焼けつく砂塵
……カシャ……カシャ……。
暗闇の中に響く微かな固い音色。
……カシャ……カシャカシャ……。
「……イイ……ステキ……」
途切れ途切れの低音。
気色の悪い猫撫でのそれに添うように、闇に浮いた三色の光が三つ巴を描く。
大きな青、点の様な緑、そしてその中間程度の赤。
色もサイズも三様のそれは闇の中に尾を引いて追いかけ合う様に回転する。
「素晴らしいわ……最高よ!」
次第にはっきりとする興奮気味の猫撫で声。
……カシャカチャ……カチャカチャカシャ!
たかぶる声に従って、光の三つ巴は音を立てて左、右と度々回転の向きを切り替えながら激しく追いかけっこを続ける。
「いいわあ! いいわあ! 素敵じゃないのぉお!!」
カチャカシャカチャカシャカシャ!
やかましい。
カチャカチャと鳴る光も、気色の悪い女言葉の低音のどちらもうっとおしい。
だが忌々しいそれに耳を塞ごうとしても、体はまるで自由にならない。
俺は力を込めて身を捩ろうと試す。
だが繰り返しの挑戦にも関わらず、自分自身の体であるにも関わらず、動かそうという意志に従わない。
まるでなにかに体を埋め込められているかのように。
「ああん! 最ッッ高ッ! アナタ最高よぉおッ!?」
天井知らずに興奮するオカマ野郎の声。
それに共鳴するように勢いを強める回転音と光。
だがその光は煩わしい硬い音を残して不意に消える。
続いて頬に触れた生温かい感触。
そのおぞましい感触に俺は歯を食いしばり、再び体に力を込める。
だが俺を縛る何かは軋みもせず、さっきと同じように俺の体は微動だにしない。
やがてそんな俺の胸を、何かのぬめりが這いずる。
胸から腹筋へと伝って、徐々に下へ、下へと向かう熱いナメクジ。
熱を帯びたそれとは逆に、まるで氷を滑らせたような怖気が背骨を駆け上る。
冷たい怖気が運ぶ嫌悪と屈辱。
それに突き上げられるままに俺は口を開いて叫ぶ。
無音。
声にならずに闇にしみ込んだ叫び。
だがそれは目の前の黒い壁を切り裂き開く。
視界を埋め尽くす一面の赤。
闇の混ざったように暗く濁ったそれの中、人型のシルエットが切り取る様に浮かび上がる。
三つの光を左目に灯したそれは大きく仰け反る様に輪郭を歪める。
「アナタアタシの最高傑作よッ! もうビン、ビン! なくらいにサイコー傑作よぉほぉおおッ!!」
そして感極まったような言葉に続いて、上向きに伸びていた青い光が伸びる土台に押し上げられるように持ち上がっていく。
瞬間。脳天に沸き上がる熱。
それに火を付けられたかのように全身の血管が煮える。
はらわたをぐらぐらと煮やす暗い激情。
俺はそれを込み上げるままに、赤に浮かぶシルエットへ向けて吐き出す。
「……バ……てよ! 起きてよ、シバ!?」
その呼び声と尻から突き上げてきた振動。
続いて俺の目に差し込んでくる、薄暗がりに浮かぶ景色。
それに俺は瞬きを繰り返す。
すると幌に覆われた狭苦しい空間が目の前に現れる。続いてそこに肩を寄せ合って並ぶ木箱やドラム缶の姿がはっきりと形を以って目の中へ飛び込んでくる。
下から尻を叩く振動と、それにガタつく荷物。
それを見て、俺は自分が相乗りした車の荷台にいた事を思い出した。
どうやら眠っていたらしい。
そうなると、さっきまで見ていたのは夢だ。
俺の内に焼き印の様に刻まれた悪夢だ。
あの悪夢の中で沸き上がったモノの余熱。
それに誘われてじっとりと湿った手を強く握りしめる。
「おーい? 起きたかい」
そんな軽い声と共に、右から視界を塞ぐ手のひら。
ひらひらと動くそれを辿ると、そこにはこっちを覗きこんでくる女の顔があった。
エリス。それがこの女と呼ぶにはいくらか幼い顔の持ち主の名前だ。
大きな茶色い目の片方を細め、唇の片方を吊り上げて様子を見るその顔は、いたずらの成果を探る悪ガキの様な雰囲気がある。
短くまとめた赤毛に被せた砂漠迷彩のバンダナ。
丈の短い白いシャツと、裂け目の走ったズボン。
それらに包まれた体は小柄で細く、起伏に乏しい。
「やたらぐっすり寝てたとこ悪いけど、もうぼちぼち目的地だから起きてた方がいいんじゃない?」
嘘だ。
あれだけの悪夢を見てぐっすりと眠れていたわけがない。掌だけでなく、肌へ服を張りつかせる寝汗の量もその証拠だ。
だが、実際に本当かどうかなどどうでもいい事だ。
エリスに問い詰める気も起きず、俺は窮屈な荷台の中で座りなおして適当に頷いて見せる。
「それにしても俺が通りかかって良かったな、嬢ちゃん達。あのまま歩きだったら一休みする余裕も無かったぞ?」
そこで荷台の先からかかった声に目をやる。
エリスの体越しに見えた運転席では、行商人の親父がトラックのハンドルを握って正面に広がる砂漠を見つめていた。
「いやホントに助かりましたよ。おかげさまでボク達も砂漠で乾かずにすみました。旦那さんは地獄に現れた救い主様ですよ」
「ハッハッハッ! そいつは大げさってもんだぞ、嬢ちゃん」
トラックの主に調子のいいおべんちゃらを送るエリス。
それを行商人の親父は機嫌良く笑い飛ばして流す。
「ところで、これから行くオアージの街は景気はどうです? ボクらがやってけるような仕事ってありますかね?」
「そいつはあそこならなんとかなるだろう。仕事はあって飯も食える。しかもここらじゃ飛びきり安全。贅沢言うなら締まりがきつい。てえ所だからな」
親父はハンドルから手を離さず、エリスの質問に答える。
そして一度こっちへ振り返ると、俺の顔を見て苦笑する。
「ただ、兄ちゃんの方はあまり仕事は選べないかもな。口がきけないんだろ?」
「うん。戦争でボクにも言えないくらい酷い目にあったらしくて、それで声が……今までまともに動くこともできなくて、ようやく動けるようになっても、前いた街じゃろくな仕事も無くてさ……」
相変わらずすらすらと嘘の出る口だ。
ぎこちない笑顔を演出してさえ見せて、息をするように嘘を言うエリス。
第一、俺たちがオアージの街を目指しているのは、仕事を探してなどというまっとうな理由ではない。
復讐だ。
俺がどうしても殺してやりたい仇があの街にいるという噂を聞きつけて、獲物を追い求めて旅してきたのだ。
だが親父はそんな嘘から始まったエリスの言葉を信じてか、運転席から俺に同情する様な目を向けてくる。
「そうか。まあ強面でガタイは立派だから、今度はどうにかなるだろうさ」
エリスの言葉をすっかり鵜呑みにしているらしい。が、別に訂正するのも面倒だし、その能力も無い。まともに喋れない、というのは掛け値なしに本当のことだ。
「それにしても、あの大戦でかぁ……俺が生まれる前からやっててようやく終わったからなあ……そりゃあ色々あるかぁ……」
すると行商人の親父は正面の砂漠へ向き直って、苦いものを口に含んだように呟く。
親父のその言葉どおり、長い戦争があった。
この星全部を巻き込んでの百年を超える泥沼。
そう、あれはまさに底なしの泥沼だった
争いの続く長い年月の間に、戦いの火ぶたを切った者たちは消え、争う理由さえあやふやになりながらも、血で血を洗う争いは続いた。
戦に傷つけられた土地は荒れて荒野が広がり、その上に生きる者達も訳も分からずに続く戦いに疲れ果てていた。
そんな戦いの中で猛威を奮ったある存在が有った。
文言使い(ワードマスター)と呼ばれる一種の魔術師だ。
奴らは音声、または文書を使って言葉の力を引き出す力を持っていた。
その力は古代から暗殺や戦争に度々用いられ、銃火器が主流となっていた先の大戦でも、彼らは例外無く人間兵器として駆り出された。
彼らは一声で一団を薙ぎ払い、一筆で死の呪いを敵の頭脳へ届けた。しかしそれほどの力を発揮するには長い修練が必要であり、切り札にはなれても主力とは成り得なかった。
その文言使いたちの力を解析し、銃を配るように量産しようという研究計画も行われた。が、そのほとんどは失敗に終わった。
戦力になり得る者たちを生み出した、たった一つの例外を残して。
『イイわ! イイわ! イイわあッ!! ビンッビンよぉお!?』
その例外を思い出して、俺の拳は自然と軋むほどに固まっていた。
結局あの戦争はかつての国家を粉々に砕き、星を荒らし、化物の仲間を増やしただけだった。
そして荒れ果てた土地に生きる人間同士による争いに分裂しただけだった。
「苦労してきたみたいだが……しかし、兄ちゃんが生きて戻ってきて良かったなあ、嬢ちゃん」
そこで運転席からかけられた親父の言葉に、俺は握っていた拳を解いてエリス越しに運転席を見る。
すると、眉間にしわを寄せた渋い顔を運転席へ向けるエリスが目に入る。
「……チョイと待って旦那さん。ひょっとしてボク達を兄妹と思ってる?」
信じられないものを見る様な顔で尋ねるエリス。
すると行商人の親父はこっちを振り返り、不思議そうに口を開ける。
「お? 違うのか?」
「ちくしょう! またシバの妹扱いだよ! 違うよ嫁だよ、ボクはシバの嫁!!」
「どええ!?」
誰が誰のだ。俺は嫁を取った覚えはない。
第一妹に見えるのはエリスがチビで童顔だからどうしようもない。
実際俺も初対面では同じ十八歳だとは思わなかった。
そんな俺の考えをよそに、エリスは揺れる荷台の上で立ち上がる。
「だれもかれもみんな兄妹兄妹! そんなにボクは子どもっぽいのかちくしょう!」
どこまで本気かわからないが、喚き立ててうずくまる。
それに運転席の親父は苦笑を浮かべて振り返る。
「はは、そいつは悪かっ……!?」
その言葉を遮るように割れるガラス。
そしてハンドルを握る親父の体から血が噴き出す。
「う、あぁ……?」
異様にスローなうめき声を零して崩れる商人。
それにエリスが顔を上げて運転席へ体を伸ばす。
「旦那さん!?」
だが俺が体ごと覆い被さってそのエリスの動きを止める。
直後、荷台を覆う幌に音を立てて空く風穴。
そして車体が砂山を踏んだのか大きく跳ね上がる。
「ひっぐ!?」
突き上げてくる一際強い衝撃。
それにエリスは舌を噛まない様に悲鳴を噛み殺して息を呑む。
二、三と繰り返し続く衝撃の後、俺たちを乗せたトラックは停止。
そこへ唸り続けるエンジンの振動に混じって、砂を踏む足音が近付いてくる。
「ヒヒヒハハハハッ! ナァアイスショォオオットォオッ!」
「やるじゃねえか! 運転席をズガガァッとぶち抜いてたぜ」
「お前ら、射的の結果よりも荷物だ! 食料と水をさっさと運び出せ!」
ゲラゲラと耳障りな笑い声。
近付いてくる盗賊の類らしきその声に、俺は息を殺して腰のナイフに手をかける。
俺は別に盗賊連中が何をしようがどうでもいい。
だが、ここでみすみすなにもかも、命までもくれてやるほどの阿呆でもない。
なにより、俺の復讐は目と鼻の先まで迫ってまだ届いていないのだ。
足音と声からして盗賊の数は多分三人。
荷台の後ろから回り込んでくる三人分の足音に、俺はナイフを鞘から引き抜き、音を立てない様にトラック後部の荷台入口へと向きを変える。
口元を覆っているエリスと目配せ。
そしてエリスが荷物の陰に這って行く姿から目を離して、近付く足音を聞きながら布で塞がれた入口近くまで匍匐前進。
「ヒヒ、これで暫くはメシに困らねえぜえ」
上機嫌な声に続いてめくり上げられる布の扉。
そして鉤鼻のモヒカンが顔を覗かせた瞬間、そのアバラの浮いた胸板へ肉厚の刃物を突き入れる。
「うえぇ!? あ、し……?」
あばら骨を圧し折り、刺し貫いた鼓動を刻むものからの振動が刃物越しに伝わる。
その一方でやせぎすの胸から生えたナイフを見下ろして呻くモヒカン。
俺は立て続けにモヒカンに肩からぶち当たって、トラックから砂漠へと押し出しながら飛び出す。
「どぅわぁ!?」
「何だとッ!?」
息絶えたモヒカンもろともに後続のスキンヘッドへ体当たり。
よたついたそれにモヒカンの死体越しにダメ押しの蹴りを叩きこむ。
その勢いでアバラの浮いた胸から血の尾を引いてナイフが抜ける。
「うご!?」
死体に潰されながら背中から砂地へ倒れたハゲ頭。
それをよそに俺は血塗れのナイフを構え直して左側ですれ違ったモヒカン頭へ振り返る。
「テメエッ!?」
古ぼけたライフルを向けようとするモヒカン。
その銃身を左肘で殴りつけて逸らす。
吠え猛る銃声。
それに乗って放たれた弾丸はトラックの車体を叩き跳ね、砂に沈んでそれを弾き飛ばす。
俺はその一呼吸の間に踏み込み、右手に握ったナイフを男の脇腹へ突き刺す。
「うぐえぇッ!?」
血反吐交じりの声を漏らすモヒカン。
「ンなろぉお……ッ!?」
続いて死体の下から出る低い声。
怒りと恨みに染まったそれを聞きながら俺は、ナイフを基点に体を折ったモヒカンの首を振り戻した左手で握る。
その勢いのまま足を軸に腰を捻り、盗賊の体を盾にしながら振り返る。
直後、銃声が響いてモヒカンの遺体越しに数発分の衝撃が襲いかかる。
「ぶうぇあッ!?」
濁った断末魔を上げるモヒカン。その体を盾に、俺は引き金を引くスキンヘッドに向かって踏み込む。
「くっそがぁぁあ!?」
怒号を上げて引き金を引き続けるスキンヘッド。
そこへ俺は、奴がとどめを刺した仲間の遺体からナイフを引き抜いて押し込む。
「なぁッ!?」
一人目の仲間の遺体を押し退けようとしていた所への追加。
二人の遺体に押しつぶされたスキンヘッド。
そこへ俺は血を流す盗賊の遺体ごとスキンヘッドを踏みつぶす。
「ぐぅえ!?」
遺体の下から呻き声を上げる盗賊。
それを踏みつけたまま、俺は逆手に持ち替えたナイフを呻く喉へ突き刺す。
「が!? かひゅ……っ!?」
微かな断末魔を残して息絶えるスキンヘッド。
襲撃してきた盗賊の始末を終えた俺は、血染めのナイフを引き抜いてトラックを見やる。
すると丁度、布を持ち上げて様子を見るエリスと目が合った。
今さらながら焙る様に照りつける日差しの熱さに汗が噴き出た。