閑話1 アリータ編 エリオットたちとの出会い
夜が明け、冷たい冬の風が窓を震わせた。
私はベッドの上で小さく息を吐き、手櫛で髪を撫でる。
もう金色のウィッグをかぶる必要はない。
鏡に映るのは、淡いピンク色の髪をした自分自身――アリータ。
公爵様の影武者として過ごした日々は、昨夜の告白を境に終わった。
胸の奥が軽くなった一方で、新しい重荷がのしかかっている。
リースお嬢様を助けるため、ダイエー王国へ一日でも早く辿り着かなければならないのだ。
「……ここからが本番ね」
私は立ち上がり、窓の外に広がる鉛色の空を見つめた。
心は揺れていた。
昨日出会ったダイエー王国の調査員たち――彼らが本当に信用できるのか、まだ分からない。
けれど、今は疑っている余裕はない。
動かなければ、リースお嬢様の命がどうなるかわからないのだから。
広間に集まった四人の調査員たちは、すでに出立の準備を整えていた。
リバプールという名の寡黙な戦士が短く告げる。
「予定通り北の検問所を抜け、港へ向かう」
私は黙って頷いた。
船にさえ乗れれば、すべてが変わる――そう信じたかった。
◇
だが、現実は甘くなかった。
公爵領を抜ける街道を進んだ先、北の検問所の前で私たちは立ち止まることになった。
巨大な鉄の門は固く閉ざされ、城壁の上には槍を構えた兵士たちが並んでいる。
「門が……閉まってる?」
私の声はかすれていた。
嫌な予感が背筋を走る。
兵士の一人が上から叫んだ。
「王の命令だ! 北門は当面閉鎖する。通行は一切認めん!」
調査員の一人、ランスが小さく舌打ちした。
「まずいな……これじゃ港へ出られん」
「どうするの?」
私の問いに、彼らは互いに視線を交わした。
すぐには答えが出ない。
焦燥が胸を締めつける。
「西の街道を試すしかない」
リバプールが短く言った。
私たちは引き返し、西へ向かった。
けれど、そこでも待っていたのは無情な通行止めだった。
道を塞ぐ柵には封蝋付きの布告が貼られ、
「治安維持のため、閉鎖」と記されている。
私は思わず声を荒げた。
「どうして……! これじゃ、どこへも行けないじゃない!」
沈黙が落ちた。
風が吹きすさび、枯れ枝が地面を転がる。
無力感に押しつぶされそうになる。
けれど、足を止めてはいけない。
リースお嬢様が待っているのだ。
「まだ道はある」
低い声が静寂を破った。
リバプールだった。
「峠道だ。冬は通行止めになる危険な道だが、検問も見張りもない。行けるとすればそこしかない」
その言葉に、エリオットが顔をしかめた。
「でも、あそこは雪崩も起きるし、途中で凍死した人もいるって……」
「危険は承知の上だ」
リバプールは揺るがない声で続ける。
「ここで検問が開くのを待てば、何週間も足止めだ。その間にリース様がどうなるか……分かっているはずだ」
胸が痛んだ。
確かに、その通りだ。立ち止まることは、諦めと同じ意味を持つ。
カレンが私を見つめ、静かに言った。
「アリータさん。あなたはどうしたい?」
その問いに、私は唇を強く噛んだ。
迷ってはいけない。
影武者である自分が選ぶことに意味があるのかと、心のどこかで怯えていた。
けれど、公爵様から託された遺言を思い出す。
あの時、確かに「任せる」と言ってくださったのだ。
「……峠道を通ります」
震えながらも、私ははっきり答えた。
エリオットが大きく息を吐いた。
「やっぱり、そうなるか……。分かったよ、行こう」
ランスは腕を組み、うなずいた。
「危険だが、やるしかないな」
リバプールの瞳に、わずかに安堵の光が宿った。
「決まりだ。今夜は休み、明日の夜明けと共に峠へ入る」
◇
その夜、私は焚き火のそばで眠れぬまま空を見上げていた。
冷たい星々が瞬き、吐く息が白く散る。
胸の奥は不安でいっぱいだった。
本当に、彼らを信じていいのだろうか。
もし彼らが裏切ったら……もし峠で命を落としたら……。
考えれば考えるほど、体が冷えていく。
けれど、ふと頭に浮かんだのはリースお嬢様の笑顔だった。
幼い頃、庭園で見かけたあの優しい横顔。
影武者として仕えてきた私を、決して見下さずに「ありがとう」と言ってくださった声。
「必ず……助けてみせます」
小さく呟いた言葉は、夜空に吸い込まれていった。
私はもう影武者ではない。ただのアリータとして、この命を懸けるだけだ。
――そして翌朝。
夜明けの光が山々を染める中、私たちは峠道へと足を踏み入れた。
雪に覆われた細い道、吹きつける風、
そして誰もいない静寂。
ここから先は一歩間違えば命を落とす。
けれど、もう迷いはなかった。
リースお嬢様を救うために。
私はピンク色の髪を風に翻し、堂々と前を見据えて歩き出した。




