閑話4 クローリー編 リースへの罠発動
騎士団の門前 ― クローリー視点
午後二時。倉庫街の外れにある、薄汚れた煉瓦の壁の影に身を潜めた。
目の前には、クローリー伯爵家が所有する古い物置小屋。
木の扉は色あせて、蝶番は錆びついている。
けれど、埃っぽい匂いを漂わせながらも、中はまだ使える程度には保たれていた。
今日のために、わざわざ鍵を用意したのだ。
胸が早鐘のように鳴っている。
本当に来るのか。
リースは、わたしの仕掛けた罠にまんまと引っかかって、一人で姿を現すのか。
「ふふ……」
頬が自然と緩む。
思い描くだけで、心臓の鼓動がさらに早まる。
そのとき、靴音が近づいてきた。
振り返ると、埃を蹴り上げるように歩いてきたのは――エックス。
乱れた茶髪、肩に羽織った安っぽい革のジャケット、そして何より、人を舐めたような笑み。
「よう、待たせたな」
低い声。
けれど目だけは鋭く、わたしの表情を探るように見つめてくる。
「来ましたね」
わたしはできるだけ冷静に返す。
エックスは足を止め、わざとらしく肩をすくめると、吐き捨てるように言った。
「確認しておきてぇんだが……本当にやっていいんだな? お前の友達、リースとかいう嬢ちゃんをよ」
一瞬、背筋に冷たいものが走る。
けれど、怖気づいてはいけない。ここで怯んだら、全てが無駄になる。
わたしはわざと唇を吊り上げ、楽しげに返した。
「今さら怖気づいたの? わたしは楽しみにしていたのに。ええ、あなたの好きなようにしてください。わたしはあくまで協力者ですもの」
するとエックスの表情に、かすかな影が差した。
ほんの刹那、悲しげな色を宿したように見えた。
……見た目によらず、気の弱い男なのかもしれない。
ならば、さらに背中を押してやればいい。
「ねえ、あなたの大好きなあの娘が、あなたのものになるチャンスなのですよ。そんなに後ろめたいのなら、この後、責任をとってあの娘と結婚すればいいじゃないですか? そうすれば、あなたは幸せ、リースも結婚できて幸せ、そして……わたしもレスター様と二人きりの結婚生活が守れて幸せ。みんなが笑顔になれるじゃないですか」
あえて軽やかに言葉を紡ぐと、エックスは嫌悪感を隠さずに顔を歪めた。
「……ま、後悔するなよ」
吐き捨てるような声。
けれど、その言葉すらも、わたしには蜜のように甘美に響いた。
エックスは肩を回しながら物置小屋の方へ歩き、扉の前で振り返った。
「俺は中で待機してる。それじゃな」
ひらひらと軽く手を振り、何でもないように小屋の中へ消えていった。
扉が閉じる音が、やけに大きく耳に残る。
◇
そして――わたしは一人になった。
小屋から少し離れた廃材置き場の影に身を隠し、時の流れを待つ。
午後二時十五分。
まだ早い。
リースが現れるのは三時のはずだ。
だが、胸の鼓動はすでに最高潮に近づいていた。
わたしはスカートの裾を握りしめ、爪が食い込むほどに力を込めていた。
「ふふ……リース」
思わず名前を口に出す。
あの女がどんな顔でここに来るのか。
どんな顔で裏切られるのか。想像するだけで、体が震える。
午後二時半。
遠くから馬車の音がかすかに響いた。
通り過ぎただけだとわかっていても、鼓動が跳ね上がる。
午後二時四十五分。
汗が首筋を伝う。
待ちきれない。
早く来てほしい。
早くその顔を、この目で見たい。
そして――。
午後三時直前。
通りの奥に、人影が見えた。
ゆっくりと、確かな足取りでこちらへ向かってくる。
背筋を伸ばし、どこか決意に満ちた歩み。
わたしの視界が一瞬、白く染まる。
歓喜で頭が真っ白になったのだ。
「……来た」
リースだ。
間違いない。
あの金の髪、真っ直ぐな瞳。
どんなに落ちぶれても、どんなに貧しくなっても、あの女だけは自分の輝きを失わなかった。
そのリースが今、罠に飛び込んでくる。
まるで自ら奈落へ歩み寄るように。
わたしは震える手で口元を押さえた。
笑いを堪えるために。
――この瞬間を、逃すわけにはいかない。
運命の午後三時。
リース=グラスゴーの破滅が、始まろうとしていた。




