11 犬猿の仲
「――うーん。全然開きそうにありませんねぇ」
「……もう少し緊張感を持てないのか」
石造りの堅牢な壁に四方を囲まれ、扉は鉄で出来ていると思われる重くて分厚いものだ。そして、ずいぶんと高いところにある窓には鉄格子がしっかりと嵌められていてエステルの顔ですら出そうにもない。高いところにある窓には夕日らしき緋色の日差しが差し込み、どうやらもうじき闇に包まれることを示している。
とりあえず目の前にある鉄の扉が開かないかと念の為試してみているが、想像通りに開きそうにもなかった。シルヴェストを向いて困ったなと呟けば、あまり困っているようには聞こえなかったらしく彼は呆れたような顔でため息を吐いたのだった。
今二人の状況を確認すると、現状から言って何者かに監禁されている状況にあるだろう。というのも、二人で水祭りを楽しんでいた昼間まで遡る。
説明は簡単だ。エステルが小さな子供に助けて欲しいと路地裏にまで連れて行かれ、そこで何か薬を嗅がされて昏倒して今に至るのだ。シルヴェストは後を追って来たのだが、倒れている私を盾にされて掴まってしまったのである。祭りの喧騒の中では多少の騒ぎが起ころうとも紛れてしまう。そういうわけで、二人は簡単にどこかに連れて行かれてしまったらしい。
「ええと、すみません。私のせい……ですよね」
「自覚はあるようで何よりだ」
「す、すみません!完全に油断してました」
「もういい。過ぎたことだ。とにかく、ここを出ることを考えよう」
シルヴェストはそう言って、自身の装備を確認している。だが、確認するまでもなく二人は丸腰だ。荷物の類は神殿に預けているので問題ないが、それにしても鎧の類まで外されてかなり心もとない状態である。
「それにしても、ここはどこなのでしょうか?このような堅牢な牢屋を持つなんて普通の場所ではありませんよね」
エステルはぽつりと疑問を口にする。ここがどこであるのかは今は分からないが、それにしてもこんな場所を自由に使えるというだけで、エステルたちを捕まえた人物については絞れるだろう。
「十中八九、貴族か何かだろうな」
「……ですよね」
もしこの建物がその人物の持ち物であるとするならば、これだけの頑丈なものを作れるだけの財力が必要だ。そしてその人物のものでないとするならば、それを自由に使えるだけの権力などが必要だろう。そう考えると、やはりそれなりの人物であるということには間違いがない。
「俺のサラマンドラはこういう場所では向かないし。そうだ、エステルは呼べるか?」
どうやってこの状況を打破しようかと考えていると、シルヴェストが思いついたようにエステルに尋ねたのを聞いて胸がどきりと鳴る。
サラマンドラはシルヴェストが契約している火の大精霊の名であるのだが、彼が言うように人の多い場所や建物が密集しているような場所では向かない性質だ。派手好きな性格で、何でも大は小を兼ねるで突き進んでしまうタイプなのである。だからこのような状況がよく分からない時、静かに動きたい時には向かないのだ。だから彼が言う通りに、サラマンドラよりもシルフを呼ぶことは正しいことなのだろう。
「シルフを、ですね」
「サラマンドラとは違い、こういう場にも向いてるだろう」
「……分かりました」
だが、エステルの心はすぐに行動に移すことを少し躊躇ってしまっていた。自分のぎゅっと閉じられた左手を見つめて頷く。
いつかはやらねばならなかったことだ。それは早いか遅いかで、それが今になっただけのこと。そう自分に言い聞かせて握っていた左手を開く。そこには人の文字ではない、深緑色で描かれた紋様のようなものがあった。シルフとの約束の証だ。
左腕を前に伸ばして手のひらを上に向け、その上に右手の手のひらを重ね一撫ですると、それをぎゅっと握る。
「我が契約の証をここに示さん。シルフ!」
それはエステルが動けない間も幾度と無く聞いた言葉だった。そのせいもあって自分の口で言うのはこれが初めてであったが、すんなりと口から出る。
精霊を呼び出す言葉と、契約の証である紋様を示すことによってそれは為されるのだ。言葉を発したと同時に握っていた手を放し、それを天に向けるとエステルの周りにはふわりふわりと風が起こる。それはエステルが着ていた外套をも羽ばたかせ、やがて治まった。
「――エステル……?」
「……シルフ、あの」
目の前には一匹の狼の姿があった。大きさこそは普通の狼と変わりないように見えるが、美しい薄いグレーの豊かな毛並みは艶やかで絹糸のよう。瞳はエメラルドを思わせる透き通った色である。人とは違う、狼の姿であるのに彼はその口ではっきりとエステルの名を呼んだ。そして、それらが彼がただの狼ではないことを如実に示しているのである。
彼の透き通った瞳はエステルを品定めするかのような目で見つめている。それはエステルに心苦しいことがあるからそう感じるだけなのかもしれない。だがエステルは彼の目線に合わせて屈んだまま、彼になんて伝えれば良いのかと考えあぐねて言葉に詰まっていた。
人の理の外にいて叡智を象徴とするシルフのことだ。エステルが「エステル」ではないことなどすぐに見破ってしまうことだろう。エステルは彼の判決にも似た判断をじっと待って、そこに立っているしかなかった。
「エステル!ずっと僕を呼んでくれないからどうしたのかと思ったよ」
「え?」
「エステルはエステル。中身は何も変わってないよ」
シルフはそう言うと、戸惑うエステルになど構いもせずに自身の鼻の先をエステルの頬に摺り寄せる。それは以前と同じシルフの親愛の証だ。少し冷たい鼻の先がエステルの頬をかすめ、彼の豊かな胸の毛並みがエステルの心を慰める。
「……ありがとうございます」
エステルも「エステル」をも認めてくれたその言葉に思わず目尻に涙を滲ませそうになったエステルであったが、それをどうにか止めて瞬きをして散らす。今はそんなことよりもこの状況をどうにかしなければならないというわけである。
「それにしても?シルヴェストが付いていながらこれはどういうこと?」
それまでエステルに擦り寄って機嫌良さそうにしていたはずのシルフがシルヴェストを睨みつけるようにして言い放つ。
「シルフ!これは私のせいで」
「シルヴェストはエステルを守ると誓った。それなのにこんな状況。しかも、丸腰?笑えないんだけど」
「それに関しては申し開きもできない。だが、困った状況であるのには変わりない。どうか手助けしてもらえないだろうか」
エステルが二人の間に入って言うが、すでにシルフには聞こえていないようだ。いや、聞こえているのに聞こえていないフリをしているだけなのかもしれないが。彼は鼻で笑うような調子で言うと、呆れたような目で彼を見ている。
前の旅をしている頃からこの二人は相性が悪いのだ。他の人に対しては穏やかであるはずのシルフもシルヴェストに対しては何かと気に触るらしい。
「こんなことならエステルの傍を離れなきゃ良かったよ」
「それは貴方が犬のフリをするのは嫌だと言ったからだろう」
「君、またそんなバカなこと言ったね?僕が犬の真似だって?本当に信じられない男だね!」
「あの!二人とも、静かに!」
ついには二人の間でエステルが静かに注意をする羽目になった。だが、これもいつものことと言えばいつものことである。そんな光景を見て、緊迫した状況だというのにエステルの心が和んだことは言うまでもなかった。




