第41話 エックス視点 尾行の影
エックス視点 尾行の影
俺の名はエックス。二十代半ば、騎士団の調査員だ。
副団長からの依頼はただひとつ──レスター=ブラッドフォードを尾行し、リース=グラスゴーという娘について調べろ、というものだった。
街は春。桜の花びらが舞い散り、石畳を歩く人々の肩に淡く積もっていく。
そんな華やかな空気の中で、俺ひとりだけが場違いだったかもしれない。
擦り切れた外套は色も褪せ、無精ひげに覆われた顔は場末の酒場の匂いが抜けない。
すれ違う者が小さく顔をしかめるのが分かる。
だが、それでいい。
俺は影。陽の下を歩く者とは違う。
視線の先にいたのは、伯爵家の御曹司、レスター=ブラッドフォード。
彼は人混みを抜け、苛立ちを隠すように馬車に乗り込んだ。
さきほどまで、彼は騎士団の門前で、金の髪の娘──リースとやり合っていた。
愛妾だの名誉だの、聞くに堪えない言葉ばかり。
俺は人混みの隅から、その一部始終を見届けていた。
「なるほどな……」
レスターの瞳に宿った怒りと屈辱。
それはただの色恋沙汰じゃない。
もっと奥に、得体の知れない企みが潜んでいる。
そう直感した。
馬車が動き出す。
俺は外套を翻し、人波にまぎれてつける。
尾行は慣れている。
視線を外し、足音を消し、ただ呼吸だけを合わせて相手の動きを読む。
馬車が向かった先は──ポーツマス学院。
あの名門校か、と俺は眉をひそめる。
だがそこで得た情報は、予想を越えるものだった。
学院の前で馬車が停まると、レスターは数人の取り巻きとともに門の中へ入っていった。
俺は距離を取りながら様子をうかがい、時間を置いてから門衛に近づく。
外套の下に忍ばせた証票をちらつかせ、軽く笑う。
「ちょっと聞きたいんだがな。リース=グラスゴーって娘を知ってるか?」
門衛は俺を胡散臭そうに見たが、彼の手に小金を握らせると反応はガラリと変わる。
口が軽くなるものだ。
「ああ……あの娘か。元は学院の生徒だったが、公爵家が取りつぶされてな。ここで下働きをやってたんだ。だが……」
「だが?」
「物置小屋を放火したって話で、追放されたんだよ。今はもうここにはいない」
胸に冷たいものが走った。
放火? リースが?
門衛の言葉は続く。
「まあ、実際にやったのかどうかは俺らには分からん。だが学院長が決めちまったんだ。あの家の娘は厄介者だってな」
俺は小さく礼を言って背を向けた
。次に狙いをつけたのは使用人たちだ。掃除をしていた老婆に声をかける。
「リース=グラスゴーを知ってるか?」
老婆は眉をひそめた。
「知ってるとも。あの子はよく働いた。帳簿の整理も料理も、下働きにしちゃあ見事だったよ。火の件だって……あの子がやったとは思えないさ。でも証拠がないんだよ。証言した者もいなかった」
言葉を飲み込みながら、俺は彼女の皺だらけの手を見た。
真実を知っていそうなのに、語れないという苦しみがそこに滲んでいた。
さらに数人に話を聞いたが、返ってくるのは同じ内容ばかり。
──リースは働き者だった。
だが放火の夜、彼女が放火したと証明する者がいた。
──そして追放。
学院の中庭に足を踏み入れると、焼け焦げた匂いが風に混じったイメージで周辺を眺める。
もう修繕されて久しいので匂いなどしないが、そこは想像で補う。
俺にはそれがはっきりと分かった。
現場を見ていない者には分からないだろう。
だが俺は、火の跡の形を想像できた。
複数の箇所で火がつけられたはずだ。
偶然の火事じゃない。
誰かが意図してやった放火──そう考えるしかない。
「リースが犯人ってのは、あまりにも都合がよすぎるな」
俺はつぶやく。
公爵家が取りつぶされた娘。
守ってくれる家も力もない。
そんな者に罪をなすりつけるのは簡単だ。
夕暮れが近づき、桜の影が長く伸びる。
レスターはまだ学院の中で誰かと話し込んでいた。
俺は外からその様子を見守りつつ、手帳に書き込む。
──リース=グラスゴー、元公爵令嬢。
──下働きとして学院に残るが、放火の嫌疑で追放。
──噂と事実に乖離あり。複数の証言から彼女の潔白の可能性は高い。
──放火は複数発火の可能性。計画性あり。
そして、最後にこう書き加えた。
──レスター=ブラッドフォード、接触中。
彼の関与の有無は不明だが、リースを「愛妾」として取り戻そうとする態度には不自然な執着が見られる。
手帳を閉じ、俺は外套の襟を立てる。
リースが元公爵令嬢だったとは……。
騎士団で見た彼女は、ただの下働きの娘にしか見えなかった。
控えめで、黙々と働いていた。
だが、その背景にはこれほどの重荷があったのか。
「副団長に報告だな」
独りごちて歩き出す。
桜の花びらが俺の外套にひらりと落ち、すぐに風にさらわれた。
リースの未来も、同じように風にさらわれてしまうのか。
それとも、まだ掴み取る力が残されているのか。
俺には分からない。ただ、調査員として事実を集めるだけだ。
だが胸の奥で、どうしても小さなざわめきが止まらなかった。
──あの娘は、ただの駒じゃない。
そう思った瞬間、俺は自分の職務を越えた感情に気づき、舌打ちした。
場末の酒場の匂いをまとった俺には、似合わない感情だった。
それでも足は止まらない。
影は影のまま、真実を追いかける。
レスターの影、学院の闇、そしてリースの失われた名誉。
そのすべてを結ぶ糸を見つけるまで、俺の尾行は終わらない。




