欺瞞
「ホントにこんなトコで待ってて大丈夫なの?」
テーブルを挟んだ対面で、安物のパンにかぶりつくエリス。
食いちぎった分を咀嚼しながら、辺りを不審げに見回す。
こいつが不審がるのも無理はない。
俺も板きれの天板に頬杖を突いて辺りに目を向ける。
亀裂の入った打ちっぱなしのコンクリート壁。
板で塞がれた窓からは熱を帯びた風が隙間を抜けて乱入してくる。
そんな粗末な囲いの中には、折れた木材をつぎはぎにしたテーブルと椅子。そして汚れ破れた衣服を纏う人間たちがそこで今日の餓えをごまかししのぐ食事を囲んでいた。
町の地下で出会ったミアの話では、この外気さえも招き入れる場末の食堂にいればツテは手に入るという事だった。
「アイツの言うとおりにしてて……ホントにいいのかな?」
その警戒も分かる。
確かにあの狐面は信用できない。こっちをはめようという考えでここに行かせたのだとしても何もおかしくない。
顔を合わせたばかりだが、アイツならその方が自然だとさえ思える。
だがアイツが何を考えていようが関係ない。俺はドクターを追いかけて殺す。その為に邪魔なものは踏み潰して、必要なものは引きちぎってでも持って行く。それだけだ。
そう考える俺の耳を、不意にエンジン音がつつく。 徐々に近づくそれにエリスも、そして他の客も顔を上げる。
そして全員が外へ疑問の目を投げかけたところで、エンジン音が止まる。
「ねえ、シバ?」
エリスの小声に頷いて、俺はテーブルを倒してその陰に二人で潜り込む。
爆音。
耳をつんざくようなそれと、空気の激震。
テーブル越しに殴り付けてくる爆発の衝撃。それに俺は盾にした板きれの陰で身を縮める。
「ひ、ぃいいっ!?」
「うでぇ!? おぉれの腕がぁああ!?」
突然の襲撃に取り乱した悲鳴。
その一方で俺たちと同じようにいち早く物陰に潜んだ連中は、それぞれの得物を店の入口に向けて発砲する。
「ドコのアホだ!? クソッタレがあ!?」
「ナメたマネしやがって!」
「やろう! ぶっころしてやるぁッ!?」
派手な銃声の合間に響く怒声。
「やっぱりアイツ、ガセネタ掴ませたんだ」
頭を押さえながら悔しげに唸るエリス。
俺はそれに伏せているように手で指示。そして脱出に使えそうなルートを探す。
ミアの情報がどうあれ、こんな状況で居座り続けるわけにもいかない。さっさと脱出するに限る。
手近な窓でもかまわない。おあつらえ向きに破れて派手な風穴が空いている。
だがさっきから銃弾がさんざんに通り抜けているからこの出口はパス。
正面突破も論外。
両面から撃たれて穴まみれになって終わりだ。
いくら俺でも復讐を果たさずに命を投げ捨てる気はない。
というわけで、使えそうな裏口に向かうルートに目星を付ける。
そしてカウンター奥へ続くルートを指さしてエリスに目配せ。
「ん、わかった」
抑えた声で頷き応えるエリス。
それを確かめて、俺は匍匐前進で先行。
飛び交う銃弾を避けるために身を低く、床を這って進む。
「うぐわッ!?」
そんな俺の目の前で、テーブルから身を乗り出した男が脳天を打ち抜かれて仰け反る。
血の尾を引いて仰向けに倒れたボロボロの男。
こっちに向いたその血塗れの顔。それにエリスが微かに息を呑む。
だがそれに怯むわけにもいかず、床を這う腕の力を強める。
テーブルの端を打ち抜く銃弾。
その音が弾ける中、俺たちは中間地点に当たるテーブルの陰に潜り込む。
直後、再びの爆音。
それを受けて俺たちが身を隠したテーブルの上半分が吹き飛ぶ。
「ぎゃあああっ!?」
「クソ! クソクソォ!?」
続く濁った悲鳴と銃声。
硝煙を含む風に乗ったそれに急かされたわけではない。だがすぐにでも脱出するべきだと俺たちは裏口へと急ぐ。
またも身を低く、這って前進。
そんな俺の頭上を弾丸が掠め、今まで隠れていたテーブルが乾いた音を立てて浮く。
「う、わ!」
降ってくる破片を背に受けながらも前進。降りこんでくる銃弾の勢いが増している以上、どっしりと構えている暇はない。
そうして俺たちは、横殴りの鉛玉からどうにかカウンターの奥へ避難。
割れた酒瓶から零れた安酒が床を濡らしたカウンター裏。その液体をはね上げながら、俺たちはしゃがんだままの姿勢で小走りでさらに奥へ。
錆の浮いた台所。その奥に見える勝手口。
粗末な空間の先にようやく見えた光明。
だがそれに一息つく間もなく、背後で爆音が轟く。
「うぅっ!?」
爆風に身をかばうエリス。
そして一拍の沈黙。
続いてその静寂を蹴破る様な足音が店内に踏みこんでくる。
舌打ちしたくなる苛立ち。俺はそれを抑えてエリスの手を引いて勝手口を抜ける。
外へ出た瞬間、頭上からかかる影。
それに俺はエリスの手を放り出して、腰のナイフに手をかける。
「シバッ!?」
エリスの悲鳴に似た声。それを受けながら俺は踊りかかる刃に身を捩る。
冷たい刃が袖を裂いて掠める。それをかわした勢いに乗せて、俺は背後に回った襲撃者へ踵蹴りを突き出す。
浅い手応え。
自ら跳んでダメージを削ったか。
忌々しく思いながらも間合いを取った襲撃者へ向き直ってナイフを抜く。
構える俺へ襲いかかる切っ先。
それを俺は左へ身を逸らして回避。
さらに続く突きを後ろ跳びに避ける。
そして三度目に迫った刃に合わせ、首と右腕の間に左腕を突き出して踏み込む。
すかさず腕を捻って敵の二の腕を掴み、絡め取る。
「む! うぅッ!?」
組み合った襲撃者の呻き声。それを腹へ叩きこんだ肉厚の刃で遮る。
「いたかッ!」
そこへ現れる勝手口からの追跡者。
ライフルの銃口を向けてくるその兵士に、俺はナイフを突き刺した襲撃者の体を投げつける。
「ぬわあっ!?」
声を上げて室内へ戻る兵士。
その隙に、入口近くであったドラム缶を蹴倒して出入り口を横倒しに塞ぐ。
「やろ……なぁあっ!?」
遺体の下敷きになった仲間を踏み越えてきた兵士が、生ごみの詰まったドラム缶につまづきつんのめる。
それに俺は横合から飛びかかり、うつ伏せに抑え込む。そしてすかさずナイフを肩甲骨の下から肺を突き上げるように刺す。
「があ!?」
兵士が血の混じった呻き声をあげてこと切れる。
そしてすぐさまナイフを抜きながら遺体の上から前回りに転がり退く。直後、銃声が響いて鈍い水音が鳴る。
その勢いのまま俺は別の臭うドラム缶の影に身を隠す。
金属音と弾ける悪臭。
それを放つ鉄のゴミ箱の陰から、俺は血塗れのナイフを握りしめて仕掛けるタイミングを計る。
「ひゃああ!?」
だが不意に上がった甲高い悲鳴が耳を叩く。
聞き馴染みのあるそれに続いて止む銃撃。
俺の頭に浮かぶ最悪の想像。
恐らく思いついた通りの光景が待っているだろうが、それを確かめるべく俺は物陰から敵の方向を覗く。
「抵抗は止めろ」
「ご、ゴメン……もうちょっとで逃げられそうだったんだけど……」
背中側に腕を捻られたエリス。ばつの悪そうなそれを盾にした兵士。
ドジこきやがったか。
また掴まったエリスの姿に、俺は思わずため息をつく。
エリスの頭にはライフルの銃口が捻じ込まれている上、俺に向けられた銃口も一つじゃない。
今は抵抗するだけ無駄か。
俺はそう考えて、血塗れのナイフを放り出して空になった両手を上げる。
「よぉしよし。そのままだ。そのまま大人しくしていろよ?」
降参した俺の姿に口の端を歪める兵士たち。
そんな厭味な笑みを浮かべた連中のうちの一人が俺の傍を横切って後ろへ回り込む。
直後、後ろ頭から額へ衝撃が突き抜けた。
「オラ! 起きろォ!!」
ぶつけられる水の冷たさと怒鳴り声。
殴り付けるようなその二つに叩き起こされて、俺はびしょ濡れの顔を上げる。
痛い。
全身で主張する苦痛を感じながら、俺は辺りを見回す。
薄暗い空間だった。鉄色の無骨な壁に区切られた部屋を明かりを絞った照明がうっすらと浮かび上がらせている。
そんな空間に、俺はサンドバッグよろしくぶら下げられている。腕が頭の上で縛られて、鎖で天井の滑車に繋がっている形だ。
「さてさて、目は覚めたか? ンン?」
腫れて塞がっているらしい右目。そのせいでできた死角から覗き込んでくる一人の男。
シワのないカーキ色の制服。それと同じ色をした軍帽。嗜虐的な笑みに歪んだその顔。犬歯の鋭さと上向いたでかい鼻がまるでコウモリだ。
そのコウモリ面めがけて俺は唾を吐きかける。
だが軍服コウモリは軽く首を傾けて、赤みの混じったそれを避ける。
「フン、タフなヤツだ。見かけ倒しでは無いようだな? 吾輩の尋問を受け続けてまだこんな気力があるか」
尋問、か。笑えない冗談だ。
気絶させられた俺は、この拷問部屋に連れ込まれて目の前のコウモリ面から延々と拷問を受け続けている。
どうやらコイツらはミアが盗んだものの在り処を知りたいようだ。が、あいにくと俺は喋る事が出来ない。
しかし俺がどんな拷問にも声一つ上げないのを、折れない反抗の意志と受け取ったのか。この男はなぶりがいのある獲物として俺を見ているらしい。
散々痛めつけられてはらわたは煮えくりかえっている。だが喋れもしない俺相手に懸命に拷問を続けるさまは滑稽で、多少は溜飲も下がるというものだ。
そんな内心が顔に出ていたらしい。コウモリ面にピクリと苛立ちが走る。
「……フン。そう来なくてはな。それでこそ尋問のしがいがあるというものだ……フフッ……」
無理やりに笑みを作ったコウモリ面。そうして引きつった笑みのままカーキ色の軍服のポケットから注射器を取り出す。
前時代にとっくに廃れた針つきの注射器。
自白剤に満たされたそれが俺の体に突き刺さる。
「さて。ンン? これで何本目だったかなぁ?」
コウモリはわざとらしく尋ねながら、シリンダーの尻を押し込んで五本目の薬剤を俺の中に捻じ込む。
体を侵す異物感。それに続くシビれるような痛みに全身が粟立つ。
苦痛に目がチカチカと弾け、歯を食いしばって身悶える。
噛み締めた歯が軋み、口の中に新しい血の匂いが広がる。
「まだ呻き声一つ出さないのか? まったく頑固で面白い男だ」
コウモリが何か言っている。
喋れもしない男相手にいい気なもんだ。
「さあ吐け! ヤツから預かったモノをドコにやった!? ヤツのアジトはドコにある!?」
問いと共に重ねられる鞭の打撃。
一発、二発三発と、傷だらけの俺の身体に真新しい傷がさらに上乗せされる。
「どうだ!? どうだどうだ!? 苦しいだろう? 素直にうめき声の一つでも出してみたらどうだ!?」
鞭を振り回す嗜虐趣味のコウモリ。
そんな目の前の憎らしい面に、俺のはらわたに煮えたぎる熱が湧き上がる。
その熱さと前進のうずきに喉にも熱い力が。俺を内から引き裂いて辺り一帯の全てを消し飛ばすほどの力が渦巻く。
「お止めなさい!」
だが爆発寸前にまで高まった力に、不意に差し込んだ力と声が水をさす。
「こ、これはゼノビア様!?」
慌てて乱入者に向き直って頭を下げるコウモリ面。
そんなサディストの拷問野郎は、腰から前に折れた姿勢のまま、顔を上げて入り口に立つ人物を窺う。
「しかしゼノビア様。あの盗人の情報を得るためには、まだ尋問が……」
「お黙りなさい!」
拷問を続けようとするコウモリの言い訳を切り捨てる厳しい声。
それに続いて身なりのいい女が一人、拷問部屋に踏み込んでくる。
「このように痛めつけてはとうに喋ることもできないでしょう! 今これ以上続けることはわたくしが許しません!」
そう軍服コウモリを叱りながら入ってきたのは、俺とそう変わらない若い女だ。
見たところ二十歳そこそこ。艶のあるドレスやらアクセサリーからするに、どこぞのご令嬢といったところか。それも軍服コウモリのかしこまりかたから、雇い主に近いモノだろう。
鋭くつり上がった目が印象的な美女だった。
その身なりのいい美女は俺を見るなり、その形のいい眉をひそめる。
今の俺は相当に酷い姿らしい。育ちのいいお嬢さんには少々刺激が強かったようだ。
「彼を下ろして、治療して上げなさい」
その合図に続いてお嬢さんの召使いらしい連中が拷問部屋に押し入る。
召使い連中は天井の滑車を操作して俺を解放する。
ようやくサンドバッグ状態から解き放たれて腕は楽になった。が、立ち上がろうにも膝に上手く力が入らない。
そんな俺を女の召使いは両脇から二人がかりで担いで引きずるようにして俺を薄暗い拷問部屋の外に連れ出す。
拷問部屋を出された後。
俺が連れてこられたのは、このご時世には珍しい壁もガラスも割れてない部屋だった。
きちんと壁紙の張られた壁。汚れの無い透明感のある窓には白いレースのカーテンがかかっている。
壁の一角にはまともな職人の手によるものらしいチェストや本棚。
そして絨毯敷きの床の中心には低いテーブルと、それを挟んだ白いソファーが並んでいる。
俺を引きずってきた使用人たちは俺をそのソファーの片割れに座らせる。すると連中はローテーブルに医療キットを広げる。
使用人たちは黙って消毒液を綿に染み込ませると、それを俺の裂けた皮膚に押し当てる。
沁みる。
薬で昂った神経に刺すような刺激が染み込む。
沁みる痛みに思わず顔をしかめる俺。その正面に拷問部屋から俺を連れ出したお嬢さんが腰かける。
それに続いて、俺の背中側にある出入口が音を立てて開く。
「ッ! シバッ!?」
俺が振り返るよりも早く響く声。その直後、後ろ首に重みがのし掛かる。
「シバ、シバ! シバぁあ……」
俺の頭を抱えて何度も俺の名を呼ぶエリス。
拷問でさんざんに痛めつけられた後だから遠慮して欲しい。だがそれを伝えることができたとしても、今のエリスが聞き分けるかどうか怪しい。
仕方がない。気が済むまで好きにさせてやるしかない。仕方がないから。
そんな俺たちを眺めて、正面のお嬢さんがクスクスと口元を抑えた手から笑みをこぼす。
エリスは微笑ましげに眺められている事に気づいて頬を染める。そして恥ずかしげに目を泳がせながら俺の首に回した腕を離す。
「……で、なんでボクたちを解放してくれたわけ? それに、どうして治安維持軍に命令できるの?」
てれ隠しにお嬢に尋ねるエリス。
確かにエリスの言うとおり、はっきりさせておきたい所ではある。相手の身分は想像の範囲でしかないし、目的も建前程度は知っておくべきだ。
エリスの質問にお嬢さんは咳払いを一つして抑え笑いにブレーキ。そして柔らかい微笑みを俺たちに向ける。
「そうですね。あなた方が気になるのも無理はありませんね」
お嬢はそう言って頷くと、胸元に手を当てて言葉の続きを口にする。
「まずは自己紹介とお詫びを。私はゼノビア。父の私兵がお二人に迷惑をおかけしました」
ゼノビアと名乗ったお嬢は、詫びの言葉と共に頭を下げる。
その内容にエリスが俺の肩越しに身を乗り出す。
「父親の私兵って……この町のボスの娘ってこと!?」
目を剥くエリスに頷くゼノビア。そしてゼノビアは膝に手を乗せて、改めて引き締めた顔をこちらに向ける。
その真剣な表情。そこから漂う本題の気配に、俺とエリスは黙ってお嬢の言葉の続きを待つ。
「実はお二人をお助けしたのは、お願いしたい事があるからなのです」
その言葉に続くゼノビアからの依頼。その内容に俺の心に刻まれた憎しみがジワリと燃え上がる。