閑話2 アリータ編 エイダ―王国を目指して危険な冬の峠越え
危険な冬の峠越え
夜明けの空は灰色に沈み、吹きつける風が容赦なく頬を刺した。
私はマントの裾を握りしめ、凍える指先を必死にこすった。
背後には調査員たちが黙々とついてきている。
峠道の入り口に立ったとき、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
「……ここからが本当の試練ね」
思わず声に出してしまう。
リバプールが振り返り、短くうなずいた。
「足を止めるな。止まれば身体が冷えて、二度と動けなくなる」
その言葉に、私は唾を飲み込み、雪深い峠道へと足を踏み入れた。
◇
道は細く、片側は切り立った崖、もう片方は雪に覆われた森だった。
風が吹くたびに枝がしなる音がして、雪が頭上からばさりと落ちてくる。
歩くだけで体力を削られ、靴の中はすぐにびしょ濡れになった。
「アリータさん、大丈夫ですか?」
カレンが気遣うように声をかけてくれる。
「ええ……大丈夫。少なくとも、今はまだ」
強がって答えたけれど、呼吸は荒く、足は重い。
けれど止まれば命を落とすと分かっていたから、一歩一歩を必死に進めた。
やがて雪雲が厚みを増し、空が暗くなっていく。
嫌な予感が胸をよぎった。
「……雪が、強くなってきてる」
リバプールが険しい表情で空をにらんだ。
「吹雪になる。急げ」
彼の声に背中を押され、私たちは必死に進んだ。
しかし、足跡はすぐに雪で埋まり、道さえも分からなくなりそうだった。
体力の限界が近づき、頭がぼんやりしてきたとき――
突然、空気が震えた。
山肌から「ドォォン」という低い轟音が響き、地面が揺れた。
「雪崩だ!」
エリオットが叫んだ。
目を見開いた瞬間、白い壁のような雪が音を立てて迫ってくるのが見えた。
私は息を呑み、必死に足を動かした。
リバプールが腕を掴み、雪庇の陰に引き寄せてくれる。
その直後、轟音とともに雪が道を飲み込み、目の前が真っ白になった。
息ができない。
体が雪に埋まりそうになる。
必死に腕を振り、リバプールの手を離さないようにしがみついた。
どれほどの時間が過ぎたのか分からない。
気づけば、雪崩は峠の下へと流れ去っていた。
全身は雪まみれで震えが止まらない。
「……助かった……」
私の声はかすれていた。
リバプールは息を整えながら、険しい顔で言った。
「ここからが本当の地獄だ。雪崩で道は完全に消えた。もう後戻りはできん」
◇
雪の壁をかき分けながら、私たちは進み続けた。
何度も転び、膝を打ち、手袋の中の指が感覚を失っていく。
けれど、誰も弱音を吐かなかった。
言葉を発すれば、その瞬間に気力が途切れてしまいそうだったから。
ようやく、峠の向こうに小さな山小屋が見えたとき、私は涙が出そうになった。
「……あれは……避難小屋?」
ランスが頷く。
「運がいいな。峠を越える旅人のための小屋だ。今夜はそこで休む」
私たちは雪を払いのけながら扉を開けた。
中は薄暗いが、わずかな薪と毛布が残されていた。
火を起こすと、凍えた身体にじんわりと熱が戻ってくる。
「これで少しは生き延びられるな」
カレンがほっと息をついた。
私は火の揺らめきを見つめながら、胸の奥で小さく呟いた。
「……リースお嬢様、待っていてください。必ず……必ず国王陛下に真実を伝えて、あなたを救ってみせます」
その言葉に誰も返事をしなかった。
けれど、皆の瞳に同じ決意が宿っているのを感じた。
◇
翌朝。吹雪は止み、澄んだ青空が広がっていた。
山の向こうには、海のきらめきが遠くに見える。
港はもうすぐだ――そう思った瞬間、胸の奥に熱いものが込み上げた。
「あと少し……」
私は唇をかみしめ、足を踏み出した。
影武者としてではなく、一人の少女アリータとして。
公爵様の遺言を胸に抱き、リースお嬢様の未来を守るために。
雪の峠を越えて、私は必ず港へたどり着くのだ。




