わがままな君でいて
目からボロボロ涙がこぼれ落ちる。私がしゃくりあげて泣く声が、静かな部屋に響いた。零れ落ちそうなほど宝石が詰め込まれたティアラが鏡台に置かれ、鏡には繊細なレースが刺繍された純白のウェディングドレスが映っている。それに、泣いて顔が赤く腫れている、可愛く無い私も。
女の子はみんなティアラやウェディングドレスにうっとりとして、自分が身につけられることに喜んで今日を迎えるんだろうな。そう思うと、その幸せを甘受出来ない自分があまりにも可哀想だと思って、更に涙が出てくる。
別に涙を止めるつもりも無い。私がこれだけ泣けば、じゃあ結婚式も中止にしましょう、なんて私に甘いお父様が言ってくれると思って淡い期待を抱いていた。でも当たり前にそんなことにはならなかった。だったら、涙なんて止まらなくていい。このまま泣き顔で腫れた顔を見て、不細工な嫁をもらったもんだと周りに思われればいい。後ろから、ハァと溜息が聞こえてきた。
「お嬢様、いつまで泣いているんですか? 涙を止めてください」
端正で整った顔を歪ませて、そう面倒臭そうに吐き捨てる。執事にあるまじき態度だ。家令のアルバートが知ったらお説教だろう。
彼女は私の専属執事だ。幼い頃からずっと一緒に過ごしてきて、姉妹のように育った。気安い態度はそんな関係性の所為もあるだろう。
この控え室からは彼女以外出て行ってもらった。泣きじゃくり全員出て行って、と叫ぶ私にみんな何も言わなかった。意に反する結婚をする私に同情したのかもしれない。
私は涙を流したまま、首を横に振る。
「嫌よ、最後まで抵抗してやるんだから」
「何がそんなにお嫌なんですか? ハンサムで有能だと名高く、侯爵様の一人息子で、大層お優しく、慈悲深い方だと貴族のお嬢様方の憧れの的ではないですか。これ以上の良縁はないと思いますが」
そう言いながら彼女は私へ氷嚢を渡す。頑として受け取らない私へ向かってまた溜息を吐き、それから失礼します、と言って目に氷嚢を当て始めた。目の前が暗くなる。
「だって、学校で一目惚れした私に声も掛けられなかったくせに、いきなり家を通して結婚の申し込みをしてくるのよ?! 意気地無しも良いところじゃない! 優しいって便利な言葉ね、ヘタレにも使えるんだから!」
「お嬢様、お言葉が過ぎますよ」
「その通りじゃない! 私、噂以外に彼の情報なんて知らない。納得行かないのは当たり前でしょ!」
「噂通りのお方ですよ。旦那様はあなたの婚約者に、と昔から考えていた方でした。お嬢様が突っぱねるからここまで婚約もされなかっただけで、元々話は上がっていたのです」
「だから、それが嫌だって言ってるの!」
また涙が出てくる。貴族の家に生まれた以上、家の事情で振り回される運命なのは分かっていた。でも、私は私の好きに生きたかった。だったらものすごく嫌な男の家に嫁いで、めちゃくちゃに反抗にして全てを台無しにして行方をくらます方がマシだ。幸せの真綿で締められて、ゆっくりこんな人生もありかもね、なんて思いながら生きていくのは絶対に嫌だ。全てが完璧な結婚なんて、私は望んでいない。
「最後まで泣いているおつもりですか? 今日で私ともお別れなんですから、笑ってさよならしてくださいよ」
「…………」
「ほら」
氷嚢が外されて、視界が明るくなる。私は彼女越しの彼女へ向かって、思い切り舌を突き出した。
「絶対嫌! 逃げ出してやる! 今すぐ馬車を手配して! 隣国へ逃げるわ! アナなら受け入れてくれるはずよ!」
「…………」
私がそう言うと、うんざりした顔のまま彼女は三度目の溜息を吐いて、鏡台の上から小瓶を取った。綿布に中の液体を染み込ませ、私の頬に当てる。薔薇の匂いが香った。ローズウォーターだ。火照った頬に冷たさが心地良い。
「薔薇の香りは昔を思い出しますね。覚えてますか? 私が庭園で泣いていた日のこと」
「そんなのほぼ毎日だったじゃない。少しつまづいただけでも泣くし、アルバートにちょっと注意されただけでも泣いてたわ。昔は繊細で可愛らしかったわね」
「お嬢様は昔から口だけは達者でしたね」
「何よ! 最後の日にそんな話をしたかったの?」
鏡越しに彼女を睨むと、何でも無いように受け流される。陶器の小さな壺に入ったクリームを指先に付けて、私の顔へ伸ばした。薔薇の精油を混ぜられているせいか、一気に薔薇の匂いが濃くなる。
ああ、私は今日、大好きな薔薇の匂いを纏って、大嫌いな不自由を得るのだな。
「……あの日、私は将来、家付のメイドになることを聞かされたんです。でも、ほら、私はお嬢様と結婚するって誓いを立ててたでしょう? 薔薇の花を渡して」
「…………」
赤い赤い薔薇の花。庭師の目を盗んで、棘を折って鋏で切り落とした。声を抑えてクスクス笑いながら、緑の原っぱへ駆け出した。使っていない部屋の白いカーテンを無断で持ち出して、2人で被ってその中で。
今でも鮮やかに思い出せる。私たちの秘密。
「覚えてないわ」
私がそう言うと、フッと笑う。そのまま顔全体へ薄くクリームを塗り広げた。いつものように私に触れるその指先は優しい。壊れ物にでも触るみたいだ。
「庭園の端で誓いが叶わないんだって泣いていたら、お嬢様が来てくれたんです。話を聞いて、ふーんとだけ呟いて、泣いている私を置いてどこかへ行ってしまいました」
「私って変わらないのね。自由で愛らしいわ」
鏡越しの彼女は、あの時のように泣き虫で弱々しい面影なんて残っていない。背が高く、整った顔立ちで落ち着いており、服装も相俟って男性にもよく間違えられる。
彫金が施された銀製のケースを開け、スワンズダウンのパフに白粉を付けていく。いつも化粧をしてくれるメイドには、粉が舞って嫌いだから薄くするように言っているのに、白いのが美しいからってバタバタ叩かれて嫌だった。彼女が化粧をする際は、嫌味を言いながらも私の希望をいつも聞いてくれた。私の素肌の白さが透けるような、優しくて丁寧な塗り方をしてくれる。
「次の日、私はお嬢様の専属執事になるようにと命じられました。話が変わったことに驚いて、何故かと尋ねたんです。……お嬢様が駄々をこねられたと」
心の中で舌打ちをする。誰にも言うなってアルバートに言ったのに!
表情にはおくびにも出さず、私は静かに涙を流し続ける。そろそろ目が痛くなってきた。
「そんなこともあったわね。お婆様付きの執事が女性だったのよ。歳を取っても背筋がビシッとしていて、とても格好良かったの。だから私にも欲しかった。それだけよ」
「……お嬢様はいつもそう。わがままで気ままで、我が強いと評判でした」
「その通りね。特に反論も無いわ」
昔から私は変わらない。自由で、気ままで、自分のわがままを絶対通してきた。周りからどう見られようと構わない。私は私に与えられたものを自由に行使するまでだ。
「そもそも、あなたは私が拾ってきたのよ? 私だけがあなたを自由に出来る権利があったのよ」
「それだって、お嬢様のわがままだったのでしょう? 記憶を無くし、道で倒れていた幼い私を拾うと絶対に譲らなかったらしいではありませんか」
「あら、私それなりに目利きなのよ。あなた、美しくて、喋る言葉にも訛りが無かった。 それにその明るい金色の瞳、御伽噺に出てくる竜と同じでしょう? 欲しかったのよ、綺麗で珍しいものが」
私がそう言うと、彼女は苦笑した。
「大人になったら目の色も落ち着きましたけどね。……でも、私はお嬢様のわがままに救われてきたんです。貴方は、いつもそうやって自分のわがままという体裁を一切崩さず、周りを救うんです」
「そんなつもりは全くないわ」
「5歳の時、気に食わないという理由で侍女のマリーに水をかけて下げさせましたね。マリーはその後、熱で倒れました」
「そうね。あの時はアルバートとお母様にこっぴどく叱られたわ」
「マリーは感謝していましたよ。朝から体調不良で休みたいと言っても、侍女頭は許さなかったようでしたから」
「へえ」
「他にも挙げれば枚挙に暇がありません。例えば、舞踏会デビューしたばかりのご令嬢のブローチを、気に入らないと言って奪い取ったことがありましたね」
「ああ、あのセンスが悪いブローチ」
私は鼻で笑った。よくそんなエピソードを覚えている。
白粉を塗り終えて、鏡に映った私を見つめる。白い肌、腫れた目も上手く隠していた。まあ、今も泣いているから涙の筋が残っているのだけれど。
「あれは王家の裏家紋である、柘榴の花が象られていました。王家が喪に服す際身に付けるものです。あの場で着けてしまうのは、まるで王家の不幸を願っているように見え、不敬でしかありません。若いご令嬢は知らなくて当然ですが、侍女はわかっているはずです。あのご令嬢は侍女から嫌がらせをされていたようですね。わざと身に付けさせられたのでしょう」
「裏家紋なんて、私だって知らないわ。ただ気に入らなかっただけ」
「侍女のセンスまで散々貶しておいてですか?」
大きな溜息を吐いた。相変わらず、変なところまで覚えている。こんな具合に、私に説教する時もネチネチ過去のことをいちいち指摘してきてうるさいのだ、この執事は。
「学校でも貴方はそういった振る舞いをしてきました。それがあの心優しいご子息の目に留まったんでしょうね」
「そうかしら」
「あの方はよくお嬢様を見ていらっしゃいますよ。そして、それに付随する私のことも。だから私が付いてくることを拒否されたんでしょうね。侍女の1人も付けさせないなんて、あのお優しい人柄からは考えられない」
「…………」
私は彼女を見つめる。何の話だろうか。
冷たい指が肌へ触れた。この冷たさとも、今日でお別れか。それから、彼女は私の顔に赤を差す。目元、頬へ。印象的な赤に目がいく。誰も目が腫れているなんて思わないだろう。
あーあ、私のささやかな抵抗が。
「お嬢様は、とてもお優しい。そしてそれを絶対にひけらかさない。貴方の優しさはこちらに解釈を委ねられ、ともすればわがままという評価をされてしまうでしょう。自分勝手でわがままな、お嬢様。自由に振る舞っているだけと仰いますが、それでも貴方は周りに優しさを振り撒いてしまうのです。産まれた時からその身に慈愛の心を宿していらっしゃるんでしょう」
「……それがはなむけの言葉かしら? 随分褒めてくれるじゃない」
過大評価だ。私はいつも、自分のしたいようにしているだけ。今だって自分の運命を嘆き悲しんで、時間を遅らせている。迷惑をかけているのに、どこが優しさなのだろう。
器から赤を取り出す。私の顎を掬い上げ、唇へ薔薇のような赤を塗ろうと彼女の指が触れる。いつもはブラシで塗るはずだ。忘れてしまったのだろうか。そんなミスを彼女がするとは思えない。
丁寧に、まず上唇に塗り広げる。緩慢なその動作に名残惜しさを感じられ、私は動揺する。
「…………」
「貴方に拾われた時から私は、ずっと側にいて支えることを誓いました。貴方がどんな人間であろうと、私はあの瞬間に救われたのは事実だから。……一緒に過ごすうちに、なんて苛烈で美しくて、そしてどこまでも優しい方なんだろう、と思いました。結婚を誓ってくださったあの日の、魂が震えるような甘美な喜びを、私は毎日思い出すのです」
下唇に、彼女の薬指が触れた。しつこく、何度も指が唇をなぞる。その所作の意味を考えてしまい、心拍数が上がる。
「ちょ、っと……?」
「申し訳ございません。塗りすぎてしまいました。拭いますね」
そう言って彼女は布を取る。目を瞑るように促され、私は混乱しながら従った。
「…………」
衣擦れの音がして、彼女の顔が近づいた気がした。
唇が、触れる。
あの白い布の下で交わした口付けと、同じ感触だ。柔らかくて、少し冷たい、あの。
昔は拙くて触れるだけのキスだったのに、今は何度も求めるように唇を食まれた。唇の感触を確かめるように、壊れ物を扱うように、大事に、大事に。
「んんっ……」
「…………」
寂しそうに最後に音を立ててから離れられる。私の顔は、多分真っ赤だ。
彼女の唇が、まだらに赤く色付いている。彼女はそれを舌で舐めてから、布でグイッと拭った。それから、私の唇にまた丁寧に赤を引き直す。
「ずっと、ずっとお慕いしておりました。愛しています、お嬢様」
時が止まった。息も止まりそうになる。濃い薔薇の匂いと共に、甘い喜びがぶわっと私の胸に広がった。でも、それはすぐに言いようのない悲しみに変わり、涙に変わる。
思わず彼女の顔を見つめた。少し寂しげに目元が下がっていて、それ以上は顔から感情が読み取れなかった。
「い……」
「い?」
「今更過ぎない?! なんでこのタイミングなの?! もっと前からできたじゃない! 想いを伝えることなんて!!」
涙がこぼれ落ちて、後から後から止まらない。喉がキュッと詰まって、上手く声が出せない。
元々、結婚も受け入れていたつもりだった。私のわがままさは社交界でも評判だ。それを受け入れるのだから、好き勝手やらせてもらえるのだろう、後継さえ産めれば相手も納得するはずだ。彼女さえ付いてきてくれさえすればいい、と思っていたのに。まさか誰も連れて来るなと言われるとは思わなかった。王家直属の諜報員であると揶揄されるくらい、嫁ぎ先が排他的で秘密主義なのは知っていた。でもまさか、私の執事まで弾かれるとは。
彼女を信頼しないということは、即ち私を否定されたも同然だ。絶対に嫁ぎたくない、と騒ぎ始めたのはそれからだった。
それからは私たちが2人っきりで過ごせる時間は目に見えて減って行った。彼女も新しい仕事を控えているので、そちらに必死だったのだろう。あの薔薇の誓いも、もうすっかり忘れてしまったのだと思っていた。
私が彼女への思いを打ち明けてしまえば、嫌味ばっかりで文句は多いくせに、私に甘い彼女は悩み悲しむと思った。だから、この思いは絶対に生涯隠し通そうと決めた。私は彼女のために、初めて自分の気持ちを飲み込んだ。
でもせめて、最後の日くらい思いっきりわがままを言ってやろうと思ったのだ。泣き喚いて暴れて、2人きりの時間をこうして勝ち取れた。
けれどまさか同じ気持ちだったなんて、だったらいくらでも他の方法があったのに。
彼女は自嘲するようにフッと顔を歪め、私から視線を外す。
「完璧な婚約者を立てられて、彼ほど貴方を幸せに出来る自信も私には無かったのです。こんな状況になるまで自分の気持ちを伝える決心が付かなかった、臆病な私は貴方には相応しくありませんね」
「そ、そんなの、私だって、同じ。意地を張らないで、早く好きって言えば良かった。いつもみたいにわがままを言えば良かった。幸せになってほしくて、自分の気持ちを我慢するなんて馬鹿みたい。私が幸せにすればいいだけだったのに。本当に欲しいものを手に入れられなきゃ、意味が無い」
ボロボロ涙をこぼす私の涙を、丁寧に指で拭ってくれる。触れるだけのキスを頬にされた。
「お綺麗ですよ、本当に。泣いていても、今日のお嬢様は一番綺麗」
「……あなた、恋敵に一番綺麗な状態の私を差し出そうとしてるの?……あ、それに今日、全部薔薇の匂いじゃない! 結婚の誓いの香りを纏わせて、嫁に送り出すつもりだったの?!」
「そうですよ」
「呆れた独占欲ね! 臆病なくせに!」
「私が臆病なのは、お嬢様に対してだけですよ」
そう言って、髪を結い始めた。こんな会話をしているのに、まだ式の準備を続けるつもりなのか。
「……ねえ、これからどうするの?」
「これから? そうですね、来世で貴方と結ばれるために、善業でも積みますかね」
その言葉を聞いて、カチンときた。
まさか、全て諦めているの? 信じられない! 私の執事とあろうものが!
私の髪を触る彼女の手を思い切り跳ね除けた。立ち上がって、窓の方へ歩く。下を見ると、高さにくらくらとした。ここからは逃げられなさそう。
「お嬢様?」
「私は諦めないわよ! 何であなたは受け入れようとしているわけ?! 信じられない! 私がわがままなの知ってるでしょ?! 拗ねる前に、やれることやって暴れなさいよ! 分かった?!」
私は彼女へ指を突きつける。驚いて目を見開いて、それから呆れたように溜息を吐いた。今日はもう四度目だ。
「はいはい……」
心底めんどくさそうに彼女はそう呟き、でもどこか嬉しそうに唇の端が上がっているのを私は見逃さなかった。




