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14 森の異変

 賢者の塔近くの町の食堂で食事を取っていた時に、ある話がエステルたちの耳に飛び込んで来た。

「――あの噂聞いたか?」

「噂ってあれか?森の中で火の玉が飛んでるっていう」

「そうそう。それだよ、それ!猟師のカノの親父も見たらしい」

「カノの親父が言うんならデマじゃ無さそうだな。あの親父は無駄なことは口にしない」

 そう言って赤毛の若い男の二人組みは恐ろしげに頷き合って、神妙な顔で頷き合う。

「だよなぁ。火の玉って何なんだろうな?魔王はいなくなったし、この辺でも魔物は大分見なくなっただろ?」

「そんなこと、俺が知るわけねーだろ」

「あっははは!違いねぇ」


「――すみません。その話、詳しく聞かせてもらっても良いですか?」

 笑い声を上げる男たちの話を遮るようにエステルが声を掛けると、男たちは怪訝そうな顔でエステルを見た。

「あン?何だ?お嬢ちゃん」

「急に驚かせてすまない。礼ならする。ここの食事代は俺たちで持とう」

 自分たちに声を掛けてきたのがまだ若い娘だと知って、胡散臭そうにエステルを見た男たちにシルヴェストが声を掛けた。男たちがエステルの後ろから出てきたシルヴェストの姿を見て、空気が柔らかくしたのを感じる。

 シルヴェストも年頃は若いという部類であるのだが、貴族出身で長く騎士を務めていたということもあってか身のこなしはスマートで礼儀正しい。何よりも小奇麗にしていてきちんと目を見て話せるというだけで、人の好感度は上がるものだ。

「いいのか?別に大した話じゃねぇぜ」

「かまわん。話してくれないか」

「ああ。それじゃあ……火の玉はこの町から西に行ったところにある、ロドリゲスの森に出るんだ。日中にその森で狩りや採取をしていた人間が何人も見たっていうんだから嘘じゃねぇぞ」

「ロドリゲスの森、ですね。火が浮いているんですか?」

 話を聞きながら地図で確認したが、ロドリゲスの森は今いる町から西に少し行けばある小さな森のことであるようだった。地図で見た限り、徒歩でも行ける距離にある森である。

 だが、男たちが言うそれは不思議な話だ。一応魔法という概念は存在するが、知識と魔力が無ければならないということもあってそれを扱える人間は少ない。特に庶民ともなれば見たことがあるだけでも少ないはずだ。賢者のラウルが炎属性の魔法を使えば火の玉のようなものを宙に浮かせることもできるだろうが、普通の人がそれをしようとするとかなり難しい。松明を使えば、遠くから見ればそのように見えることもあるかもしれないが、それも見ればすぐに分かりそうなものである。

 エステルが火の玉というのが想像できずに首を傾げて聞けば、男の一人が大きく頷いて見せる。

「その通り。ぷかぷかと火の玉が浮いてるっていうんだから気味の悪い話だ。あの森はこの辺りじゃ迷いの森って呼ばれてるくらいで、昔から少し気味の悪い場所だったが、ついに変なものまで出るようになるんだからな」

「迷いの森?」

「高い木が多く茂っているっていうのもあるんだが、どんな熟練の狩人だろうとあっという間に方角を失っちまうんだ。そんなに大きくない森だっていうのに気がついたら時間の感覚も失って丸一日彷徨ってた、なんていうのも珍しくねーんだ」

「それは少し怖いですね」

 エステルも故郷を出て、旅の生活になって長いが、方角を失うことほど怖いことはないと思う。自分がどこに向かって進んでいるのか、また現在地がどの辺りなのかをしっかり把握していなければ当然ながら目的の場所には辿り着けないからだ。

「だろ?でも、あの森は植物も良く育つし動物も多い。そういうわけで奥に行かずに森の深くない場所は狩りや採取地として人気なんだ」

「ま、いずれにしろ俺たちが知ってるのはそれくらいだ。詳しく知りたいんなら、西門の近くに住んでるカノの親父に聞いてみるといい。あの親父さんも見たらしいからな」

「分かった。感謝する」

「いや。俺たちもこんな話で飯代が浮いてラッキーだったぜ。じゃあな」

 シルヴェストが感謝の言葉を言って、彼らのテーブルにあった伝票を取る。すると男たちは嬉しそうにそう言って、そのまま席を立って店を出て行った。


「――シルヴェストはどう思います?」

 男たちが出て行ってすぐに運ばれてきた肉団子スープを食べながら向かいに座るシルヴェストに聞けば、シルヴェストは難しそうな顔でうんと唸った。

「そうだな。見てみない限りは何とも言えないが、精霊の行進に似てるとは思った」

「精霊の行進?――あ。この肉団子美味しい……」

「あんまり見られるものではないが、生まれたばかりの精霊ははっきりとした形を持ってないんだ。その姿はぼんやりと光り、それらが集まったところはとても幻想的だという。俺のも食べるか?」

 肉団子を齧るとじゅわっと肉汁が溢れ、さらに中に入っている根菜の感触が楽しい。思わず声を漏らすとシルヴェストが自身の皿をエステルの方に寄せた。慌てて首を振ってそれをシルヴェストの方に戻して、話を続ける。

 ――精霊の行進。聞いたことのない言葉だ。シルフが傍にいることもあって、エステルにとって精霊は身近な存在であるが、それでも知らない部分が多い。シルフ自身もシルフという存在になってからすでに気が遠くなるほどに長い年月を生きているということは知っているが、彼らがどのようにして生まれるかについては知らないということに気付いた。

「いえ、大丈夫です!ええっと、シルヴェストはその精霊の行進だと思うんですか?」

「俺もそれを見たことがあるわけじゃないから何とも言えないが……」

「分かりました。それについてはシルフに聞いてみましょう。西の門のカノさん、でしたね。彼にも会って話を聞いてみませんか?」

「ああ。それが良いと思う。気になるんだろう?」

「……はい。上手く言えないんですが、何だか胸がざわつくんです。嫌な予感とは違うと思うんですけど、何となく」

「そうか。では、西の門に向かうか。シルフもそろそろ待ちくたびれてるだろうから」

 シルヴェストはそう言って小さく悪戯めいたような笑みを零す。シルフの姿は大きな狼のような姿だ。そのために街に入るとパニックを招いてしまう恐れもあって、今はここにはいない。エステルの傍を離れることを渋っていた彼であったが、今は魔物もほとんど出ないということもあってどうにか引いてくれたというわけである。

「ふふ。そうですね。シルフにも『火の玉』について聞いてみたいですし」

 そう言って二人は急いで食事を済ませると、四人分の食事代を払って食堂を出る。そして男たちに言われた通りに西門へ向かう。近くで人に聞いてみたが、先ほどの二人が言っていたのは恐らくこの家のことなのだろう。赤茶色の煉瓦が綺麗に積まれた小さな家だ。屋根の上にある煙突からは白い煙が出ており、どうやら今は在宅らしいことも分かる。


 シルヴェストはエステルの顔を見て頷くと、木製の扉を四回ノックして待つ。

「――尋ねたいことがある。カノ殿は在宅か?」

「……何の用だ?」

 少し待って、煉瓦の家から出てきたのは中年の男性であった。髪には白髪が混じり、眉の間にははっきりとした皺が刻み込まれている。男は見たことのない二人が訪ねてきたことに、明らかに不信そうな顔でエステルたちを見ていた。

「突然驚かせてしまいすみません。『迷いの森』で火の玉について貴方なら詳しいと聞きまして」

「火の玉か。俺は見ただけだ。詳しくはない」

「その状況だけでもお聞かせいただけませんか?」

「……立ち話も何だ。入れ」

 男は大きなため息を隠そうともせずに一つ零すと、体を扉の前からずらしてエステルたちを部屋に招いた。


「ありがとうございます。ええと、私はエステル。彼はシルヴェストです」

「知ってるだろうが、俺はカノ。悪いが茶なんて洒落たもんはねーから水で良いか?」

 中に入って促されるままにダイニングテーブルの椅子に座ると、自らの名前を告げる。カノも同じように自分の名前を告げて、水を入れる用なのだろうと思われる歪んだ形の木のカップを見せた。エステルが首を振って遠慮すると、カノも出すのが面倒だったらしくそのまま向かいの椅子の座った。

「いえ、おかまいなく」

「じゃあ、そうさせてもらう。それで、迷いの森で見た火の玉の事でよかったか?」

「はい!どういう状況でそれを見たのか、もし分かれば大体の位置も教えていただけませんか?」

 エステルがそう聞くと、カノは眉の間の皺を深くして考え込む。

「場所は分からない。あの日もいつも通り、深いところまで入らないように気を付けながら獲物を探していた。それなのに、あの日はあっという間に自分の場所が分からなくなった。そして段々と冷たい空気が辺りに漂いだして、ふと顔を上げたら見えたんだ」

「それが火の玉、ですか?」

「ああ。言っとくが、俺は目は良い。当然ながら松明なんかでもなくて、近くに人の姿すら無かった。第一、あんな気味の悪い色の炎なんて初めて見た」

「気味の悪い色ですか?」

 エステルが聞き返すと、カノは神妙な顔で頷いて続きを口にする。

「ああ。遠くの木々の間に紫色の炎が浮かんでいるのがはっきり見えた。だがそれは俺が見てることに気づいたみてーな様子で、すぐにぱっと消えた。この辺りで狩人として生きるようになって長いが、背筋が寒くなる思いをしたのはあれが初めてだ。俺はその場にいるのが嫌で、逃げるようにその場を離れたよ。それでしばらく歩いてたら、森の外が見えて外に飛び出した。それ以来森には入ってねぇ」

 カノはそう話し切ると、ふぅと息を吐いた。その表情は固く、僅かに青ざめているようにも見える。

「火の玉は昔から見られるというような話があるのですか?」

「いや。ない。あれを見たっていう話が聞こえだしたのはここ最近の話だ」

「最近?」

「ああ。あれはいつだ?多分、三ヶ月やそこらだろうな」

 その言葉にエステルの胸はざわめく。

「――お話して下さってありがとうございました。シルヴェスト、行きましょう」

「ああ。……そうだ。最後に一つだけ、良いか?」

 エステルはお礼を言うと、シルヴェストに目配せをして立ち上がる。そして扉を開けて外に出ようかというところで、シルヴェストがくるりと振り向いてカノに聞いた。

「何だ」

「その火の玉に温度があるように感じたか?」

「遠くに見えたのもあったが、温かそうには見えなかった。とてもじゃないが温度があるようには思えなかったよ」

 シルヴェストの問いにカノはゆるりと首を振った。

「そうか。それでは、これで本当に失礼する」

「あんたたち、迷いの森に行くのか?」

「え?多分、そうだと思います」

「そうか。それなら忠告をしておく。迷いの森に気を付けろ。外の人間は舐めてかかるが、あの森は誰であろうと迷わせる。方向を示すような道具類は狂う上に、森に光は入らねーのに植物だけはよく育って、余計に見通しが悪い。……用心に越したことはねぇ」

「忠告、感謝する。カノ殿もお気を付けて」

 シルヴェストが真剣な顔で感謝の言葉を述べ、二人は暗い表情のカノの家を出た。外に出ると、太陽が僅かに西に傾き思っているよりも長居してしまったことに気付く。今はこうやって太陽の傾きや道具で方角や時間を把握しているが、カノの言うことが正しいのであればそれらの道具も正常ではなくなってしまうのだろう。


「――三ヶ月。私が魔王を倒したのもその頃です。……悪いことが起こっているのではないと良いのですが」

「とりあえず、シルフにも相談してみよう」

「……はい」

 二人は西門から離れ、二人が宿を取っている部屋へ歩き始めた。だが、その間もエステルの頭の中には悪い想像ばかりが次から次に浮かんでは消えていく。そんなエステルを気遣うようにシルヴェストがエステルを見ているのが分かる。そんなシルヴェストの視線を受けて、エステルは安心させるように僅かに笑みを浮かべて見せた。

 だがエステルはざわめく胸を不安を隠せず、森の異変は魔王が消滅した時期とただ重なっているだけであれば良いのだがと祈られずにはいられなかった。

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