなければ、当然ながら見たこともない。そうなるとそれは空想上のものだと物心が付く頃には思い込むようになっていた。

「信じられなければ精霊魔法の一つでも見せようか?ただの人間には使えなかったはずだよね?」

「あ、いえ!大丈夫です。ただ、少し驚いてしまっていただけです。エルフの方にお会いできて嬉しいです。……あ、もしかしてトーコさんもですか?」

「ふふ。それは褒め言葉だと思って良いのかな?でも、私はただの人間。縁があってラズと夫婦になってここに住んでいるの」

 はっと思いついてトーコを見れば、彼女はくすりと笑って自身の丸い耳を見せた。確かにそれはエステルのそれとほとんど変わらないように見える。

 トーコの後ろに立っていたラズエルは幸せそうに微笑むトーコの肩に手を置いて、幸せのオーラがあるとすればそれのことだろうと思わせるような説得力を醸し出していた。そんな二人を何だか羨ましいような気持ちで見ていると、隣のシルヴェストが咳払いを一つして口を開いた。


「――それで、紫の火の玉のことなのだが?」

「ああ。アレね。見たいの?」

「……で、できれば」

「そう。いいよ。今から行く?」

 ラズエルはそう言うと、まるで散歩にでも誘うかのようなトーンでエステルたちを見た。

読まなくても問題ありませんが、今回の登場人物たちの馴れ初めはこちら

「彼の設定はハーフエルフらしい」

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