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10 大精霊と大神官

 水の神殿に着くと、神官たちには話が通っていたようですぐに奥の召還の間へと案内された。召還の間は他に出かけている精霊を神官などが精霊を召還する時に使うだけでなく、この神殿を住まいとする精霊が過ごす部屋となっている。そのためにこの神殿の召喚の間も石造りの殺風景な場所いうわけではなく、オンディーヌの好みなのだと思われる可愛らしい内装の部屋だ。

 部屋の壁には明るい色合いの布が張られ、部屋中心には薄桃色の布張りソファ。そして傍にあるコーヒーテーブルは白の猫足と少女が好みそうなもので統一されていた。ソファの横の窓にはレースのカーテンが風に揺れ、中庭から光が漏れている。

 その部屋の中心にある二人掛けほどのゆったりしたソファに十二、三才ほどの美しい少女が座っていた。


「ようやく来たわね」

「オンディーヌ様、お久しぶりでございます」

「先ほどのパレード、拝見させていただきました。とっても素敵でしたよ」

「まーね。でも、シルヴェストがいたならシルヴェストにエスコートしてもらえばよかったわ」

 シルヴェストとエステルが挨拶を告げると、ソファにゆっくりと座るオンディーヌはそう言って顎に手を置いてため息を吐いた。

 この部屋は召還士とオンディーヌに許された者しかは入れないということもあって、オンディーヌとエステルたち以外の人はいない。そしてもちろん先ほどまで傍にいた見目麗しい騎士たちも部屋には居なかった。きっとオンディーヌにとって、シルヴェストとエステルは気心の知れている人間なのだろう。オンディーヌのは先ほどのパレードで見せたような人間離れした凛とした雰囲気ではなく、まるで人間の少女のように感情を表に出して不貞腐れている。

「私よりも見目の良い騎士たちだったではないですか」

「そうかもしれないけど、私にも好みがあるのよ。若くてきらきらした男は苦手だわ。私はシルヴェストみたいに無骨で女になんか興味ありません、みたいな顔してる子が好きなの。――ま、座ってちょうだい」

 オンディーヌの語り口調は、目の前に居る可愛らしい少女から発せられたとはとても思えないものだった。二人はそんなオンディーヌに小さく笑みを零し、彼女に勧められるままに向かいのソファに座る。

「それならば神官に言って、オンディーヌ様のお好みの方を付かせたら良いのでは?」

「そうしたいのは山々なんだけど。私の好みの男を集めると、華がないからダメなんだそうよ。誰のための祭りだと思ってるのかしらね」


 オンディーヌがそう言い放っているところで、召還の間の重い扉が音を立てて開いた。


「――オンディーヌ様、またそのようなことを仰っておられるのですか」

「うるさいじーさんが来たわ」

「何を。私がじーさんならば、オンディーヌ様は大層なご年配でいらっしゃいますな」

「ちょっと、アスフール。人間と精霊を一緒にしないでくれる?」

「おや?大精霊である貴女様よりお年を召されている精霊様はそうそういらっしゃらなかったと思いますが、私の記憶違いでしたかな?」

「……ああ!もう、ほんっと口の減らないじーさんだわ。私もなんでこんな男と契約しちゃったのかしらねー?」

「どうぞご自分の胸にお聞きになって下さいませ。――おっと。挨拶が遅れてしまいましたな。失礼致しました。この度はようこそおいで下さいました。勇者殿、騎士殿」

 そこに現れたのは水の神殿の大神官である、アスフールであった。外見は神官服のために顔しか見ることができないが、薄いブルーの瞳が印象的な落ち着いた雰囲気の優しげな初老の男性である。そんな彼は軽快な口調でオンディーヌと言葉を交わし、まるで喧嘩をしているように聞こえるこれも彼らの通常であった。

 若くしてオンディーヌと契約を交わし大神官になったそうで、オンディーヌとの付き合いの長さはイザベルよりもはるかに長い。それ故の軽口なのだろうが、二人の掛け合いにシルヴェストどころかエステルも口を挟む隙は無い。

「いえ。私たちは今は勇者でも騎士でもありませんので、エステルとシルヴェストで結構です」

 そう告げると、アスフールは気分を害したでもなく柔和な笑みを浮かべて頷いた。


「ほう。そうでしたか。それでは、お言葉のままに。今回は水祭りを見学しにいらっしゃったのですか?」

「はい。前にここに訪れた時は冬でしたから、一度有名な水祭りを見てみたいと思っていたんです。先日、リキュロスに寄った際に水祭りのことを耳にしたものですから」

「左様でしたか。お気に召していただけましたかな?」

「とっても素敵でした。魔法の仕掛けで噴出す水がきらきらと輝いて綺麗で珍しかったです」

「神官たちが聞いたら喜びますな」

「え?あの仕掛けも神官の方たちでやっていらっしゃるのですか?」

 アスフールの言葉にエステルは驚いて目を丸くした。だが、それにも無理はない。

 この水の都デランに入ってから、様々な趣向を凝らした水の仕掛けがあった。高くまで水が吹き出るものや、まるで霧のように細かい水飛沫を振りまくもの、美しい女性の姿をした水もあった。本来、魔法というものは使える人がかなり限られているものだ。誰でもが使えるものではないし、単純に水を出すこと以外のことをしようとすると急に難易度が上がる。あまり魔法が得意ではないエステルにとっては目を丸くして驚くには十分であるのだ。

「水の神殿には水精霊様に愛された神官が多いので、水魔法が得意な者が多いのです。そういうわけで、もちろんオンディーヌ様や他の水精霊様たちのお力をお借りしておりますが、神官たちで考えて色々仕掛けを作っているのですよ」

「なるほど。そうだったのですね」


 エステルが感心しながら頷いていると、アスフールはそれまでの穏やかな笑みから一転して真面目な表情でエステルたちに向き合った。


「はい。……ああ、それと。エステル様方には心配無用かと思いますが、祭りとなると町に人も増えます。出来る限り警備のものなども配置しておりますが、防ぎきれないものもあるでしょう。どうぞお心に留めておいてくださいませ」

「分かりました。お気遣いありがとうございます」

「いえ。それでは、私は儀式がありますので、これで失礼致します。お時間が許すのでしたら、オンディーヌ様とごゆっくりされて下さいませ」

 そう言うと、アスフールは召還の間から退室してしまった。神官の服に違いは分からないが、水の神殿の神官が揃いで着ている水色の布地に濃い青で刺繍されていたのは恐らく古代文字の一種だ。彼は確かにこれから儀式があるのだろう。大神官ともなれば、一日のうちでたくさんの儀式をこなさねばならないと聞いたことがある。少ない空き時間の中でエステルたちに会いに来てくれたのかもしれない。

 そんなことを考えながら、ちらりとオンディーヌを見るとオンディーヌは少しだけ寂しそうな顔でアスフールが出て行った扉を見ていた。


「寂しいですか?」

「なっ……!何をバカなこと言っているのよ。そんなわけないじゃない!だ、大体ね、大精霊である私がここにいるのにやらなきゃならない儀式ってなによ。そんな儀式の間でやらなくても、契約者のアスフールの言葉なんてうるさいくらいに聞こえるわよ」

「ああ、そっか。アスフール様はオンディーヌ様に仕えているのですもんね」

「そうなの!それなのにあのバカってば、一日中儀式やら何やらってほとんど私のところに来やしないわ!」

 顔を真っ赤にして否定の言葉を述べているようで、その表情が全てのオンディーヌの想いを語っていた。


「――でも、大神官様の言葉が聞こえているなら何で儀式があるんでしょう?」

「人間のことなんて私は知らないわよ」

「……慣わしだろうな。大精霊が人間と契約するのはかなり稀だ。大神官であろうとも、必ず契約できるわけではない」

「ということは、今まで大神官様でいらっしゃってもオンディーヌ様と契約していなかった方もいらっしゃったのですか?」

「正確なところは分からないが、少なくないだろうな。アスフール様が近代稀に見る大神官と言われている所以でもあるだろうから」

「なるほど。あ。もしかして、その方たちがオンディーヌ様に言葉を届けるには儀式をするしかなかったということですか?」

「そういうことだ」

 ふと疑問に思ったことに、それまで黙って隣に座っていたシルヴェストが答えてくれた。そういうことならば確かに理解できる話である。そう思って頷いていると、向かいのオンディーヌは頬を膨らませてテーブルに置かれた茶菓子をまるで自棄食いのように食べているのだった。

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