潜入
明かりの貧しい暗い夜。
砂原を駆けてきた風は、昼のそれとは真逆の冷たさで俺を叩く。
星と月の明かり。そしてそれを越える地上の光。
闇に沈んだ町の中、ただ一カ所に身を寄せて塊を作る輝き。
その光の塊を目指して、俺は砂を被った道を踏みしめ進む。
「ヘェイヘイヘイ、こんな夜中にドコに行くのかなぁ~? ロリコンデカブツちゃ~ん」
そんななめまわすような声と共に現れる黒フード。
一際暗い裏路地から現れたミアは、俺の道を踏んで立つ。
目元近くまで覆うフード。その下からミアは狐似の嘲り笑いを向けてくる。
そんなにやけづらのまま、ミアは半身に振り返って俺の進行方向にあるものを見る。
「ニョホッ! なぁるほどねぇ。ツテはちゃんと手に入ったってコトか」
町の電力のほとんどを吸い上げて作ったような光の塊。ミアはそれを手のひらで作ったひさしの下から眺めて声を上げる。
そう言えば、コイツから買った情報のおかげでずいぶんと刺激的な目に合わされたわけだ。ここは一つ落とし前をつけてもらおうか。
俺は傷痕からのうずきに突き動かされて、腰のナイフに手をかける。
だがミアはそれを目ざとく見つけると、身を引いて間合いを開ける。
「オォーイ、オイウォオイ!? ナニ構えちゃってるワケ!? あれっぽっちの金でお探しのドクターの居場所が分かる情報売ってやったんだからむしろ感謝して欲しいんですけどぉお?」
よくもいけしゃあしゃあと抜かす。
忌々しく思いながらも、俺は舌打ちしたい苛立ちを噛み殺してナイフから手を放す。
確かにコイツの言う通り、復讐の手がかりは手に入った。
あの後ゼノビアのお嬢から頼まれたのが、他ならぬドクターの暗殺だった。
「……お二人にお願いしたいことと言うのは、父の野心に火を着けたドクター・ウィロウの抹殺なのです」
お上品な部屋の中で、お上品な口から出てきた剣呑な言葉。その依頼のターゲットに憎しみの熱が沸き上がる。
俺は腹の中で煮え立つそれを閉じ込めながら、エリスに目配せする。
するとエリスは頷いて正面のお嬢さんに向き直る。
「野心って言ってもねえ。そのドクターって、アンタの親父さんが雇ってるんでしょ? それをなんでアンタが暗殺なんて? しかもボクらみたいな流れ者に」
ミア相手では敗けるが、さすがにエリスは口が回る。
この場は何も知らない旅人だとしておいて、情報を探れるだけ探ってやれ。
そんな俺たちの思惑に気づいた素振りも見せず、お嬢はこっちをまっすぐに見て口を開く。
「お二人の疑問はごもっともです。私はただ……父に周囲一帯を支配しようという大それた望みを捨てて欲しいのです」
「で、植え付けられたって言ったけど、洗脳でもされてるの?」
ほほを掻きながら問うエリス。それにゼノビアは沈痛な表情で頷く。
「似たようなものです。あのドクターが持ち込んだ兵器や技術に魅せられて、父はあんな野心を……あの人さえいなくなれば、父もこの近隣を攻め落として統一王国を築くことを諦めるはずなんです!」
すがるように身を乗り出してくるゼノビア。
要するにこういう事だ。危ないオモチャを手に入れてはしゃいでるのがいるから、そのオモチャを壊してでも取り上げろ、と。
バカバカしい。
武器さえ無ければ争いが起こらないという発想がそもそも短絡的だ。
武器が無ければ石や棒切れをぶつけ合い。それすら無ければ拳で殴り合う。争うと決めた人間はたとえ五体のみでも戦争するモンだ。
そこにたどり着かないあたり、さすが温室育ちのお嬢さんってトコか。
あまりにご立派な考えに笑いを堪えるのに一苦労だ。
だが心中で毒づく俺のとなりで、エリスが口を開く。
「ふぅん。で、なんでボクたちなの? アンタのシンパでも使って追い出した方が確実じゃない?」
試すようにゼノビアを眺めるエリス。
「それ、は……」
そのエリスの目に、お嬢は言い淀んで目を泳がせる。
そこへエリスは唇の端をつり上げて追い打ちをかける。
「当ててあげよっか。ボクたちみたいな流れ者が実行犯なら、裏はゴタゴタであやふやにできるからでしょ? 面倒の全部をボクらにおっかぶせてさ」
エリスの一言が図星を突いたのか、ゼノビアは黙ってうつむく。
うつむいたまま下唇を噛むお嬢。その顔にエリスは笑みを深めて、俺の顔を見る。
一瞬の目配せ。そこからすぐにエリスはゼノビアに向き直って口を開く。
「ま、いいけどね。このご時世、ボクも相棒も恨み恨まれは慣れっこだし。そのドクター、始末してあげるよ」
「ほ、本当ですか!?」
顔を上げて俺たちを見るお嬢。明るくなったそれを、エリスは笑みのまま左の親指と人差し指で作った輪っかを通して見返す。
「もちろん。こっちは弾んでもらうけどね」
「分かりました。出来得る限りの報酬をお約束します」
そう言う形で、復讐のついでに銭も弾んでもらえるという話で交渉は落ち着いた。
そして俺はようやく巡ってきた復讐を果たすため、憎い仇の潜む基地へ向かっているというわけだ。
その道を塞いでいる黒フードのミア。それを睨み付けて俺は退くように促す。
「ヒヒッ! おぉこわいこわい」
言葉とは真逆に、ミアはにやけ笑いを浮かべながら端によって道を開ける。
へらへらとしたその前を横切って、先へ急ぐ俺。
「このまま素直にお仕事に向かっちまっていいのかねぇ~……ヒヒッ!」
大股に歩く俺の右頬に投げかけられる嘲笑。それに俺は砂を踏みしめた足を止めて振り返る。
黒フード下から覗くにやけた狐づら。
「俺が売っといてなんだがよぉ~……素直に基地に行っちまってホントに、ホントに、ホント~にいいのかねぇ? ヒャハッ」
ミアは笑い声を一つ添えてこっちの反応を探っている。
言われるまでもない。俺だってあのお嬢の言うキレイゴトを丸呑みにしてる訳じゃない。
アレが建前であったり、別の人間の思惑があるなり、俺たちを都合よく使おうとしているのだろう。
だが俺は正面の基地に向かって、止めていた足を動かす。
他の連中の考えがどうであろうが知ったことか。俺は命を以てヤツに償わせてやる。あのオカマ野郎に奪われたもの、押し付けられたものすべてを精算しなければ、俺はずっと昔の大戦に囚われたままだ。
「ケッ、黙りかよ! まあいいさ。好きにしやがれよ」
ミアの吐き捨てる言葉が背中にぶつかる。
言われずとも、何を言われようと俺は行く。歪められた俺自身を受け入れて、先へ進むために。
背中に感じるミアの嘲笑。それを無視して俺は町の電力の結集点へ向かう。
ミアの視線を置き去りにして、暗がりから暗がりへと手近なものから順に移り進む。
やがて両端が見えなくなるほどに広がったフェンスと、その奥に収まった施設が現れる。
遠目にも見えた通り、煌々と自身を照らす建物たち。
施設の用途にそぐわないその輝き。それはまるで敵対者の襲撃を警戒していないように無骨な全容を闇の中に浮かび上がらせていた。
襲われようがどうとでも出来るという自信か、それとも襲撃も侵入もあり得ないという油断なのか。
後者ならば眠った象の傍をアリが通り過ぎるようなものなんだが。
そんなことを考えながら、俺は物陰で息を殺して近くのフェンスとその向こうにある建物の様子を覗く。
明かりに照らされた敷地の中を見回し歩く兵士。建物や鉄骨組みの見張り櫓の上にはサーチライトと見張りがある。
厄介だな。
腰のナイフを抜きながら、俺は見張りの兵士の姿に息を吐く。
ここから突っ込んだらすぐに蜂の巣だ。
侵入出来る場所を探して俺は別の物陰に移る。
右逆手に持った愛用のナイフ。これを疑う訳ではない。だが武器庫か、あるいは兵士からか奪えるチャンスがあればハンドガンやライフルを手に入れても良いだろう。
暴発が面倒だからあまり銃を持ちたくは無いが、こだわっていられる場合でもない。
腹の内を決めて、物陰から施設を覗き込む。するとおあつらえ向きに、フェンスの破損が見える。
建物の陰にあって目立たないせいか放置されているそれ。
まるで手招きでもされているかのような状況だが、真正面からサーチライトの中に突っ込むよりはマシだろう。
俺は明かりの外れた隙を狙って破れた金網に駆け寄る。そして体で押し広げるようにしながらその穴を這い潜る。
敷地内に侵入した俺はフェンスの内外を滑るライトから逃げて壁に身を寄せる。
壁や建物の隙間を掻い潜って進み、壁に背を預けた姿勢で辺りを探る。
闇を押し返す光の中、黒々とそびえる威容。足元近くから見上げれば空を押し返して支えているかのようだ。
そんな司令塔の中に標的のドクターがいるという話だ。だが、さすがに直接入るには見張りの数も多い。
さて、どうしたものか。
別のルートを探るべきかと考えて俺は別の方向に目を向ける。
そこにいたのは兵士が一人。
眠気を堪えずに大あくびさえかます気の抜けたそれに、俺はナイフを握る手に力を込める。
順手に握り直したナイフの柄で壁を殴ってわざと音を鳴らす。
「むあ……? なんだぁ?」
案の定、あくびを噛み殺して近づいて来る歩哨。それを俺は息を潜めて待ち構える。
近づいてくる砂を噛むような足音。
一つ、二つと近寄る音を数える俺。そして壁越しに背後で鳴る足音を引き金に俺は踏み込む。
「なっ!?」
驚き息を呑んだ間抜け。その口を塞いで俺は標的の首を突き刺す。
「む、うぅ……」
微かなうめきを残して息絶える歩兵。
俺は突き殺したそれを物陰に引きずり込む。
重い音を鳴らして横たわった歩兵の骸。その首から刃物を引き抜いて、使えそうなものを物色する。
ホルスターに収まった四五口径。その予備の弾丸を詰めたマガジンが三つに手投げ弾か二つ。
とりあえずはこの程度か。できればサイレンサーもあれば良かったが、贅沢は言えない。これでも肉薄するしか手がないよりはマシだろう。
マガジンとグレネードをすぐに使えるように腰のパックに押し込む。
そして左手にナイフを持ち代えて、右にハンドガンを握る。
しばらくぶりの拳銃の重み。それを馴染ませるように弄びながら、俺はまたアプローチの手段を探して辺りを見回す。
ここから司令塔までの最短距離には、見えるだけで歩兵が四人サーチライトが二つ。
今の装備でも突破するだけならできなくもないだろう。
だが後は続かない。負傷したところで、俺の侵入に気づいた兵士が詰めかけてひき肉の出来上がりだ。
そこで俺は足元近くで倒れている兵士が見張っていた建物に目を向ける。
灰色のコンクリート箱といった風な倉庫らしい建物。
どうせ突っ込むしかないならいっそ派手に行くか。
孤立した小さな建物に目をつけた俺はナイフを鞘へ。そうして空いた手を腰のパックへ入れる。
今さっき荷物の中に押し込んだグレネード二個を掴む。
その感触を確かめて、俺は唇を舌で撫でる。
続けて壁の陰から飛び出して倉庫の陰に滑り込む。
そこから建物の入口に回り込み、隙間を開けたドアにピンを抜いたハンドグレネード二個を放り入れる。
続いて俺は大きく踏み込んでこの場を離れる。
大きく跳ぶように一歩。続けて二歩目を固い地面へ叩きつける。
同時に俺の真後ろで起こる派手な爆発。
どうやら武器庫の一つだったらしい。考えていた以上の爆風が連なって俺の背中を殴る。
「なんだ!? 襲撃かッ!?」
「武器庫の方だぞ!?」
前方で警戒の声が上がる。その中で俺は、ひときわ強く背を打った追い風に乗ってヘッドスライディングの形で跳ぶ。
そのまま司令塔の側に転がり伏せる。
そんな俺の近くを幾つもの足音が通りすぎる。
発生した異常に駆けつける見張り。それをやり過ごした俺は改めてナイフを抜いて司令塔の入口に向かって走る。
「くそ! やられた!?」
「なめた真似を!」
見張りの怒声を背中で聞きながら、入口を塞ぐドアを開けて建物の中へ侵入する。
この施設内にある研究室。そこにヤツがいる。
殺しても殺したりないあのオカマ野郎が。
燃え上がる復讐心に煽られて、武器を両手に俺は走る。
目的地へ向かってT字路を左に曲がる。そこで正面から駆けてきた敵と鉢合わせる。
「侵入者だ!」
道を塞ぐ邪魔者。その手の銃が向くのに先手を打って俺はナイフを持つ左手を敵の襟に絡める。
「む、お……ッ!?」
声を上げる歩兵を引き寄せて抱え込む。
「いたぞ!」
瞬間、背中を打つ声。
それに俺は右半身を振り返らせてトリガー。続けて捕まえた敵を軸に百八十度回転。盾にした兵士の肩を支えに二連射する。
「う!?」
「がッ!」
俺の盾になった仲間と三発の弾丸に怯む兵士たち。
その隙に俺は捕まえた兵士をその場に叩きつける。重い激突音が響くや否や、俺は踵を返して廊下の奥へと走る。
「に、逃がすなッ!」
慌てた声が後ろから響く。そこへ俺は残り一つのハンドグレネードを放る。
「な!?」
「わぁ!?」
息を呑む声に続いて爆ぜる音。
それを置き去りにして俺は奥へ奥へと突き進む。
標的へ向かう俺の行く手を遮るように開かれる扉。
そこから爆発を聞きつけて出てくる歩兵。それはつるりとした金属質のドア板を盾にしてこちらに銃を向ける。
だが俺は逆に開いた扉よりに走って弾丸の死角に潜り込む。
風を切る銃弾が頬や肩をを掠め切った。が、どうにか板の陰に滑り込むと、その勢いに乗せた蹴りを扉ごと歩兵に叩き込む。
「むごっ!?」
うめくそれを扉と壁の間に挟んで拘束。そのまま足で押し込みながら、苦悶に歪む兵士の顔面にハンドガンの引き金を引く。
「た、わばぁ!?」
頭に風穴を開けて、珍妙な声を上げる歩兵。
俺が足を引いて開放するに続き、兵士の遺体がドアを押し倒して崩れる。開け放たれたドアの奥に後続がいない事を確かめて、倒れた兵士を引きずりながらその先に続く通路に入る。
もうすぐだ。もう少しで届く。
胸を突き上げる昂揚感に廊下を踏む俺の足にも自然と力がこもる。