13 賢者の塔
目の前には天まで見上げてもまだ先が見えない高い塔がある。魔法の力で強度を補強し、天にまでそびえ立つというそれのことを賢者の塔と呼んだ。
目に見える範囲にある石の壁は何百年、何千年も昔の神々の時代からあるという噂を信じさせるくらいには古めかしい。少なくとも数百年は風雨に耐えてきているはずなのに、表面は脆く削られた様子もなく大理石のような美しい輝きをそのままにしている。
「……改めて思いますけど、高い塔ですねぇ」
「またこれに昇るのかと思うとため息が出そうになる程度にはな」
首が痛くなりそうなその塔を見上げてエステルが呟けば、隣に立っていたシルヴェストが同意するように頷いた。
勇者だった時にもこの塔を訪れたことがある。それは魔王がいるという魔界の封印の鍵の場所を聞くためだった。その他にも色々な知恵やヒントを授けてくれるのも、この賢者の塔にいる魔法使いたちである。そしてその内の一人、後に賢者となりエステルたちと共に旅をしてくれたのがラウルである。
「僕はそのあたりで休んでようかなぁ」
「さぁ、気合を入れて昇りましょう」
エステルがシルヴェストとシルフを励ましていると、二人の背後にすいっと気配を消した人影が急に音も無く現れた。
「エステル様、シルヴェスト様ですね。主人がお待ちしております」
「ラ……ラウル?」
その人影に警戒しながら顔を見ると、明らかに見覚えのある顔であった。見覚えがあるどころか、当人であると疑う余地もないくらいである。華奢で少年のような細い体、青みかかったような色合いの黒の髪、少し目尻の上がった琥珀色の瞳。そこまでラウルの特徴を思い浮かべていると、目の前の人物がラウルでないことに気付いた。
ラウルであれば、瞳の色は透き通った琥珀色の瞳なのである。それなのに目の前にいる彼は姿かたちはほとんど同じであるというのに、瞳の色は琥珀色ではなくアメジストの色だった。まるで宝石のような美しい紫が光を受けて、きらりと輝く。
「私はリューシュと申します。今からラウル様の下へご案内致しますので、この手を取っていただけますか?」
「手を?」
「はい。転送の印を主人に頂戴しております」
手を差し出すリューシュに首を傾げて聞き返すと、彼はラウルによく似た顔でにこりと笑ってその手のひらを見せた。その手のひらに視線を遣れば、そこにはエステルには分からない文字のようなものが描かれていた。
「この印からはラウルの匂いがする」
「ラウルの?」
「うん。この印も本物だよ。古語でラウルの元に転送するって書いてる」
どうしようかと考えていると、シルフがリューシュの手のひらにある印の匂いを嗅いでエステルを見た。そしてその印を読み解くと、その内容をエステルに教えてくれた。
「間違いはないんだな」
「この僕のこと疑うわけ?」
シルヴェストが念を押すように訪ねれば、シルフは拗ねたように鼻を鳴らして違う方向を向いてしまった。
「ええと、行きましょうか?」
「では、私の手に皆さんの手を載せて下さい」
リューシュの言葉に頷いて、彼の手にそれぞれの手を重ねる。
「はい」
「では、行きます。――――」
「きゃっ!」
彼はそれぞれの手が印の上に重なったことを確認してにっこりと微笑むと、何か呪文のようなものを唱えた。そしてその言葉が終わったと思うと、エステルたちの体は白い光に包まれてふわりと体が浮くのが分かる。思わずぎゅっと目を閉じて、体を固くするエステルであったが、少ししてエステルの足元に固いものが広がるのが分かった。
「ラウル様、エステル様方をお連れ致しました」
「ご苦労。――ようこそ、僕の城へ」
空気が変わったと気付く頃、懐かしいような古い紙の匂いがした。エステルが恐る恐る瞼を開けると、どのくらい高い場所なのか検討もつかないが、窓の外には木々の類は見えず窓の外にはただ白色が広がっている。部屋の中は以前与えられていた、城にあった居室よりも広い。その広い部屋には整然と本棚が置かれ、当然のように沢山の本が詰まっているようだ。部屋の真ん中には大きなテーブルが置かれ、数冊の本、黒板、そして大きな紙が広げられている。その紙にはたくさんの文字や記号のようなものが見え、部屋の主が熱心に何かを考えていたのであろうことが分かった。
そんな部屋の中心でエステルたちを出迎えてくれたのが、懐かしいラウルの姿で間違いは無いようである。リューシュとは違う、琥珀色に煌めく瞳。それが彼がラウルであることに他ならない証拠であった。
「ラウル、ですね」
「うん。そう。ラウルだよ」
エステルが確かめるように言えば、ラウルは当たり前のように頷く。そんな一つ一つの表情にもラウルらしさがあって、ほっと胸を撫で下ろす。リューシュはラウルに瓜二つであるというのに、全てが違うのだ。笑い方もどこか淡々としたもので、ラウルのような屈託のないものではない。
「ええと、その驚きました。彼はご兄弟ですか?」
「あはは。まさか!リューシュ、こっちにおいで」
ラウルはさもおかしそうに笑うと、いつの間にか隅に立っていたリューシュを手で呼ぶ。
「はい。ご主人様」
「リューシュ、君は何だい?」
「私は土人形です」
「土人形?……まさか」
ラウルはリューシュを傍に呼ぶと彼に一つの質問をした。その答えは普通ではありえないものである。だが、エステルには一つ思い当たる節があった。
「そう!エステルたちと別れる前に言ってただろう?僕がもう一人居たらいいのに、って」
戸惑った顔のエステルに向かって得意げに笑う。その表情は悪戯に成功した子供とまるで一緒である。
「確かに仕組みは土人形と似てるように見える。それにしても、これを人間が作ったっていうんだから賢者っていうのは恐ろしい生き物だね」
「ふっふっふ。そう褒められると照れちゃうよ、シルフ様。っていうか、聞いてくれる?他の魔法使いには秘密だけど、みんなになら教えちゃうよ!リューシュを作るのには、この僕でも本当に苦労したんだ。普通に土人形を作って魔力を込めても上手く定着しなくて崩れちゃうし、あまり力を込めすぎると土人形から漏れていってしまうし。それでね、僕は思いついたんだよ!土人形に核を入れたらどうかなって。そうしたらさ、もう大成功だよ!我ながら最高傑作だと思うね!」
「ご主人様は天才でございます」
確かに呆れたようなトーンに聞こえたシルフの台詞であったのだが、それすらもラウルにとっては褒め言葉になってしまうらしい。熱く語り始めたかと思うとリューシュの褒め言葉を背中に受けて、ラウルは照れたように頬を赤く染め悶えている。
「……それはすごいが、お前に用があってやって来たわけなんだが」
「ん?ああ、そういえば手紙にも書いてあったね。ま、そこに座ってよ」
どうにかシルヴェストが割り込んだ言葉によって思い出したらしいラウルに勧められて、そばにあったソファーセットに座る。
「投影魔法のこと、ご存知ですか?」
「うん?そりゃあ、専門ってわけではないけど知ってるよ。遠くに対象物を写す魔法だろ。ええっとね、そうそう。確か、あの本に書いてた」
エステルが訪ねると、ラウルは当然のように頷いて人差し指をくるりと回した。すると、まるで指に紐でも付けられていたかのように本棚から一冊の本が引き抜かれてラウルの手に収まる。そしてまるで栞でも挟んでいたかのように、ぱっと本が開かれてエステルに差し出された。
「投影魔法。難易度、上級。目的の場所に対象のもの、人物を映し出す魔法。高度な精神力が必要で、難易度は高い――ま。僕くらいの魔法使いであれば楽勝だろうけど」
「では、ラウルであればまるで生きているようにその投影されたものを動かすことができるか?」
「投影されたもの?何か生き物ってこと?」
「はい。例えば人間、とか……」
シルヴェストの質問にラウルが考え込むように聞き返してきたので、エステルがすぐに頷いて返す。あの鳥頭の男はそこにいると信じさせるには十分なくらいの存在感だった。
「やったことはないけど、できるだろうね」
「それはどれくらいの魔法使いができると思う?」
「そうだなぁ。賢者の塔にいる魔法使いでもそうは無いだろうね。写すのだけならばある程度修行を積んだ魔法使いなら可能だと思う。でも、それを生きているように動かすんだろ?普通は魔力の方が足りなくてまず魔法が保てない。賢者に近いような上級レベル程度の魔力を持った魔法使いじゃないと難しいだろうね」
「そう考えると、多くないということですね」
「うん。……でもさ、投影魔法がどうしたっていうの?あんな魔法、そうそう知っている人間いないと思うんだけど」
「……実は――」
エステルはそこで掻い摘んでの事情を説明した。鳥の頭のようなものを被った男に連れ去れたこと、そしてそれの姿こそが投影魔法で映し出された現実のものではなかったことを。
「ふうん。そういうことか。とりあえず、怪我がないみたいで良かった。もうイザベルも居ないんだから、あんまり無茶しちゃだめだよ?特にシルヴェスト」
話を聞き終わると、ラウルは眉を寄せて考え込むように頷いた。そしてシルヴェストを見ると、茶化すように言ってにやりと笑う。
「……俺か?」
「当然。誰かを庇って怪我するの得意だろ、君」
「それは私が悪いのであって、その!」
確かに旅の最中にはエステルのことを庇うシルヴェストというのはよくある光景だった。というのも、エステルが男であったならば盾も持って剣も一緒に持つことができたのかもしれないが、女であるエステルにはその二つを両手に持つことは難しかったのだ。それなのにエステルはパーティの中でも前衛であったから、前に立っていなければならない。その結果、防御力が圧倒的に劣るエステルをシルヴェストが庇うというのはよくある光景になってしまったのである。
「あはは。冗談。でも、本当に気を付けて。その男、何だか引っかかるし、僕も調べてみるよ」
「ありがとうございます。ラウルも気を付けて下さいね」
「僕にはリューシュもいるから大丈夫だよ。何か分かったら連絡する」
そう言ってくれたラウルとその後少しの雑談をして賢者の塔を後にしたのであった。




