第9話 雪の街道にて ― リースの新たな一歩
雪の街道にて ― リースの新たな一歩
雪はまだ絶え間なく降り続いていた。
仰向けに転がっていたリースは、冷え切った体を震わせながら、なんとか上半身を起こした。
「はぁ……はぁ……」
息をするだけでも胸が痛む。けれど、前世の記憶が蘇ったことで、心は妙に冷静だった。
あの世界で、私は死んだ。
過労で倒れて、やり残したことを抱えたまま終わった。
だけど今は違う。ここにはまだ、生きるチャンスがある。
そう思った瞬間だった。
ひゅう、と風が吹き抜ける。
雪煙に混ざって、古びた紙切れが空を舞い、リースの目の前にひらりと落ちてきた。
「……え?」
思わず反射的に手を伸ばし、紙を掴む。冷たい指先に、少し湿った感触が伝わった。
震える手で広げてみると、そこには太い文字が踊っていた。
――【レスター騎士団寮 清掃・食事係 募集中】
「……清掃? 食事係?」
リースの心臓がどくん、と跳ねた。
続く小さな文字には、こう書かれている。
――【応募資格:年齢十八歳から。経験者優遇】
そして、紙の下半分には丁寧な地図が描かれていた。王都の南端、石畳を抜けた先にある寮が目的地だと分かる。
「これだ……!」
声が自然と漏れた。
掃除や食事の支度なんて、今の私でもできる。学院で散々下働きを押し付けられたし、前世では家事の要領も心得ていた。
しかも、前世の記憶が戻ったことで、ちょっとした事務作業も得意だ。清掃や料理に加えて、帳簿や記録の手伝いくらいならきっとできる。
今の私に必要なのは「居場所」だ。
食事と寝る場所さえあれば、生きていける。
それなら……善は急げ!
「よし……行こう!」
リースはふらつく足で立ち上がった。
膝が震えて思わず転びそうになったけれど、雪を払いながら、地図に記された街並みの方へ歩き出す。
◇
王都の外れに近づくにつれ、雪に霞んでいた景色が少しずつ鮮明になっていった。
遠くには灯りがぽつぽつと浮かび上がり、民家の煙突からは煙が上がっている。
胸の奥が少しだけ温かくなった。
「人の暮らしの匂い……」
それは、絶望に沈みかけていた彼女を現実へと引き戻す感覚だった。
街道を進むと、ちょうど通りすがりの商人が橇を引いていて、リースはその背中を目印にしながら歩を進めた。
何度も足を滑らせ、腰の痛みに顔を歪めながらも、心の中では妙に明るい声が響いていた。
(掃除ならできる。洗濯もできる。料理だって……学院では厨房に立たされたし、前世でもレシピを検索して作ってた。大丈夫、私にはスキルがある!)
自分を奮い立たせるように、リースは小さく拳を握った。
◇
やがて、石畳の通りに差しかかった。
道沿いには宿屋や食堂が並び、窓からは橙色の光が漏れている。人々の笑い声や食器の音が、寒い夜気の中に広がっていた。
「……あった!」
リースの視線の先に、大きな看板が見えた。
【レスター騎士団事務所】と彫られた木の板だ。
その奥には、立派な鉄門と、寮らしき建物が雪に包まれていた。
胸が高鳴る。
寒さで震えているのか、緊張で震えているのか、自分でも分からない。
(よし……! ここで決めるんだ!)
リースは大きく深呼吸をした。
そして、門の前に立ち、意を決してノックした。
◇
中から、鎧を着た若い騎士が出てきた。
鋭い眼差しに、リースは一瞬ひるむ。
「誰だ?」
「あの……紙を見て来ました。清掃と食事係の募集は……」
そう言って紙を差し出すと、騎士の表情が少し和らいだ。
「おお、求人の張り紙を? なるほど……ふむ、年齢は?」
「……十八歳です」
実際は十六歳だ。けれど、前世の記憶を抱えた彼女にとって、その言葉は嘘ではないように感じられた。
騎士は頷き、奥の事務所へと案内してくれる。
暖かな灯りに包まれた室内に足を踏み入れた瞬間、リースの頬に涙がにじんだ。
冷たい雪の中で孤独に震えていた自分が、ようやく「人の世界」に帰ってこれたような気がしたからだ。
(生きる場所……見つけた……!)
その心の声は、彼女の中で確かな希望となって響いていた。
――こうしてリース=グラスゴーは、レスター騎士団の扉を叩き、新たな一歩を踏み出したのだった。




