閑話3 アリータ編 警備が厳重な港
雪山を越えた翌朝、私たちは峠道の小屋を出て西の街道を下りはじめた。
冷たい風が吹き付けるけれど、昨日までの絶望に比べれば、頬にあたる痛みですら生きている証のように思えた。
リバプールが先頭を歩き、ランスとエリオットが両脇を固める。
私はその真ん中で足を進めながら、淡いピンク色の髪をマントの中に隠した。
けれど、もう無理に隠す必要もない。
影武者としての役目は終わった。
――私は私として、この旅を全うしなければならないのだ。
「アリータ、大丈夫か?」
エリオットが振り返り、心配そうに声をかけてきた。
「ええ、大丈夫よ。むしろ……急がないと」
私は唇を噛む。まだ本物のリース様はポーツマス学院の女子寮にいる。
助け出すには、一日でも早くダイエー王国に向かわなければならない。
昼過ぎ、ようやく海が見えた。
灰色の雲の下、果てしなく広がる海面は冷たそうに波打っている。
その先に、待望の港町が姿を現した。
「……ついに、着いた」
胸が高鳴る。けれども、同時に不安も広がった。
果たして無事に船に乗れるのだろうか。
港町は冬の嵐に備えて活気づいていた。
漁師たちが網を干し、荷馬車が石畳を鳴らして往来している。
市場では魚の匂いが漂い、行商人たちの声が響いていた。
「気を抜くな。兵の目があるかもしれん」
リバプールが低く言い、私たちは人混みに紛れながら港へ近づいた。
確かに、門の前には武装した兵士が数人立っている。
彼らの視線は鋭く、通る者一人ひとりを値踏みしているようだった。
「……あの兵たち、北の検問所と同じ紋章をつけてる」
ランスが小声で言う。
「つまり、ここでも取り締まりが強化されてるってことか」
どうする? 心臓がどくんと跳ねた。
もし見つかったら――私だけでなく、この三人も危険にさらしてしまう。
リバプールは市場の裏路地に私たちを引き込み、短く告げた。
「正面突破は無理だ。船に乗る方法を探す」
港には大小さまざまな船が停泊している。
商船、漁船、遠洋航路に出る大型船……。
そのどれかに乗れればいいのだが、兵士の目をすり抜けて桟橋まで行くのは至難の業だった。
「なぁ、あれ見ろよ」
エリオットが指さした先に、一隻の古びた貨物船があった。
帆はくたびれ、船体も少し傾いて見える。
だが、船員たちは忙しく荷を積み込み、今にも出航する様子だった。
「怪しまれずに近づけるのは、ああいう船かもしれん」
ランスが腕を組み、考え込む。
私も直感的にそう感じた。
立派な船よりも、むしろ地味で人目を引かない船のほうが安全だ。
だが、どうやって乗せてもらうか……。
すると、ふいに背後から声がした。
「お嬢さん、困ってるのかい?」
振り向くと、背の低い商人風の男が立っていた。
丸い顔に愛想笑いを浮かべているが、その目はどこか油断ならない光を帯びていた。
「……誰?」
「ただの商人さ。だが耳はいいんでね。船を探してるなら、手を貸してやれるかもしれない」
怪しい。だが時間は限られている。私は息をのみ、リバプールを見た。彼は男を睨みつけ、低く尋ねる。 「代わりに何を望む?」
商人は肩をすくめ、にやりと笑った。
「簡単なことさ。荷物を少し運ぶのを手伝ってくれりゃいい。お代は要らねえ。だがその代わり、あんたたちを船に乗せてやる」
……罠の可能性もある。
けれど、このままでは兵に見つかってしまう。
私は迷った末に口を開いた。
「お願い、受けて」
リバプールはしばらく考え込み、やがて小さくうなずいた。
「わかった。ただし、裏切ったら……その時は覚悟してもらう」
商人は「へいへい」と軽く答え、私たちを港の裏手へと案内した。
そこには樽や箱が山積みにされていて、港の喧騒からは少し外れていた。
「この荷をあの船に運んでくれりゃいい。
船長は俺の古い知り合いでね、事情を聞けば乗せてくれるさ」
私たちは荷物を抱えて桟橋へと急いだ。
兵士たちの視線を避けながら、汗を流して船へと積み込む。
重さに足が震えたが、必死に耐えた。――この一歩一歩が、リース様へつながる道なのだから。
やがて、荷の運搬が終わった時。
船長と呼ばれる初老の男が姿を現した。
「こいつらか?」
船長は渋い声で商人に問う。
「ああ。俺の客だ。少し事情があってね」
船長はじっと私たちを見つめ、やがて鼻を鳴らした。
「面倒ごとはごめんだ。だが……金と覚悟があるなら乗せてやらんでもない」
リバプールが即座に答えた。
「金ならある。覚悟もな」
その言葉に、船長は渋々うなずき、船員に合図した。
「よし、じゃあ急げ。潮が変わる前に出航するぞ」
ついに――船に乗れるのだ。
胸が熱くなり、私は思わず空を仰いだ。
灰色の雲の切れ間から、ほんの少しだけ青空がのぞいていた。
「ありがとう……」
誰にともなく、私は小さくつぶやいた。
だが安堵も束の間。
船に乗り込む瞬間、背後から怒声が響いた。
「待て! お前たち、そこで何をしている!」
振り返ると、数人の兵士がこちらへ駆けてきていた。
槍を構え、鋭い目で私たちを睨んでいる。
心臓が凍りつく。――まだ終わっていなかったのだ。
リバプールが剣に手をかけ、ランスとエリオットも構える。
船員たちがざわめき、商人は青ざめて後ずさった。
「アリータ、急げ!」
リバプールの叫びに背を押され、私は船の甲板へ駆け上がった。
息が苦しい。
だが振り返るわけにはいかない。
甲板から見下ろすと、リバプールたちが必死に兵士を食い止めているのが見えた。
金属の音が響き、火花が散る。船長が怒鳴った。
「縄を切れ! 帆を上げろ!」
船員たちが一斉に動き出す。
縄が切られ、船はゆっくりと桟橋を離れていく。
だが兵士たちも必死だ。桟橋を走り、船に飛び乗ろうとする者までいる。
「……お願い、みんな無事で」
胸の中で祈った。まだ旅は始まったばかりだ。
だが、ここを越えれば確かにダイエー王国へ近づける。
波が船体を揺らし、港の喧騒が遠ざかっていく。
私は甲板に立ち、冷たい風に髪をなびかせながら、強く心に誓った。
――必ず、リースお嬢様を助け出す。
そのために、生きて帰る。




