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コバルト投稿作

神様、結婚しましょう

作者: 雨咲まどか

 神様、結婚しましょう。

 私が言うと、神様は一瞬だけ面食らった顔をして、ふうわりと笑った。


「どうだろうねえ」


 風が吹いて神様の桜がそよぐ。夜の静寂を花びらが舞った。


 村外れの丘にぽつりと一本だけあるこの桜は、ご神木として遠い昔から奉られてきた。けれど村の人達はみんな知らない。桜の神様が、こんな場所にひとりぼっちにされて寂しがっている事を。


 太い桜の根元に神様と並んで座り、空を見上げる。満天の星空には月がない。桜は淡い光をたたえて揺れて、私はきっと天国ってこんな所だろうと思い巡らせた。


「今夜は神様がお月様みたいですね」


 ぼうっとしたまま呟くと横で神様が首を捻る気配がした。

 神様は、神様だけど私なんかよりもずっと人間らしい。ころころと表情を変えて、泣いたり笑ったり忙しそうにしている。


「きみの話はたまによくわからないなあ」


「神様は意外と世間知らずですよね」


「ずけずけ言うね、きみは」


 愉快だ、と言わんばかりに神様はけらけら笑い、腰を上げると宙に浮かび上がった。

 桜の木よりも高く飛んで空からの花見を楽しんでいるようだ。


 白の着物に白の羽織、白の帯に白の下駄。肌も青白く、肩で切りそろえられた髪も白い。神様は全てが真っ白で、私は神様がこのまま消えてしまうような気がした。

 私は必死で目を凝らし、神様を見詰める。神様の言動は瞬き一つでも見逃したくない。神様は、神様だからか瞬きなんてほとんどしないけれど。


 一際大きな風が私の目の前を横切って、桜吹雪に視界が遮られる。

 次に瞼を開けると、すぐそこに神様の端正な顔があった。私は頬が熱くなるのを感じ、咄嗟に目を泳がせた。


「今年は我ながら完璧」


 胸を張り、腰に手を当てている神様。どうやら桜を自画自賛しているらしい。


「神様はいかなる時も、いかなる桜よりお綺麗ですよ」


「お上手」


 桜色の唇を微笑みに歪めて、神様は膝を抱えて座っている私に手を差し出した。私は半ば反射的にその白い手を取る。

 ひんやりと冷たいその手は、それでもちゃんと触れられる。神様は確かに、ここにいる。


「上いこう?」


 私が首を縦に振るとほぼ同時に身体が浮いた。神様に運ばれて、桜の木の太い枝まで。

 神様と一緒に空を飛ぶのは初めてじゃない。けれども私は、感嘆の声を上げるので精一杯だ。


 太い枝に並んで腰を下ろす。桜の花がすぐそこで咲き誇っていた。

 神様は白い羽織を脱いで私の肩に掛けた。目を丸くして神様を見ると、口元に微笑を浮かべていた。私は小さくお礼を言って、羽織の両襟を胸で握りしめる。柔らかな花の香りがした。

 不安定な場所の筈なのに、無理なく座れて心地良い。神様が隣にいるからだろうか。

 神様の桜は、三十年くらい前から花を咲かさなくなった。最初は、花の数が減っただけだったという。それが年を追う毎に全く花を付けなくなった。春になっても、夏になったって、桜は蕾も付けない。

 そんな桜が、年にたった一晩だけ花を咲かす日があった。それが、今日だ。


 桜の木の上からは村が見えた。民家の明かりは消えているけれど、中央にある建物だけまだ火をたいている。集会所だ。大人達が集まって、私が上手くやるように祈りでもしているのだろう。

 丘の周りを囲うように、たいまつの火も五つほど見える。見張りだ。

 ご苦労な事だと私は神様にばれないよう嘆息した。


 この村は、寂しい村だった。一年の半分が冬みたいな気温で、すぐ雪が降る。けれど、雨は降らない。周囲を山に囲まれているせいで、日当たりが悪いうえに他の村との連絡が取りづらく孤立している。


「神様、私ももう十六です」


「そうだね。背も追いつかれちゃうなあ」


 こめかみを掻いて神様は笑った。

 神様は変わらない。初めてあった日からずっと、少年の姿のままだ。だって、神様だから。

 私は巫女装束の胸元を押さえた。


 桜の木は、寿命を迎えている。それは同時に、神様が消えることも示唆していた。


「私、今日は生贄になるために来たんですよ」


「……えらいことをさらっと言うなあ」


「どうぞ」


「……どうぞって言われても……」


 腕を組んで眉を下げ、神様はうーんと唸った。

 私はもう引き下がれない。今日、今宵の為に、この時の為に、生かされてきたのだ。村の命運を握って、ここまで育った。

 けれど私は、これだけの為に生きてきたつもりはない。神様と過ごしてきた時間に、無駄なんて一秒もない。


「私を取り込めば、少しは足しになりますよ。こう見えても私、巫女としては優秀なんです」


「きみが優秀なのは知ってるよ。僕を目視出来て触れてついでに会話まで出来るなんて、きみが初めてだもの」


「……神様に褒められると照れます」


「きみでも照れたりするんだねえ」


「神様限定ですよ」


「光栄だなあ」


「ならば早く私を生贄にして下さい」


 神様の目をまっすぐ見据える。二呼吸ほど置いて、灰色のそれが細められた。


「――きみのお母さんにもおんなじ事言われたなあ」


「母が?」


 私の母は、私を生んですぐに命を落とした。父はというと母が死ぬとすぐに村を追い出された。出来損ないの巫女の母とよそ者の父は村で迫害されていたのだと、神様が話してくれた。両親について私が知るのは、いつでも神様の言葉からだ。


「うん。あの子が十二歳の時だったかな。いきなり桜の木の前まで走ってきてね、「私を生贄にして下さい!」だって。僕の桜が咲かないのは、あの子のせいじゃないのにね」


 神様は夜空に視線をやった。


 巫女の家系に生まれたのに関わらず力を殆ど持たなかった母は、村中の非難を一身に浴びていたのだという。

 母が巫女になったのと神様の桜が咲かなくなった時期が同じだったのだ。何も知らない者ならば、母のせいだと勘ぐってしまっても仕方がない。

 神様の力が弱まる事は、村の農作物へ影響を及ぼした。神様はもともとあまり力のない神様だ(神様が自分で言っていた)けれど、それでも土地神が力を失うというのは村にとって大きな損失だったに違いない。


 苛立ちの多くは他者に向けられる。この場合、誰に向けられたかは明白だ。母が村人達からどんな仕打ちを受けていたのか安易に想像が付く。

 きっと母は、自分の代になって弱りだした神様を恨みさえしただろう。私の巫女としての力が強いのは両親からの贈り物ではないかと近頃では思うようになった。

 法力が強ければ、村のどんな人も私を大切にせざるを得ない。力のある巫女は使い道がいくつもある。その一つが、生贄だった。私を取り込めば神様は数年ほど力を取り戻すだろう。数年といえども、この三十年続く不作から抜け出す事で村の人達はどんなに希望を得るかわからない。


「どうして母を生贄にしてあげなかったんですか? 法力が弱いからですか?」


「そんなわけないじゃないか」


「生贄になりたいって、本心だったはずです。――私も同じ」


 神様は眉を顰めて、困惑した表情を浮かべた。神様は、神様だけど、神様みたいだと思う。


「あの子は辛かっただけだよ。……愛する人が出来て、結婚して、きみも産まれて。生贄なんかにならなくてよかったって今頃は思ってるんじゃないかなあ」


「私は違います。私は一生神様を愛し続けます。神様のためなら何だってしたい。だから、生贄にして下さい」


「そんなこと頼む人、世界中にきみぐらいだよ」


「私一人で村が救われるんですよ? みんな幸せ万々歳です」


「だめったらだめ」


 頬を膨らませて神様は語調を強くする。説得に失敗した私は、どうしたものかと桜の花に目をやった。薄い桃色の花びらが放つ光は温かく、指先で触れると滑らかな感触がした。


 神様に初めてあった日の事は、覚えていない。生まれてすぐ私は神様に会ったのだという。乳母に抱かれて、来る日も来る日も神様の元へ。

 物心付く頃には、私の中で神様の存在は当たり前のものになっていた。いつも桜の木の所にいる、純白の男の子。

 神様が他の人には見えないと気付いたのはいつだったかすらも、覚えていない。

 ただ、私が「お兄ちゃんってみんなには見えないの?」と訊ねると、彼は「かみさまだからねえ」と答えた。その日から私は、彼を神様と呼んでいる。総称の「神様」じゃない。彼ただ一人だけを指して「神様」と。


 私は神様の横顔を盗み見る。繊細な鼻梁に薄い唇。睫毛まで白くて、桜に溶けてしまいそうだった。神様は桜の一部なのだ、と改めて感じる。

 胸元を押さえて、息を吐く。


「神様は本当に綺麗ですね」


 白い髪を揺らしちょっと小首を傾げて、神様は目をぱちくりさせた。それから、合点がいったのかくふりと笑う。


「ありがとう。頑張ったからね」


 どうやら神様は私が桜の花を褒めたと思ったらしい。

 今年の春も、桜は咲かなかった。

 それなのにもう夏に差し掛かる今日という日に花が咲いたのは、神様と私の約束だからだ。








 九歳の誕生日。私は夜中に村を抜け出して、神様の所へ行った。丘を駆け上がって、木の幹に抱きついた。

 その晩私は、無性に悲しくて、寂しくて、悔しくて、だから涙腺が緩んでしまっていたのだ。

 心配した神様が私の頭を撫でてくれたけれど、ずっとため込んでいた涙は止めどなく溢れた。

 私の「使い道」について大人達が話しているのを聞いてしまったのは、その日よりも数日前のことだった。少しずつ実感が湧いて、少しずつ理解して、あの瞬間の布団の中で、とうとう叫び出したくなった。


 泣いて泣いて、泣き疲れるまで泣いて、やっと面を上げた刹那、目に飛び込んできたのは満開の桜だった。その時、生まれて初めて書面ではない本物の桜花を見た。こんなに美しいものは他に存在しないと思った。

 唖然として瞬きも忘れて見入って、隣にいる神様をやっと見上げた時には、寸前まで号泣していた事なんて忘れてしまっていた。


 神様はなぜか泣いていた。拭わないからぽたぽた雫が地面に落ちて、けれど染みにはならない。


「どうして神様が泣くんですか」


 すっかり穏やかになった心で訊ねると神様は照れくさそうに頭を掻いた。


「きみが泣いたからだよ」


「どうして桜が咲いたんですか」


 神様はしばし逡巡してみせて、


「きみが泣いたからだよ」


 そう言ってまた少しだけ泣いた。








――きみが泣かないで済むように、来年の今日も、再来年の今日も、ずっと向こうの年の今日も、毎年必ず桜を咲かせるよ。


 こんな口約束を、神様は律儀に守り続けている。この一夜に寿命を削っているのだとわかる。わかるけれど、私は神様にやめてくれとは言わない。神様の『精一杯』を、私には止められない。だって、私のためにしてくれているんだもの。


「神様、結婚しましょう」


 二度目ともなると、神様は可笑しそうに笑うだけだった。


「ごめんね」


「……もっと可愛く言ってくれたら許さないこともないです」


 私はしかめっ面をして、そっぽを向いた。目だけはこっそり神様の方を向ける。

 神様は上目遣いになって眉尻を下げ、顔の前で手を合わせた。


「……ご、ごめんね?」


 あ、本当にやった。

 私はぱちぱちと拍手した。神様のそういう神様っぽくないとこ、好きですよ。

 神様は両手で顔を覆って、肩を落とした。


「……死にたい」


「大丈夫です、私がお嫁に貰ってあげます」


 てっきり、「どっちかというと婿でしょ」と返ってくると思った。だのに神様は、全部諦めたみたいに笑った。


「なんで止めるんだよう。僕が死ねば、殺す手間が省けるのに」


 私の肩から、神様の羽織が落ちる。みぞおちの奥がすっと冷えて、頭が真っ白になった。表情が作れない。全身の筋肉が動かない。脳みそさえ上手く働かないのに、心臓だけが早鐘を打っている。

 どうして、


「いつから……気付いてたんですか」


 唇が震えて、声も震える。私は胸元を握りしめた。

 神様は人ごとみたいに飄々と、腕を組んで首を捻った。


「うーん、そうだなあ。きみがもう十六だって話した時かな。ああとうとうこの日が来たんだって思ったよ」


 一字一句聞き逃さないようにしようと決めた筈の彼の言葉が、脳を通り抜けていって捕まえられない。


「じゃあ、この計画のことは前から……?」


「うん。だって、僕みたいな死にかけの寿命をちょっと伸ばすくらいなら、違う神を作った方がいいなんて、少し考えれば分かるよ。普通の人には出来ないだろうけど……きみなら、その才能がある」


 私は『神様の為』、ただそれだけに生かされ、育てられてきた。神に仕える巫女である事だけが、私の価値だった。異存なんて無い。それで構わないと心の底から思っていた。

 神様との日々はとっても楽しかったし、幸せだった。神様は私の親代わりで、兄弟代わりで、友達で、神様だった。

 そんな歪んだ日常が、ある日を境に一転した。


 成長するにつれ、私の才能をかう人が現れだした。その中の一人が、提案したのだ。そんなに力があるなら、神様に成り代わってしまえばいい、と。

 随分前から、村には大きく分けて二つの思想があった。

 このまま神様に祈り続けようという、これ以上の災害を恐れた主張と、無能な神はいっそ殺してしまって、どんな形であれこの状態を抜け出そうという主張。

 この頃は、断然後者が多い。今すぐ神様を切り倒してしまおうと言う者までいる。

 だから私は、神様に成り代わるなんて計画に頷くしかなかった。頷くしか無かったんだ。信じて、神様。


 計画は単純だった。まず下準備として、神の器である桜の木に私が力を注ぎ込む。桜の木から神様の力の範囲を減らすのが目的だった。

 でもこれは、計画が始まる前から勝手にやっていた事だ。成り代わりなんかの為ではなく、神様に元気になって欲しくて。

 同時進行で、小刀にも力を込めた。髪を伸ばして、そこに力を蓄えた。


 桜の木に私の力が蔓延し、武器も用意し、私の法力も万全になったら、準備完了。私の為に桜を咲かして神様が弱る、今日が絶好の日よりだ。

 世界一殺したくない相手を殺す準備をする私は、なんとも矛盾した存在だった。生きた心地がしなかった。


 神様は月のない空を見上げている。


「でもね、僕、その計画には反対なんだ。きみには神になんか、なって欲しくないんだよ。誰か愛する人を見つけて幸せになって欲しいんだ。――きみのお母さんみたいに」


 言い終えた神様は私の顔をみてぎょっとした。よっぽど酷い顔なのだろう。でも、拭っても拭っても、間に合わない。

 私は全身の血が煮えたぎっていた。怒りたいのは神様の筈なのに、どうして神様はこんなに平気そうに笑うんだ。もっと激高して、祟りでもおこしてやればいい。あんな村、潰しちゃえばいいのに!


「どうして許すんですか? そもそも、神様が弱っちゃったのはみんなのせいなのに。神様がなんで弱っちゃったのか、あいつら考えたこともないんですよ!」


 桜を美しく咲かせるだけの筈の神様が、どうして土地神なのか。どうして桜さえ咲かない程衰弱したのか。みんな、考えたこともないんだ。

 こんな天候にも環境にも恵まれない村に何故、普通の村のように作物が実ってきたのか。不作の今がおかしいんじゃない。豊作だったのがおかしいんだ。

 この丘はきっと、ずっとずっと昔には人々の憩いの場だったに違いない。

一年の半分近くが冬の、雨も降らないこの村には、緑自体少なかったはずだ。そんな中、神様の桜は毎年見事な花を咲かす。それの、どんなに綺麗だったことか。


 神様を崇めた人達は、初めは縋る想いで神様に祈ったのだろう。この地にも、緑が溢れますようにと。それを、神様は叶えてしまった。桜にかけていただけの力を村全体にも差し出した。弱って当たり前だ。


「植物が採れなくても、工夫して生きてきたはずなのに。神様に頼って、自分たちの力で生きる事を忘れちゃったんですよ。神様が自分たちのために頑張るのが、当たり前だと思っているんです。神様の所に来て祈りすらしない癖に。神様の声も聞こえない癖に。神様の事、見たこともない癖に。それなのに、神様を切り倒すなんて! 神様が駄目になったから、新しい神様を作ろうだなんて! どうしてそんなこと許すんですか!

 神様に人を祟るような力がないことは、私が一番知ってます。もしあったとしても絶対使わないって事も。でも、怒るくらいいいじゃないですか。こんな理不尽嫌だって一言言ってくれたら私、どんな手でも使ってでも神様を助けます」


 村人全員、敵に回したって構わない。けれどそんなこと、神様は喜ばない。

 のべつまくなし撒き立てると、神様は目を細めて私の頭をそっと撫でた。


「……僕、神様だからなあ」


「――神様の馬鹿!」


 罰当たりな事を叫んだからか、私の身体は大きく傾いて枝だから落ちた。真っ逆さまに地面まで――。

 衝撃に備えて目をつぶると、右手を引かれた。勢いよく引き寄せられて、鼻先をぶつける。

 鼻腔をくすぐる桜の香り。どんな香りより、この香りが一番落ち着く。


「いいんだ。僕はもう、十分だ」


 鼓膜を揺すぶる柔らかい声。どんな声より、この声が一番安心する。


 私は神様に、抱きしめられていた。


 ゆっくりと地上に降りる。地面に積もった花びらの感触が足袋越しに伝わる。神様は私の背中から手を滑らせて、自分の左胸に当てた。


「その刀をここに刺せば終わるよ。心臓は無いけどね」


 神様は軽く嘲笑すると、一歩下がって私を見つめた。胸元に忍ばせた刀もお見通しだったのか。


 私は襟のあわせに手を入れて、小刀を取り出した。鞘から抜くと刀身が鈍く光る。

 柄を握りしめて、唇を噛んだ。こんなの、


「ずるい」


「え?」


「神様だって私を生贄に出来ない癖に、私には神様を殺せなんて、ずるい」


「それは……」


「私、ずっと考えていたんです。他にないんだろうかって」


 神様か私、どちらかが必ず死ななきゃいけないのか。


「だって、神様がいなくなっちゃうなら、なんの意味もないじゃないですか」


 私は小刀を構えた。神様が静かに目を閉じる。

 右腕に渾身の力を込めた。派手な音がして――、私は髪を首の後ろで切り落とした。

 彼を殺すために溜めた力など、必要ない。


「わ、長かっただけに凄い量」


 足下の髪の束目がけて刀を放る。頭が随分軽くなった。もう肩こりに悩まされる心配はなさそうだ。

 私の声に神様は瞼を上げ、次の瞬間瞠目した。


「なにして……」


「神様、一度だけ、たった一月ひとつきだけ旅に出ませんか。一緒に色んなものを見ましょう。一緒に色んな事を話しましょう。一緒に色んな所に行きましょう」


 桜吹雪が私達の間を吹き抜ける。

 黙ったまま怪訝そうにしている神様に、構わず私は続けた。


「桜の枝を一本だけ、持っていきましょう。私の力を吸い続ければ、一月くらいもつでしょう」


「それは――」


 私が言いたいことがわかったらしい神様は、力無く俯いた。

 神様が言いかけた台詞の続きはこうだろう。


――それは、みんなを捨てるってこと?


 私は大きく息を吸った。


「神様、結婚しましょう」


 神様が顔を上げる。灰色の瞳が揺れていた。背後で桜がざわめいている。


「……君が言う『結婚』って、なに?」


「一緒に生きる事です」


「そっか」


 ふふ、と神様は微笑した。


「僕が死んでも、この桜が残るならいいと思ってたんだ。僕は桜の一部だから、この子がいれば僕がいるのと同じだから」


「……はい」


「一月たったら、どうするの?」


「どうも、しません」


「きみ、死んじゃうじゃない」


「神様も死んじゃいますよ」


「そっか」


 神様は、酷く子供っぽく笑った。私もつられて笑う。いつの間にか涙は乾いていた。

 花びらの絨毯を歩いて、神様は桜の木に手を伸ばした。瞼を下ろし、ぴくりとも動かなくなる。

 私はそれを見つめ続けた。ただじっと、彼の瞼が持ち上がるのを待った。


 桜の花びらまみれになった頃、神様は目を開けて私を顧みた。私は息の仕方を思い出そうとしていた。


 そののち、神様は桜の蕾が開くみたいに笑う。清々しい花の香りが一面に広がった。


「ねえ、結婚しようか」







 村はずれの小さな丘にあるたった一本の桜はその晩、枯れた。








挿絵(By みてみん)

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