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*弐*

 「ではそなたは、名を鷹弥(たかや)、歳は十三で、中学というところに通って学問を習っておる。そうなのだな?」

 では、という言葉でまとめたわりに意外にそんなものだが、幸村はそれを確認したかったようで、そうか、なるほどのう、とうなづいている。そして、今、膳の支度をさせておる、と言った。だからゆるりとくつろげ、と。

 「迷い子では腹も減っておろう」

 時を駆けちゃった迷い子だけどね。だけど言われてみればおなかがすいた気もする。さっき弁当を食べたはずなのに。

 しばらくして声がかかり、僕たちの前に膳が運ばれてくる。さぞ豪華な食事が、と思ったけれど、質素という言葉はこれに使うためにあるのかと思うくらいの膳に内心がっかりした。この時代の珍しい料理が食べられるのかと思ったのにな。

 「今は、兄・信之の助けがなければ私はこの数少ない家臣たちをも養うことが出来ぬ身故、このような粗末な膳しか用意できぬが、許せよ」

 一瞬でも、がっかりした気持ちが僕の顔に出たのだろう。それを幸村は逆に、許せ、と詫びた。恥じるわけでなく怒るわけでなく、ただ、詫びた。だから僕は恥ずかしくなって謝った。

 「よいよい。子どもがさようなことを気にするでない。それよりも、冷めぬうちに箸を取れ」

 「……はい」

 うなだれて僕はそっと箸を取る。質素ではあったけれど、それはどれも優しい味がした。

 

 「向こうに部屋を与える故、しばらくはここで過ごすとよい。そなたの……鷹弥の言う、その何やらに戻れる日をここで待てばよい」

 「……ありがとうございます」

 好意には礼を述べるが、その幸村の言葉は僕の心に重くのしかかった。自分の時代に戻れる日、その日は本当に来るだろうか。もしも、もしもこのままこの時代で生きていかなければならなくなったりしたら……。

 背を冷たいものが走る。でもその時、ふわっと僕は何かに包まれた。

 「怖がらずとも良い。必ずや、鷹弥の願うようになろう」

 幸村が僕を優しく抱きしめ、背中に回された手はそこをとん、とん、としてくれていた。

 僕は、はい、と笑った。



 男に四度同じことを言われて案内された部屋は広くはないが綺麗に掃除がされていて、気持ちがよかった。ただ、夕方が近づいてきたらしい今、浴衣一枚じゃ寒いのが困る。僕が着ていた服は行方不明だし、どうしようと考えているとぶるっと震えがきた。今は何月なんだろう。

 長すぎる袖に両手を埋め、自身を抱きしめるようにして少しでも肌寒さを和らげようとしてみるが、それでも寒いものは寒い。これはダメだと僕は廊下に出た。

 廊下に出ても、どこへ向かえばどこへたどり着けるのかが分からない。だがここは九度山ということだったし、だとしたらここはさほど大きな屋敷ではないはずだ。だから大丈夫だろうと勝手な自信を持ってとにかく廊下を進んでみることにした。


 「いかがした、鷹弥」

 ふと声をかけられてそちらを探せば、それは日暮れの近い庭に下りていた幸村その人だった。その声のかけ方があまりに普通だったので僕もつられてつい普通に、寒いんですけど、と答えた。

 「ああ、それでは確かに寒かろう。ここは夏でも日が暮れると冷えるのでな」

 幸村は僕の浴衣に目をやり、人を呼んだ。すると、またあの男が姿を現す。

 「鷹弥に何か着物を」

 「はっ」

 「あぁ、待て。着物は私の部屋へ持て。私が着せる」

 「……幸村様、そのような」

 「よいのだ」

 「……御意」

 男は僕にちらと目をやってから下がった。

 「内記(ないき)じゃ。父上の代から真田によく仕えてくれておる」

 「内記、さん」

 口の中で小さくその二文字を繰り返して覚えた。名前は必要だろうから。

 「なかなか強いぞ」

 言って幸村は笑った。ここにはあまり多くの家臣たちはいないみたいで、そう考えると、ここに一緒にいる家臣たちは心底真田家に仕える男たちなのだろう。人間、逆境の時にこそ本当の味方が分かるって言うしね。

 「何をしてたんですか?」

 1本の木を見上げていたらしい幸村に尋ねた。

 「桃をな」

 「桃?」

 木を見上げる幸村の視線を追えば、確かにそこには桃の実がついていた。まだ収穫には早そうだ。

 「幾度目であろうかのう、こうして桃が熟してくるのを見るのは」

 「もう長くここにいるんですか?」

 「……些か長くなりすぎてしもうた」

 確か幸村は関ヶ原のあと、父親の昌幸と最初は高野山へ、そのあとここ九度山で蟄居生活を送り、その期間は10年以上のはずだ。あぁ父親の昌幸はここで亡くなったんだっけ、と思ったところで気付く。幸村、結構な年齢だ、と。

 同い年と言われている奥州の伊達政宗、その股肱の臣・片倉小十郎景綱の息子が大坂の陣に参陣していること、徳川家康が自軍の顔ぶれを見て、「戦国の生き残りは高虎と政宗くらいか」と嘆いたと言われることからも分かるように、戦国時代を派手やかに生きた武将たちはもはやなく、2代目3代目へと世代が進んでいるその時代にあって、幸村へのイメージで持っている25歳とか26歳とかまだ若い感じはどうしたっておかしなことなのに、なぜだか幸村に関しては、そういうイメージが消えないというか、むしろそうあってほしいみたいなところがある。

 だけど今、僕の前で桃の木を見上げているこの人を見ていると、イメージのその2倍と言っても過言じゃないような風采で、蟄居生活の苦労が多少は老けさせていることを考えても、やはりそれなりの年齢なんだろう。だとしたら、昌幸はもう亡くなっているのかもしれない。

 逆境を支えてくれる家臣がいるとはいえ、兄と敵味方に別れ、父と別れ、寂しいだろうなと、僕は桃の木を見上げるその人を見て少し悲しくなった。

 「鷹弥、そこの草履を履いてここへ下りて参れ」

 幸村に示された草履を見つけて僕は庭へと下りた。初めて履いた草履だが、意外と気持ちがいい。

 しかし困ったことにどんどん寒くなってくる。一応、礼儀は礼儀と袖に埋めていた両手は出してしまったので、そこから風が吹き込んでますます冷える。でも僕は寒さを我慢して彼の隣に立った。そしたら幸村は、自分が肩にかけていた羽織を僕にふぁさっとかけてくれた。

 「内記が着物を持ってくるまでこれで我慢じゃ」

 鍛えたことなんかない僕の細い肩から羽織がずり落ちないように整えてくれながら幸村が言う。あまりに驚いてしまった僕は、ありがとうございます、と小さく言うのが精いっぱいだった。

 それから僕は、桃の木の下で幸村から、この桃は熟れると甘いだの、秋になれば柿もうまいだの、そんなことを聞かされた。


 「お持ち致しました」

 内記さんの声がして振り返ったが、その手に持っている着物は絶対に1枚じゃない。それが1枚なら、それはもうダウンコートだ。

 「また山ほど持ってきたものじゃの」

 幸村も笑ったが、内記さんは至極まじめに言った。

 「小さい大きい寒い暑いと何度も呼ばれては差し障りがあります故」

 聞いて幸村は、分かった分かった、と内記さんをなだめ、部屋に置いておけ、と伝える。内記さんはその着物の山を抱えて部屋に入り、すぐに身軽になって出てきた。

 「すまぬの、内記」

 「私は構わぬのです。ただ、幸村様が……」

 「だからそれをすまぬと申しておる」

 「そのような!」

 「もうよい、内記。下がれ。あぁそうじゃ、鷹弥のことは私が直に世話をすることにしよう」

 「幸村様!」

 「私の楽しみじゃ。奪わぬでくれよ?」

 「……御意」

 内記さんは顔を上げずに去った。すっごく僕が敵対視されてる気がしたけど、気付かないふりをしておく方がよさそうだ。触らぬ神に祟りなしと失礼なことを思っていると、さて、と幸村。部屋へ上がって着物を替えるかの、と。

 

 内記さんが運んできた着物は10枚以上あり、幸村はそれを1枚1枚広げては、前に立たせた僕に当ててみる。

 「これがよい」

 言って幸村が見繕ってくれた着物を、幸村自らが僕に着せてくれ、サイズもよくなったし何より暖かくて、僕は人心地つくことができた。そんなことがちょっと嬉しくて、右の袖、左の袖を順に広げて見ていると、幸村がその僕をそちらも嬉しそうに見ていることに気付く。小さな子どもみたいなことをしたことが急に恥ずかしくなって、僕は慌ててその場に座り、ありがとうございました、と頭を下げた。

 「よいものじゃ」

 「は?」

 つい間抜けな返事をしてしまった。

 「そなたのような年頃の()の子がそうやって嬉しそうにしておるのは喜ばしいことじゃ。この幸村は、幼き頃は他家へ人質に出されての。ひどい扱いをされたわけではないが、無邪気に笑うことなんぞは出来なんだ。人質は人質じゃ。国の如何によっては明日をも知れぬ命であるし、人質といえども真田の男子たる矜持はある故な。……それでも、我が息子たちがこの先、穏やかに日々を過ごせるとしたなら、それは何にも代えがたい喜びじゃと思うてな」

 僕は思い出していた。この人はこの先、大坂の陣で命を落とし、嫡男の大助までもが大坂城と共に散る運命にあることを。

 思い出し、そして僕は、身震いをした。この人はまだ、そのことを知らない。自分の行く末を知らない。それは当然のことだけれど、なのに僕はそれを知ってしまっている。僕の前に座って穏やかな笑みを浮かべているこの人は、そう遠くない未来、真っ赤な鎧を真っ赤な返り血に染め、自身の血にも染めることになる。僕の頭にはその()が浮かんで消えない。

 恐ろしい。僕はこの人の未来を知っている!

 「いかがした?まだ寒いか?寒ければ、こちらの羽織も重ねるとよい」

 幸村は言いながら1枚の羽織を広げて立ち上がろうとする。きっと僕にかけてくれるんだ。自分の手で、僕に。

 「ちが……、寒いんじゃ……」

 僕は必死で首を横に振って違うということを伝える。

 「……まあよい。寒ければ重ね、暑ければまた他のものに着替えればよい」

 「はい……」

 涙が出そうだった。人は皆いずれ必ず死ぬとは言え、「あの日」に死ぬと分かっている人はそうはいない。だけどこの人は大坂夏の陣、徳川家康の本陣へ迫って家康をあと一歩のところまで追いつめたあと、安居天満宮で討ち取られてしまう。そんな未来が分かっている。僕が知っている!

 「鷹弥、いかがしたのじゃ。父や母とはぐれて寂しくなったか」

 「違……、ただ……」

 「ただ?」

 「……いえ、何でもありません」

 けれど僕はそう言い切って、考えることをやめた。恐ろしすぎると思ったのもひとつ、しょせん抗えないはずと思ったのもひとつ、関わりたくないと思ったのも……またひとつ。

 幸村は僕を見て何か考えているようだったが、僕は負けなかった。目を逸らせたら負けな気がして、僕は必死の思いで幸村を見続けた。



 あなたの未来を僕が知っていることが恐ろしい。

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