咆哮
「うう゛ぁあッ?」
足元から上がる声。投げ倒したその兵士へ俺は銃の引き金を引く。
「が! き!? う゛ぁっ!」
背骨近くに二発、頭に一発。弾が体に沈む度に歩兵は体を弾ませて声を上げ、動かなくなる。
使いきって空になったマガジンを落とす。
そして兵士の死体を蹴り飛ばしながら替えのマガジンを詰めてリロード。
そこで不意に爆音に建物が揺れる。
少し前から繰り返し襲ってくる振動。どうやら俺の侵入に合わせてか偶然か、襲撃を仕掛けてきている連中がいるらしい。
ここまで来て、俺の復讐を横合いからかっさらわれてたまるか。
だがどうやら防備の目は別の襲撃者連中に向いているようだ。その証拠と言うべきか、俺に対する警備はザルもいいところだ。せいぜい利用させてもらうとしよう。
そしてまた響いた爆音に乗って俺は道を急ぐ。
目的の研究室はもう目と鼻の先だ。
そこまでに邪魔くさいザコが一匹。
「貴様は!?」
ザコ兵士は俺の接近に気づいて銃を向ける。だが俺は走る足を止めず、ハンドガンを発砲。
「うぐ!?」
空を切り裂いた弾丸は敵の腕を掠めて牽制する。そこへさらに狙いを無視して連発。ライフルを撃たせずに突っ込む。
「くっそ……!」
ザコにしてはなかなかの根性を見せて銃を構える歩兵。
その銃口を俺は拳銃のグリップで殴り落とし、すかさず逆の手に持つナイフを敵の胸に突き刺す。
「が、ばあ……ッ!?」
断末魔のうめき声を残してくたばるザコ。
その体からナイフの刃を引き抜くと、邪魔者の体は支えを無くしたように膝から崩れる。
足元に横たわったそれを踏み越えて、俺はこのザコが命をかけて塞いでいたドアの前に立つ。
ラボと廊下とを隔てる金属質の板。
そこに浮かんだ憎いオカマ野郎の顔に俺は蹴りを入れる。
いよいよだ。いよいよこの手が届く。
全身の毛までもが逆立つ感覚。それに奥歯を軋ませながら、俺は蹴りを入れたドア板脇のロックに銃を向ける。
当然躊躇無しに引き金。
だがそれに続いて甲高い音が鳴る。
防護結界か。
ドアロックから弾をはね飛ばした忌々しいモノに俺は舌打ち。拳銃を構え直してまた引き金を連続する。
銃声。跳弾。薬莢の落下。
三種の音色が重なり響く中、俺の頬を壁を跳ねた弾丸が引き裂く。
熱が頬を伝う中、拳銃のスライドが下がりきって口から煙を吐く。
残弾0。間違いなく弾の全ては使いきった。
だがその甲斐あって結界を発動させている彫刻は削れた。
力を弱めた防護壁へ、俺は撃ち尽くした拳銃を突き込んで貫通。ドアロックにめり込んだそれを釘打ちの要領でさらに蹴り込む。
鈍い音を立てて潰れた電子ロック。
それに続いて口を開けた部屋へ俺は踏み込む。
訳の分からん機材で埋め尽くされた部屋。その奥に俺は光を照り返す肌色の玉を見つける。
「もお、だぁ~れぇ? レディの部屋に入る時はノックぐらいしなさいよぉ」
耳障りなしなで歪んだオネエ言葉。低いそれを吐き出しながら白衣のスキンヘッドが振り返る。
俺の姿をとらえたらしい左目のスコープアイパッチ。
それがカチャリと音を立てて百二十度回転。
すると白衣姿のスキンヘッドは両手で頬を包むようにする。
「アぁラやだラースじゃないのぉ!? もう! ひさしぶりじゃなぁ~い!」
その声を聞いた瞬間、俺の脳裏をざらついた映像が横切る。
切り開かれた体。
その赤に突き込んでかき混ぜ侵す手。
苦い映像を奥歯を鳴らして噛み潰す。そうして歪んだ唇を釣り上げ切り変えて、向かい合う。
ああ。ひさしぶりだな。
てめえのタコみてえなハゲ頭も! その気色悪いしなも! てめえにつけられたコードネームも! 懐かしすぎてヘドが出そうだ。
「あぁん! アタシの作った七体の傑作! そのうちの一体、しかもラースがまたアタシの前に現れるなんて、感ッ激だわぁあああ!!」
俺の考えなど知る由もなく、ドクターはたかぶるままに左のアイパッチを回転させる。
ようやく目の前に現れてくれた憎い敵。
ざらりとした映像の中で俺の体を這うタコオカマの指。
思い出した途端に胸の内からごぼりと沸き上がる、憎悪に染まった黒い怒り。
そしてそれをようやく晴らすことができる事の喜び。
喜怒二色の激情に突き動かされるままに俺は敵へ踏み込む。
「ラース、ああラァアアアスッ! 会えて嬉しいわ! 今日はなんて日なのかしら!? 最高よ! サイコーじゃなあぁぁぁぁい!?」
俺も会いたかったぞ。会いたかったとも!
てめえに会って叩き潰す。ただそのためだけに、俺は終戦からこっち砂を噛んで荒野をさすらい続けて来たんだ。
アイパッチのスコープをズームさせるスキンヘッド。
それをめがけて俺はナイフを握り直して踏み込む。
「あ、るぁああ!?」
機材を蹴散らす音に正面に戻った顔へ右フック。
突進の勢いを加えたその一撃にドクターが背中から機材の中へ雪崩れる。
倒れるそれを逃がすつもりなど毛頭無い。
離れることを許さずに距離を詰め、崩れた機材に埋もれた白衣を踏み潰す。
「ぶふぅおぉンンッ!?」
機材のひしゃげる派手な音と悲鳴。
すり減った靴底から伝わる肉の弾力と折れる骨。
鈍くも心地よい感触。
それにこみ上げる笑みを抑えることなく、俺は足を振り上げてもう一発叩き込む。
「お、おぉぉんッ!?」
そのまま体重をかけてオカマ野郎にのしかかり、白衣の襟を左手で掴む。
そうして足をどけて、瓦礫の中から憎い敵を引き上げる。
「あ、あら?」
持ち上げた左腕からぶら下がるタコオカマ。
ハゲ頭から血を流したその顔へ、俺はまたナイフを握った右拳を叩きつける。
「あ! やぁ! オォン!?」
一発、二発、三発。
重い手応えが繰り返す度に上がる悲鳴。
その音色は俺の奥深くに巣くった憎しみを溶かし、癒してくれる。
さらに癒しの楽器を派手に鳴らしてやろうと、俺は手近な壁に投げつける。
「あぁんッ!?」
したたかに背中を壁に打ち付けるドクター。それはそのまま機器の残骸の海に音を立てて滑り落ちる。
「痛ぁあいッ!? 痛いわぁ!?」
散乱する機材の中。ドクターは水揚げされた魚の如く悶え躍る。
憎いこの野郎のそんな姿に胸のすく思いを感じながら、俺はここまで温存していたナイフを構える。
コイツが俺にしたように、全身の皮膚に彫刻してやる。
そして腹をかっ捌いて腸を捏ね回して引きずり出してやろう。
俺の殺意を受けてぎらりと煌めくナイフ。
すると血まみれのスキンヘッドはアイパッチをうるさく回転させながら頭を振る。
「いや! ヤメテ! アタシに乱暴するつもりなのね!? そんなつまらないナイフなんかで!? 最高傑作のアナタに殺されるのは本望だけどぉおお!」
首を左右に拒否するドクター。
誰がてめえの願いなんぞ聞いてやるか。てめえが言うつまらない刃物で、ただのナイフでその命を刈り取ってやる。
そうして俺は握りしめたナイフを憎いタコオカマへ振り下ろす。
「そこまでです! それ以上は許しません!」
だがその言葉が俺の殺意を中空に縫い止める。
憎しみを昇華する最高の機会を奪った力持つ言葉。憎らしいそれの出どころへ俺は振り返る。
するとそこにはゼノビアが。他でもない俺に抹殺依頼を寄越した張本人の姿があった。
そのゼノビアを守るように兵士たちが部屋になだれ込んで俺に銃を向ける。
「ご苦労様でした。おかげ様で基地は制圧できました。けれどドクターは私たちに必要なのです。本当に殺されては困ります」
だがそんな兵士たちをかき分けて、ゼノビアは俺に微笑みかける。
邪魔立てしてくれたそいつを潰してやろうと、俺は体に力を込める。だが俺を縛る見えない縄はほどける気配も見せない。
そんな俺に、ゼノビアは笑みを深めて一歩近づく。
「彼の情報通り、ドクターが憎くて堪らないようですね? その為に尖兵として突入してくれたあなたは大変に役に立ちました。是非ともその働きに報いたく思います。ドクターの命以外でね?」
ゼノビアがそう語りかける脇で、兵士たちがドクターを保護する。
俺を利用しようがどうしようが構わん。
だが! そいつを、憎い敵をてめえらなんぞに渡すものか。
もがこうと力を込める俺。その周りで縄か、ゴムでも切れるような感覚が起こり、拘束する力がわずかに緩む。
「いけません! 動くことは許しません!」
だがお嬢の慌てて放った言葉に首までもが動きを封じられる。
補強された拘束に俺はこみ上げるままに歯を軋ませる。
それを聞いて書きかずか、ゼノビアは口元に柔らかさを取り戻して歩み寄ってくる。
「安心なさい。あの方の命は許すわけにはいきませんが、私の側近として良い仕事を用意しますよ? この近隣を私の下に統一するのに今はいくらでも人手が欲しいですから」
介抱されるドクターを一瞥しながらお嬢がほざく。
そんなことなど知ったことか。金だの仕事だの俺にはなんの関係無い。
俺の望みは復讐。その力にならないものなど必要ない。
拘束を振りほどこうと、俺は手足にさらに力を入れる。
力むのに合わせて、固く噛み合わせた歯の奥から震える息が漏れ出る。
その吐息は回りの空間を震わせ、俺を縛る力を引き千切る。
「きゃっ!? わ、私の文言が!?」
力と一緒に弾かれて悲鳴を上げるゼノビア。
それとその後ろに控えたドクターを睨み付け、俺は肩を使って大きく息を吸い込む。
するとお嬢はまなじりが裂けんばかりに目を見開いて息を呑む。
「み、ミアさん!」
その唇から放たれた呼び声に続いて、響く硬質な破裂音が二つ。
直後。俺のみぞおちを衝撃が突き抜ける。
重く響くそれに、俺の肺の内に溜めた空気が絞り出される。
すっからかんになった胸に空気を取り戻しながら、折れた体を戻す。
「おらぁ!」
だがその瞬間に、みぞおちを追い討ちの蹴りが貫く。
再びの重みに瞬く間も無く、俺の右目に親指を立てた拳が突き刺さる。
眼球ごと押し込まれるまま浮く俺の体。
続いて俺の全身を刺す痛み。
右目とみぞおちを中心に俺の全身を苦痛が苛む。
俺はその痛みを噛み殺しながら、のし掛かる機材を押し退けて立ち上がる。
「ヘイヘイヘェ~イ。どうしたよぉ~? チョー戦士ちゃぁん?」
すると俺をニヤニヤと嘲笑うミアの狐面と正面からぶつかる。
「どうしたどうしたどうしたよオイ!? 右目潰れてタマまで潰れちまったのかよぉ~? ヒャハッ!」
嘲笑で台詞を締めるミア。その脇には見慣れたバンダナ巻きの頭が抱えられている。
「取引通り、彼が文言使いだということは確かめました。後は任せましたよ」
「オー、オゥ、オォラァイ」
ゼノビアはそうミアに告げて、取り巻きと共にドクターを連れて部屋を出て行く。
逃がすか。
出ていく背中を追いかける俺。
だがその前にミアが滑り込んで道をふさぐ。
「おらよ!」
そして脇に抱えたエリスを俺に投げて寄越す。
あまりにも無造作なそれに、俺はとっさにその小さな体をキャッチ。
同時にミアは舌を出して、そこに乗っていた硬貨をくわえなおして噛み砕く。
合わせて響く甲高い破裂音。それに続き、俺の全身を鋭い痺れが貫く。
雷に打たれたようなそれに、俺の腕から力とエリスが逃げる。
落ちていったそれを追いかけて俺は手を伸ばす。だがその刹那、視界を拳が埋め尽くす。
鼻を貫く衝撃。それに続く破砕音。直後、脳天を先以上の激震が揺さぶる。
浮遊感。
そして遠心力からの全身を殴る衝撃。
背中を擦りながら、硬いものをいくつかなぎ倒す。 そうしてようやくブレーキのかかったところで、鋭い刃物が右肩の肉を刺す。
皮膚を裂き、筋肉に沈む刃金。それを声ならぬ息を吐きながら、左手で掴んでこれ以上の侵略を阻む。
「オイオイオィイ!? がっかりさせてくれるじゃねぇーかよオイコラ! マジでマジでマァジにナンにもできねぇーのかよ!?」
押し潰さんばかりにのし掛かるミア。その靴底は俺の足を床に縫いつけ、左手は俺がいつの間にか落としていたナイフを俺の肩に突き立てている。
俺は押し込まれる鋼に歯を食いしばり、ナイフを掴む手に力を込めて押し返す。
「ヒャハ! 無駄無駄無駄ァ! 体格は確かにテメーのがゴツいケドよぉ~……こっから力ずくでなんてできるわきゃねーだろーがよぉ!?」
嘲笑ってさらにのし掛かるミア。だが俺はそれを押し返さず、逆に合わせて力を抜いた。
「オホ!?」
そして前のめりになったミアを蹴り上げ、巴投げの要領で打ち上げる。
頭側に流れる金狐を目で追いながら俺は左肘で床を殴り、横転がりに身を起こす。
「ヒャハ!」
だがミアは予測通りと言わんばかりに笑みを崩さず、瞬く間にくわえていた硬貨を粉砕。中空で姿を消す。
引き抜いて投げようと構えたナイフは的を無くした形になる。
刹那、俺の背中を靴音が叩く。とっさに身をよじって左裏拳。だが刃を握ったそれはミアが吹き付けた硬貨を切り裂き、爆ぜる。
肉に食い込む衝撃と熱。それに煽られて俺はたたらを踏む。
そして顔から壁にぶつかるや否や、すかさず伸びてきた蹴りが俺の後腰を打つ。
「ヒヒャハハハ……イイザマになってきたなぁ~……えぇオイ!?」
ミアはそう言いながら、堅い靴底を俺の腰骨に押し込んでくる。
殴ろうにも俺の右肩はナイフで抉られてまともに上がらない。おまけに左腕も肘から先はろくに感覚も残ってない。見てみれば焼けただれて爪も剥げてるときてる。
あっと言う間に俺は両腕を封じられてしまった。
それにしても訳がわからないのはあの硬貨だ。砕くことで効果を発揮する彫金型の品だろうが、この狐は惜しげも無くどこからともなく出して簡単に砕いている。
「ヒャハハ……そのツラ、さてはこのコインが気になっちゃってるカンジ?」
それを見抜いてか薄笑いを浮かべて俺の顔を覗くミア。
薄開きの口から出た長い舌。そこにくっついている一枚の硬貨。間違いない。あの妙なコインだ。
ミアは舌にくっつけていたそれを放り上げると、落ちてきた銀を歯でキャッチ。くわえたまま嘲笑で歪んだ顔を俺に向け直す。
「コイツは『双首烏の銀貨』砕いて消費、支払うことで、財宝以外の欲望を充たしてくれるってシロモノだ」
そう言ってミアは、口の銀貨をまた噛み割る。
その甲高い破砕音が染みるや否や、俺の体をまた電撃のような痺れが駆け抜ける。
「アーアーアー……安心しろヨ。一枚二枚じゃ即死するようなコトにはまずならねーからよぉ、ギャハ!」
痺れに痙攣する俺。それを見てミアはニヤニヤと笑みを深める。
「オメーのお仲間のグリードもこいつにゃ手も足も言葉も出なくてよ。最後にゃ色々と親切に教えてくれたぜ? ヒヒャハハハハハハハッ!」
グリード。また懐かしい名前が出たもんだ。ミアの口振りからするにとっくに地獄に落ちたらしい。
ヤツら相手に仲間意識なんぞ持っちゃいないが、情報なりなんなり取り引きできそうな相手を先に潰されたのは惜しい。
「そーそうそう! グリードと言やーよお。オメーらドクター・ウィロウ製人造文言使い残り六人の使う術は聞けなかったなぁ~……」
そんな俺の考えをよそに、ミアは暗い興味の光を灯した目を向けてくる。
「さっきはよく聞こえなかったけどよぉ、口が動いてナンか起きてたからオメー音声系ダロ、デクノボーちゃんよ? 図星ダロ? なあ?」
腰への圧力と合わせて押し込まれる質問。
「て、コトは、だ。喋れねーっつーのは嘘だろ? なあ? ホントはべらべら喋って不思議なこと起こせんだろオイオイヨウ!?」
だが答えてやる義理などない。それに説明してやる手段も今の俺にはない。
沈黙で答える俺。それにミアは舌打ちを一つ。押し込む蹴り足をわずかに引いて、戻す。
「オーケー、オーケー、オーケーだ。そこまで喋れねーフリを続けられると俄然テメーの鳴き声を聞きたくなってきたぜ」
そう言ってミアは長い舌を出して見せる。ダラリと下がったその半ばには円形の刺青が。
双頭の烏を象ったものらしいそれは脈打つように明滅。続いて刺青が浮き上がるように同じ模様の刻まれた銀貨が現れる。
「コイツは俺が自力で体に取り込んだ双首烏の銀行。銀貨はまだまだまぁだ出てくるぜぇ!? オメーは何枚まで耐えられるかなぁ~? ヒヒ! ヒャァアッハハハハハハァ!?」
言葉通り無尽蔵に舌から生み出される銀貨。雨にも似たそれを手で受けながらの哄笑が俺の耳を貫く。
そしてミアは手一杯の銀貨を握りしめ、締めの一枚をくわえる。
「いちまぁ~い」
歌うように数えながらその一枚を噛み砕く金髪の狐。
それに続いて俺の背中が裂ける。
瞬く間に幾重にも走る斬撃。それに遅れて噛みつくような熱と焦げる臭いが脳を突く。
「ヒャハ! イーじゃん、イイじゃん、Eじゃなぁい? てコトでにまぁ~い」
声無く悶える俺を笑いながらのカウント。
固い音に続いたのは俺の足を貫くいくつもの痛み。
同時に腰を押さえる蹴り足が外れて、支えを失った俺はたまらずその場に倒れる。
足を見れば腿から爪先まで無数の針が肉を貫いている。染み出した血で赤黒く染まったズボンはハリネズミさながら。
どうにか立ち上がろうと足に力を込める。だが筋肉の動きが針の先端同士を肉の内で擦れ合わせ、さらに激痛を生む。
込み上げた悲鳴を歯ぎしりで食い止めながらも、俺はその場にのたうち回る。
「おーおーおー? これでもまだ声を出さねえか? しぶといねえ~……まったくオメーはしぶといねえ。意地張らねえでいい加減に鳴いちまえよ。さんまいめぇ」
愉悦に歪んだ声と共に降ってくる破壊音。
直後、足にさらに無数の苦痛が食らいつく。
針の痛みを忘れて足を振り回す俺。その視界に赤く細いヒルのようなものにまとわりつかれた脚がよぎる。
いきなり現れた赤い蟲は身を捩りながら肉を噛み裂いて俺の中に入ってくる。
絶え間ないおぞましい苦痛。それに俺は口の中に鉄の臭いと味を噛みしめながら、足に食いついた蟲のようにもがく。
「チッ! あーあーあー! 最初は楽しめたけどよぉ~……いい加減飽きてきたワ。根性見せてるつもりかよ、おぉ? マスかきなら一人でやれや」
一歩近づく靴音。それに俺は床に噛みついてミアを見上げる。
見下ろすミアと目が合う。視線の激突に続き、苛立たしげに歪んだ狐面がさらに歪む。
「いいから鳴いてみろってんだろーがよぉ!?」
怒声に乗った蹴りが脇腹を穿つ。
臓腑を揺さぶる一撃に転がる俺の視界。
仰向けで静止する回転。それによって世界がはっきりと像を結ぶ。
その中心に立つミアは俺を睨み下ろしながらありったけの硬貨を手の中で鳴らす。
「もおいいわ。文言使い(ワードマスター)はぜぇんぶ糞溜に捨ててブタのエサだ。お前もあの女もどーせ俺の探しモンは知らねーだろーしなぁあ」
これ見よがしのため息と共にコインを擦り合わせるミア。
「やっぱコピーじゃねえホンモノのドクター・ウィロウを探すしかねえか……」
どういうことだ。
床を蹴りながらのミアの一言。
それに俺は感覚の無い肘を支えに身を起こす。
するとミアはそんな俺を見つけて鼻を鳴らす。
「あーあーあー! オメーマジに分かんなかったの? ありゃ人形だぜ? に、ん、ぎょ、う! オーケー、オーライ、アンダスタン?」
人形、だと?
そんなバカな。殴った手応えは間違いなく人間そのものだった。あれが? そんなはずは……。
「プギャーッハハハハハハッ! そのツラ、マァジマジマジに気づいてネェーの!? あんな肉ゴーレムと記憶のコピペを使った基本のスケープドールも見抜けねぇとかマジウケるんですけどぉ!? ヒ、ヒーハハヒャヒャヒャ!!」
さっきまでの苛立ちが嘘のように、ミアが腹を抱えて笑い転げる。
「ヒ、ヒ、ヒヒハハハ……ゲホッゴホッ! むせる!」
むせて咳き込んだことでようやく笑いにブレーキがかかる。
そうして肩を上下させながら、笑いすぎで過剰に潤った目を俺に向ける。
「つーワケで、オメーが憎くて憎くて憎くてタマンねーホンモノも俺が探しモンついでにバラバラにしとくからよー。オメーは先に逝ってろやフシアナちゃん。ギャハ!」
思い出し笑いで締めるミア。
ふざけるなよ。
復讐は俺自身の手で果たさなきゃ意味がねえ。
コイツなんかの用事ついでに始末をつけられてたまるか。
俺の復讐は、誰にも渡さん。
はらわたを押し上げて湧き上がる憤怒。
それを俺は抑えず、逆らわずに口から解放する。
「は?」
呆けて首を傾げたミア。その体がまるで暴風に晒された朽葉の如く吹き飛ぶ。
一斉に割れ散るミアの銀貨。それを散らしながらきりもみに宙を舞い、頭から床に突き刺さる。
「な、何だ!? 何なんだ!? 何しやがった!?」
だがミアはすぐさま立ち上がり、身構える。
なんだもなにもないもんだ。俺はただ叫んだだけだ。
俺の声はすべてが破壊の力の塊だ。
聞いたヤツがいても声だと認識するコトも無く吹き飛ぶ。
それが俺に植え付けられた、素質要らずの術。「狂竜の咆哮」だ。
俺の怒号が直撃して消し飛ばなかったヤツは初めてだ。だがミアのヤツはコインを取り出しながら後退りする。
おいおい。聞きたいと言ったのはお前だろうが。
聞かせてやるから聞いていけよ。俺の声を。
そしてもう一発ぶちかました雄叫びに視界が揺らぐ。
熱を帯びて白く染まった視界の中、狐面が光の中に沈む。
白の中に揺らぐ影。
その奥の壁が僅かに震えて融ける。
融解、そして蒸発。
いくつもの壁をぶち抜き溶かした渾身の叫び。
それを吐き出した俺の意識も、口から抜け出るように掻き消える。
あの後、オアージの街は蜂の巣をついたような騒ぎになった。自警軍を管理していた有力者がその娘と殺されているのが見つかったからだ。
特に娘と一緒にいた連中は特に惨たらしい有り様だったらしく、ピースの足りないパズルになっていたという。
おまけに殺された父娘の財産は根こそぎ消え去っていたらしい。
曖昧なのは町を出るまでに真偽も確かめずに聞き留めた噂話でしかないからだ。
「シバぁ……ちょっと休もうよぉ」
そう。俺たちがいるのはすでに町の外だ。
無事だったエリスがボロキレ同然の俺を見つけて治療。
そうして動けるようになりしだい、町が落ち着きを取り戻す前に砂漠へ出た。
噂で聞く限り、惨殺も金の強奪もミアの仕業に違いない。
アイツがあのくらいでくたばるワケがない。ヤツは自分の目的のためにとっくに俺たちの先を行っているはずだ。
ミアと言えば、ヤツが言っていた影武者の話。あれが嘘か真かは今は確かめる術はない。
だがどちらにせよ、俺はまだ足を止めるつもりはない。
俺自身の目で、報復の果てを見届けるまで立ち止まるわけにはいかない。
砂礫の吹き付ける荒野を俺たちは踏みしめ、歩き続ける。熱に揺らぐ地平線に向かって。