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*壱*

 誰だ。お前は何者だ。いずこからここへやってきたのだ――



 僕は目を覚ました。瞼を上げて光を取り込もうとした途端、すぐ近くで誰かの大声がした。それに頭が痛んで、薄く開けかけた目をまた閉じてしまう。そして目を閉じたまま周囲のざわめきを感覚で拾っていると、なにか違和感を覚えた。

 えっと?僕は学校で日本史の授業を受けていたんだっけ。そうそう、時は戦国。その終わり。大坂の陣。活躍した武将は……。

 「幸村様!」

 そう、幸村。真田幸村。日本一(ひのもといち)(つわもの)と評される戦国武将。三途の川の渡し賃たる六文銭を家紋に掲げ、赤い鎧を纏った真田幸村。天下分け目の関ヶ原の戦いで石田三成率いる西軍について敗戦の将となり、父親の昌幸と共に九度山(くどやま)ってところに長年蟄居させられた武将で、そのあと豊臣秀吉の遺児・秀頼に味方して大坂の陣で徳川家康に敗れた真田幸村。

 そこまで思って僕はバッと目を開いた。何かが変だと思ったんだ。

 その理由を見つけるため、僕はしっかりと目を開いて周囲の様子を確認した。


 ……どこ、ここ。

 ……何、これ。


 「わ――っ!!」

 僕は雄たけびをあげて体を起こした。

 「静かにせぬか!」

 けれど上げた声とほぼ同時に僕のではない声に体の動きを止められ、僕は息をするのを忘れるところだった。

 「まだ子どもではないか」

 また違う声。

 「しかし幸村様!どこぞの草やもしれませぬ故」

 「仮にそうであったとしても、この九度山から動けぬ今の我らに知られて困ることなど何もないではないか。放してやれ」

 「……幸村様がそのように仰られるのであれば」

 後ろ手に捩じり上げられた両手がキシキシと痛い。息をすることを忘れずにいたところで、これは結構息苦しい。

 「お前は幸村様のお陰で命拾いをした。どこぞの草にせよ、そうでないにせよ、二度とここへ近づくでない。よいな」

 言って、背後で両手を拘束していた男は手を離し、僕は地面にドタッと崩れ落ちた。

 「……って!」

 「早う、去れ」

 男は僕に言い捨てて踵を返す。僕は咄嗟にその背中に泥のついた手を伸ばした。

 「ちょ、ちょっと待って!」

 男は怪訝そうな顔で振り返り、何だ、と目で僕に問うた。

 「あの……ちょっと聞いていいですか……?ここ、どこですか……?」

 僕の問いを男は理解できないのか、怪訝そうだった顔がまた少し変わる。それでも怪訝そうなのは変わりないけれど。

 男は僕をじっと見、そして、ひとこと。

 「迷い子か?」

 ……そうかも。僕は恐らく、ここにいるべき人間じゃないと思うんだ。だって、今の今、この人に尋ねた自分が言うのも何だけど、意味が分からないけれど、まったく何がどうなってこうなっているのかがさっぱり分からないけれど、ここ……。

 目の前にあることを信じるならそうであり、信じないなら……どうすればいいんだろう。これは夢じゃない。夢なんかじゃない。泥のついた手、打撲して痛む腰、捩じり上げられて悲鳴を上げかけた肩、掴まれた腕。人が生活している匂いがあるし、太陽は眩しい。こんな夢、見たことないから。

 あの人、さっきの人、僕を放してやれって言った人、あれは……幸村だ。真田幸村。つまりここは……戦国時代。 

 「いずこからやってきた」

 「……21世紀の中学校から」

 「……」

 繰り返すが、ここは戦国時代。通じるわけがない。でもほかに言い方もない。僕は使えるだけの言葉を使って男に説明をした。男はじっと僕を凝視したまま黙って話を聞いていたが、やがて、着いて参れ、と僕に背を向けた。僕に背を向けるってことは、僕のことを敵だとは捉えていないってことだよな?

 僕は立ち上がり、服についた泥を払った。雨が降ったあとなのか、濡れているってことはなかったけれど、手に触れた土には水分を感じた。


 「幸村様」

 男は僕を庭に控えさせたまま、古めかしい障子の向こうの人を呼ぶ。何じゃ、と返事が届いて、男は簡単に僕のことを説明する。すると障子がすっと開き、その人、真田幸村が姿を現した。

 男が頭を下げて平伏したが、斜め後ろの僕がそのままでいるのを見咎めて、手を伸ばしてきたと思ったら僕の頭を地面に押し付けた。不意打ちだったから僕は額をしたたか打ち付けて、目の前に星が飛ぶのを見た。

 「……どういうことだ」

 幸村が問うても、男は何も答えない。どうやら幸村は僕に尋ねているらしい。慌てた僕は頭をこれ以上ないくらい下げたまま、え、だから、としどろもどろになりながら説明をする。

 中学1年生の13歳で、学校で日本史の授業を受けていたら眠たくなって、気付いたらここの庭で倒れていた、ってことを。

 当然だけど幸村はすぐには何も答えない。僕だって、意外なほど自分があっさりとこの状況を受け入れたことをひとごとのように驚いているんだからな。だけど何かもっとほかにうまく伝える方法はないものだろうか。近すぎる地面をにらんで考えていると、不意に、庭を見下ろすように立っていた幸村が動いたのを感じた。と思ったらそれは僕の目の前にで、片膝をついた彼は、面を上げよ、と僕に言った。

 恐る恐る顔を上げた僕が見たもの、それは、さっきとは違って優しい顔をした幸村の顔だった。驚いてじっと見てしまった僕に、無礼者、と小さく咎める声がしたが、僕はもう動けなかった。

 「しばしの間、ここにおるか?」

 「……え?」

 「幸村様!」

 「よい。よくは分からぬが、これは私に害をなす者ではない」

 「しかし!」

 「泥まみれ故、湯を遣わせてやれ。そのあとで私の部屋へ連れて参れ」

 男の反論は聞き入れられず、幸村は部屋に上がり、開けた時と同じようにすっと障子を閉じた。

 「……あの」

 どうすればいいのかと僕は男に声をかける。歯痒そうなその顔で振り向かれると怖いと思っていたら、本当にその顔で振り返られてビクッとする。でもすぐに、諦めらしいため息をひとつ吐いた男は僕に、着いて参れ、と声をかけて歩き始めた。

 


 「着いて参れ」

 さっきからそればっかり、と思いながらも僕は男に促され、しずしずと廊下を進んだ。単に歩きにくいってのもあるし、幸村の前に行くんだよなと緊張していたのもある。

 庭から吹いてくる風が、湿った僕の髪を揺らした。

 「幸村様。連れて参りました」

 「入れ」

 その声を合図に男が障子に手をかけてスッと開ける。

 「ここへ参れ。お前は下がってよい」

 「……御意」

 男は不服そうだったが、主の言いつけとあれば仕方がないといったふうに返事をし、僕を残して今来た廊下を戻って行った。

 さて僕はと言えば、入れと言われても入りづらいのは当然で、どうすべきかともぞもぞしてしまう。何か読んでいるふうな幸村はその僕に気付いて、それを傍らに押しやり、膝を少し僕の方へ向けてから、遠慮せずともよい、と手招きをした。

 はい、と返事をして僕は思い切って立ち上がり、障子の桟をまたいだ。閉められていた障子はやはり閉めた方がいいのだろうと思ってぎこちない動きで障子を閉めると、幸村が、こちらへ、と僕を促す。

 はい、とまた返事をして幸村の前に静かに正座をしようとすると幸村は、少々大きいようじゃの、と笑った。視線から察するに僕の浴衣のことだろう。風呂から上がった時にあの男に眉をしかめられながら直されたとは言え、大人用なのか、手は指先まで隠れていて確かに不恰好には違いなかった。

 「あー……」

 立ったまま返答に困っていると幸村は、座れ、と言い、そして正座すると同時にずいっと僕に近寄って、もう一度話を聞かせてくれ、と真剣な顔で言った。



 時は戦国。ここは九度山。目の前には真田幸村。

 わけが分からないけれど、確かに僕は今、ここにいる。


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