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9/12

*捌*

 大坂へ行くと決めた幸村様の元へは、大坂の秀頼から黄金200枚、銀30貫の支度金が贈られた。

 「これは……」

 関ヶ原ののち、豊臣家の弱体化を狙った家康は秀頼の生母である淀に対し、秀吉の追善として神社仏閣を建立または修繕することを勧めることで秀吉の遺した巨額の金銀を費やすようにと仕向けていた。秀頼が立派に成長して天下に号令をかける日の来ることのみを願いとしていた淀はむしろ自ら進んで建立と修繕を続け、金銀を消費して行く。

 蟄居の身となってからのち、信之様からの仕送りや女たちの結う真田紐の商いで糊口を凌いでいた真田にとって、それはどのように見えただろう。関ヶ原の大戦では、徳川本隊3万8000を引き留めるという大きな手柄を立てた真田。しかしその真田に、この十余年の間、このような援助は一度たりとてなかったのだ。それが今、徳川に攻められるとなって初めて、豊臣は真田のために金銀を使った。それではまるで真田に対し、豊臣の傭兵になれと告げているようなもの。

 幸村様がその黄金と銀を見てしばし考え込んだのは、仕方がないことだったのかもしれない。

 

 

 「私めもお連れ下さい!」

 「幸村様と共に戦いとうございます!」

 「なにとぞお許しを!」

 夜陰に紛れて九度山を抜ける算段をしていた幸村様の元へは、どこで聞いたか人々が次々と集まって来て、共に大坂へ、と訴えた。そうして、十余年をここで共に耐えた内記さんたち数少ない家臣と幸村様の人となりを慕った九度山周辺の土豪たちとその家臣らが従うこととなり、大坂入城の際には、真田隊は300人ほどに膨れ上がっていた。

 さらに入城後に幸村様は秀頼から多くの牢人たちを預かることとなり、各地から真田の名に引き寄せられるようにして集った武田の遺臣や昌幸様の旧臣たちをも含め、幸村様はその者たちすべての鎧を赤一色に塗り直して赤備えを作り出し、武器や軍旗を調達し、戦に備えた。その兵数5000。それほどの兵を抱えるとなれば当然多くの金が必要となったが、それに役立ったのが秀頼から贈られた黄金200枚、銀30貫の支度金だった。

 初陣となる大助にも赤備えの具足が与えられる。でもさすがに僕にそれは無理だということで、胸と腹とを守るだけの簡素なものを内記さんがまとわせてくれた。それでも真田の赤だ。死ぬでないぞ、という内記さんの低く小さな言葉に僕はひとつ、頷いた。



 大坂城には長宗我部盛親、毛利勝永、後藤基次(又兵衛)、明石全登らが入城しており、幸村様と合わせて彼らは五人衆と呼ばれた。けれど幸村様は、真田の倅か、という目でしか見てもらえない。

 「真田幸村としての大きな手柄がないのじゃから仕様がなかろう」

 己の何たるかを見極めているために意に介さない幸村様よりも、それは大助や内記さんの方が悔しそうだった。

 


 10月10日に大坂城へ入ってからひと月後の11月12日、城から出て積極的に攻めるべし、と軍議で発言した幸村様だったけれど、実戦経験の乏しい豊臣家臣や実質的な権力者である淀の反対によってそれは受け入れられることなく、豊臣は籠城戦を取ることに決まる。

 「籠城など、援軍があってこそじゃ!すべての豊臣方が城へ入っておる此度の戦で端から籠城など以ての外であろうが!」

 昌幸様も懸念していた。城に頼った大坂は落ちる、と。討って出るべしという幸村様の意見に賛同する者たちもいた。しかし、真田の倅という枠に幸村様を押し込めて軽視する権力者たちに幸村様の声は届かない。

 ならば、と幸村様は、二重の堀に囲まれて難攻不落と呼ばれた大坂城の唯一の弱点である南方に丸馬出を築き、そこを自分が守ることを願い出た。それこそが真田丸。

 「真田が守り抜いて見せまする」

 突撃してくる敵を二分するために中央に水堀、その左右に空堀を作り、そこに5000の兵と布陣。真田の赤い六文銭旗が風を受けて白日の下、翻る。

 「父上!ご覧あれ!再びこの旗を掲げることが叶いましたぞ!」

 関ヶ原から十余年を経て、真田が戦場に戻って来た瞬間だった。



 11月19日から各方面で始まった戦いは徳川方の勝利が続き、とうとう12月4日、勢いに乗った徳川勢が真田丸へと押し寄せる。

 

 「今じゃ!!撃て――!!」

 真田隊は鉄砲隊を駆使して敵を挑発。徳川勢は中央の水堀を避けて左右へ分かれ、空堀へと殺到する。その者たちへ向け、真田丸のありとあらゆる櫓や狭間から矢玉が飛び出す。空堀で集中砲火を浴びて逃げ場を失った兵たちが血の海を作り、そこは地獄絵図さながらの様相と化していく。

 大助も幸村様から与えられた500の兵を率いて真田丸から飛び出した。そして策通りに敵を攪乱し、見事初陣を果たして真田幸村の名を天下に轟かせる一役を担った。

 本来初陣と言うのは顔見せのようなもので、特に大将格の息子ともなれば、命の危険があるような大きな戦は避けられることが間々ある。初陣を果たす、ということが目的なのであるから、敵前に命を曝す必要があるわけでもなく、陣の一番奥、大将の傍で多くに守られ、彼らが手柄のひとつでもお膳立てしてやればよい。大助とて真田の嫡男なのであるから、そうあって然るべきとも言える。だが大助は兵を率いて出陣し、見事にそれをやってのけた。それはやはり大助が、これも紛う方なき真田の倅であったということだろう。


 今まで経験のあるはずもない恐怖からの吐き気と震えと眩暈とに絶え間なく襲われながらも僕は目を逸らすことなく幸村様を見続けた。幸村様が何かを為す時を見逃すものかと、赤備えの中で最も赤く奮うその背中を僕は見つめ続けた。



 数で圧倒的に大坂方に勝る徳川勢だが、しかし諸隊は手柄を求めて我先にと走り、対抗意識も手伝って退くに退けぬ戦いを強いられる。

 「遅れを取るな!」

 「功名は我のものじゃ!」

 「敵将の首級を他へ奪われるでないぞ!!」

 これではいくら数に勝るとはいえ、倒れる兵の数は膨れ上がるばかり。

 真田丸の活きたこの日だけでも数千という犠牲を出した徳川勢はこの後、力攻めから心理戦へと策を切り替える。昼に夜にと城へ向けて大砲を撃ち込むことで、淀を始めとする城内の女たちの動揺を誘う作戦に出たのだ。

 大砲の音が鳴り響くたびに城の女たちは家康の画策通りに悲鳴を上げ、耳を塞ぎ、その場にうずくまる。止んだと思えばまた響く。その繰り返しで気の休まる暇がない。

 大坂城の実質的な権力者で支配者は淀だ。その淀とて女。また、その淀の周りを囲む者たちも多くの女。恐怖はさらなる恐怖を生み、それは連鎖反応となって広がり、深まっていく。

 つまり家康の大砲攻めは功を奏したのだ。結果、城が落ちたわけでなく、兵が退いたわけでなく、どちらがどうだなどという目に見えての勝負の決まらないまま、冬の陣はあっけなく幕を引くこととなったのだった。


 

 その後、大坂方は家康の策にはまっていくことになるのだが、実戦経験の乏しい者たちが力を持つことがこれほどまでに机上の空論を生むとは、幸村様はさぞ悔しかったに違いない。徳川の狙いはただひとつ、豊臣の根絶やしでしかないと言うのに彼らにそれは分からない。

 和睦など、聞こえはいいが、要は大坂城を丸裸にして己の得意な野戦へ持ち込もうとする狸親父の悪巧みに過ぎないのだ。その名ばかりの和議をしかし結ばされた大坂方には、もはや難攻不落の城を頼りにするという手立てはなくなってしまう。昌幸様が晩年に危惧した通りになったのだ。



 ――とにもかくにも幸村様はこの冬の陣を名声と共に生き延びた。1日にして天下にその名を知らしめ、それによって徳川に策を替えさせたのだから、幸村様は勝ったのだ。が、祝杯をあげる幸村様は僕を傍に呼び寄せ、言った。

 「またも同じ目に遭ったのう」

 真田の戦は徳川に勝ったというのにまた負けた。けれど幸村様は豪快に笑った。

 「じゃが、そもそも私には豊臣への忠義などはもはやない故にそれは気にすまい。ただ戦がしたいと思うただけじゃしの。戦をし、手柄を立て、真田の恥辱を雪ぐために私は大坂へ参ったのみじゃ。豊臣は我らのことなどは何も考えてはおらぬのであるし、忠義などと申してみたところで、そんなものは飲み干された盃のようじゃ。此度の徳川との和議とて、我らの考えなどは聞きにも来ぬ。前線で戦うは我らというのにの。戦を知らぬ者共が大きな顔をしておる家が生き残れるはずもなかろうに」

 どうも酒に酔っているらしかった。

 「しかし命を長らえることが出来たのう。こうして再び鷹弥と話をすることも叶うた。私はそなたのことが心配でならなんだのじゃ。私のおらぬところでよもや死んではおらぬかと、徳川の大筒が響くたびに肝を冷やしておった」

 「幸村様……」

 「そなたはの」

 言いかけて幸村様は僕をふわっと抱きしめる。

 「この幸村の道筋じゃ。明日へと我が身を導く(しるべ)じゃ。そなたがおらねば、私はあの九度山から出ることさえなかったやもしれぬ。何も為せぬままにあの地で命を終えることをゆるゆると選んだやもしれぬのじゃ。大坂からの誘いに乗ってあの地を出たには違いないが、それはつまり、出ようと思えばいつでも出られたということじゃ。されど私はそれをせなんだ。何故か。私はとうの昔に牙を抜かれた虎に成り下がっておったのじゃろうのう。この首の六文銭は、あの桃の木の下でそなたに語った遥か昔にもはやただの飾りになっておったに違いないと思うのじゃ」

 僕を放した幸村様は、具足の下にある六文銭に触れるように首元に手をやり、目を閉じる。幼い頃に父の昌幸様にもらったというそれ。九度山に蟄居の身となってのちも片時も離さず常に身に着けることで自分を律していたはずのそれ。なのにそれが遥か昔にただの飾りになっていただなんて。

 幸村様は毎日鍛錬を欠かさなかった。いつか己の力が必要とされる日の来ることを信じ、己の手で何かを為す日の来ることを信じ、幸村様はあの地で長い時を耐えたのだ。六文銭が飾りだなんて、牙を抜かれた虎だなんて、そんな言葉は幸村様には似合わない。

 「幸村様は勝ちました。徳川にも、ご自分にも」

 「己にとな?」

 「もしも幸村様の仰る通りに、その首の六文銭が飾りでしかなくなっていたのだとしても、それでも幸村様は今こうして戦に勝ったのです。真田幸村の名を天下に知らしめたのです。それを幸村様の勝利と言わないなら、他に何の言い様もありません」

 「……鷹弥、まことそなたは」

 幸村様はまた僕を抱きしめた。でもそれは先ほどのようなふわっとしたものではなく、力の込められた抱擁だった。

 「我が標じゃのう」

 密着した幸村様の体が少しだけ震えているのが、具足越しに伝わって来た。静かに、静かに、泣いていたのかも、しれなかった。



 12月20日に成った和議から1か月足らずの間に、狸親父の悪巧みによって徹底的に埋められた大坂城の内外の堀。豊臣の重臣たちが狸親父の狸親父ぶりに気付いたところで時すでに遅し。

 「謀りよって!!」

 「家康めが!!」

 とにかく埋め尽くされた、という形の堀に家康の顔を重ねて今さら青筋を立てて声を荒げたところで、二重の堀に守られていた天下の堅城はもはや籠城戦の出来る代物ではない。

 その上で家康は、秀頼へ大坂からの国替えを命じる。

 「断じて受け入れられぬ!!」

 「徳川はこの豊臣にどれだけの無礼を働くつもりぞ!!ご恩を仇で返すとはこのことよ!!」

 それを当然承諾しかねる豊臣と秀頼は家康に訴えるがよもや聞き入れられるはずもなく。

 


 4月、家康は再びの大坂追討を命じた。

 そうして夏の陣の火ぶたが切って落とされることとなった。



 真田の倅は真田の倅故に、白日の下を駆け抜ける。

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